Ep04-01-06
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敵が異能を使う可能性をまったく考えてなかった芙実乃は、芙実乃なりの最悪の想定を思わず口に出していた。
「まさか瞬間移動とかで、景虎くんの後ろに回り込む気なんじゃ……」
「多少なりとも考えはいたしておるゆえ、芙実乃が慌てずともよい」
景虎からの嬉しいお声掛かりだったが、芙実乃が返事する間もなく、アーズが回答権を奪い取ってしまう。
「瞬間移動ね。ま、あると想定してりゃあ、意表をつかれるとかはねえわな」
景虎もクロムエルも軽く頷く。しかし、それだけで話が流れてしまうと、芙実乃としてはとても杞憂で終わらせられない。理由を質すべく、確認を入れた。
「瞬間移動の脅威って、その程度なんですか?」
男子三人はなんとなくという感じで顔を見合わせると、代表してクロムエルが説明する。
「厄介なことは間違いありません。ですが、瞬間移動が高い確率で消える時と出る時の体勢が同じである以上、届かない距離での挙動で、その攻撃のいつとどんなが知れてしまう。どこ、を読みきれれば多対一よりも楽なくらいですが、そもそも、どこさえ読むまでもなく、その場から離れてしまえば、少なくとも攻撃は回避できます。上下逆さまに出て来て、横薙ぎを逆向きにされたりすれば、攻撃を掠められもしましょうが、まともに力を込められた振りにできるとは到底思えない。自分が使う側となってマスターに挑むなら、鞘をお下げになられている左のやや後ろに出るのが防御されにくく、反撃の刃も届きにくい位置となりますが、ここまでくるともう、単なる読み合いと変わらなくなる。反撃を受けにくい位置を取りにいくべきか、避けるであろう方向のさらに死角となる位置への移動とするか、そこを狙いすました反撃もありうる想定にするなら、移動前から移動後の防御や回避も計算のうちにしておかなければ、自分の動き方さえ決められない。当たるぎりぎりのタイミングで移動しようと、その分だけ振りを長く見せてもいますから、相手とてヤマを張った反撃に出ざるを得なくなる。と、こうしたことを考えない相手に対してでなければ、折角の瞬間移動も結局は、伸るか反るかの博奕の道具にしかならなくなってしまうんです。自分なら用途を回避に限るようにしますかね。瞬間移動を攻撃の手段として、確実に勝てる相手との勝負をも賭けにする意味はありませんから」
「なるほど」
としか芙実乃は言えない。
つまるところ、景虎たち三人の男性陣は、女性陣が軽く扱い返すアーズを含め、いまくらいのことを常に想定できている人種なのだ。放っておくと、頷き合うだけでこうした前提を話さずに流されてしまうから、内容を理解したい芙実乃としては、苦手だろうが会話に割って行くしかない。何せ、マチュピッチュはアーズに取り合ってもらえないわ、ルシエラはクロムエルに話しかけるのも答えられるのも避けに避けているわで、役割を分担してもらえないのだ。
「ただ、マスター。対戦相手がそこにしか勝機がないときちんと認識できている場合、賭けに出ることに躊躇はなくなるかもしれません。低くても確率がある分マシな手なのだと」
「異能やらの存在はとりあえず排除しておらぬが、どうにもならぬ時はどうにもならぬのだ。いまは捨て置くより他はない。それに、此度の相手は人の悪意や策への警戒を疎かにしておるような質に見えた。裏を潜めておったらば、むしろ良い面の皮であったと感心しておこう」
「確かに、そのような気質が垣間見える戦いぶりでしたが……」
「ん? 見知り置いた者だったか?」
「いえ。マスターの対戦相手がどんなかと、先程まで彼の月一戦を見ておりましたので」
「三戦すべてを?」
「はい。いまご覧になられますか? 全戦ともに実戦形式でしたから、半ロムグリ程度しかかからずに見終えられますが」
景虎が頷く。
