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異世界軍学校の侍  作者: 伽夜輪奎
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Ep04-02-02


   2


 芙実乃は剣術に詳しくないし、ましてや剣術の流派に関しての造詣などは皆無に等しい。それでも、日本の本好きとして十六になるまで過ごしていれば、名前をいくつか挙げるくらいの芸当はできて然るべきだった。

 そんな芙実乃がぱっと思いつける流派は主に四つ。

 まず真っ先に思い浮かぶ流派、なんてものはなく、強いて挙げるならという程度で挙がる一つ目が、二天一流。宮本武蔵の伝承を知っているから聞き覚えがある、というだけの実りのないただの知識だ。流派の特徴なんて、聞きかじった記憶すらない。せいぜいが、上手に二本の刀を振る方法なんだろうな、という短絡的な想像ができるくらいだ。また、そこからの派生で巌流なんて名も知らないではないが、その使い手であるはずの佐々木小次郎が架空の人物との説も有力そうなので、芙実乃にとっての巌流は流派ではなく、島の名前ということで落ち着いている。

 なので巌流を抜いたつぎに浮かぶ二つ目だと、天然理心流。これだってもちろん、新選組のあらましを知っているから、なんとなく記憶に定着したに過ぎない単なる知識だ。主人公格の三人が使うという以外は流派の特徴だって知る由もないが、三段突きなどという関連ワードからの類推で、突きが主体なのかもな、なんて印象があるくらいだった。

 そして三つ目が、柳生新陰流。これに関しては、何を意識することもなく時代劇に触れていて、いつの間にやら覚えていた、としか言いようがない。だから、これを説明しろと言われて芙実乃に言えるのも、柳生家の人間が将軍家の人間に教える剣術、くらいのものだ。時代劇だと、あらゆる流派に対しての優位性がある最強の流派のような描き方が多い印象だが、最強に関してはフィクションであり、実際に使い物になるかすら芙実乃にはわからない。

 以上の三つは、覚え方としては人物にまつわる関連事項として芙実乃に記憶されたものだ。

 しかし、四つ目だけはちょっとだけ毛色が違っている。いや。情報の入り方としては、他と同様に物語からもたらされているのだからさして変わりはないのだが、四つ目だけは前の三つのように人ありきではないのだ。なのに、誰が使うのかなんててんで知らなくても、どういう戦い方をしてどんな技を使うのかまで、かなり正確にその特徴を説明することができる。

 そんな、芙実乃がただただ剣術の流派として純粋に記憶してるのが、薩摩示現流だった。

 有無を言わせず敵に駆け寄り、独特なかけ声を発しながら、問答無用で一刀両断にする、というまさにシンプルイズベストなコンセプトを掲げる剣術。そのあまりのコミカルさに笑い種にされることもしばしばあるものの、薩摩藩を幕末の覇者たらしめた要因の一つとまで言わしめている、実戦的な流派との呼び声も高かったはずだ。後の先だなんだと言って、縮こまって戦おうとしない数多の流派の段位持ちたちを、何もさせずに斬り伏せていたことは想像に難くない。

 月一戦第四戦の試合に臨む景虎を食い入るように見つめながら、敵、ティラートが仕掛けようとしているのがこの、薩摩示現流に類似する流派の剣であることを、芙実乃は感覚的に理解していた。もちろん独力でこの答えに辿り着いたわけではなく、時折ちょいちょい耳に入る、男子二人の会話にも助けられてのことだ。

 否。脳加速処理空間にいるのだから、聞こえてるわけでも、耳に入るわけでもない。視覚情報が十分の一倍速で見える以上に、誰かの言おうとした内容が瞬時に全員に聞き終えた状態となるのが、脳加速処理空間における会話だ。本当に時間が止まってしまったのかと錯覚しそうになるほど、一瞬で会話の応酬を済ませていることだって多々ある。

 敵の視点からだけではどうにも戦況がわかりにくく、右からの俯瞰の角度に向けて視野を拡大していた芙実乃だったのだが、元の視点で景虎を見る前に、一旦景虎の視点なるものも試しておこうと、視野の範囲を下方のワイプだけに限定してみて、瞬間的に理性を失いかけた。

