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異世界軍学校の侍  作者: 伽夜輪奎
103/140

Ep04-01-04


   4


 景虎の話であれば、芙実乃はいつだって聞きたい。

 だから本当は根掘り葉掘りあれやこれやと聞いてみたいことはたくさんあるのだが、できるだけ控えるようにはしていた。鬱陶しがられたくないからだ。

 もちろん、景虎は誰に目くじらを立てることもない。それに、目下の中でも特に庇護下に入れてもらえている芙実乃やルシエラやマチュピッチュは、礼節もとやかく言われたりしない。要は、子供やペットを好きに遊ばせて、さりげなく保護するスタンスでいてくれているのだ。

 が――。

 苛立ちなどを顔に出してくれる人ではないからこそ、内心でも煩わせてはいけない。との思いから、説明してくれる流れでもなければ、質問をぶつけることもしないでいる。

 それが、妙に親しげな雰囲気を作る相手方の担任が、景虎から話を引き出そうとしていた。質問内容は、景虎が試合がはじまるや否や相手に駆け寄る理由。

 芙実乃はそれを、全力を尽くすのが礼儀である以上、試合をタイムトライアルとして考えなくてはならないからと予想していた。相手方担任の馴れ馴れしさにはちょっとばかり辟易してきたものの、答え合わせの機会到来には、景虎への素直な感謝が溢れかえってくる。

 景虎の口から、甘美な声が響きはじめた。

「相手に近寄らぬことを戦うとは言うまい?」

「うん? ……詳しい説明を頼めないかな。君の世界特有の価値観かもしれないからね」

 芙実乃もしっくりきてないのだから、世界と言うよりは時代背景と言うべきかもしれない。

「特有と? 双方がそうしない状況までをも、こちらでは戦いのうちとなるのか?」

 試合開始直後、お互いがまったく歩み寄らず、立ち尽くした光景を芙実乃は思い浮かべた。

「双方がそうしない、それだと、うーん、睨み合い、かな。戦いが睨み合いの様相を呈してきた、なんてのはわりと使うのだけれど、君の世界のほうでは言わないかい?」

「言うが、しかし、そなたのその物言いからして、戦いのさなかにある様相という意味となるのではないのか。刃を交えぬうちからも含まれるのか?」

「確かに。これを国同士と考えると、まだ両国の緊張が高まっている段階になる。それだけで交戦に至らなかった場合だと、せいぜい危機と言われるくらいで、教科書にもまず載らない。武力行使がないうちの睨み合いは、こちらでも戦いとは呼んでなかった気がするよ」

「月一戦がその様相になるは、主宰するそなたらの主旨とも外れよう?」

 月一戦の主旨や規定に、景虎は一応目を通している。それも芙実乃と一緒に、だ。ただあれは、クロムエルが白星を返上中のことで、芙実乃がしょげ返っていた時期でもあった。いま考えてみると、恵まれた時間を堪能できなかったことが悔やまれる。

 景虎に黒星を付けたことが申し訳なく、その時の芙実乃は、横にいてくれている景虎の顔を見上げることができなかった。それでも間近で感じられる体温や吐息の音、揺れる髪の残り香などは記憶に鮮明に留められている。その代わりに、と言ってはなんだが、その時に見たはずの月一戦規定のことはおぼろげなのだった。

「君は――月一戦の規定でも読み込んで、そうせざるを得なくなっているってことかい?」

「いや。あれには目を通したが、言われずともするはずもない条項まで、気には留めぬ」

「すると、やはり打って出るのが君のスタイル、いや、信条か?」

「理由は多々あるのだが、挙げてみればおそらく後者寄りになろうか」

「試しに挙げてみてもらっても?」

「先程、そなたはわたしの世特有などと申したが、ここの世の一対一での戦いというのが、わたしの世の習いになく、余興に付き合わされておるように感じられてならぬ」

「ああ。特に君は、衆人環視のセレモニーに引っ張り出されたものな」

 相手方担任が親身な雰囲気を醸し出すのを見て、芙実乃は知らず口をへの字にした。

「相手がおることだし、命懸けの態度も見せられておるから、それはいい。が、そんな相手に対し、わたしが余興の気分で戦うはさすがに気が引けてな。自身から余興の気分を削ぐため、この一対一を戦のさなかと心得るようしたのだ」

