Ep04-05-02
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立ち聞きを指摘されていたから、そんなつもりはなかったと示すためにも、素直に呼びかけに応じて姿を顕わにしたクシニダ。それでもばつの悪い気分でいることは否めなく、長い黒髪の生徒に一言詫びを入れておく。
「ごめんなさい。待ち合わせに来ただけなんだけど、込み入った話をしてるなら、姿を見せないほうがいいのかなって思って、隠れちゃってた」
「あまり広めたい類いの話ではないのだが、そなたであればナディ担任への口添えも期待できよう。ゆえに歓迎してもよいくらいだ。クシニダ・ハスターナ魔法担当官」
黒髪の生徒は振り向きはしなかったが、髪に隠れた耳をわずかに、こちらに傾けるように首を動かし、クシニダの名を言い当てた。名前や身分を言い当てられるのがわりと嫌いなクシニダだが、名前を出して補習の受講者を募集している立場ともなれば、気にしてもいられない。
それがたとえ、見覚えのない後ろ姿をしている生徒であったとしても、だ。
だが、その生徒の対面に着座しているタフィールが妙なことを言いだした。
「声だけで誰かわかっちゃうわけだ」
「わたしからすれば、クラスの魔法担当官だ。パートナーの成長の方向性だの、それなりに話す機会はあった。わからぬふりをするほうが怪しかろう」
その返答から、クシニダはクラスの生徒かと察しをつけたものの、こんな綺麗な黒髪の生徒になどついぞ心当たりがない。しかし、名前を知られているだけならともかく、声まで知っているとなると、これはもう、クシニダが気づけてないと考えるほうが自然だ。
だってクシニダは、ネット上に声まで晒しているわけではないのだから……。
それでも幾分かは訝しく思いつつ、二者の会話の推移を見守る。
「確かに言われたらそうかなって思わされちゃうんだけど、柿崎くんの主張ならこう言わなければおかしい、を先にこっちで考えるのにも限度があるわ。微妙に違うパラレルワールドの、微妙に違う部分自体がお互い探り探り、ってつもりにならなくちゃなんだもの」
タフィールはたぶん、クシニダに概要を聞かせる意図もあるのだろう。
つまりこの柿崎と呼ばれた生徒は、自分をバーナディルクラスの生徒だと主張し、この場でのバーナディルの同席を求めている、ということに他ならない。そして、クシニダに見覚えがあるはずもない、というのも織り込み済みで、パラレルワールドから来たなんて、トンデモ話を展開させているらしかった。問題を少しだけややこしくしているのは、よりにもよってバーナディルクラスの生徒を詐称しているあたりだろうか。
しかし、パラレルワールドから来たことを否定しなければならないとなると、存外その証明は難しいと言えそうだ。現実にいまここにいる人間の、何をもってパラレルワールドから来たことにならない、との立証ができよう。
おそらくタフィールは、セキュリティの数々を突破しているこの柿崎某を、不審者と断定するのにためらいがあるのだ。確かにクラスを偽る程度の詐称を、即学校外からの介入まで必要とするほどの問題にしてしまうというのも、行き過ぎてはいる。仮に柿崎が異能や固有魔法でいたずらをしているのだとしても、ここでの口頭注意に止めたいのだろう。
クシニダはそう察し、タフィールに合わせた立場の提案をしてみる。
「本当に生徒かどうかの写真照合くらいなら、してみてもおおごとにはならないのでは?」
「あら、いい考えね。だけど、柿崎くんの同意もなしに勝手に撮るわけにもいかないし」
タフィールはクシニダに賛同しつつ、断りづらい視線を生徒に送る。
「好きにされるがよい」
「ありがと。それでもまあ、簡易的な記念写真風にでもしておきましょうか」
と、タフィールは手心でも加えるかのようにつぶやき、後ろの壁のほうを向いた。すると、クシニダを含めた三人が、ブロック状に展開した仄かな赤い光に包まれる。この範囲が被写体になる、という警告に近い光だ。ちなみに、クシニダのさらに後ろの赤い光から外れた場所に通行人がいたとしても、プライバシーに配慮されて映り込みはしなくなる。
