Ep04-03-03
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戦士召喚を終えた時の芙実乃は、事前申告していた召喚の言葉を勝手に変えてしまったことを、しきりに謝罪していた。
バーナディルとしては正直「いざ尋常に勝負」だろうが「どこからでもかかってこい」だろうが、大した違いがあるとはいまでも思っていない。どちらも戦闘を促す言葉であり、後者のほうがより対象を拡大しているのは明らかだ。つまり、召喚候補の母数を増やしたのだから、芙実乃の変更は正しかったとも言える。この場合「いざ尋常に勝負」には応じるが「どこからでもかかってこい」には応じない、という魂が選考対象にならないことにはなるわけだが、そうした精神性がどう培われるのか、バーナディルには想像もつかなかった。
それを話し、気にしないよう説得を試みたが、菊井芙実乃という子は自ら約束を破ったのだから、と逆にバーナディルに対して壁を作ってしまいだしたように感じた。
そんなぎくしゃくした空気の中に現れたのが、北条頼時だ。
身体能力の総合評価だと、戦士召喚者四千九十六名中の三千五百八十五番目。
順位のわりに柔軟性と俊敏性が平均値以上だったが、身長は男子の平均よりは低め。ただ、芙実乃は北条の大きさに忌避感にも似た感情を抱いたらしく、ひきつけたように喉を鳴らしていた。それから二人を並べて学校に関する概要を説明したのだが、芙実乃は横にいる北条に終始びくついて、顔も上げられない様子だった。
北条頼時の遵法精神の低さも感じていたバーナディルは、魔法少女には話しておくべきことがもう少しある、という態で北条を先に退去させ、二人を一緒に部屋へ帰すのを避けた。
二人きりに戻ると、芙実乃はストレスに耐えかねたように、激しく泣き叫んだ。
自分の世界に帰りたい。
というのは程度の差こそあれど、この世界に召喚された者すべてが望むことで、バーナディルも直接、間接、百人以上の少女の悲痛な叫びを聞いてきた。しかし、芙実乃の狂乱はもはや支離滅裂としか言いようがないほど、言いたいことが細切れていて、口走っているのが単語なのかすら判然としない、ほぼ翻訳されない喚き声にしかなってなかったのだ。
教育者として未熟なバーナディルは、手に余ると思いながらも、先任の担任たちに連絡をつけては助言をもらい、最終的には幼児をあやすように接することで、芙実乃を泣きやませた。が、単に泣き疲れただけだったのかもしれない。
その後もバーナディルは何かと芙実乃を気にかけてきたのだが、いまに至るまで、芙実乃は限定的にしか依存してくれていなかった。ただそれは、信用がどうという問題ではなく、芙実乃が自ら感情を殺しにかかっているからに思えた。
もっとも、その兆候があったからこそ、召喚された日から要保護の対象にしておけたというのはある。それに芙実乃は、痛みに類する恐怖は麻痺しても、生理的嫌悪からくる恐怖には、麻痺とは真逆の過敏性を残してしまっていて、殴られるのは平気でも、腕を掴まれただけで保護オブジェクトが起動してしまう。
ただこれも、北条からの性加害を予防するには有益でしかないのだが、転んだところを立ち上がらせてくれようとした女子にまで籠城が起動してしまうのだから、手放しでは喜べない。芙実乃だけのことで考えれば、最悪の事態を避けるための最後の命綱であり、担任としてはその嫌悪感だけは麻痺してくれるな、と願わんばかりだ。とはいえ芙実乃が、近寄るだけで籠城が起動していた男子に敬遠されているのはともかく、入学から三週目に起こったこの一件で、女子からも積極的には関与されなくなってしまったのは痛い。
バーナディルクラスでは現状、北条が鼻つまみ者なのはもちろんだが、芙実乃だって良くて厄介者という扱いだった。女子たちからすれば、折角の悲劇のヒロイン気分も、より不遇なのが瞭然の芙実乃の存在で、水を差されてしまうのだろう。露骨な嫌がらせにまで発展しないのは、芙実乃の見た目と中身の幼児性が歯止めになっているからかもしれない。