「一対一と戦とでは、それほど気持ちの入れようが違うということかな?」

「一対一を余興にしか感じぬのは、結局は身近でなかったからだ。つまり、一対一が現実の予定に組み込まれる想定すらしてこなかった。わたしの世、時代の者はな、一日も歩けばどこかしらで戦場に出くわすと思って生きておる。そのような世ではな、戦が身近でない者らには逆にも感じられようが、命が重いのだ。泰平の世の者からすれば、軽々と減らし合っておいて何をと思うのであろうが、減っておるし減り続けるとも思っておるから、命はなお貴重になる。誇りを懸けての決闘、と聞かば理解もするし、愚弄するつもりもない。しかし、わたしのいた時代でそのようなことにかまけているとな、たとえ無傷で勝って帰ろうと、慮外者と謗られるだけと思われよ。生き恥を晒し、役に立つ数にも入れておけぬうつけ、とな」

 うつけと聞いて、芙実乃が真っ先に思い出すのは織田信長だ。信長は偉人という扱いで習っているから、うつけというのもまた時代を拓く素養であることに疑いはない。ただ、景虎の話を聞いて思うに、あの時代にうつけと呼ばれる人間は、まったく役に立たないばかりでなく、周囲に相当な迷惑をかけて、身近な人間の予定や積み上げてきたものを台無しにする存在だったに違いない。芙実乃が過ごした時代なら、うつけでも角度を変えて見ればこんなふうに人の役に立つ場合がある、と、コンプライアンス的なスローガンが叫ばれ、大変な仕事を人のために買って出る人と等しい人権も与えられようが、戦国の世ともなれば、うつけは所詮うつけであり、評判を跳ね除けた信長だけが例外なのだ。

「あー、その、ティラート君たちにとっては決闘が重要な文化だとのことだから、その……」

「いえ、スルッグ担任、いいんです。某たちの決闘の文化を馬鹿にされたとも思ってません。むしろ乱世の厳しさを思い知って、恥じ入るばかりなのですから」

 ティラートは、幕府が安定していたころの武士に相当する時代の人間なのだろう。時代感を日本の歴史風にしておいてなんだが、見た目だと和風の面影はなく、西洋風とエジプト王朝風の掛け合わせくらいの雰囲気を感じる。髪色はパートナーのリィフォスと濃淡の差はあれど、二人とも黒鉄とでも呼ぶべき、黒が色濃く混じる銀という趣の単色だった。短髪のティラートは滲んだ黒に見え、髪の長いリィフォスは鏡ほどに光を撥ねる濃いグレーに見える。

 ティラートが説明を継ぎ足してきた。

「それに、毎月誰かに決められた相手と決闘というのはさすがになかったので、思うところがなかったわけでもないんです。其処許がお国許の戦と心得るように、某も馴染みある決闘と心得てみただけ。某の場合、これが違和感もなく受け入れられたわけですが」

「わたしとて、戦と心得たれば手を抜いておらぬつもりだ。ゆえに、止まっては戦わぬ」

 景虎から一つ目の答えが出ると、相手方担任が早速それを深堀ろうとする。

「戦だと……止まってはいけない?」

「戦では、極端な話、止まれば死ぬのだ。囲まれるわ、矢でも射られやすかろう。衝突する前から止まっておれば、敵の矢が降り注ぐか、軍勢に押し潰される。待ち受けて一人倒したところで、構えを戻す間もなく後ろの兵が屍を越えて来るし、左右も敵が抜いておる可能性のほうが高い。味方が押し戻して来ねば敵の渦に呑まれてしまう。己が身を危ぶむばかりに一々後の先などを狙う者が一人紛れるだけで、味方が総崩れとなる戦とて事欠かぬと聞く」

 一対一でなら有利なことが、戦では味方をも巻き添えにした不利にもなる。戦で進めとしか言わない人物が、しばしば無能の謗りを受けているが、兵が実直にそれをこなす気になれば、とても損耗の少ない軍勢となるのではなかろうか。逆の立場で考えてみると、進めと言われて猛然と突き進んで来る軍勢ほど恐ろしいものはない。こちらがどんな策を巡らせて待ち構えていようと、簡単に食いちぎられてしまいそうだ。