夕食を早目にするにしても二時間近く、三ロムグリほどの猶予があった。マチュピッチュの部屋にいることだし、夕食後に時間を取られると帰りも遅くなる。睡眠時間が四時間ほどでいい反面、それ以上削るのは逆に厳しい。就寝時間の遅れが朝の余裕にダイレクトに響くのだ。景虎と二人きりで過ごせる朝の時間のためにも、時短の提案には芙実乃も賛成だった。
クロムエルがコンソールを操作すると、淡い水色だった壁の一面がスクリーンになる。出てきたのは平面の映像ではあったものの、高精細なんてレベルをはるかに越えた、窓越しの実像を見ているのとなんら変わりない。そこに、景虎の四戦目の対戦相手、ティラートの月一戦の様子が、三戦目まで通しで流される。
スクリーンが元の水色に戻ると、皆、景虎が口を開くのを待っていた。
「実力を隠して、と言うより、様子見のうちに決める機会が訪れた、と言ったところか」
「躊躇なく動きだしてるもんな。手加減なんて意図が少しでもありゃ、この反応はねえわ」
「迷いなく全力に振りきる一撃は、見ていて爽快になります。読みとセンスと思い切り。実力を出しきった彼と互角に戦うのは、わたしには厳しいかもしれません」
クロムエルのその発言を聞いて、アーズが鼻で笑った。
「礼儀のつもりか、そりゃ。百ゼロでお前の勝ちに決まってんだろ」
「まったく騎士はこれだから。騎士のすべからくが心の奧底から真っ黒で捻じ曲がってるのなんてもう、みんながみんなお見通しだっていうのに、厭味な謙遜なんかして」
「マチュピッチュ」
と、ルシエラに加勢するマチュピッチュ。精神年齢は見た目よりもやや低めなくらいだが、根が素直で感化されやすく、一緒にいる時間の多い芙実乃やルシエラの言動を、鵜呑みにしてしまうようなところがあるのだった。
もちろんクロムエルはルシエラが言うほど厭味な人物ではないが、一方で非常にスペックの高い人間であることには疑いのかけようもない。しかもそのスペックとは、純粋に彼が積み上げてきた武力なり知力なりの経験であり、本来ならやっかまれる謂れのないものばかり。
だが、それは景虎を至上とするこのグループだと、少し事情が変わってくる。
ナチュラルに景虎に近い存在、というのが厭味に感じられるし、それゆえに景虎からの信任も厚くなるのには、たとえそれが能力や実績に基づいていても、やっかみしかなくなってしまうのだ。斯く言う芙実乃こそが、内心で彼をやっかむ最右翼だと言っても過言ではなかった。
さっきだって、芙実乃の不在時に景虎に必要な映像を用意されていたことに、ポイントを稼がれたような気がしてならなかった。なのに、逆に芙実乃が景虎の役に立ったような時には、出し抜いたような喜びは湧いてこない。それ自体の嬉しさが大き過ぎて、クロムエルへの鬱憤などそこで立ち消えてしまうのだ。そもそも、その時のことを思い出したとて、クロムエルがどうだったとかは、芙実乃は端から見てもいない。だから、芙実乃がクロムエルをやっかむ最右翼とは言っても、彼への不満を澱のように溜めてゆくわけでもないし、反感から不信を募らせたりもなく、本来は厭味な人物ではないとニュートラルに思えたりもする。
ただ、クロムエルの発言が厭味だったかはともかく、この時ばかりは百ゼロでクロムエルの勝ちというアーズの発言のほうに軍配が上がった。景虎がお墨付きを与えたからだ。
「確かにそなたが後れを取る相手ではないな。だが、わたしを相手にした場合であればそなたと遜色ない使い手となる。その諫言の下地としての言いようなのであろう?」
「は。恐悦ながら……」と続けようとするクロムエルに、女性陣全員が畳み掛ける。
「調子に乗んな!」
「マチュピッチュ!」
「景虎くんが負けるわけないでしょうに!」
男性側に視線を向けていた景虎が、女性側に顔ごと向ける。
「そう気色ばんでやるな。こやつが申しておるのは、相手方の得手不得手に関してだけだ」
芙実乃が問い返す。
「得手不得手?」
