Ep04-01-03
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机の下の芙実乃の手足が、ぱたぱたと振られている。
景虎の役に立てていると言われたことが、よっぽど嬉しかったに違いない。表情まで、いまにも駆けだしたくてうずうずしている子供のように、きゅっとしてしまっていた。
半透明の机越しで見えるそんな芙実乃の挙動に、バーナディルも口元を綻ばせかけるが、立場上、あまりほっこりもしていられない。この条件交渉の場において初めて存在を気にされた芙実乃を見つめる、相手方三者のほうへとざっと目を配らせる。
景虎の対戦相手になるティラート・ロー・サイルーグは、表情に変化もなければ、表情自体がどうだとも言いにくい。強いて言うなら、しっかりと話を聞こうとしている態度に見える。そのパートナーのリィフォス・ロー・マーミノーラは、微笑ましげに芙実乃を眺めているし、眼差しにも嫌悪や妬心を滲ませているような粘性は感じられない。多少大人びてはいるが、プロフィールどおりの育ちの良い貴族令嬢なのだろう。そして、交渉のすべてを進めている二人の担任のスルッグは、温和な中にも疑念の光を忍ばせ、芙実乃に観察の目を向けている。
景虎が手の内を明かすと言った言葉の真偽を、芙実乃の反応から見定めようというのだ。
「なるほどね……」
嘘はないと判断したのか、スルッグは舌打ちを堪えた顔で、バーナディルを一瞥した。
バーナディルなら、生徒のプロフィールに魔法習得具合まで正直に記載していると思っていたのだろう。実際、担任就任からしばらくはそのとおりだったのだが、クラスの魔法実習担当がクシニダになってから、バーナディルはそこの部分をクシニダへ丸投げするようになった。
そもそも、魔法習得具合からして、魔法実習担当から聞かなければ担任は知りようがない。前の担当官が詳細に報告を記載する人だったから、バーナディルはそれを考えなしにそのままプロフィールに載せてしまっていたが、それを知ったクシニダが呆れてしまい、とうとう報告自体は口頭で、文書ではクシニダの裁量に任せるようになっているのが現状だった。
教職の立場により知り得た情報を生徒に教えるのは、基本してはいけない。しかし、目に余らない程度であれば、真偽のパーセンテージまで計られる審問まではされないのだ。そこで担任たちは、特定の生徒にだけグレーな関与をしたりして、折り合いをつけている。
このスルッグという担任の場合、相手情報を直接生徒に教えたりはしないが、両者の情報を持つ彼自身が条件交渉に及び、立案した作戦を生徒に実行させる、という方針を取っているタイプのようだ。このやり口であれば、情報漏洩をしでかすタイプの担任より、実際に審問にかけられた場合でも言い逃れられる可能性が高く、監督気質の担任がよく取る手法らしかった。
しかし、評価そのものが魔法担当官の主観に依るのだから、と恣意的に情報を上げてくるクシニダと、煩雑さを理由に報告を素通しにするバーナディルのコンビは、ホワイトに限りなく近い情報操作を行っているに等しい。それに、クシニダは何も数値を改竄した情報を流しているとかではなく、生徒の得意不得意を強調したり控え目な表現にしているだけだ。
スルッグが今回誤解したのは、芙実乃の纏魔法のこと。
クシニダは、隠せない情報として魔女喰らいとの交戦記録があるから、芙実乃が纏魔法に向いていることは記すのだが、武器に魔力を注ぎ込む傾向に特化しているような書き方をして、本当に得意なのは、弱く、推定持続時間が二月にも及ぶ防御の纏だとは書かないでいた。
纏魔法と一括りに言っても、武器に纏わせるのと身体に纏わせるのとでは用途の意味がまったく逆になる。武器なら対敵性体への攻撃力になるが、人との対戦には不要だ。それに対し、強い纏魔法を身体に纏わせても、敵性体の攻撃をいささかも弱めない。敵性体へのダメージにはなっているとされてはいるが、敵性体の攻撃を弱めないのだから、そんなふうに攻撃をまともに喰らえば、最悪即死だってありうる。だから身体への纏、防御のための纏魔法は、対敵性体戦では、魔力の無駄遣いとされている魔法なのだ。
