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異世界軍学校の侍  作者: 伽夜輪奎
115/141

Ep04-03-02


   2


「景虎くん! 景虎くん! 景虎くん! …………」

 ポップアップしてきた緊急対処事案の通知に意識を向けると、脳加速処理中のバーナディルの頭の中には、一気呵成にそんな声が舞い込んできた。最高速での脳加速処理中なのだから、もちろん実際の音ではなく、翻訳を先取りして聞き終えてしまっているだけだ。なんならその叫びは、当事者からまだ一音たりとも発せられていないくらいなのかもしれない。

 バーナディルは慌てて脳加速を解くことをせぬように自身に言い聞かせると、慎重に情報の確認に努める。もし危急の事態なのだとしても、だからこそバーナディルが最高速の脳加速処理中だったことは、幸運の部類に入るのだ。

 上手く処置できれば、生徒の非常事態を未然に防げることもある。

 しかし、極度の精神負荷がかかった生徒は、すでに負傷もしてしまっているようだ。

 その生徒――菊井芙実乃に対し、バーナディルは担任の権限において、肉体への精細スキャンを実行する。プライバシー侵害行為でもあるから、権限があるとはいえ後々審査を受けることになる行為だったが、バーナディルはそこはためらわなかった。

 なぜなら、菊井芙実乃はパートナーからの暴力被害の常習者だったからだ。

 またか、と、加害者である芙実乃のパートナーへの怒りを苛立ちに止めつつ、精細スキャンで知れた肉体情報から、怪我の具合や精神状態に医学的な見当をつけておく。念のため、同時に位置情報も開示させて確認を取る。所在は芙実乃の部屋ではなく、パートナーのほうの部屋だ。悪い予感に、バーナディルはすぐに足を向ける意志を固めるが、実際に動きだしてしまうと脳加速処理が解除されてしまうため、先に打てるだけの手を打っておく必要があった。

 暴力被害の要監視対象ということで、オブジェクトでの保護措置、通称『籠城』は、バーナディルに警告が来る前からとっくに起動が済んでいる。だから、芙実乃がさらなる暴行を受けることも、接触を伴う性被害を受けることもない。それでも駆けつけたいのは、芙実乃を安心させてやるためであって、一刻も早く止めに行かねばならないからではないのだ。

 バーナディルは実時間で一数えるほども時間をかけずに、最高速下で準備を整え、脳補助を解除する。と同時に、自分を乗せた浮遊オブジェクトを現場へと向かわせ、さらには自身のホログラフを現場に投影した。目的地まではオートで進むから、視覚と聴覚は完全にホログラフとリンクさせても、事故などの不具合は起こらない。

 切り替わった視界の真ん中には、手を伸ばそうとしている担当の男子生徒の姿があった。

 菊井芙実乃のパートナー、北条頼時の姿だ。

「北条さん。その手はどういうおつもりで?」

「テメェ、バーナディル。人の部屋にまで勝手に入ってくんじゃねえよ」

「確かにわたしのこの行為は、プライバシー侵害に当たりますから、貴方には正式に抗議する権利があります。けれど、この件でわたしが審査を受けるとなると、原告となる貴方にはその根拠と正当性を示すために、ここで起きた一部始終を詳らかにする義務が生じることになる。そこで学内で留める範疇を超えたと判断されれば、逆に貴方が厳正に国の法律で裁かれることになるでしょう。それがお望みとあらば、どうぞご随意に」

「はっ、それで毎度毎度、芙実乃を殴ってもお咎めなしにしてもらえてんだから、お優しくもありがたい、担任様のお計らいと感謝しろってか?」

 痛烈な皮肉に、バーナディルは密やかに歯噛みする。

 異世界人学校の職員や担任でない、バーナディル一個人としては、こういった輩はさっさと司法の手に委ねてしまいたかった。いや、職員や教員や担任としてだって、彼のような生徒を更生――社会に適応させるより、被害の防止のほうに方針を傾けるべきと思っている。

 それはバーナディルだけでなく、多かれ少なかれ職員たちのほとんどは、加害者の更生を厚くすることに辟易してはいるのだ。それでもそちらに舵を切れないのは、ここの厳罰化が社会の不安定化のきっかけになってしまう、などと想定されているからだった。

 もちろん、北条頼時のような男子生徒に適正な法の適用をしたとしても、善良な多くの異世界人たちは、自分たちへの差別などと感じはしないはずだ。

 ただ、言い方は酷いが北条頼時がしている程度のことをいちいち司法の手に委ねていると、学校側は年間千件以上の法令違反を報告し、数百人規模の逮捕者を出すことになる。そうなるとその数字だけを見た現地人たちが、異世界人に対しての法の厳格化や厳罰化を騒ぎ立てるのは必至。それは被害を未然に減らす意味でも、現地人と異世界人を公正に扱う意味でも、理念としてはむしろ正当だと言えるのかもしれない。しかし、そういった法施行はゆくゆく、現地人の異世界人への心証を悪化させることにもつながってゆく。さらには、それで偏見を募らせた現地人の胡乱な目はやがて、ほぼすべての敵性体駆除を担う異世界人軍人や、法令を遵守している異世界人市民たちへも向けられてゆくことにもなりかねない。