「ああ。此度の相手はな、自ら相手の攻撃範囲に入るのを躊躇う時がある。崩しとしての仕掛けなればするが、仕留める際の捨て身じみた後の先の時にある思いきりの良さは、いつでもではない。要は、攻撃範囲の兼ね合いにより、強さが変わる相手ということだ」
景虎とクロムエルの身長差は三十センチ近く、今回の対戦相手とだと二十センチ近くある。つまり相手は、景虎に対してなら二十センチの有利があるが、クロムエル相手だと逆に十センチの不利を背負う。クロムエルはまた、手足も剣も長めだから、攻撃範囲も一段と広くなる。その範囲に踏み込んでゆくのが苦手な相手には、やりにくいことこの上ないに違いなかった。
景虎が劣るという話ではないのだ。
他ならぬ景虎の説明だし、純粋な長さ大きさの話になると、女性陣も納得するしかない。
「あれ? でも、後の先って、今回は景虎くんがするんじゃありませんでした?」
「そうだ」
「……逆……ですよね?」
「まさしく。だが、相手が後の先を得意としておるのではなく、単に攻めあぐねてそういった決着にしかなっておらぬのであれば、要求は不審とまでは言えぬやもしれぬ」
「ねえ景虎。そもそもその後の先っていうのは、どういうことなの?」
ルシエラが質問する。芙実乃も雰囲気で流していたところがあるから、渡りに船だった。
「攻撃に対する躱しと反撃を、仕掛けにくる相手の機先から直後に仕掛け返すことを言う」
景虎の答えはだいたい芙実乃の想像どおりだったが、相手の動きを読んでおくことを前提に語られた言葉のようだから、返り討ちのパターンを幾つも用意しておく、という意味でもあるはずだ。パターンを正確にトレースできる技量があれば、読み違えでもしなければ勝ちを揺るぎないものにできる印象がある。攻勢に出る姿しか見てないからなんとも言えないが、極めて景虎に向いた戦法のように思えるし、実際、景虎も有利と明言していた。
「相手は、景虎くんの攻めかかる試合しか見れてないから、それが苦手だとでも……ああ、いえ、思ってないっていうのを聞いたような気がします」
「それは本心に聞こえたな。なれば、あやつがしきりに言った全力やらを尽くすには、わたしに前に出られたくないのやもしれぬ。わたしの元対戦相手として二人に心当たりは?」
と、男性陣の側へと視線を移す景虎。それを受けてまずアーズが喋りだす。
「や、俺も内心ビビってるような時はさ、後の先狙いの慎重な入りにしたいとこだけど、虎様相手にそれすんのって、逆に無謀な感じがするぜ。虎様、セレモニーじゃ相手の後の先を誘ってすかしてる最中に首をざっくりいってたろ。あれ見ちまうと、自分がよほど釣られねえ自信でもなけりゃ、後の先狙いなんてできねえや。先に釣り出されちまったあとの後の先狙いほど無防備になることなんて、ざらにはないからな」
「確かに、マスターのなさる接敵スピードの調整は、自在としか言いようがないほど、緩急が多岐に渡ります。その上、緩急をつけないことまで駆け引きに加えられるのですから、絞った狙い以外の挙動で来られたら攻勢には出ない、と決めてかからねば、いいように弄ばれるだけになるでしょう。それでも集中を上げて待ち受ける、と思うかは人により半々であり、ケースバイケースになるのではないかと」
なんとなくだが、芙実乃は野球のバッターの話を思い出す。狙い球を絞るとかどうとかいうやつだ。あれの空振りに相当する状況になってしまうと、戦闘では死に直結するのが目に見えている。逆に戦闘のほうだと、三振でアウトとかがないから、いくらでも見逃せるし、逃げてこっちが本物のバッターボックスだと言い張ることだってできてしまう。
別人からの不意打ちの心配がないなら、後の先狙いとは、究極の安全策と言えるのだ。
「そう言えば、月一戦の折のそなたも、最後は足を止めていたか」
「あの時のわたしは何を置いてもの守勢で、反撃の色気など出す暇さえありませんでしたよ。連続攻撃でもマスターに前に出られるのを止められず、焦りしかありませんでしたから」
