Ep04-04-02
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悩ましげなバーナディルに隔離寮行きを言い渡された夕刻から、十分とかからず隔離寮入りを果たした芙実乃は、その夜にもシュノアの部屋を訪ねていた。
ネームプレートが掲げられているわけではないから、本来なら探し当てるのにも相当な労力を要したはずだが、この情報はティラートが自身の担任から聞き出しておいてくれたものだ。
その情報を頼りに、芙実乃は目的の部屋番号に見当をつけて、壁をノックした。こうすれば中の人間からは、相手の姿まで見えるインターホンを鳴らされたのと同じになる。
不在なのか無視なのかわからないまま、諦めずに三回叩くノックを繰り返していると、七度目に、不機嫌そうな顔をしたシュノア・シルキ・ミルドトックが姿を現した。
「誰よ貴女。会ったこともない相手を、何度呼び出せば気が済むの」
「貴女のお兄さんのお役に立つ話をしに来ました。シュノア・シルキ・ミルドトックさん」
芙実乃がそう言うと、シュノアはため息をつきながら中に入るよう芙実乃を促した。
もしかすると、ノックをはじめた時点で未来視を使い、芙実乃を中に引き入れることになるのを承知していたのかもしれない。未来視の中で言葉の翻訳はされなくても、音でしかない名前なら、シュノアは聞き取れていたはずだ。面識がないはずなのに自分の名前を正確に言い当てる相手を誰なのかと思いながら、壁を開ける判断に至ったに違いなかった。
芙実乃は単刀直入に切り出してみる。
「貴女が未来視という異能を使うのは知っています。当の貴女からその話を聞いているのだ、と言えば、理由を聞いてくれる気になってくれるでしょうか?」
シュノアはぎくりとした表情を隠すように、手で口と鼻の半分を隠したが「いいわ……」と言って、オブジェクトの椅子を向い合せで用意した。
「お兄さんのほうが頭もいいのは知ってます。だから、疑わしいとかそういうのを判断するつもりなら、お兄さんも一緒に話を聞いてほしいところなんですが」
シュノアは考え込みはしたものの、首を縦には振らなかった。芙実乃は仕方なくアニステアとの一件をシュノアだけに話し終える。と、どうやら信じてくれたらしいシュノアが隣室へと赴き、しばらくしてから兄を連れ立って戻って来た。
ピクスアの顔色は悪くない。籠もりきりとはいえ、ここの食事を口にし続けていれば、衰弱どころか筋力だって維持できてしまうのだろう。芙実乃からすれば好都合だ。肉体すら日々の鍛錬を欠かさなかった時と同じなのだから、景虎のアドバイスを伝えさえすれば、ピクスアは本当に元の強さを取り戻してくれる。
「妹から概要は聞かせてもらった。もう一度話してくれとは言わないが、別の過去を歩んだという僕や妹が明かした事柄をいくつか話してみてもらい、その言動が僕らにとってもおかしな点がなければ、君を全面的に信じようと思うのだが、いかがだろうか?」
芙実乃は頷き、主にシュノアが未来視の感覚を語った時の言動を二人に聞かせた。
「わたし、こんなに詳しくはタフィ担任に……、お兄様にも話してないと思うし、わたし自身もまだそこまで考えてなかったってところまである。だけど、それにも違和感はないし、わたしの感覚にしっくりくる説明をされた、と思ったわ、お兄様」
「別の過去を歩んだ自分の言葉だと、納得も実感もしたんだね?」
シュノアが頷き、二人が芙実乃のほうに向き直った。神妙な様子に見受けられるのは、気のせいではないだろう。芙実乃の言葉を信じてくれる気になったに違いなかった。
「早速、本来の世界でのお二人の状況をお話ししますね。ピクスアさん、貴方は今月の月頭ごろに三勝目を上げた三勝一敗になっていて、残り全勝での十二徒入りを目指しているんです」
「……僕が、この学校で戦えている?」
「はい。こちらの世界では三戦全部が不戦敗だと聞きましたが、もしかすると、魔導門装を通じてシュノアさんの未来視を使えることにも気づいてないのではありませんか?」