 その結果もたらされるのは、現地人と異世界人との相互不信、優秀な異世界人戦士たちの国外への流出、となる。この国ではしてないが、優秀な異世界人戦士に特権や好待遇を確約し、他国が召喚した異世界人を引き抜く国は少なくないのだ。この国の、他国に比肩しない戦士召喚システムで呼ばれた中でも軍人にまでなれた精鋭の軍人たちは、そうした国々からすれば、喉から手が出るほど欲しい人材であろうことは想像に難くない。人材の流出は現状でさえ危機感を訴える者もいるくらいだった。

 そういったわけで、バーナディルの一存では北条頼時の暴力行為を厳罰には処せないのだ。

 せいぜいが芙実乃のプライバシーを犠牲にするかたちで、幼児並みの保護観察対象とすることでしか守ってやれない。しかもそれだって、完璧に機能しているとは言えず、こうして怪我をさせてしまう。対象にしはじめたころはまずまずの成果を上げていたのだが、人間は良くも悪くも慣れてしまう生き物だ。当初は殴られると思っただけで錯乱していた芙実乃も、このところは実際に殴られても籠城が発動しなくなってきている。これまでは部屋の行き来だけはなかったのに、今日に至っては、北条頼時の部屋に連れ込まれている有様だ。

 おそらく強引に引き摺り込まれたか、呼び出しに逆らえなくなっていたに違いなかった。

 そのくらい芙実乃が苦痛や不快に慣れてしまったと言えるが、保護レベルをさらに上げてしまうのにも、不都合は大きい。現状の監視ですら、心から好きな相手との初体験時に、合意とは別の怯みがある程度のことで、担任に現場の映像が見られるようにまでなってしまうのだ。担任だって半数近くが男性なのだから、デフォルトで女生徒全員の保護レベルを上げておけないのは、そうした事情もあるからなのだった。

 バーナディルは怒りに任せた言動にならぬよう留意しながら、北条に勧告する。

「とにかく北条さん、菊井さんを部屋に戻しますから、貴方は下がっていてください。軽率な真似をされぬよう、オブジェクトでしきいを作らせてもらいます」

「ちっ、人の部屋で好き勝手しやがって」

 と、どこまで察してるのかはわからないが、北条の言うことはかなり的を射ている。確かにここはプライベートな空間で、オブジェクト操作が許されるのは本来は北条だけ。コンソールからアクセスしようにも、個別の許可をもらわない限り、アイコン自体が普通は出てこない。

 北条から許可をもらっているわけでもないバーナディルにそれができるのは、担任の監督権で、北条のプライベート空間をある意味乗っ取ってしまえるからだ。もちろんそれをされた北条には監督権の濫用を訴える権利もある。が、セットで調査に同意したことにもなってしまうのだ。北条からことを公にするのは、バーナディルにはむしろ望むところだった。騒ぎ立てたくない気持ちは、ある意味北条のほうしか持っていないと言っていい。

 北条が出したままのベッドに乱暴に寝そべるのを見届けると、バーナディルはオブジェクトの壁で部屋を区切った。色は透明だが、光の反射が起こるデフォルトの壁だ。これで芙実乃の籠城を解除しても、北条が掴みかかるような真似はできなくなる。ただ、芙実乃はまだ幼児のように泣きじゃくっていて、自分の部屋に戻るように言ってもおそらく、翻訳による意思疎通ができる状態ではないだろう。抱きかかえてやらねば動いてくれそうもなく、ホログラフでない実物の身体がここに到着するまでには、まだ少しだけ時間がかかりそうだった。

 ならば、そのあいだだけでも北条に刺せるだけの釘を刺しておこうと思い、バーナディルはわざとオブジェクトに遮光も遮音もしないでおいたのだ。

「北条さん。菊井さんは精神的にも肉体的にも未成熟と判断し、要保護対象にしている生徒です。いくら貴方のパートナーといえど、今後部屋に引き摺り込むようなことがあれば、何かペナルティを課すことも検討せざるを得ません」

「は? ――ははっ。まあいい。とりあえず罰ってのがどんなか先に聞かせてみろや」

 北条は余裕綽々の態度で、バーナディルを促した。バーナディルは若干挑発に乗せられるかたちで声色を低めると、警告を脅しにまでエスカレートさせてしまう。

「そうですね。例えばこの部屋のそちら側だけを水で満たしてしまうというのはどうでしょうか。これはわりと最近にあった事例で、死亡案件でもありましたから、訴えがないまま審議入りしたのですけど、監督権は適正とされていました。男子生徒がパートナーの女子生徒の部屋に押し入ったという顛末でして、いまの状況と似ていると思われませんか?」

 北条は腹立たしげに舌打ちをしたものの、一転翻って優越的な笑みで見返してくる。

「押し入った、ほうが悪いって判断だよな、そりゃ」

「ええ。ですが、引き摺り込むほうがより悪質性が高い、くらいわたしは論証できますよ」

「結構、結構。でも俺は、芙実乃を引き摺り込んでなんかいないんだよなあ、これが。そいつは勝手に入って来やがったんだぜ。いや、押し入られたになるのか、これは。なあ?」