しかし、北条頼時だけは、最初からその歯止めを持ち合わせていなかった。それでも、芙実乃が前向きに生きようとしてくれさえすれば、暴力に対しては正しく恐怖を感じ、殴られる前に保護オブジェクトが起動してくれるはずだ。なのに、殴られるのにも慣れてしまったのか、このところは殴られたあとでもオブジェクトは起動せず、バーナディルが関知できてないケースもあると思われた。
口惜しいが、北条に上手くやられてしまっているのだろう。
彼は拳を振り上げるだけから始め、小突きを経て軽く殴るまで、段階を踏んで芙実乃にそれを甘受しなければならないことだと刷り込んでしまった。芙実乃が自ら感情を殺しにかかっていることも、それに拍車をかけていたに違いない。
だが、今日は芙実乃に叛逆されたことで、北条も加減をし損ねたようだ。
魔法の対人使用は問題だが、それで芙実乃に感情の起伏が戻ったのなら、悪い兆しばかりではない。少なくとも、北条以外に矛先を向けない限りは、バーナディルの監督権の範囲に留めて問題化しないでおける。心配なのは、北条が芙実乃を脅威と感じるようになるまでには、まだまだ時間がかかりそうなことだ。
クラスの魔法実習担当官のクシニダに相談して、芙実乃への関与を強めてもらおうか。クシニダは軍属のまま担当官になった魔法少女だから、個人戦闘ではおそらく担当官の中でも指折りのはずだ。もちろん、そんなクシニダだって、戦士召喚された生徒を相手にしてまともに戦える程であるはずもない。身体能力最下位の生徒相手ですら、武器の届く位置まで詰められれば、為す術もなく殺されてしまうだろう。だから芙実乃を仕込んでもらえるとしても、せいぜい護身術程度にしかならない。それでも、せめて時間を稼ぐくらいの真似ができるようになれば、コンソールから自分で籠城を起動する余裕も生まれる。そうすれば、精神状態が極度に悪化するのを待つまでもなく、インフラだけで自身の身を守れるようになるのだ。
それが実現できれば、保護のレベルを落として、クラスの女子くらいには馴染ませてやれるかもしれない。
淡く期待しつつ、バーナディルは泣きじゃくる芙実乃を抱き起こしにかかった。
芙実乃は「景虎くん」という聞き覚えのない名の連呼しかしていないが、それが固有名詞だとわかるくらいには、正気を保っているのだろう。召喚された日は、おそらく自分の望みにすら方向性がない精神状態だった。それと較べればだいぶましに思えるし、感情の起伏もある。
釘を刺し終えていた北条には退去の挨拶もせずに、バーナディルは芙実乃を隣室に戻した。ブレザーの両袖がかなり鼻血で染まっていたが、出血自体はもう止まったらしく、滴っているのはすでに流れ出ていた分か、涙に洗われた分に見える。一日の睡眠時医療で問題なく増血される範囲の出血量で済んだようだから、強制睡眠させるより、先輩のポーティウムの教えを参考に落ち着かせてからのほうが、翌日からの精神安定にはプラスかもしれない。
バーナディルは理想の母親のように、を心がけ、芙実乃を抱き締めたり撫でつけたりしながら、その恐慌を宥めてゆく。ただ、芙実乃は涙や慟哭が治まれば治まるほど、正気を疑うような話を語りだすようになってくる。
要約するとそれは、自分のパートナーは北条頼時などではない、といった言い分だ。
これは、現実逃避が始まったのだな、と当初バーナディルは、あまり刺激しないよう、否定に取られないことを心がけた頷きを返していた。しかし、芙実乃のそれはすでに自分に言い聞かせようとする段階を飛び越えてしまっているようで、北条頼時に至っては、その名前すらまるきり記憶から抜け落ちているかのような口ぶりになってしまっている。
トラウマやPTSDの症状としては、さして珍しいものでもないのかもしれない。
芙実乃からすれば、再三にわたり自分を殴ってきた北条のことなど、記憶から取り除いてしまっていたほうが、心の安寧を図れるのだ。北条を忘れてしまうことで、危機感をも失くしてしまうと言うのなら、それはそれで新たな被害を受ける危険性もあるが、それでも、忘れさせたまま北条を避けてられる算段をつけてやったほうがいいとさえ思う。例えば、この件で相談に乗ってもらっているポーティウムやタフィールのクラスに、芙実乃だけを預けてしまえば、しばらくは北条にも見つからずに学校生活を過ごさせてやれる。