「未来視が僕にも使えるということかい。だが、魔導門装は魔力を送るもの。未来視もまた、魔力の為せる業だったってことになるのかな?」
兄妹は座学くらいは部屋で視聴しているのかもしれないが、入学以来見かけてないという話からすると、月一戦はおろか魔法の訓練にも出ていないに違いない。だから魔導門装を使う機会もなかったし、未来視に流用しようとも思いつかなかったのだろう。
「未来視が魔力かはわかりませんが、魔導門装は魔力を送ってるんじゃなくて、魔法を使う意識を送ってるそうですよ。だから未来視を使う意識も送れてたってことなんだと思います」
芙実乃がこの知識を得たのは座学からではなく、クシニダとの雑談からだ。学校側は、これを気にしてない生徒にまで、わざわざ学ばせようとはしていない。肝心なのは、魔導門装を装着してさえいれば、認証に通った相手になら自分の魔法をいつでも使わせられる、ということだけで、きちんと理解しきれるはずもない装置の構造ではないのだ。
兄妹は伏し目がちにしばし茫然と黙りこくるが、ふつふつと生気を漲らせたかのような、喜びを抑えきれないトーンでやがてつぶやきだした。
「わたしの未来視をお兄様が……」
「戦いで、相手の動きがすべてわかるようになる……」
これを放置しておくと、景虎に対してあれこれ画策してたころの二人にまっしぐらになるのだろうな、と危ぶんだ芙実乃は、気が引けつつも少しだけ水を差しに行く。
「あの、たぶんお二人がいま思いついてる未来視の使い方では、月一戦での勝ち星を貯めていくのは無理なんだと思いますよ」
「「…………」」
二人は沈黙する。ただ、安易に否定してこないところを見るに、芙実乃の言葉に聞く価値があると真剣に思いだしてもくれているからなのだろう。
「えっと、ピクスアさんが思いついている方法だと、あらかじめ相手の行動を察知しておくことで、ほとんど偶然みたいな勝ちの展開にして、ないはずの勝率をその攻防のあいだだけ跳ね上げるやり方だと思うんですが、違いますか?」
「そう……だね」
「でもそれだと、これは景虎くんの部下で、ナンバー2のクロムエルって人が言ってたことなんですけど、そのやり方では地力の差を埋めることができなくて、その人がピクスアさんと戦うとしたら、じっくりと握力に負荷をかけるだけで勝ててしまう、だそうですよ」
「そうか……。筋力に速度、それにテクニックでも、未来が見えているからといって、全部が全部有利に立ち回れるわけじゃない。視えてる分ましでも、それで実質的な不利が減るわけでもないのだから、そんなふうに戦われてしまえば確かに打つ手はなくなってしまう」
「ですがお兄様、未来視の中では敵だって予定どおりに踊る人形になります。相手の筋力や速度を減らせるわけではないのはわかりますが、相手の技量や戦法だけは無意味にすることができるのではありませんか?」
「そうだね。大抵の相手にならそうだ。ただ大抵の相手というのは、せいぜい自分と互角の相手ということになる。だけどこの学校にいる連中ともなれば、僕が未来視で見つけた隙など、突く暇もなく対処できてしまう。――そういうことなのでしょう?」
理解がやけに早いのは、バダバダルのような身体能力差のある相手との対戦経験があるからかもしれない。いや。むしろこのピクスアは、あのバダバダルとしか対戦経験がないのだ。身体能力差を覆した勝利を捥ぎ取って景虎の前に立ったピクスアとは、出す答えが違っていて当然だった。頷きつつ、そこまで悲観するほどでもないと伝えようと、芙実乃は記憶を辿る。
「概ねは。でもお二人が思いついていた方法も、間違いではないんです。成功率こそ低いものの、強力な利点なのは疑うべくもありません。景虎くんもピクスアさんは上手くやっていた、と認めていたくらいですからね。ただ、それには取り返しのつかない行動を相手がしている最中にどうにかしなければならない、みたいなことも言ってました」
「うん。それが当初想定したより、ずっとタイミング調整がシビアになってくるんだろうね」