「…………事前に恫喝して来させてたのなら、引き摺り込んだのも同然ですよ。本当に審議ともなれば、そこのところの心当たりは、徹底的に確度を調べられますから、わたし相手の言い逃れで乗り切れるような場だと、あまり舐めてかからないことをお勧めしておきます」

「はーん」と北条はまたも不愉快そうに口元を歪めるが「まあでも、今回は押し入られたほうに傾くと思うぜ。何せそいつ、俺の土手っ腹に風穴を開けようと、魔法をぶち込みに来やがったんだからよ」と、余裕を崩さずに返してきた。

 バーナディルは不本意にも息を詰まらす。

「菊井さんが魔法を使えるようになって……貴方に、襲撃を?」

 念のために訊き返したものの、自信ありげな北条の表情を見るに、嘘の可能性は低いと思わざるを得なかった。入学から三月を過ぎてもなお、学年で唯一魔法を発現していなかった芙実乃。その原因のほとんどは無気力と思われたが、自衛のため、卒業後の安定収入のためと、魔法の習得に努めるよう勧めていたのはバーナディルだった。奮起した様子は見られなかったのだが、もしかすると自主練には励んでいたのかもしれない。

 しかし、それこそが裏目に出てしまった。

 魔法の力を人に向ければ、それは暴力と見做される。それも、素手でよりも武器で人を攻撃するほうが悪質とされる以上に、魔法の力を人に向けることは凶悪だとされてしまう。なぜなら、卒業資格を得た魔法少女の放つ魔法の威力は、最低でも一撃で複数人を殺傷できるレベルにまでなっているわけで、これを無闇に人に向けることは、テロ同然とされるからだ。

 だが、焦るバーナディルを見てにやにやと笑う北条に、大きな怪我がないのを認識すると、バーナディルは落ち着きを取り戻した。この三月の経緯から考えれば、芙実乃の行為は自衛の範疇に収めることもできるし、何より無差別性だけは完全に否定できる。重大案件化せずに、バーナディルが監督権の範囲で秘匿したのが露見しても、指導の逸脱には当たらないだろう。仮に多少のペナルティが下るとしても、それはバーナディルに対してであり、芙実乃に要注意危険人物指定がつくまでにはならない程度の問題のはずだ。

 バーナディルは考えを纏めると、自分の身体が真横に到着したのを視認し、ホログラフを消すことにした。ホログラフからのものだった視界が身体からのものに戻る。わずかに横にずれただけの視界の変化だが、身体のバランスは崩れそうになった。ただ、オブジェクト移動による身体の固定がまだ継続しているため、実際によろけたりはまったくない。このまま北条を無視して、芙実乃を自室に戻そうかとも思ったが、言い負かされたようにこの場を退散してしまうと、北条をつけ上がらせかねなくなる。

 オブジェクト移動を解除し、挑発気味に北条への釘差しを再開する。

「それで流血沙汰になるまで殴り返した、と。それを思い止まっていたら、この件だけは貴方に落ち度なしとされたかもしれませんけれど、どう見ても過剰ですね。もっとも、今後はじきに菊井さんの魔法のほうが過剰な威力を持つようになるでしょうけど。わたしは、貴方が逆に菊井さんを見れば逃げだすくらいになるまでは、たとえ貴方が何度死亡しようと、菊井さんを見逃して問題を重大化しないでおくつもりですよ。おあいこということで」

「――っ、テメェ、それのどこがおあいこだ」

「少なくとも、貴方が菊井さんにしてきたこと、しようとしていることよりははるかにましに思えます。菊井さんには、貴方を従わせようなんて意図は微塵もないでしょうから」

 端的に言ってしまえば、北条の目的は芙実乃を犯すことだ。

 北条のいた世界では、粗末な食糧生産体制に加え、ぐちゃぐちゃにした草を呑んでプラシーボ効果を狙うくらいの医療しかないせいで、人の平均寿命も短く、女性は初潮を迎えた日から子作りの対象となっているらしい。だから、バーナディルからすれば、十一歳程度の身体つきに十四歳程度の顔つきの芙実乃でも、北条からすれば、性の捌け口としてちょうどいい年頃に見えてしまう。何せ、十八歳の北条は、同い年くらいの見た目の女子が年増に、あのタフィール・ポーラ・マルミニークすら、年齢を聞けば祖母の代の女に見えてしまうらしかった。

 ただそれは、そういう時代背景における嗜好うんぬんの話なのだから、仕方ないと言えば仕方ないことではあるのだ。ただし、合意なき性交渉はもちろん、恐怖感による合意の強要や、拒絶意志を喪失させる精神支配は、許されることではない。

 肉体の再生や蘇生さえ通常医療になるこの世界では、人の意志や尊厳を損なうその手の犯罪は、殺人よりも過敏な反応になることがある。だからこそ、バーナディルら保護者を兼ねたところのある異世界人学校の担任たちには、生徒のプライバシーを削ぐかたちでの、予防措置が許されていたりもするのだ。

 バーナディルは、芙実乃が召喚された日のことを思い出していた。

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