Ep04-01-01
第一章 ヒエラルキーの上層
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月一戦の試合予定日は、第四戦以降、勝利数順に月頭から埋められてゆくことになる。
なぜそんなことがはっきりわかるのかと言うと、学校側が戦績順に日程を詰めてゆくから、という至極単純な制度になっているからだった。もちろん歴とした理由があってされていることだ。ここを戦績順にしておかないでランダムにしてしまうと、先月の月一戦で月末に戦った生徒が月頭に次戦を戦わなければならないケース、というのが頻出しかねなくなる。戦績の同じ者が多数いる序盤戦なら、日程の調整は都合もつけられやすく多少の融通を利かせられもするが、候補者が少なくなってくると試合間隔の差が徐々に拡がってしまう。
公平性、という意味で問題がある。しかし、戦績順――勝利数に応じて前から詰めてゆく、という建てつけにしてしまえば、そんな日程の交換をする必要さえなくすことができるのだ。
学校側がなぜ勝利数の多い順に生徒の試合を消化させたいのかと言うと、これは年度末のことを考慮し、最終月の一日目で全勝の総代を、続いて十一勝の十二徒を決められるからだ。
総代は言わずもがな。国内八校――紅焔・夕陽・花蜜・若草・大樹・蒼穹・深海・紫雲――各校の全勝者による総代戦が同月末に予定されているため、可能な限り心身に英気を養ってもらい、好成績を残してもらえるようにしたいのだ。
また、十二徒は十二徒で、その席次を争う十二徒戦なるものが行われる都合から、年度末の期間を長く空けさせたいかららしい。なんでも十二徒戦というのは、ある種の総当たり戦じみた連戦に次ぐ連戦を繰り広げて決着をつけさせるものらしく、重傷や死亡をしても、治癒後にまたすぐ試合に臨まなければならなかったりもするらしかった。
そういう年度末を見越して、四戦目からは厳密な戦績順での試合調整をされる。
逆に、どうして三戦目までは厳密にしないのかと言うと、勝利数の差によるブロック区分がさほどではない三戦目までなら、恣意的な日程調整が許容される素地を残しておけるからだ。まだまだこの世界や学校に不慣れな生徒のストレス緩和の意味合いがあるものの、下位に沈んでゆく生徒たちに担任たちが腐心できうる期間も、そのたった三月ということなのだろう。
バーナディルは遅まきながら、その猶予がもう過ぎ去っていることに悔恨の念を抱いた。
クラス運営に携わるのは新任なのだから初めてなわけだが、召喚業務だけに目まぐるしくしてればいいだけだった前年度のインターン中は、ノルマを果たせるかという焦りしかなかったのが正直なところ。今年度になれば受け持つことになる生徒との面識こそあれど、ストレスの緩和などは、景虎がセレモニーに選出されてしまったくらいから意識しだしたことだ。
とは言え、当の景虎はバーナディルのその心配に含まれていない。景虎なら放っておいても勝つに違いないのだから、そもそもが心配無用。
この時期に優先して考えなければならないのは、下位に沈む生徒たちのことだ。
勝利数順に試合を消化させる学校側の方針は、試合間隔を平均して一月空けることにもなるし、負けた直後の試合だとその平均間隔よりも長くなるわけで、生徒側のメリットも大きい。だが、三戦してまだ一つも勝ててない生徒や、二敗、一敗している生徒とも面談しているバーナディルからすると、この措置がもたらすものにようやく危機感を覚え、不安を抱かざるを得なくなってきたところだった。
四戦目はまだいい。ただ、それが五戦目、六戦目と進んでゆくたび、生徒たちはこの無神経で無機質な仕組みに気づいてしまうに違いない。
戦績の良い者から順に月一戦が消化されゆくことに。
月一戦で授業を抜ける日が後ろにずれ込めばずれ込むほど、自分の負けが込んでいると周囲に喧伝することにもなるのだと。それが暗黙の了解になった瞬間、ヒエラルキーは動かしがたいものになってゆくだろう。
強い順が明確に可視化されてしまうのだから、そうなってゆくのは時間の問題だ。いまくらいの時期だと、おそらくはまだ勝ち組のほうがそういうことに無頓着でいるが、負けの込んだ者とそのパートナーたちは、そうした現実に追い詰められるがごとくセンシティブになる。