 景虎の言わんとしていることが、当たり前の道徳とさえ思えてくる。

 しかし、一方でそれはやはり戦ならではの教訓なわけで、そんな想定で一対一を戦うのは、課さなくていいハンデを己に課しているようなもの。相手方は景虎戦に有益な情報を聞けて、さぞほくほくしているに違いない。――と思いきや、若干顔色を悪くしているように見えた。

「君はそんな想定で、あのバダバダル君やクロムエル君と戦って、あんな……」

「一対一の戦いでも、後の先狙いで待ち受けるは、武人にあるまじきとお思いか?」

 相手方担任の呟きと、ティラートの確認に、景虎は静かに首を振る。

「別に相手が何をしてこようと気にはならぬが」

「……あくまでも、戦に臨む信条ということだね」

「先のは戦であればしてはならない、謂わば禁則であって、信条は本意とまでは言えぬがな」

「多々ある、と最初から言っていたっけ。では二つ目はどんなだい?」

「相手が遊び半分でないのであれば、こちらも相応に向き合わなければならぬ。それには相手に手を抜かれたと感じさせぬが肝要。なれば、早く終わらせれば疑われはすまい」

 答えを一つ当てていた芙実乃は、諸手を挙げかけたものの、両拳を握り込むだけに止めた。

「早く倒したいから近づく。確かに待ち受けじゃあ長引いてしまうね。それに、全力を尽くそうというのは信条が強めになるかな。うん。続いては?」

「必要か? 聞きたがっていた答えを引き当てた、という顔に見えるがな」

 ぎくり、とし、芙実乃は思わず自分の顔に触れて、確かめてみる。だが、景虎の上品な微笑は、芙実乃でなく相手方担任に向けられていた。芙実乃は景虎の視線を追って、首を傾げる。

 そこには、相手方担任の固まった笑顔があった。

「はは……。気のせいじゃないのかい。僕は生徒の変わった価値観に関心があるだけだよ」

「そうか。だが答えをせびるのもこれで終いにしてもらおう。月一戦やらに臨む際に先の二つを踏まえ、わたしはこう己に言い聞かすことで、余興の気分をできうる限り削いでおる」

 気持ちを切り替えるためのスイッチということだ。

 景虎は、普段なら胸の中でだけ唱えているその文言を、実際に声に出してみてくれた。

「これより狙うは敵の大将。なれば、誰に先んじさせるわけにもいかぬ――とな」

 全員が、言葉の意味をしばし噛み締めてから、理解し、そして戦慄した。

 景虎は、目の前の敵に勝つと同時に、味方との競り合いをも制しようとしている、と。

 気もそぞろで敵と戦っている、と取るのは早計で、戦国時代の武将たちだって、功を競わなかったはずがない。戦国のメンタリティとは、むしろそう在らなくてはならないくらいなのだろう。誰もが当たり前のように、武将たちは先陣を争うものと思っているのがその証拠だ。

 敵の大将を討ち取れ。

 戦国時代では、一兵卒に至るまでそれが薫陶され、戦に赴いたに違いない。

 こういう気持ちにシンクロさせることで、景虎は月一戦にきちんと全力を尽くそうとした。試合がはじまると真っ先に駆けてゆくのは、得意戦法だからとかではなく、戦ならそうする必然性があるからなのだ。