 なんという迫力。臨場感。

 敵の視点から見る景虎は、普段と変わらぬ落ち着いた表情且つ優雅ですらあるのに、景虎の視点から見る敵ときたら、決死の形相としか言いようがない。しかも、制服越しとはいえ筋骨隆々が売りの現役オリンピック選手がごとき肉体が迫り来る様は、十分の一倍速のスローで見ていても、生命の危機さえも覚えざるを得ないほどだ。その場にいるのと変わりなく見える、高精細なんて概念ごと廃れて久しい世界における映像なのだから、カメラにかぶりつくサメの映像を見て感じる恐怖とは比べ物にならない。実物に肉迫されているのと何が変わろうか。

 芙実乃は思わず目を背けようとして、痛みで思い止まった。通常の速度で動けないのに、これ以上踠いてしまうと、攣るような痛みが治まらなくなってしまう。

 やむを得ず、当初の反射で左側からの俯瞰映像へと辿り着くまで、元の恐怖映像を見続けるはめに陥る。だが、それまで敵の剣がぐんぐん直上に掲げられてゆく光景は、実体験の死に際には見えてなかった走馬燈を見た思いだった。それだけでもトラウマものだ。俯瞰映像で見ると、敵の剣は天に突き上げられており、あとは振り下ろすだけで景虎の頭に届いてしまう。

 瞬間、衝動で思考のすべてを埋め尽くされ、名前の連呼というかたちで放出された。

「景虎くん! 景虎くん! 景虎くん! 景虎くん! 景虎くん! 景虎くん!」

 衝動のままに実声で同じ連呼に及ぼうと口が開こうとしていたが、速さが速さなので現実にはまだ、一音たりとも本物の叫びにはなっていない。ただ、名前の奔流が瞬時に皆の頭を埋め尽くしたであろうことは、想像に難くなかった。ルシエラとマチュピッチュからも、一度だけ景虎の名が呼ばれたが、これは二人が意識的に伝えようとしたものではなく、実声で叫ぼうとしているものを、翻訳が先取りして伝えているもののようだ。

 クロムエルがたまらず、といった様子で言葉を放り込む。

「落ち着いてください! マスターはすでに回避行動に入られています!」

 景虎が無事に切り抜けられる希望が浮かび、芙実乃は幾ばくかの理性を取り戻した。放置しておくと本当に名前の連呼をはじめてしまいそうな喉に対し、脳エミュレータを介しての実脳への干渉コードで、発声行為をキャンセルにする。ルシエラとマチュピッチュのものに芙実乃は干渉できないから、本人に作業させるのも厳しそうだし、我慢してもらうしかなさそうだ。

 混乱させておいて申し訳ないが、幸い、脳加速処理の設定のほうで、処理空間内における実声はミュートされるから、皆の耳にも実声がリフレインすることはなくなっている。

 芙実乃は気持ちの中で一呼吸を行い、観戦に戻る。敵の剣は秒針にして二、三秒分は傾いてしまっているが、本当の時間ではコンマゼロ数秒しか経ってないはずだ。芙実乃は自分の無事をルシエラやマチュピッチュに知らせるためにも、努めて理性的に会話を続けてみせた。

「避けられるんですよね?」

「確かなことはなんとも。マスターの意図は往々にして、わたしには事後になってようやくその一端に思い至らすことができる、というものですから」

「では回避行動というのは?」

「右足で踏みきっておられました。おそらく肘から指を離した時には準備にかかっていたのでしょうが、そもそも、開始の段階での構えからして、足を前後の斜めに置かれ、捻った即応体勢にもしていましたから、あそこまでの反応ができたのでしょう。右足はマスターにとっても利き足ですし、溜めておいた力を開放したかたちですね。さらには、相手の攻撃が正中線に確定した段階で身体を回しはじめるという冷静さも健在です」

 クロムエルの言ったとおり、左からの俯瞰では景虎の顔が隠れだしていた。回るという言葉を信じて、見るワイプを右の俯瞰のほうに移しておく。気づいたが、見ているのに集中してしまうと、十分の一倍速でも結構なスピードで時間が流れていっているように感じてしまう。なので、芙実乃はなるべく話すか聞くかしておこうと、無理に質問を絞り出した。

