Ep04-03-07
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面食らったような顔をしたリィフォスだったが、それは一瞬だけで、彼女は改めて幼稚園児に目を合わせるように膝を曲げると、芙実乃にこう問いかけてきた。
「それは、果実をくれなきゃ言いふらしちゃうぞ、みたいなことを言っているのかしら?」
「何そのハロウィン……、あ、いえ、別にお菓子を貰えなくても言いふらしたりはしません。口止めならむしろ、わたしがこんなことを口走ったことに対して、逆にこっちが全財産を差し出してもかまわないくらいなんですが」
「あらまあ、小さな子が全財産だなんて、そんなに思いつめなくてもいいから……」
芙実乃は倹約を心掛けてはいるものの、景虎がいない世界での全財産などには一切の執着がなかった。が、リィフォスは、脅しに取られて仕方ないことを口走った芙実乃に対しても、本気で悪感情を抱いてないらしく、宥めたり窘めたりしてくれている口調になっている。
どうやら心底、上品な保母さんのような人らしい。それに、とろくさい印象だったり、口調までもがそうというわけでもないのだが、上品であるがゆえのおっとり感がどうにも漂ってしまっている。彼女の担任の話によれば貴族ということになるはずだから、控え目にしてても粗略に扱われることがない立場で育った人なりの振る舞い、ということになるのだろう。
「ごめんなさい。思いつめてるわけじゃ……あ、いえ、思いつめてはいますが」
場を取り成そうとして口をついた言葉が嘘になってしまったため、慌てて修正してみたものの、続けるべき言葉が見つけられなくなる。その態度をどう勘違いしたのか、リィフォスがこんなことを言ってきた。
「もしかして、わたしのパートナーのパートナー枠に加わりたいってことかしら?」
「は? パートナーのパートナー?」
芙実乃は一瞬だけ混乱する。意味を捉え損ねたからだ。なぜなら、芙実乃は最初から最後まで徹頭徹尾、景虎だけが自分のパートナーだといまでも思い込んできたから。
ただそのすぐあと、リィフォスからは、芙実乃から見たルシエラやマチュピッチュのような感じに見えたということなのだとの理解が及んでくる。
「あ、勘違いしないでくださいね、わたしはその、確かティラートさん? 貴女のパートナーを好きとかそういうのでは全然ないですから」
「そうなの? 怒ったりなんて全然ないから、隠さなくてもいいのよ」
「本当にそういうんじゃなく、脅したりするつもりもなくて、わたしはそのつまり、答え合わせをしなくちゃ気が済まなくなった、みたいな……」
リィフォスが小首を傾げて確認してくる。
「ええと、その答え合わせっていうのが、わたしのパートナーがまだ見せてない本当の戦い方のってことになる……でいいのかしら?」
芙実乃は頷く。そう。芙実乃は答え合わせがしたかった。なんと言うか、こんな景虎の痕跡がない世界で一週間も過ごすと、景虎との思い出は失われてなくても、景虎がいた世界のほうの現実感が、芙実乃の中で揺らいでしまうのだ。
そんな時に、幸いにして芙実乃の発想ではない戦闘行為の分析がされた相手、ティラート・ロー・サイルーグのパートナー、リィフォス・ロー・マーミノーラが話しかけてきた。
彼が薩摩示現流のような戦い方が得意だと知れれば、芙実乃は景虎のいた異世界が事実だったと、確固たる自信を取り戻して維持することが困難でなくなるのだ。だって、この世界においてもそれが正解だったなら、芙実乃の妄想ではないのだと思えていられるから。
「はい。だからわたしの言う戦い方が合ってるのかどうか、聞いてはもらえませんか?」
「それはかまわないけど、それにはパートナーのほうも同席してなくてはいけないわよね?」
芙実乃からすれば、リィフォスからお墨付きをもらえるだけでも気は治まるのだが、芙実乃が人にそれは景虎の戦い方だとのお墨付きをあげられないのと同じく、リィフォスには答えられないことなのかもしれない。
「彼はたぶんいまクラスの男子たちと訓練の最中のはずだから、呼び出せるとしても、夕食をキャンセルして部屋に戻ってもらうくらいになると思うわ」
「夕食はリィフォスさんとご一緒じゃないんですか?」
「そういう時もあるけど、お互いに在室していて、話があるような時のついででしか一緒には食べないかな。会食のマナーで食べるのは気疲れしてしまうから」
「貴族ならではの煩わしさ、という感じがします」
「そうなのよねえ。わたしももう身分とかは億劫になりかけているのだけれど、同じ世界の同じような立場の相手ともなると、ちゃんとしなきゃなって部分が抜けきらなくて」
そういうものなのだろうな、と芙実乃は相槌を打ちつつ訊ねてみる。
「では、わたしの連絡先を登録してもらってもいいですか? ご都合の良い時間に連絡をいただければ、お伺いしますので」
「でもそれだと、貴女みたいな小さな子を夜に行ったり来たりさせることになるから……」