大っぴらにはされてないが、担任業に携わっている者なら、年度ごとのデータでわかりきっていることだ。座学も自室で済ませるようになるなど、籠もりがちになって孤立を深めてゆくペアも、年度後半になるにつれてその数を増やす。そして、来年度の争奪戦でパートナーの魔法少女を奪われれば、心を病んでしまうような者さえ現れる。
無論学校側としても、パートナー関係が解消されたからと言って同世界人同士の接触を禁止する、なんてことはするはずもない。パートナーとは、婚姻関係でも恋人関係でもないのだから、別の男子のパートナー枠に組み込まれていても、自由に恋愛をしてかまわないのだ。
それは勝者にも、敗者側の魔法少女にも、よくよく言って聞かせる。
しかし。元の世で史上最強であった者にとって、自分を負かした者をサポートする役目に従事している魔法少女と、適切なパワーバランスを取った関係を維持することは難しい。時間をかけてよりを戻す同世界人たちも相当数いるにはいるが、その多くは卒業してからのことで、そうなってしまったペアが在学中無理に一緒にいようとすると、逆に修復が困難なほどの暴力沙汰になっていたり、あるいは、表面化しない歪な関係のまま続いてしまったりする。
担任への就任が決まっていたとはいえ、昨年度のバーナディルは何分学生の立場でもあったから、そういったことは平年並みを大きく上回っていなければいい、なんて学生気分で考えていたことは否めない。だが、バーナディルにしか心情を吐露できない、バーナディルにさえ心情を吐露できない様子の生徒たちと直に接するようになって、心境に変化が起きた。
これまではつい、個人的な関心を抱かざるを得ない景虎や、パートナーがセレモニーに選出されたり、女子人気や注目を一身に集めてしまうなど、ストレスも高くなりそうな状況に身を置く芙実乃にバーナディルも気を取られがちでいた。が、よくよく考えてみれば、芙実乃には常に景虎のサポートが見込めるのだから、そこまで心配することもなかったのだ。
もっと深刻になりそうな生徒を見ておけばよかった、との思いに駆られる。
ただ、バーナディルには単なる担任と違い、学内唯一の博士としての業務が多過ぎた。
もっとも、心を病んでいく生徒たちにしてみれば、そんなものは往生際の悪い言い訳に過ぎず、とてもではないが正当な理由になんてなりはしないのだ。
改めて景虎たちばかりに注目していられないな、と思った矢先に、別クラスの担任から景虎への月一戦条件交渉の申し込みが舞い込んできた。来月の組み合わせが通知されたその日のうちにということになるが、景虎は全勝者。月頭に試合日があるのだから、今月のうちに交渉を済ませようとするのはむしろ当然で、不自然な点は何もない。
しかし、立会人として名を連ねてある相手方の担任の名――スルッグ・レイ・ポッドロッドに、なんとはなしの引っ掛かりを覚える。
今年度の生徒の三分の一はバーナディルが召喚した。だから、同学年の担任は皆その引き継ぎの機会に各々十回ずつは会ったはずだ。その際、自身が生徒に接する参考にもしようと、召喚されたばかりの生徒との面談の様子もたびたび見学していた。担任の数だけでも一二七人にまで及んだその中で、彼の何に引っ掛かったのか、バーナディルは記憶を辿る。
印象でしかないが、彼は、生徒に対して丸め込むような説明や説得を、とても柔らかく正しいことのように言える人だった気がする。詳細までは覚えてないが、学校側の要望を社会貢献や弱者救済に絡めて意義深いと刷り込み、学校側に不都合そうな生徒の忌避感や美学などは、耐えてこそこの世界では立派な行いになると、人々を守る者の我慢強さとして称賛されるとも語って聞かせていた。
バーナディルはそれを、少々小狡いと感じたことを思い出した。また、スルッグは生徒に、総代や十二徒、二桁勝利や勝率五割以上を強く望んでいる節もあったように思う。すでに三戦終えているのだから、全勝で残っているのは全体の八分の一。四千九十六名中の五百十二名。クラス平均にして三十二名中の四名しか残っていない。ということはおそらく、その四名はスルッグが特に目をかけている生徒ということになる。中でも、景虎が今回戦うことになる相手は、スルッグのクラスで一番の身体能力の持ち主。スルッグは、年度が始まった時点から、その生徒に総代の立場を得てもらいたい、と期待をかけているに違いなかった。
