Ep04-01-05
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バーナディルには、スルッグが景虎に道徳的な枷を嵌めにかかりだしているとわかってはいたが、会話が雑談の範疇に収まっている限り、彼の口を強引に閉じさせる手段はない。
彼は、人の良心の向きどころを、自分の都合のいいほうへと手招きすることに長けている。
だから、彼が何かを言う前に止めなければ、バーナディルがここに来た意味がなくなるのだが、いかんせん、初老男性の手管と厚顔にはどうにも口を出しにくい。知識量で煙に巻けるのも、相手に聞く気があればこそだ。迂闊に会話に割り入っても、スルッグがいましがたの強引さで、言いたいことを言いきってしまえば、彼の目論見は達成されてしまう。
もっとも、その強引さは相手生徒をもいたたまれなくさせているようだが、生徒の彼らは彼らで、スルッグに委ねるべきは委ねているのかもしれない。担任同士がこうして一種の敵対関係じみてしまうように、生徒と担任は利害関係が一致しやすくもある。特に勝利を欲する生徒が相手なら、現地人の担任でも、相談相手以上の密な関係性は築けるのだ。
景虎が対戦相手たちに配慮しかけているが、そんな必要はない。彼らは誇りを押し込めて、実利を取るようスルッグに誘導されているからこそ、こうして黙ってもいられるのだろう。
この世界では元の世での誇りが歪まずに理解されることはない。この世界で賞賛を浴びる方法をしっかりと教えましょう。そういうふうに、異世界人生徒の理想を妥協させてゆくのが、スルッグの指導方法なのだ。
「心配はやはりしてしまうさ。異文化の考え方は、誰も心からの共感はできないもの。でも、せめて担任くらいは、ありのままの感性を全うさせてやれないか、模索し続けなくちゃ。だからね、柿崎君、君には味方同士で競おうとする戦でなく、一対一に全神経を傾ける戦いをしてほしいと思ってるんだ」
「こちらに流儀を変えろと?」
「そう聞こえてしまうかもしれないが、果たしてそれはどうなんだろうね。だって君は全力を尽くさないのが相手への礼に失する、ということで月一戦を戦と想定していると言った。月一戦がそもそも君の流儀にないなら、それを戦と想定するのも流儀でなければ、本質でもない。戦だと想定しなければいけない、その本質は相手に礼を尽くすことにある。違うかい?」
「頷かざるを得ない言質を取られていたな。続けるがよい」
「であるならば、月一戦をティラート君の世界の決闘だと思い戦っても、君の流儀をより相手に合わせたかたちで体現できることになるんじゃないだろうか。ねえ、柿崎君?」
勝算はなかったが、バーナディルはたまらず、会話に割って入っていた。
「スルッグ担任、そこまでにしてください。生徒の信条への踏み込みは慎重になって然るべきですし、試合内容を左右するような言動は、明確に規定違反になります」
「バーナディル君。これはそういうレベルの話ではないよ。試合内容を左右するというのは、人質、成績、待遇などに不都合を匂わせて、手を抜かせる算段を目論ませないためのものだ。より全力で戦ってくれという、こちらの言い分の何が不正に当たるんだい?」
「それ……は……」
バーナディルは口ごもった。わからない。何かを企んでいるのは絶対なのに、仕掛けにきているのは間違いないのに、バーナディルにはそれが見抜けなかった。彼らが景虎に全力で戦わせたがる理由はなんだ。なんの得がある。まさか、精神面の全力という言質をこの上さらに、肉体面の全力という意味に拡大していくつもりだろうか。
だとしても、それはそれで意味不明なのだが……。
答えの出ないバーナディルが言葉を繰り出せぬまま、スルッグの説教がはじまった。
「それにね、バーナディル君。確かに生徒の信条への踏み込みは慎重になって然るべきだが、君のように、ある意味生徒が自ら課している枷を知ろうとせず、見抜けもせず、放置してハンデを背負わせたまま戦わせているのはいかがなものなんじゃないかな? ん?」
バーナディルを相手にするようになってから、スルッグの表情はぴくりとも動いていない。景虎を相手取っていた時は、固まってもいたし、動揺して引き攣ってさえいたというのに。
スルッグの手管にかかれば、バーナディルなど、所詮その程度の相手でしかないのだ。
タフィールくらいのやり手にかかれば平然と渡り合えもするのだろうが、と、ここにいもしない人間を引き合いに出してしまうあたり、バーナディルは心の中ではすでに降参しているのかもしれない。それを見かねてなのか、そこに救いの手が舞い降りてくる。
景虎だった。
「当人に断りなく他者の名を引き合いに出すことを、わたしの世では虎の威を借ると言う。さて、担任殿。こちらは、いまのをわたしの名を借用しての恫喝、と取ってもよいのだがな」