 景虎の顔を見つめながら理解を深める芙実乃。その耳にまた、耳障りな声が響いてくる。

「僕も担任をはじめてから三十年近く経つけど、乱世の出身者でも、そんな意気込みで月一戦に臨む生徒はいなかったよ。でもそれが、君が真剣だからと聞けて良かった」

「ふむ。真剣、全力あたりの言質が欲しかったのだな」

 相手方担任はまた固まりかけたが、開き直ったように笑った。

「ははは、参ったな。いや、でも、そう、真剣と言えば、うちのティラート君が決闘に臨む姿勢も、君の戦に臨む姿勢に負けず劣らずの、見上げたものでね」

「その話、続けてよいのか? そなたの生徒らが赤面しかけておるぞ」

 芙実乃が見てみると、生徒の二人の顔は、ほんのりと赤みが差しており、誰ともしっかりと目の合わない絶妙な角度に向けられている。

 その二人にお構いなく、相手方担任は景虎との話を強行した。

「君との一対一に俄然やる気を出しているんだよ」

「そなた、振り返るがよい。その話の当人が耳まで赤くしておるではないか」

 景虎の言うとおりティラートの耳は真っ赤だった。横にいるリィフォスは耳こそ髪に隠れて見えないが、顔の赤みはさっきよりも増している。これはもう、はっきりしたと言っていい。

 二人は恥ずかしいのだ。

 しかし、そんな二人の気持ちを斟酌することなく、相手方担任はなおも言葉を重ねる。

「それだけやる気が漲ってるってことだよ。けど、いまのままじゃ、ティラート君のそのやる気が空回りしてしまいかねない。そこでこういうのはどうだろうか」

「知恵など絞らずとも、その男は身の置き場もないほど、痛み入っておるではないか。そのような態度の者が空回りもあるまい。そなたもあまり心配してやるな」

 確かにティラートは、所在なく、身体がぎゅっと縮こまって見えるくらいの様子だ。

 もちろん恥ずかしいからで、その大元は相手方担任にあるわけだが、それを助長させているのが景虎だということに、当の景虎は無自覚らしかった。現に、先程から景虎がしきりに言いかけているのは、生徒に恥をかかせてやるな、という注意喚起だ。

 対戦相手に対しての、ささやかな気遣いですらある。

 だがその気遣いこそが、恥ずかしさという火に注ぐ油であることが、景虎にはわからない。

 自分のみっともない姿が素敵な人の目に留まる。逃げたいし隠れたいし消えたいが、それも困難な状況にあるなら、せめて恥ずかしがっていることを悟られないようにしたい。喋る声が震えやしないかと、問いかけられることにさえ恐怖を感じ、身を竦めてしまう。

 芙実乃はよく恥をかいてきた側の人間だから彼のそんな心境にも察しがつくし、なんなら、恥をかいている人を見て、一緒に恥ずかしくなったりもする。あまり褒められたことではないが、恥をかいている人への共感が薄い場合、気取った男が人前で派手にすっ転んでいる映像を見た時などは、瞬間可笑しさが込み上げかけたことだってある。

 ただし、そんな気分は、恥ずかしいという経験を得なければ、持ちようのない気分なのだ。

 しかしおそらく、景虎は恥ずかしいという気分を実際に味わったことのない人間だった。

 恥を敏感に嫌う侍であり、こんなにも礼儀作法の行き届いた人だと、恥をかく機会自体が自ずと遠のくもの。景虎にとって恥とは行為であり、気分にリアリティはない。

 つまり、景虎が自然に避けてしまう恥と、羞恥心とはかなり違う。景虎の口にする類いの恥は、惰弱などを悟らせてしまう行為を恥と思えという武士の心得であり、後天的に教えられて身に染みる、謂わば社会規範だ。が、己が身から湧き上がる、顔を赤らめてしまうような気持ち。羞恥心は、極端な話、劣等感からしか生まれない。

 人は自分が人より劣っていることを、何より恥ずかしく感じるのだ。行いの醜悪さを指摘されても気にならない犯罪者や独裁者だって、犯した罪の根底にあるみみっちいコンプレックスを、公衆の面前で詳らかにされでもすれば、羞恥に身悶えずにはいられまい。

 だが、美の神から寵愛と遺伝子を授けられたような容姿に、常人よりはるかに物事を広く早く俯瞰できる知性を有し、戦えばどこの史上最強をも手玉に取ってしまう技量を持つ景虎だ。

 そうした劣等感など誰にも抱きようがなかったに違いない。

 素敵な人が恥をかいている人を気遣えば気遣うほど、恥をかいている人の恥ずかしさはいや増すというのに、当の素敵な人というのはほとんど恥ずかしさを覚えずに生きてきたせいで、そうしたことに疎くなってしまう。

 社交辞令程度の労わりでも凶器になることがあるんだな、などど芙実乃は思うのだった。

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