その赤い光もすぐに消えたから、撮影はこれで終了となったようだ。
タフィールは写真を早速見ているようだが、こちら側からだとコンソールの裏側が単色で見えているだけで、裏返しの画面が見られたりするわけではない。タフィールは一瞬ぽかんとしたあと、次第に深刻さを増したような表情になり、ついにはクシニダを手招きしだした。
クシニダはタフィールの側に歩み寄り、コンソール画面を覗く。と、おそらくタフィールと同じ変遷で、あり得ないという感慨に囚われだした。
なぜなら、そこに映っていたのは、手前のタフィールと、奧のクシニダの二人きりだったからだ。つまり、真ん中にいたはずの柿崎の姿は影も形もなく、重なって隠れていたはずのクニダの身体の一部分までもが、ばっちりと映り込んでいるのだった。
技術的にはあり得なくもない映り方だとは思うが、タフィールが簡易的にと言っていたからには、全方位からの光の波長を記録する撮り方はしておらず、赤い光で包まれた範囲を壁側だけから撮った写真になるはず。しかもあの手際で撮影して、クシニダの身体を補完できるデータ収集の許可申請まで済んでいたとは考えにくい。さらには、その証拠とばかりにタフィールが指差した箇所には、補完率と修正率がともにゼロパーセントとあった。
「これを柿崎くんに見せちゃうのが、人道上正しいかどうか……」
「そう……ですよね。あ、けど、ハッキング的な何かという可能性は逆に高まったり?」
「簡単にハッキングなんて言うけど、超常現象よりもよっぽど難しいことなんだよ。たぶん、コンピュータの性能に関しての思い込みがあるんだろうけど、要はね、コンピュータは処理能力が足りてればもうそれで、ハッキングなんか無理になるって思ってくれてかまわないから」
「はあ、でもハッキングって、プログラムの脆弱性とか、そっちの問題になるんじゃ?」
「だからそれはね、限られた処理能力でしかコードを組めないから脆弱になるんであって、処理能力が最低限あるなら負担なく全部を監視できちゃうの。抜け道の一つ一つに監視員が全方位で見張れるよう配置されてる、みたいなとこには忍び込みようなんてないのと同じだよ」
「つまりそれほど困難なのに、その困難を突破してまでしてることが、写真の加工と加工履歴のリセットじゃ、確かに労力に見合わないにも程があるって感じになっちゃいますよね」
「そうなの。なのに現実にこんな写真が撮れちゃってるってことは?」
技術的には可能でも、する理由も形跡もないという意味では、柿崎だけが写っていない写真というのは、まさしく超常現象と思うより他はない。
「それこそ超常現象だとしか言えなくなっちゃう、かあ。だったらもうどうしようもないんですから、配慮とかは諦めて本人に聞いてみるしかないんじゃありません?」
「そうねえ。まあ、投げ出して上に委ねちゃうよりは、まだしも穏当かもしれないわ」
タフィールは視線を写真から生徒のほうへと向ける。
クシニダも釣られ、そこで初めて生徒の顔を見た。
すると、制服の種類から男の子だと思っていたその生徒は、とんでもない美少女であることが判明した。初めてタフィールを見た時とも比べ物にならない衝撃を受けたのだから、どれほどの美貌かは推して知るべしだろう。思わず腰が抜けかけて、テーブルに手を着いたほどだ。
その間にも、タフィールはコンソール画面を操作してテーブル中央に同化させていた。
「ショックを受けるかもしれないけど、このほうが柿崎くんの要望に添うかたちに近いと思うから見せることにするわ。何か心当たりがあるようなら話してちょうだいね」
指での操作後、テーブル中央には件の写真が表示された。
だが、柿崎は朗らかな表情をまるで崩さず、欠片ほどの動揺も見せてはいない。それでも、思うところが何もなかった、ということではないようで、逆に問いかけてはきた。