が、これが対魔法となると、ほぼすべての魔法をノーダメージで凌げる鎧と化してしまう。
ほぼ、と言うのは、纏を纏った身体に火魔法が直撃しても、直接のダメージにも火傷にもならないが、火魔法で熱せられた周囲の空気による熱波などは、纏をしていても通り抜けてしまう物理ダメージとなるからだ。それすらも防ぎたいのなら、熱気に強い水系の纏魔法なりをかけておく必要があるが、所詮そんなものは余波でしかなく、身体への纏魔法はどんな相性の属性同士であれ、攻撃に対する優位性を持っていると言っても過言ではない。
それは、魔力の強弱すら覆してしまうほどなのだ。
どういうことなのかと言うと。纏は、対敵性体への攻撃に用いるのであれば、魔力は込められるだけ込めたほうが威力が上がる。込められる育成が望ましい。しかし、防御のために用いるのであれば、魔力を極力込めないでいても、魔力を込めに込めた浮、投、放、操の魔法攻撃が相殺できてしまう。節約できる育成が望ましい。
ただし、魔法少女の成長過程を大別すると、魔力の注ぎ込みに向く資質か節約に向く資質かは、どちらかに振れると決まっているのだ。卒業までにはどちらにも向くよう訓練を積ませることにはなるが、平均して二年の半ばになるまでは得意を伸ばす育成をすることになる。
ちなみに、七割以上の魔法少女が、当初は注ぎ込みのほうに伸びると統計で出ている。
月一戦ベースで考えれば、魔法資質は魔法攻撃を無力化する纏に適した節約に振れてゆくほうが有利そうに見えるのだが、一概にそうとも限らない。弱い水属性の纏で身体を覆えても、それが純水の絶縁性質を帯びていなければ、結局は強い雷撃の余波である空気中への放電が貫通してしまう。ハイブリッド展開でなら打つ手なしと言わしめている芙実乃の操魔法以上のダメージを受けることになり、致命的な隙を見せることになる。また、風魔法は圧縮された空気を魔法強度により固めているイメージで行使されることが多く、強度不足で破裂した際の爆風は、完全に物理衝撃となり、纏魔法はなんら防御性能を発揮しはしない。
今回、相手側で補助参戦するリィフォスが強い放魔法を持つなら、魔法戦でも牽制でも有利に戦う方法はいくらでもある。だが、スルッグは芙実乃に纏魔法での魔法防御能力があると見るや、生徒たちと相談する様子も見せずに返答を寄越した。
「わかった。魔法禁止はこちらがポイントを使って申請する」
スルッグは景虎しか見ていない。バーナディルは相手方の生徒に配慮して、口を挟んだ。
「貴方方も異存はありませんか?」
「はい。某が戦いにどう臨みたいか、スルッグ担任とはよく話し合っていますから」
初めて聞くティラートの声は落ち着いていて、担任の言いなりになるタマでないのはすぐにわかった。スルッグは最初から魔法禁止と口にしていたし、生徒の意向を汲んだ上でポイント面での便宜を図ろうとしていただけなのかもしれない。邪推すれば、推奨条件に反するポイント申請はやや内部評価点を下げるから、担任としては避けたい気持ちが前に出たのだろう。
スルッグは自分の生徒たちのほうを見て苦笑する。
「今回はお役に立てなかったようだけどね。ティラート君たちは魔法のない世界の武人家系の出だから、対人戦を魔法戦やハイブリット展開にするのに乗り気になってくれないんだ」
彼はふたたび景虎のほうに向き直って続けた。
「君に剣で挑みたい、というのが彼の元からの望みでね。だけどそれでポイントまで献上させてしまうのがどうにも歯がゆくて、余計な口出しをしてしまった。魔法戦へのこだわりを持たせてしまったようなのに、魔法禁止を強制するようなことになって、申し訳ない」
会釈よりやや深く頭を下げたスルッグに、景虎が平素どおり険の混じらない口調で返す。
「魔法戦にこだわりなどはない。ただ、そうだな、芙実乃への侮りはわたしへの侮りと同義と知らしめぬわけにもいかぬのでな」
芙実乃が誇らしげな顔を照れて隠すという妙な挙動に及んでいるが、気づいて笑いを堪えているのは女性陣だけで、景虎とスルッグの会話は途切れていない。