「……それでも避けられると決まったわけではない、というのは?」

「あの一振りが尋常なものではないからです。相手は最適な助走で利き足の脚力を跳躍に注ぎ込んだ。脚力を前方向へ物を飛ばす力に変えた、とでも思ってください。そして、完璧な位置と角度での着地。芙実乃殿が言われた飛距離を伸ばすようにすると、足を斜めに突き刺す体勢を取ることになりますが、それではブレーキをかけることにもなってしまう。そこで彼は地面に垂直に足を下ろすことで、前方向への力を上半身に集約して素通りさせた。当然、倒れてしまう動きになるわけですが、彼はその時にかかっていた着地の衝撃を踵を撥ね上げることで、バウンドする力とつま先、踵、ふくらはぎの筋力を、すべて上半身が転倒する方向に加算させたのです。それにより、跳躍での前方向への力とも無理なく合流させ、地面への顔の直撃を避けようと反射した肘と腕の動きとの同調をも果たさせた。この、振りの中核の動きに反射を組み入れることで、振りの軌道をまったく歪みのないものへとしたのでしょう。歪みのない車輪に油を差した時のように、驚くほどのスムーズさで剣が振り下ろされています。あれはもう、バダバダルクラス、人類の極限レベルの威力と速度を誇るかと」

 芙実乃は、そのイメージを、ボールを斜め上に投げた時の光景で捉えていた。斜め上に投げられたボールは、弾性にもよるが何度かバウンドしつつ最後は転がる。この、止まるまでの力はいつどこで加えられたものなのかと言うと、それは投げた瞬間だ。

 ティラートは、こういった力を跳躍時に込めておいた。それを無駄なく運んだ状態が着地時で、芙実乃が生命の危機を覚えた時の映像。衝突すればひとたまりもなく吹っ飛ばされるであろう圧を感じた。あの圧を、一本の剣に集約してしまった攻撃が、まさにいま景虎に振り下ろされようとしているのだ。しかも、その集約だけではまだ後押しや追い風といった意味合いしかなく、そこからさらにの全身全霊の力と、反射神経で解放された脳のポテンシャルこそが、威力の土台となっているという、薩摩示現流ばりの初太刀……。

 あの、人に分類されるのかというバダバダルクラスと言われても、否定する気になれない。

「でも、景虎くんは、バダバダルの攻撃だって、簡単に避けちゃってますよね?」

「あれは後の先の釣り出しの見本のような戦いでしたから、厳密には避けではないのですよ。う――わ!」

 説明の終わりに絶句するクロムエル。説明自体は途切れなく聞こえるのは、本当に喋っている時のように、途中で中断されるわけではないからだ。

 しかし、芙実乃だって聞きながらじっと見ていたわけだから、同時に驚いてもいいはずなのだが、倍率よりも遅く感じられる時間の中の景虎には、何も変わりがないように見えた。

「どういうことでしょう?」

「失礼。マスターの神業としか言いようのない、体捌きを見られたもので」

 わからなかった自分に忸怩たる思いを抱くが、それでも芙実乃は確認を怠らない。

「それは?」

「利き足による、右前での回転の始動。マスターはその直後の刹那に上体を持ち上げられて、右前にあった回転軸を、そっくり左後ろに移し替えられたのです。最初から左後ろで回転を始動されたのでは、置き場と利き足でないことが響いて、遅い回転にしかならなかったでしょうが、これなら速いし、さらに上体を反らすことでまだ前にいる段階での回避にもできる。刀を抜く構えの利点だけを使い、全身を後ろに持って行けるなんて……」

 クロムエルは内心でも舌を巻いているのか、言葉が続かない。

 要約するとこういうことだ。前傾に近い姿勢から力の強い右足で踏みきり、身体を起こして左足を軸に回転。その光景に芙実乃はフィギュアスケートを連想する。あれはたしか、前傾で振り回した上半身で勢いをつけ、身体の重さを中心軸に集めることで、ジャンプの回転スピードを上げるというもの。景虎はあれに近い方法で身体に加速をかけてみせたのだ。