「わたしはこの写真というものの多様性と限界を熟知しておらぬが、これは、そなたらからしても説明のつかぬ撮れ方であった、という解釈をすればよいのか?」
「そうね。やや現実的にあり得る可能性としては、貴方が国家から肖像の秘匿を承認されている特定重要人物だったのなら、そのプロテクト解除権限がないわたしがする撮影では撮れないのが当然だし、加工率表示も細工された数値が表示されるなんてこともあるのかもしれない」
「なればそれだ、と言わば、担任殿の元に案内されるかな?」
「それには、せめてそちらを示唆できうる証なりを、貴方の側から提示してもらわないと」
「できようはずもない。まあ、違うのだから考えるまでもないが。ただ、先程の心当たりであれば、この際だ、この場で話してしまっても良いのやもしれぬ」
「あら。貴方がしたい説明には、この写真がむしろ好都合だったのかしら?」
「現象を説明するには、それこそバーナディル・クル・マニキナの知恵を借りねばならぬのであろうが、わたしが知る限りの経緯を話すことであれば、はじめからしてもかまわなかったのだ。与太話と取られるのが関の山とわかりきっていたゆえ、控えていたがな」
「この写真を見たわたしたちなら、頭ごなしの否定がしにくくなってるのね?」
「そうだ。事の起こりは昼の只中、そのころにわたしのパートナーは、過去に遡ってわたしを召喚する言葉を替えたことにされるという異能攻撃を受けたらしい。それが発動したのが、この施設の閉鎖時間直前。駆けつけたわたしの目の前でアニステアという異能の発動者が消え、あとは突然現れたそなたに声をかけられた、というのが順を辿った経緯となる」
本当にパラレルワールドのような話になってしまったが、こんな写真が撮れてしまったからか、信憑性のある話にさえ聞こえてしまう。
タフィールが不躾を推して、柿崎に申し出ていた。
「厭……だったとしても我慢してもらいたいのだけれど、触らせてもらってもいいかしら? 身体のどこでもかまわないから」
柿崎が実体かを確かめたいのだろう。写真のこともあるし、彼の話が事実であるなら、彼は現在、世界から存在ごと否定されていることになる。つまり、ここで話している彼はなんらかの残滓でしかない可能性が高い。ただ、美貌のせいなのかなんなのか、クシニダからすると、柿崎の存在感は自分やタフィールよりも上のようにも感じられてしまっている。
というわけで、その違和感を払拭すべく、了承して差し出されていた柿崎の左手に、クシニダも便乗してタフィールともどもにぎにぎしてみた。
柔らかい。女の子女の子した柔らかさではないのだが、ガチガチの皮膚や筋肉に覆われた手ではなかった。もっとも、いかにもそんな手をしてそうな男子生徒だって、この世界の医療でケアされているのだから、きっと実際にはそうでもないに違いない。それにいま重要なのは、この柔らかな柿崎の手に触れるということであり、ほんのりとした温かみすらあるということなのだ。写真に写らなかったとはいえ、この手触りがあるという事実に疑いようはなかった。
「存在してますよね?」
「そうなのよねえ。これはほんとにナディちゃんの知恵を借りたくなっちゃうわあ」
と、離しがたく、二人して柿崎の手をにぎにぎしていると、当の柿崎から声がかかる。
「すり抜けてしまわぬのが不思議か?」
「それって、自分が幽霊みたいな存在になってるって自覚があっての質問?」
「多少はな。だが、わたしはわたしで、そなたらのほうが御霊じみた存在と思っていた」
「人間って主観の強い生き物だものね」
「否定はせぬが、わたしなりには根拠があってのことだぞ。と言うのも、わたしから見ると、タフィール殿は芙実乃と同じ席に座って、重なり合っておるのだ。はじめからずっと、な」
「え?」と言って、タフィールは跳び退くように席を立ち上がった。クシニダがいるのと反対側に避けたから、二人はこちら側の席を挟んで柿崎を見下ろす格好だ。
タフィールが、間髪入れずに疑問を投げかける。
「確認させて。柿崎くんにはいまも正面の席に芙実乃ちゃんが座って見えてるってこと?」