ただ、そういった手段を取る前に、バーナディルはせめてこの現実逃避にだけは、自身で目途をつける必要があるとも感じていた。懐かれきってはいないとは言え、それでも、これまで芙実乃が頼れる相手は自分だけだったのだ。包容力の点で二人の先輩に及ぶべきもないが、投げ出されたのだと感じさせてしまっては、芙実乃はその二人に対しても心を閉ざしかねない。それでは芙実乃を他クラスに預ける意義が失われてしまう。
それに妄想話とはいえ、苦境を訴える相手として、せっかくバーナディルが選ばれたのだ。上手く対応できれば、自分だけでなく、教職員全般に助けを求められるようになってくれるかもしれない。芙実乃がそれくらいまで積極性を出せるようになれば、わざわざ他クラスに預けるまでもなく、現在の保護レベルだけで充分に守ってやれるのだ。
しかし、バーナディルが聞いて相槌を返すことに専念すればするほどに、芙実乃の話からは現実味が失われてゆく。にもかかわらず、非現実の話としは妙に事実が織り交ぜられている。北条を覚えてない理由に蓋然性をつけだしたのには、どう判断を下せばいいのやら。
本当のパートナーは柿崎景虎。は、最初から一貫している。
ただし、現在その人物が存在しないのは、芙実乃が異能による攻撃を受け、その柿崎とやらを召喚しない世界になってしまったからだという主張だ。
その、かけられてしまった異能の詳細についても、大枠の筋は通っていて、ディテールの一つ一つにも、これといった矛盾点の指摘ができなかった。こっそり調べてみたら、アニステアなる生徒も実在しているのだ。もちろん、彼女のプロフィールに異能の記述は皆無だったが、芙実乃の話によれば、現在のアニステアは異能を所持していたことも忘れているというのだから、彼女を当たって何も出てこなくても、芙実乃の嘘を暴いたことにはならない。なのに、彼女が実在するという事実だけが、芙実乃の主張の裏付けにいいように使われてしまっている。
正直、もっと支離滅裂でいてくれたら、バーナディルも迅速な対応を心掛けたに違いない。けれども芙実乃は、荒唐無稽なことを語りつつも、まるで論理の信奉者であるかのように因果関係の説明を畳み掛けてくる。
バーナディルは元来、他者の主張がどれだけ自身の認識と離れていようが、一応は相手方の主張を真として反証を重ねる思考パターンの持ち主だ。頭から相手の意見を撥ねつけたりはしない。だから芙実乃の妄想話が、その妄想話の中で破綻しない限り、真っ向から噛み合わない自分と芙実乃の世界認識を、まったく等しい可能性で正しい、と認めるところから思考をはじめられる。
ただ、そんなバーナディルでも、まず真っ先に疑うべきは、芙実乃の正気だった。
残念なことに、芙実乃には正気を失う理由も、現実逃避に走る理由も多分にある。そして、現実逃避の方向性は、現実の芙実乃の苦境に完全に合致するものだ。つまり、精神の防衛反応として、北条とは別の人間をパートナーと思い込んでいる可能性は決して低くない。
バーナディルはこれを第一の疑義とするが、これをもって芙実乃の話の信憑性を即座に半減させたりはせず、この疑義に対しての反証に取り掛かる。
まず、芙実乃が北条を呼んでなかった世界における、アニステアとそのパートナーが置かれた状況について。身体評価千七百三十位の彼は、こちらの世界の一戦目で順当勝利を収めているが、バダバダルがトレード放出されているということは、彼の順位は一つ繰り上がり、対戦相手の順位は繰り下がる。つまり、千七百三十位として二千三百六十七位と対戦するのではなく、千七百二十九位として二千三百六十八位と対戦することになるのだ。そうなると、あちらで二千三百六十八位の彼もまた一つ順位を上げているわけだから、こちらではその彼から二位下の生徒とアニステアのパートナーが対戦していたことになる。しかし、そこで順位を覆して勝利を収めていたはずの現二千三百六十九位の生徒の初戦は敗北で、アニステアのパートナーと対戦していた二千三百六十七位との身体能力差も微差止まり。だがこの比較で明確に違うのは、元の世界で主目的とされた戦闘理由だ。アニステアのパートナーが勝利した二千三百六十七位の生徒のそれがスポーツであったのに対し、二千三百六十九の生徒のほうは暗殺。彼を下した生徒の戦闘対象は人間軍隊になっているが、戦闘対象が巨獣のアニステアのパートナーが相手なら、千位足らずの順位差など覆して勝っていても不思議ではない。