リィフォスは心配そうに芙実乃を見つめていた。気にしなくていいと再三に渡り訴えたが、いまの芙実乃は捨て鉢になっているところがどうしても拭えないため、気性が優しい人にはそういう危うさを殊更心配させてしまうのだろう。押し切られ気味に、話を聞くのは芙実乃の部屋で、ということになった。
ティラートにはメールでなりゆきを送っておき、あとから了承のメールを受け取る。そのあいだもあとも、リィフォスは芙実乃の訓練に夕方まで付き合ってくれて、芙実乃の部屋には同行して帰った。リィフォスの現在位置に矢印を立てるナビを頼りに、ティラートも程なく駆けつけて来る。
軽く自己紹介を済ますと、ティラートが切りだしてきた。
「菊井嬢。戦い方どうこうを聞かせてもらう前に、どういういきさつでそれを知り得たのかを話してもらえると、某も座りの悪い心持ちを晴らして聞けると思うのだが」
「確かにそうですよね。ただまあ、これは夢や妄想と取られても仕方ない話なんですが――」
そう前置くと、芙実乃は二人にアニステアとの一件を嘘偽りなく明かした。
二人は呆気に取られた様子ではあったが、どうにか呑み込んではくれたようだ。
「某がまだお目にかけてない戦い方を菊井嬢が語られたなら、確かにいまの話に信憑性も出てきましょうな」
最悪、二人に信じてもらえなくても、芙実乃からすれば正解かどうかを正直に教えてもらえれば事足りるのだ。というわけで、芙実乃は景虎VSティラートの戦いを微に入り細を穿つがごとくとくと語り、身振り手振りに熱をいれつつも、ティラートの反応を窺っていた。
そして、手応えを確信した。
だって彼は、景虎の戦い方にこそ感銘を受けたようなのだ。
それは、自分の戦い方にリアリティを感じてなければ、きっとそうはならないはずだった。
「なんという、なんという御方だ、柿崎殿という御人は。是非に、是非にお会いしてみたい」
そんなティラートを横目に、リィフォスも頷いて言った。
「芙実乃ちゃん。大した保証にはならないのだけれど、わたしの知る限り、彼の流派の剣というのが、そういう教えをするものなのだと聞いていたわ」
リィフォスは気休めくらいのつもりで言ったようだったが、それでも嬉しい保証には違いない。芙実乃にとってはこの二人に信じてもらうことよりも、希薄になりかけていた元の世界の現実感を取り戻すことのほうが重要なのだ。
が、その信じるほうも、芙実乃の想像以上に効果が覿面に顕れた。
「菊井嬢のご事情、承知しました。某も、世界を戻す企てになんなりとご助力致しましょう」
「そうね。わたしにもできることがあるなら、なんでも言ってちょうだい」
なんて、迷子に向けるような笑顔で言ってくる二人に、芙実乃は正直面食らっていた。
あまりにもお人好しが過ぎるのではないか。
その信じやすさを目の当たりにした芙実乃は逆に二人を心配するとともに、自分が詐欺師にでもなったかのような気分になり、確かめずにはいられなくなる。
「あの、お二人はなんでまた急に、わたしに協力するなんて気になるんでしょう。わたしが世界を元に戻すってことは、いまのお二人もまた無かったことになると思うのですが……」
しかし、二人は当然承知している、という顔だ。この二人は人を信じやすいのかもしれないが、決して馬鹿とイコールで結ばれるような人たちではない。未来の技術への適応度ならともかく、地頭で言えば芙実乃などよりもずっと高い知性を有していそうだ。
だからこその戸惑いを隠しきれない芙実乃。
それを見て、リィフォスは自分たちのことを語りだした。
「わたしたちは、生きていた年代こそ六十年くらい離れているのだけれど、どちらも戦のない時代を生きた貴族でね、強さに真摯たれ、と骨の髄まで教え込まれて育つの」
「戦がないのに、ですか?」
「戦がないからこそ、かもしれないわ。貴族と言ってもローの家格では、所領を持つようなこともない。なのに、武門とされる家格でもある。だから、活躍の場もないのに、ひたすら王に養われているだけ、と公然と囁かれたりもするの。それでなのでしょうね。王権への絶対の忠誠に、誰しもが規範とするような清廉さ、とりわけ強者に対しての嫉みなどはもっての他で、立場に拠らない敬意を心から払うよう求められるし、それらに反する態度があった、なんて噂でも立てられたら、死をもってして疑いを晴らす事態にまでざらになってしまう」
つまり、ティラートを負かした強い景虎が世界から消えるなんて苦境にあるのなら、自分たちの損得などは度外視して景虎を存在させるべき、と考える価値観が根付いているのだろう。
「もちろん、弱者を虐げてもいいなんてことも絶対にないのよ」
「それはわかります。リィフォスさんは、へなちょこな魔法しか使えないわたしに、ずっと優しくしてくれてましたから」
理解を示すと、リィフォスはくすぐったそうな笑顔を見せた。先のような価値観で生きていると、人付き合いにも細心の注意を払っているのだろうなと芙実乃はその心中を慮る。