「そうだ。芙実乃を置き去りにするのも、というのが着座の求めに応じる一因となった。それに、そなたからわたしは見えておるようなのに、芙実乃には気づいてもおらぬのが奇妙でな。クシニダ教官の立ち会いを望んだのも、芙実乃に言及してくれるのでは、との期待もあった。残念ながら、同じく見えてもおらぬようだし、すり抜けてもいたが」
「うえっ、わたしも芙実乃ちゃんをすり抜けてたの? いつ?」
「いままさにすり抜けておるな。芙実乃は元々、わたしに向けて手を伸ばしておってな、動きもせぬゆえ触れる機会がないものか窺っておったところ、そなたらがわたしに触れたいと申してきたのを幸いに、わたしは芙実乃の手を取ることにしたのだ。だから、そなたら二人は、芙実乃の手の甲をすり抜けてわたしの手を握ったことになる」
タフィールに警戒されている中で迂闊な挙動ができなかったから、柿崎は話の流れに添って手を差し伸べ、諸々を確認していたのだ。
「じゃあ、柿崎くん? のほうは結局、芙実乃ちゃんの手とわたしたちの手のどっちを感じてるのかな?」
「不可思議なことにな、それは両方なのだ。強いて言うのであれば、動かぬ芙実乃は壁か、一緒くたにはしたくないが、敵性体を斬った感触を思い出させる。そなたらの手は、その壁を突き抜けて、長く触れられておると熱もこもってきた。逆に、それのない芙実乃の手は、おそらく温度の変化がないだけなのであろうが、対比で冷たいとすら感じられてしまう」
クシニダはさすがに柿崎の手を放し、やや声を潜めてタフィールに言ってみた。
「これはもう、ナディ担任に考えてもらうしかないんじゃありません?」
「ただねえ、殊更わけのわからないことを言いだしたって取れなくもないから……」
と、なおも決断には至らないタフィールに、柿崎が問いかける。
「なれば、こういった不可思議であれば、かの者に頼りたくもなろう?」
「――聞かせてもらえるかしら」
「わたし……いや、わたしたち、か。わたしたちはなぜ、相互に言葉を理解できておる?」
「それは翻訳――」と言いかけたところで、タフィールは絶句し、クシニダを見た。もちろん翻訳によるものなのは間違いないのだが、問題は、どうして柿崎が、いや、どうしてこれまでの会話において、この三者が三様に翻訳の恩恵に与かれるかということなのだ。なんとなくだが、これは学内のセキュリティを解除して侵入、なんてことよりも難易度の高い真似のように思えた。それにこの場にクシニダもいることが、より問題を複雑化している。汎用の翻訳で網羅されている言語は、この世界由来のもののみ。別世界の言語で言語理解をするクシニダが、脳エミュレータを介さない汎用翻訳言語を耳にすると、必ず違和感を感じるのだ。それほどのことにまったく気づいてなかったからには、少なくとも、柿崎はこの国のシステムが脳エミュレータ越しに翻訳の恩恵を与えている異世界人ということに他ならない。
タフィールの視線を受けたクシニダは首を振る。
さらなる疑わしい視線を向けてこないのは、タフィールとてまた、脳エミュレータ越しの翻訳の恩恵を受けられている一握りの現地人だからだろう。柿崎がこの世界のどこかしらの言語で喋り、脳エミュレータを介さない汎用翻訳システムからの言語を受け取っていたのなら、クシニダほどの違和感を感じずとも、タフィールだって気がつかないはずはない。
とするなら、システムの異常を疑わなければ、柿崎を不審者とする根拠が薄らいでしまう。
ハッキングがかなりの非現実に思えているらしいタフィールだと、クシニダの何倍もそう思わざるを得ないはずだ。それでもタフィールが、この問題を人任せにするような人物であったなら、柿崎の身柄は、警備部門への引き渡しに傾いていただろう。
だが、柿崎の情報の出し方が功を奏したか、事情のある生徒、と判断されたらしく、
「いいわ。柿崎景虎くん。貴方をバーナディル・クル・マニキナに会わせましょう」
元より二人の予定であったバーナディルの管制室への訪問に、絶世の三人目を引き連れて行く運びとなるのだった。