ただしその蓋然性は、このデータを参照できない芙実乃が用意できるようなものではなかった。芙実乃の話が真実なら必然、作り話なら偶然だが、偶然でも成立している以上、作り話ではないと反証できたことにはならない。それに、順位が一つずれるだけでこうも組み合わせと結果に差が出るのだから、二戦目以降の検証などしても、反証にも実証にもならないだろう。
ならば、これが作り話だと仮定した場合、果たして芙実乃の知性で作りうるものなのか。
残念ながら、これも可能だとバーナディルは判断する。
幼児性を残している芙実乃だが、これは人生経験の少なさに由来するもので、彼女の知性や精神年齢は決して低くない。取り組み方によっては、学業成績でなら二桁順位にも届きうる程度の基礎学力も備えている。また、創作物に多々触れてもきているようだから、このくらいの作り話に事実を織り込んで、真実味を持たせることもお手のものと考えざるを得なかった。
芙実乃の精神状態を鑑みれば、その能力をもって、自分をも騙していると考えるのがやはり妥当となる。が、作り話をしているという確証も、作り話が破綻しているという反証もできなかったからには、本気で半分は事実の可能性がある、と信じて話を聞き進める。
しかし、返事が相槌では済まなくなってくると、バーナディルは、芙実乃を荒れ狂うほどに泣かせることになってしまう。どうやら、バーナディルが柿崎景虎との思い出を共有していないことを、悟られてしまったようなのだ。
その時芙実乃は、北条に殴られた直後よりも酷い錯乱状態に陥った。
あらん限りの力でバーナディルを拒絶し、喚いて、泣き叫んだ。
芙実乃からすると、柿崎景虎を知らないバーナディルの存在は、自分の認識を否定するものでしかない。おそらく、芙実乃の一縷の望みとして、バーナディルは芙実乃と同じ経験をしていなければならなかったのだ。
はっきりしているのは、芙実乃の話が事実かどうかはともかく、芙実乃自身の認識でそれは完全に事実でしかないということ。バーナディルの認識がそれと一致していないのは、芙実乃のアイデンティティを揺るがすことになる。それは、北条頼時なる同世界人がいることより、偶然で片づけられることではないに違いない。できることではないかもしれないが、上手く話を合わせられなかったことに、自責の念を感じた。
そんなバーナディルのナビに緊急の割り込みが入る。
芙実乃のナビに入っている保護プログラムが、沈静化の緊急動議を寄越したのだ。保護対象にしている芙実乃には、一ロムおきに常時のメディカルチェックが入る。肉体や脳の活動に急激な変化が見られ、担任のバーナディルに迅速な対処を要求してきたのだ。
推奨されているのは、睡眠誘導による沈静化だった。
バーナディルは逡巡しつつも、監督権においてその処置を容認する。
直後、芙実乃はオブジェクトに囲われ、暴れていた手足をくたりとさせた。中で発生させた睡眠導入ガスを吸って、強制的な睡眠状態に入らされたのだ。続けて姿勢を正され、空中で仰向けになる。オブジェクトには包まれたままなので、髪やスカートが下側に垂れ落ちたりはしない。ショーケースに入れられたように見えるが、同時に誰からも保護されていることにもなるから、睡眠状態が解けるまではバーナディルももう触れることはできなくなった。
どっと疲れが出たバーナディルは、そのオブジェクトに手を着いて支えにしようとしたものの、立ち眩みを併発した身体は膝からくずおれてしまう。
「はぁ…………」
騒ぐ者がいなくなった部屋で、その小さなため息はやけに大きな音に聴こえていた。