言うなれば、徳川幕府における旗本のようなことなのかもしれない。旗本の中でも領地を持たない旗本はそれなりに困窮したらしいが、リィフォスたちはもっときちんと王に養われていたがために、武士の心得をさらに清廉にした生き方を余儀なくされてきたのだ。
「それで、さしあたって何か手伝うようなことはあるかしら?」
訊かれて、芙実乃は言葉に詰まった。叶えてほしいこととして真っ先に思いついたことが、清廉な人には悪辣と思われても仕方ない行為を強要するものだったからだ。
芙実乃が何を思いついたのかと言うと、入室資格があるらしい芙実乃が隣室へと開閉口を設置し、ティラートに中の男を有無を言わさずに始末してきてもらおうというもの。リィフォスの魔法で男の身体を原型を留めなくしてもらえればなお良し、といった猟奇犯罪ばりの行為を妥協なく完遂させようとするものだった。芙実乃からすればカップを壊す程度の意味合いしかない行いなのだが、さすがにそんなことまでは頼めない。
仮に、それで世界が元に戻らなかったら彼らの立場がどうなるだろう、と考えるからだ。
もちろん、万が一にもそれで景虎の存在を取り戻せる可能性があるのなら、芙実乃には後先などはどうでもよいという気持ちしかない。いま芙実乃にとって大事なのは景虎の存在を世界に戻すことだけで、この二人の平穏などとは、正直比べ物にすらなってないのだ。
しかしそれでも、自分に厚意を示してくれたこの二人に、そういう頼み事はできなかった。
芙実乃は、人の厚意をなるだけ受け入れるようにしている。たとえそれが、望んだこととは異なっていても、手助けがなくば生きていられない身で、違うと意思表示することさえ困難を極めていたからだ。ただ、それに不満を溜めたとかはなく、心から満足するようにしたし、感謝自体は紛れもなく本当にしていた。
が、そうだったからこそ、望んだことをさらに要求する、という行為には歯止めがかかる。
「……月一戦で、運良くティラートさんと当たっててくれでもしない限りはなんとも」
「来月からの組み合わせ次第となりますね。はて? 確認するが、菊井嬢。貴女のパートナーという方の戦績は、そもそもいかほどであられるのか?」
棚ぼたの勝利を手放した気分でいる芙実乃が若干ささくれた返事をする。
「全勝ですよ。ティラートさんにも勝ったって説明したじゃないですか」
すると、リィフォスが宥めるような口調で、芙実乃の勘違いを正してきた。
「芙実乃ちゃん、それは柿崎様という御方のことで、貴女のその、貴女がこの世界に呼んだ、……ことになっている人の戦績も全勝なのかと、彼は訊きたいのだと思うのだけれど」
芙実乃はしばし黙考し、ようやく言葉の意味を理解した。
「ああ……」とつぶやき、コンソールから指摘された情報を検索する。芙実乃はこの一週間、隣りの部屋に居座る男のことを、その名すら調べようと思いもしてこなかったのだ。その存在を消したくて消したくてたまらない相手である一方で、その存在自体を認知することを心が全力で拒絶していた。あの男を認知してしまえば、景虎がこの世界に存在していないと、一層思い知らされるはめになるから。
北条頼時、と、こちらの文字で音だけのはずの表記が、意味のある漢字で認識されることに気分を害されながらも、芙実乃はそれに続いたゼロ勝の表記に目を留める。
「すみません。全勝どころか全敗だったみたいです」
「それだとティラートと当たる日が来るには、少なくとも五、六、七、戦を負けて三敗にするしかないのだから、早くても四月後になってしまうのね……」
それだって、北条頼時というのが今後四連勝して、四勝三敗になることが必須になる。
「某との実戦形式での訓練に相手が乗ってくれれば、それで事は片付くでしょうが……。さもなくば、某が仮想の当該者として、当該者の対戦相手のほうと訓練を重ねる、ではどうか?」
ティラートが北条の名を知らないからややこしいが、ティラートが北条頼時を模倣して、第四戦以降の北条の対戦相手を鍛えてくれる、という申し出に他ならない。そこまでしてくれたり、戦績を落とすことまで考えてくれたことは、本当に有り難かった。
芙実乃は謝意を述べて、北条の第四戦の対戦通知を確かめる。補助参戦者として名を連ねるはずの芙実乃にも、その通知は届いているはずなのだ。芙実乃の認識ではとっくに終わっている第四戦だが、これまで全敗している北条だと、第四戦はこれからになる。
ならばさっさとその対戦相手というのと接触し、可能な限り長くティラートに鍛えてもらうのが、現状、最短で世界を戻す道筋と言えよう。
しかし、芙実乃はそこに記されていた名を見て、思わず瞼をしばたたかせた。
そこにあったのは、芙実乃の認識だと敗北を一度に止め、三勝を上げていた男の名。
「ピクスア・ミルドトック……?」
景虎が存在しなくなった世界で、戦績まで地に堕とされた男の名だった。