「あれは嫌だな。マジで嫌だ。負けても逃げてもいい訓練でさえ震える時もあるくらいなのによ、勝ちにいかなくちゃなんねえ戦いであんなふうに来られたら、心折れるっての」
「……そう考えると、後の先うんぬんはともかく、マスターを一所に立ち止まらせておくというのは、そう悪い手ではないのかもしれません。少なくとも、自分のタイミングで安心してイニシアチブのある一手目を繰り出せることにはなりますので。実際、マスターとの戦闘がはじまってしまえば、イニシアチブは持てているのではなく、持たされているだけですし」
「えっと、景虎くんに安全策を取らせられれば、そのあいだだけは相手も好きにできるって感じでしょうか?」
芙実乃のその確認は、男性側に顔を向けていた景虎を振り向かせた。
「腑に落ちるところがある。相手方の全力とは、準備万端整えるという意味であったか」
「守勢に回っても、マスターの出方は読みきれない。でも、初手が譲られているならば、一手目の想定は無為に帰すこともなく、時間の許す限り最善手を練り上げられもする」
「与えてしまった時間だ。有効に使われるのは致し方ないな。こちらはせいぜい、心構えだけでも準備万端としておこう」
景虎が話の締めにかかりだした。と雰囲気で察した芙実乃は、その前に自分が見直された気配があったことにどこか浮かれていて、深く意味を考えない合いの手を入れてしまう。
「『どこからでもかかってこい』みたいな感じですねっ」
「……いや、それは何か違うな、芙実乃」
「え! すすす、すみません。わたしが間違ってました」
と、芙実乃は反射的に心から謝るが、実のところ、何が間違ってるかもわかってない。景虎が正しいと思うがゆえであったが、当の景虎さえ、わからないというように首を傾げていた。
「謝らずともよい。どうもわたしは戦いをやはり集団のものと思い浮かべるようで、戦場では口にしてはならぬ物言いに聞こえてしまったのだ」
「ああ。戦場では止まっちゃだめ。進めって言うのが正しいのに、そんなことを言っちゃったら、兵士たちは混乱しちゃいますもんね」
「確かに。その物言いは、年端のいかぬ者に刀の振り方を教えてやる時くらいにしか用いぬ」
「あっ。実際に子供を相手にする時じゃないのにそんな言い方をしたら、相手をすごく馬鹿にしたってなっちゃうところでした。これは本当に気をつけないと」
そんなつもりはなかったのだが、礼儀の問題にもなりうるのだ、と気づいて芙実乃はきちんと自分を戒める。が、それに異を唱える者が現れた。
「んんー? 破れかぶれの時にも言ったりしねえか、それ?」
「マスターに破れかぶれの時なんてないだろ。お前のそれは虚勢だよ。前向きに考えるなら、自分を大きく見せて、その場を凌ぐ算段をつけてるってとこだ」
その言い分も、どこも間違ってないように聞こえた。
芙実乃が『どこからでもかかってこい』を、ありふれた言い回しとして口にしたから、意味を広く捉えられてしまったのだ。ただ、どちらも正しくても、景虎の言っているほうに気持ちが傾くのが芙実乃だし、そうでなくてもやはり、格下に対して言う台詞という感覚がある。
それに、相手を格下扱いするのが虚勢であるなら、アーズやクロムエルの発言だって、それほど景虎と矛盾しているわけではない。クロムエルの言うとおり、景虎には虚勢や破れかぶれを原動力にする感性そのものがなかっただけだ。
「結局は一緒なんじゃないでしょうか。相手を格下に見る言葉だから、虚勢にも威圧にも侮蔑にもなりうる。景虎くんの使い方だけが礼儀にも則ってるってだけで」
男性陣が頷く。しかし自分と違った見解に思うところがあったようで、景虎が続ける。
「とすると、芙実乃にそれを口にされるのはわたしも体裁が悪い。相手に礼を欠くのもそうだが、虚勢を張るのも恥ずべきこと。何より、それを本気にされてしまうと、わたしが反撃をせぬものと相手は思うこととなるのだ。ただの返り討ちが、騙し討ちとされる口実にもなろう」
「あわわわわわわ」