「はい。ですが、わたしが経験してきた世界のピクスアさんは、そのタイミングをシビアでなくする方法を景虎くんから教えてもらって、未来視の秘密を守りながら訓練の相手をしてくれる相手も融通されています。だからこその三勝一敗ですし、景虎くんの陣営がピクスアさんの十二徒入りを後押ししている証拠でも……は、世界ごと事実ではなくなっちゃいましたが」
「いや、信じるよ。君が言ってくる評価や分析は、耳が痛いほどに正しく聞こえる。それに、その言葉が君の発想から出たものでないことも、聞いていてわかるからね。それは君の本来のパートナーと僕の戦いを見て、戦いに詳しい誰かが話していたものかな?」
「たぶん……。見ながらも多かったかもしれませんけど、見ながらだから、当然景虎くんが話したことではありません。けれど、それを話したクロムエルという人は、バダバダルさんがいなくなった学校の中で一番身体能力が高いはずの人ですし、実際の実力も景虎くんを抜けば一番の人のはずなので、景虎くん以外に対しての読みを外してるのは聞いたことがないですよ」
「待って。ちょっと貴女、いま、バダバダルがいなくなったって言ったわよね?」
シュノアが聞き捨てならないといった面持ちになって質問を挟んできたため、芙実乃はリィフォスたちにも話したセレモニーの経緯をざっとなぞった。目の前の二人はそのセレモニーの当事者だったからか、リィフォスたちよりもずっとその話に衝撃を受けた様子だ。
「お二人はいまでもクラスメイトでしたね。だけど、世界を元に戻せば、ああいう乱暴そうな人は転校しちゃってるし、ピクスアさんはクロムエルさんとかなりの頻度で訓練をつけてもらえる間柄になってます。それと、景虎くんが言いつけてるので、景虎くんの陣営の誰も未来視の秘密をばらすことはありません。わたしも、こっちの世界で手助けしてくれる人もできましたが、その人たちにも未来視のことは喋りませんでしたから、そこはご心配なく」
「こちらがまだ思い至れてないことまで配慮されてしまうと、いよいよ信じるしかなくなってしまうね。それで、君は何を望んで僕たちに会いに来たのかな?」
芙実乃の話を現実として捉えだしたのか、ピクスアがこちらの要望に踏み込んできた。
曖昧にはできないところだ。と、覚悟を決めて、芙実乃は言葉を濁すことなく要求する。
「北条頼時とかいうのを殺してください。できれば脳を損傷させるようなかたちで」
幼く見えるであろう芙実乃から出た物騒な言葉に、二人は肝を冷やしたような顔を見せる。が、ピクスアはシュノアよりも一足先に落ち着いた様子で確認してきた。
「北条頼時というのが、君が召喚してもないのにこの世界にいる人、ということだね。彼を亡き者にすれば世界は元に戻り、君も僕らも、自身の置かれた境遇が好転する、と。それが妹から聞いたカップを割る割らないに相当するんだろうけど、殊更脳の損傷なんてことに言及せざるを得なくなる仕組みについてくらいは、君からの直接の言葉で聞いておきたいかな」
「アニステアさんの言ったカップを割る割らないは、要は世界の天秤を傾ける重しのようなものだと思うんです。なのでいまの天秤の状態はたぶん、元の世界を忘れないわたしの意識と、元の世界にいるはずのない北条の意識とで、せめぎ合っているのだと。だから、わたしが世界を戻すのを諦めたりしない限り天秤が傾ききることもない。と信じたいところですけど、アニステアさんはわたしの記憶が徐々に消えると言ってましたから、おそらくこの世界に北条が生きている重みで、わたしの存在はこちらの世界に引き寄せられてしまうのでしょう。ならば逆にこの天秤を元の世界に傾き返すには、と考えたら、元の世界に欠片もなかったはずの北条の意識や記憶を天秤の上から取り除くのが一番、とはならないでしょうか」
「なるほどね。でも、その、北条というのと、君の本来のパートナーでは、姿形もまるで違うのだろう? 元の世界になかった北条の身体を失くす、というのも重要じゃないのかい?」
「ええ。念を入れればの最上のところがそれなんだと思います。ただ物の状態の細かなところまでは、実は関係がないんじゃないかって思ってるんですけど、検証をお願いできますか?」