スルッグが喉をきゅうっと鳴らすほどに顔を強張らせ、居住まいを正した。景虎が口にした慣用句には、虎という、芙実乃曰く強くて美しい獣が、強さの象徴として用いられている。虎はさらに、景虎の名の半分を占める表意文字でもある。強化体のままの魔女喰らいを討伐し、別格視されだしている景虎から聞かされる虎の威を借るは、神に神の名を騙ったと指摘されるに等しい響きに感じられてしまう。
庇われた側のバーナディルでさえ、心強さとともに畏敬を感じたくらいなのだ。
言われた側のスルッグなら尚更だったに違いない。バーナディルを相手に高くなっていた頭と腰を低くした声色で、景虎に向かって釈明しだした。
「そん……なつもりじゃなかったんだ――けど、そう聞こえてしまったのなら申し訳ない。恫喝とは取らないでもらえたなら、と願うよ」
長年史上最強たちと接してきただけあって、スルッグは幾分持ち直したようだ。景虎のような畏敬を感じさせる者はさすがに二人といないが、溢れんばかりの暴力性を放つ生徒はそれなりにいる。スルッグとて、そんな生徒とも渡り合ってきたはずだった。
「ここまでのことであればそう受け取るとしよう。して、わたしが一対一の決闘を真剣に戦った、とそちらが異論なく思えるようするには、わたしはどうすればよいのだ。申してみよ」
景虎は人の企ては見抜くのだが、興が乗ってしまうのか、あえてその企ての中に踏み入るほうを好む傾向にある。今回も早い段階から、そんな気分でいたのかもしれない。
「ティラート君としては、とにかく君の強さをすべて引き出したい、ということなんだ。でなければ……、君はそんなふうに思わないだろうし、気を悪くしないでほしいんだが、君が負けた時に『戦を想定してなければ』なんて言い訳をされる余地を残してしまうことになる」
「相手も勝つ気で戦うは必定。咎める気などは起こらぬが、どう戦わばわたしは死力を尽くしたことになるかが、ほとほとわからぬ。短時間で息を切らすよう戦わば満足なのか?」
「確かに難しいね。だけど、月一戦の形式で戦うわけだから、一時限のペース配分はお互いの裁量でいいんじゃないかな。ギアを上げっぱなしにしなかった一事を持って、ティラート君が不満に思うことはないよ。彼が君に望む全力は、勝率を下げるような真似を、わざとしてほしくはないってことだから。例えば、戦でやってはいけないことなんかでも、一対一を勝ちきったり、生き延びるのに適した戦い方はあるだろう? 決着までに、そういう姿が見られれば、ティラート君は負けても納得していると思うんだ」
「……要は後の先を狙い、待ち構えておれと?」
「そう……は言っていない……けど……」
図星だったのだろう。スルッグは歯切れを悪くした。ただ、指摘した側の景虎にしてもそれは、語感に不可解さを滲ませるほど想定外の要求だったらしい。
景虎は、視線を顔ごとティラートに向けた。以後も指摘を認めず、あからさまな嘘をつき続けそうなスルッグを、もはや相手にしないつもりなのだろう。
「わたしが足を止める戦いが不得手と見ておるのであれば、希望に添ってやろうとも思うのだが……、最短で仕留められる予感しかせぬのだがな」
スルッグの言動にいたたまれない様子のティラートだったが、景虎の視線を真っ直ぐに受けた瞬間、即座に浮足立った気配が消え失せ、凛とした佇まいとなる。
「其処許にそのような穴など、某、端から思慮になく。スルッグ担任の仰りようは、ただ、某の流儀に添ったやり方で其処許を戦わせようというもの。なりふり構わず奮闘してくださるのも、一心に我らのためでしかありません。無作法にも思われたでしょうが、彼の労を思うと、当の某から止めるのも忍びなく、黙ってまいりました。ご寛恕いただけたら幸いです」
ティラートはスルッグの傀儡、なんて認識が誤りなのは早いうちからわかっていた。だがその一方で、隠れてもいない愚直な気質がスルッグにつけ込まれる拙さだとも、バーナディルは見抜いたつもりにもなっていた。が、違う。
彼は紛れもない史上最強にして、この場には景虎と二人きりの、格の違う人間なのだ。
景虎の薄い笑みが、わずかに色を濃くした。
「なればわたしは、後の先狙いで待ち構える、で良いのだな?」
「はい。であればこそ、我が全力の剣をお目にかけられるというもの」
「その場合、わたしは壁を背負って待つことになるが、それはどうする? 全力の剣、とやらの妨げになるのであれば、そちらの望む位置で待つのもやぶさかではないが」
「……そうですね、其処許が剣の長さ程度前に出てくれていれば、某も壁に剣をぶつける心配をせず、より無心で戦うことができるでしょう」
「承知した。この際だ、壁から空ける厳密な距離を示しておくがよい」
と、およそまともでない合意が、次々と交わされてしまう。