「ハイブリット展開になれば勝機は一つもない、と言えるティラート君を僕は評価している。試合開始の合図で突っ込んで来る君に防御の纏魔法がかかっているなら、距離を保っての魔法戦は開始直後にしかやれない。魔法能力の優劣とは僕は思わないが、使用者の戦闘スタイルと発現者の魔法との噛み合わせで考えれば魔法禁止にせざるを得ない、という方針を事前にこちらが打ち出していたことが、君のパートナーへの侮りでない証明にもなると思うんだが、彼の望みどおりの剣での勝負、遺恨なく受けてもらえるだろうか?」
「行動をもって是としておこう」
含みのある言い方だが、一応不承不承でなく不問に付すという意味だ。芙実乃が優っている記録が残るなら、些末なことは問わないでおくくらいの意味合いだと思うが、スルッグはなんだか、心からほっとしたような表情を浮かべた。景虎は常々、感情に因らず感じ良く微かに笑んでいるだけなのだが、なまじ史上最高に美しい顔立ちをしているせいで、上機嫌を絵にしたかのような最上級の笑顔を向けてもらえている、と見る人を錯覚させてしまう。
三月の付き合いになるバーナディルでさえ未だそんな気にさせられるのだから、初対面のスルッグでは尚更だったに違いない。生徒の心を攫む流れと勘違いしたのか、気づけば雑談めいた口ぶりで、バーナディルが迂闊に踏み込まないでおいた領域に立ち入る会話をしだした。
景虎が、剣のみでの戦いを快く受けたと思い込んでいるらしい。
「誤解が解けて良かった。お互いに力を出し尽くした試合になることを祈っているよ。ティラート君は飛び道具も持たないから、また柿崎君らしい戦いが見られそうだ」
艶やかな景虎の髪がわずかに揺れる。
「わたしらしい?」
「君は注目選手だからね。セレモニー直後から、当たる想定で試合を見続けていたんだよ。これまでの全四戦を繰り返し見させてもらったが、君は相手に近づく戦いしかしていない」
実力僅差のフロックによる負けが多発しないよう、学校側は、強さの基準を唯一正確に把握できる身体能力順としている。その上で一番強い者と一番弱い者とを組み合わせるのだから、試合決定の通知前から組み合わせを推定するのは、さほど難しくない。また、推定を困難にさせるポイント戦の総数、この場合、全勝者の前戦ポイント戦勝者が、三名しかいなかったことも幸いした。ポイント戦の者の順位は結果が出るまで浮動するが、身体能力順は無効にされ、ポイントの低い順に下位から並ぶことになる。身体能力順六位で、全勝者中の順位を四位とされているティラートと、身体能力順最下位で、ポイント戦勝者を含めた内部順位を下位四位とされている景虎との対戦は、数週前から推定ができていた。
こういう推定を生徒に聞かせることを、学校側は担任に禁じていない。ただ、理由を問われれば言いにくいこともあるし、担任には生徒と面談する時間も限られている。だから、数名の生徒を贔屓にするのでなければ、そんな真似はできない。
が、景虎が身体能力では最下位なのに、圧倒的な強さで知らぬ者はいないくらい有名になってしまっているせいで、スルッグの言い分はもっともに聞こえてしまっていた。また、それを問い質したところで違反ではないのだから、話を止めに入る理由としては弱い。
そもそも、勝敗のつかないセレモニーであり得ない勝利を軽く手に入れてしまった景虎は、バーナディル以外の担任からすると、トップ喰らいとして警戒すべき相手なのだ。スルッグが研究していてもおかしくないし、期待をかける生徒には、対策も練らせていたに違いない。
それに、バーナディルとしても、景虎がどうして開始早々相手に突っ込んで行くような戦法を好むのかは、興味深いところだった。もし景虎を不快がらせるとしても、それはスルッグに対してなのだから、バーナディルは二人が会話する流れを見過ごすことにした。
景虎が相手に突っ込んでゆく理由が語られても、それが弱点を晒すことになるとは思ってもいない。そもそもが既知の出方なのだ。純粋な興味だけで語られる言葉を待った。
景虎の口から、甘美な声が響きはじめる。