「落ち着け。内内にしか聞かれてはおらぬ。以後気をつけてくれるだけでよい」
「まったくよ。芙実乃は褒められるとすぐ調子に乗るんだから」
というルシエラの小言にも、今度ばかりはぐうの音も出なかった。
危うく、景虎の足を引っ張る失言をするばかりでなく、その高潔な品性をも貶めることになりかねない発言だったのだ。
現実には景虎は圧勝しかしてないのだが、それでも、その前後のどのタイミングでも、戦う相手を見縊っていることはなかった。第二戦で戦ったピクスアに対してだけは多少厳しめの態度を見せたが、それも未来視を使う彼らを遠ざける意図が強く、軽んじているわけではない。
戦の流儀で月一戦を戦うというのも、受け取りようによっては、真剣味を疑われかねないだろう。が、それは結局のところ、相手方か外野からの見方に過ぎない。強豪校の高校球児が地方大会の緒戦を決勝のつもりで戦うと、一回戦敗退常連校を見下すことになるのか。味方と競り合う意識で戦うということは、当人からすれば倍の価値の勝利を目指しているも同義。
下手をすると、目の前の一対一に集中してる相手よりも真剣とさえ言えるのかもしれない。
無闇に相手を格下とか子供扱いする景虎ではないのだ。
たとえ今回の月一戦が、後の先狙いで待ち受ける有利で安全な戦いだったとしても、景虎は本気で勝ちに行く。横綱相撲のつもりさえないことは、芙実乃にもなんとなく伝わっていた。
横綱相撲は日本人の美意識の体現ではあるが、それは、景虎が言うところの年少者に刀の振り方を教える、に等しい実力差がある対決の時にだけ成立しうる。戦闘とは無縁な行いだ。
なぜなら、横綱相撲とは相手の力と技のすべてを受けきって勝つことを言うのだし、そんな真似をする意味を問うならば、相手の成長を促すための労を引き受けるということ。実力差を知らしめて相手を屈服させるためにするのではない。だからそもそも、極論、命のやり取りでしかない戦闘において持ち出すべき概念かと言うと、たぶん見当違いなのだ。
でなければ、相手が疲れきって倒れるまで自分は手を出さず、ひれ伏したところでトドメを刺す、というのが戦闘における横綱相撲ということになってしまう。
横綱相撲を相撲に限らず、スポーツに当て嵌めるのならまだわかる。その競技の頂に立った人が、競技に対してのリスペクトや恩返しのため、後進の育成や競技の裾野を広げるためにその身を削る。誰にでもできることではないし、称賛されて然るべき振る舞いだ。
が、やはりそれはスポーツの領域での話であり、戦闘における後の先狙いとは、むしろ横綱相撲とは真逆の、容赦も呵責もない無慈悲なまでの殺人戦法に他ならない。
これをまたあえて相撲で例えるなら、ちびっこにどーんとぶつかって来いと言った横綱が、飛びかかって来た児童に得意のカチ上げを顔面に先制で食らわし、これが横綱相撲じゃい、とのたまうようなものなのだ。横綱どころかまともな人間のすることではない。
しかし、それと酷似した行為でありながら、戦闘での後の先狙いは卑怯でもなんでもなくなる。この違いが何に起因するかと言うと、それは命のやり取りであるか否か、だ。
芙実乃は、格闘技が命懸けでないとまでは思ってないが、死んでも生き返らせてもらえる月一戦と較べてもなお、スポーツに近しいように感じられてしまう。格闘技に打ち込む人間の勇気や覚悟なら景虎と同質だと思えるし、侮る気など毛ほどもないのに、だ。ただそれでも、地球における格闘技の試合だと、命の奪い合いを目的とされることだけは、ない。死んでも生き返らせてあげますから、できる限り実戦形式で戦ってくださいね。まあ怪我をしたくないのなら、そういうふうに戦わせてあげますけど。という月一戦とはコンセプトからして違うのだ。
戦闘の話では時に軽口さえ交し合う景虎たちだが、それはいつでも戦う心構えができている人間にだけ許されること。そうでない芙実乃はより配慮せねば、と深く反省するのだった。