「僕にできうる限り真剣に考える、くらいのお約束しかできませんが、どうぞ」
「えっとですね、まず明らかなのが、景虎くんと北条の身体の大きさの違いです。少なくとも北条には景虎くんよりも余分な身長がありましたから、世界が一瞬で変わっちゃった際にこの分がどこかから補填されることになった。それがどこからって考えると、別になんてことなくて、元々この世界にあったはずなんですよ。だって、わたしたちの血や骨って、元の、生まれた世界から転送されてきたわけじゃなくて、この世界に元々ある水やカルシウムなんかなわけじゃないですか。質量保存的には誰が存在してもなんの矛盾も起こらないことになる。だとすると、景虎くんより大きいあれにはより多くの水やカルシウムが使われてるし、そういう在庫の使用状況って、のちのちにまで響いていると思うんですよね。在庫の目減りの仕方を考えてみると、北条の身体の一部は、わたしが経験してる世界の来年度の人の分であり、一人ずつずれてっちゃうとしても、もう千人はずれた構成で身体が作られてなきゃならない。そんな変化か一瞬で済むものだろうか、ってところを疑えば、目に見えてる世界は変わってしまっているけど、本当に変化しきるまでは時間が要るんじゃないかって。それこそが景虎くんが召喚されてない世界にわたしの記憶だけが残っている、世界改変における途中経過なのではないかと。つまりこの異能での世界改変に必要な要素は、現実には物質の状態ではなく異能の所有者の意識。突き詰めて言うと、その意識の電気信号のようなものなのだと思われてなりません。もしかすると、物質はこの認識の電気信号に、電磁石に引かれるように再構成されることで、どちらかの世界に確定していく。のではないでしょうか」
二人が息を詰めて考え込んでいる間を埋めるべく、芙実乃は補足の説明を入れておく。
「それと、アニステアさんはカロリー過多な食事を味わってから、ダイエット食を食べたような世界にするような世界改変をちょくちょくしてたみたいですけど、失敗して異能を失う可能性もあったはずなんですよ。だから失敗しても自分に戻してくれる相手だってことで、異能を渡す相手を母とか祖母とかの、元々の所有者たちに限定していた。でもこれって裏を返せば、世界改変は、元に戻されることも多々あった、ってことなんでしょうし、物質の細かな分子までをどうこしなければ成立しないなんてことでもないんじゃないかって思えるんです」
「それで北条の意識だけが消せればいいと。脳の損傷だって念のためになるんだね?」
「この世界って人を生き返らせられるじゃないですか。例えば、バダバダルさんが景虎くんにトラウマを感じるようになっちゃったのって、死ぬまでの記憶があるからこそでしょう? それなら、脳に損傷でもあれば、生き返らせても少しは記憶も消えてるかなって感じです。上手くいけばそれで、緩やかでも天秤は元の世界側に傾くはずで、世界は傾いている側の世界として認識されて、わたしにも元の側の世界が見えるようになるんじゃないかって」
「確かに君の言うことの筋道は通ってると思うし、君がそう思っているというのにも疑いはない。だが、僕にその北条をどこで襲えって言うつもり……、要は案があるのかってことだね」
芙実乃は、先にシュノアに説明するに当たってそこを省略しておいた。リィフォスのアドバイスもあったが、立場上対戦相手のパートナーということになっている身で、この二人に会うのはまずいだろうと。もしかすると、ピクスアは承知で話に応じてくれているかもしれないと期待していたのだが、挑む気のない月一戦の対戦相手の名など、目もくれていなかったのだろう。芙実乃が北条の名を出した時も、そういう意味では驚かなかったに違いない。
シュノアに事情を話す前に芙実乃が名乗らなかったのは、警戒されて居留守を使われないための、ささやかながらの未来視への対抗策だったのだが、それももう終わり。
芙実乃は、二人に自分の名を明かすことにしたのだった。