 そもそも敵は、景虎の身体の中心を縦に斬ろうとしている。そこから左後ろにあった左脚を軸に回るということは、ただ身体を後ろに回しているだけでなく、斜めに伸ばされていた左脚自体の角度をも直立させてしまうわけだから、追加で左後ろに寄せていることにもなるのだ。

 ぐん、と、スピードを増したかのように、景虎の身体が剣の軌道から外れてゆく。

 そしていま、景虎の美貌の眼前を、敵の剛剣が通り過ぎようとしていた。

 まさに紙一重。これほどの瞬間をリアルタイム且つスローで見られるのだから、奇跡や僥倖と感謝すべきなのだろうが、芙実乃からすればそれでも背筋が凍る光景だ。

 そんな心中の芙実乃をよそに、アーズが余計な呟きを差し込んでくる。

「右脚は……間に合わねえか」

「……仕方あるまい。おそらくマスターも覚悟されている。それゆえに取り回しのいい脇差を抜きかけておられるのだ。この先見の明あればこそ、勝ちを揺るぎなくされたのだしな」

「――何をっ」

 二人の、景虎の右脚が切り落とされる前提かのような会話に、芙実乃は続く言葉を失う。

「…………落ち着いて聞いてください。再三申し上げましたが、相手の速さも尋常ではありません。あの状況からの逆転なら、実力差を見せつけての完勝と言っていいほどなのです」

「でも、だって、脚が、脚を、どうしてっ」

 言葉が纏まらないうちに喋ろうとして、芙実乃はまともに話せなかった。

「治ります。マスターは無傷でお戻りになられますから。勝ちも揺るぎません」

「勝つのに、なんで、治るって。怪我。怪我を。嘘、嘘、嘘――」

 嘘の連呼を遮るように、クロムエルが長い説明を割り込ませてきた。するとどうしても、纏まらない喋る意思の言語化よりも、聞いて理解することのほうに意識が囚われてしまう。

「芙実乃殿、申し訳ありませんが、嘘ではありません。現状のマスターに、あの振り下ろしを遮る術はなく、また、踏みきり後も加速に使われた右脚を足元に戻しきるには、後ろを向きかけるまでかかってしまうでしょう。相手の剣が地面を叩く時までに、マスターが回りきれているのは、ほぼ真横を向くくらい。いまマスターの肩の高さにある相手の剣が、眼前をすれすれで通った時よりは離れているのがおわかりになりますか? これはマスターが軸足を垂直に立てようとしているからこそ開けられた距離ですが、脚自体はほぼ伸びきってしまっています。ですからあとはもう、傾きを垂直にする分くらいしか、左へは寄れません。どう見繕っても、右脚だけは相手の剣の軌道上に残ってしまうことになる。先に言った、遮る術がない、というのも、この、相手の剣が右脚に届く時までに、脇差すら抜ききれないであろう時間要因によるものです。マスターならでは、ということで、柄での防御ならどうかと検証してみましたが、見たこともない全速での抜刀がお出来になるのだとしても、爪の厚みほど間に合わせられるかどうか。それでは遮ることにもならない上に、直後に仕留める妨げにもなってしまう。お身体のどこにも強張りがないところを見ると、相手が振り抜けた直後に抜けるよう、むしろ速さを抑えるおつもりなのかもしれません。いずれにせよ、マスターご自身は淡々と事を進めておられるのですから、芙実乃殿も心構えだけは確かに。そんな瞬間はどうしても見たくないというのならば、音を消して目を閉じているのがよろしいかと」

 感情と思考が並列処理されるという、脳加速補助。

 だから、いくら感情で否定しようが理解を拒むことはできず、矛盾がなければそれだけで、思考は素直に説明を受け入れてしまう。もしいまこの脳加速補助が解けたなら、芙実乃は心の赴くままに現実を拒絶し、ただただ泣きじゃくることができたのかもしれない。

 しかし、それでは実質的に景虎の脚が斬られる瞬間を早めることにもなるわけで……。

 芙実乃には結局何も、目を瞑る決断すら下せないのだった。

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