バーナディルは、この約束に強制力はなく、無断で裏をかくような真似をしても、いささかの詐欺行為にもならないと、最後に断っておこうと思っていた。しかし、妙に楽しげに制約を受け入れる景虎を見ていると、結局は何も言えなくなってしまったのだった。
交渉が終わると、芙実乃と景虎は自室にではなく、マチュピッチュの部屋へ向かった。普段集まるのは景虎か芙実乃の部屋なのだが、二人が不在の場合は当然、四人は部屋にも入れなくなる。マチュピッチュの部屋になるのはそれでなのだが、これにも事情があった。
芙実乃が部屋の壁紙をクリーム色にしてからというもの、ルシエラにもそこが自室だという意識が芽生えだしたらしく、クロムエルを入れたがらなくなったのだ。ルシエラはまた、隣のクロムエルの部屋にも入らないものだから、畢竟、アーズやマチュピッチュのクラス区画にある二室が、第二の集合場所にならざるを得ないのだった。
到着した芙実乃が壁に手を触れると、開いた出入り口になり、マチュピッチュの部屋に通じる。遊んでいたルシエラとマチュピッチュが、待ち侘びていたかのようにこちらを向いた。
「景虎!」
「とらー」
駆け寄る二人のほうへ芙実乃からも近づいて、女子三人で景虎を迎える。と、クロムエルとアーズも続いて入って来た。男子の二人はアーズの部屋にいたはずだが、芙実乃が扉を開けようと前に出たあとに、廊下で景虎と合流していたのだろう。アーズとマチュピッチュの部屋はパートナーで隣り合っているから、やろうと思えば直でも行き来できるが、アーズもクロムエルもマチュピッチュの部屋の入室許可がなく、壁を開けられないのだ。
この六人の入室許可だと、景虎と女子三人が全部屋の入室許可を持ち、クロムエルとアーズが男子部屋三部屋のみの入室許可を持っている。と言っても、居住者の不在時にまで入れるわけではないから、今日の集合場所はマチュピッチュの部屋になっているのだが。
ちなみに、マチュピッチュの部屋は微かな水色で色づいている。自分の部屋がデフォルトの白のままだと、下手をすると多目的教室でさえ、自室と混同しかねない。ということで、設定の変え方を覚えられないマチュピッチュの代わりに芙実乃がやった。この色にしたのはもちろん、マチュピッチュの空を映す湖のような透ける水色の髪にちなんでだ。
芙実乃がコンソールを操作し、輪っか状に配置されるよう、オブジェクトを指定する。椅子にするためだが、座布団が宙に浮いているようにしか見えない。そこに六人が馴染みの並びで腰を下ろしてゆく。時計回りで、景虎、クロムエル、アーズ、マチュピッチュ、芙実乃、ルシエラの着順となる。男女で綺麗に二分されている配置だ。このあと、中央には食事用の円卓を出すことになるから、両隣に手を伸ばしても繋げない程度に席は離してあった。
芙実乃は夕食前に済ませようと思い、月一戦交渉の経緯を一気に話してしまう。
「とまあ、そんな感じの交渉でしたね」
「芙実乃はいつもいいわね。景虎のお話を直接聞けるんだから」
「マチュピッチュ」
マチュピッチュのは相槌だ。ルシエラへの賛意に占められる割合が高かった。
「それはそうと、虎様が攻勢にしか出ないのって、戦のつもりだったからなんだな。どれだけ手加減されてたんだって改めて思うぜ。負けた身としちゃ」
アーズが話題を微妙に変える。集会の意義で考えれば、脇道から戻してくれているだけなのかもしれないが、マチュピッチュを無視する言動になることも多い。彼のそうしたところが、いまいちマチュピッチュに懐かれない理由だ。が、アーズがここの女性陣三人に対し、ずっと護衛のようなつもりでいてくれてるのには、三人もなんとなく気づいている。だから、まるっきり信用してないわけでもないのだが、内心の子供扱いが透けて見えることもあって、女性陣とは軽い扱いに対して軽く扱い返すような間柄が馴染んでしまっていた。
アーズの扱いが軽くなると言えば、クロムエルも同様だ。基本は誰にでも敬語で接するクロムエルだが、アーズには強く物を言う機会が多いせいか、多少ぞんざいになる。
「戦としてなら手を抜かれておられないのだから充分だろ」
窘めるように言うと、クロムエルは景虎に向き直り、口調を改めた。
「ですがマスターは今回それもお止めになるわけですよね。それはどうお思いなので?」
景虎は考えあぐねるような間を置いてから、クロムエルに答えた。
「正直、あまりに有利過ぎてな、細々した指定くらいは、呑まねば悪い気がしていたほどだ」
「それで最後はあんなふうだったんですね」
景虎の口から有利と聞けて、芙実乃は一安心する。
「でもよ、それって相手の思惑どおりってことだろ。まあ、それでも虎様の勝ちが揺らぐなんて思えねえんだけどよ、何かの仕掛けのためってのは間違いねえんじゃねえの?」
「異能でしょうかね?」
クロムエルの推測に、安堵したばかりの芙実乃の心臓が、にわかに騒ぎだすのだった。