景虎のことだから丸め込まれたりはしないと思うが、この交渉は単なる条件交渉で済まない展開に発展するかもしれない。組み合わせ発表当日の交渉となれば、景虎はまず確実に相手方を知らない。対して相手方は、景虎を研究し尽くしているはずだ。バーナディルは景虎への連絡時に同席の了承を取りつけ、自身の名も立会人に加えた返信を相手方へと送るのだった。
月一戦四戦目の条件交渉が放課後に予定されている景虎と芙実乃は、席からも立たぬまま、教室内に留まっていた。HRの大半はホログラフで登壇しているバーナディルも、このあとの交渉に立ち合いの予定があるからか、久々に実体で教室に現れると、終了後には景虎を眺められるだけ眺めていたがる女生徒たちへ帰室を促している。
第四戦の対戦相手、対戦相手のパートナー、対戦ペアの担任、その三名が姿を見せたのは、そんなさなかでのことだ。
バーナディルに急かされた女生徒たちが不承不承出て行って、教室内には条件交渉に参加する六名だけとなった。担任同士が無言の会釈を交わすと、バーナディルはこちらに視線を向けて、ささやかな注意喚起をする。
「柿崎さん、菊井さん、お二人は座っていてもらってかまいませんが、机だけ拡張させてもらうので驚かないでくださいね」
芙実乃が頷きを返すと、芙実乃と景虎の前にある連結している机の面積が拡張されて、教卓と周囲の机と席が消える。講義用の机が、八人で会食ができるくらいのダイニングテーブルになったみたいだった。角を挟んだ芙実乃の右隣にバーナディルが着座し、続いて相手方の三人も腰を下ろす。担任同士だけは対角気味ではあるが、男子と女子の二組は向かい合う配置だ。
思えば、芙実乃はこうした条件交渉は二月ぶりとなる。と言うのも、前節のアーズは条件の提示すらしてこず、同様に放置した景虎との対戦は、条件交渉の場を持つこともなく、推奨条件どおりとなっていたからだ。
その前の対ピクスア戦の時のような熾烈な駆け引きを思い出し、迂闊な動揺を見せるなどして景虎の足を引っ張るまい、と芙実乃は表情を引き締める。が、相手方の三人は誰もが景虎にのみ目を向けていて、芙実乃を気にしているそぶりさえ見せていない。
芙実乃は自身が見られても居心地が悪くなるだけだから、空気のような扱いが不快だとか、自尊心を傷つけられたなんて感慨は抱かなかった。むしろ、透明になった気分で、相手方の様子を俯瞰するゆとりをもらえたようなものだ。
おかげで落ち着きを失わず、芙実乃はじっくりと三人を観察する。
一人目、はもちろん、景虎の対戦相手となる青年。少年っぽさの抜けた、高校の最上級生か大学生と判別されるくらいの外見年齢をしており、背丈は景虎より二十センチほど高い、百八十五センチといったところだろう。アーズよりやや高めくらいの身長だが、胸板や肩に一回り以上の奥行がある。と言っても、ずんぐりむっくりしているわけではなく、肉体派俳優などと呼ばれている人種、と思うくらいが、芙実乃にはしっくりくる表現だ。スポーツ選手で言うなら、ボートを漕ぐとか、ホームランバッターとか、やり投げなどの競技に向くのではないか。クロムエルより背は低いが、筋肉の総量という意味では遜色ないくらいなのかもしれない。
ただ、これは男子生徒全般に当て嵌まることなのだが、彼ら史上最強たちの内面を外見から読み取るのは、よっぽど驚いていたり困っているのでもなければ、芙実乃には不可能だ。
だからこの相手も、芙実乃には正直、微笑んでいるのかへそを曲げているかの判別さえつきそうになかった。無表情の能面、というわけでもないのだが、そのフラットな表情は、こちらの気持ち一つで、印象が真逆に変わってしまいそうだ。
芙実乃は、観察対象をわかりにくい対戦相手から右隣の少女に移す。実年齢がそうであるのかはわからないが、見た目は十七、八歳くらいの少女で、女子グループの中心になることもあれば、孤高の振る舞いも似合いそうな空気感がある。クラスの全員から自然と一目置かれ、いじめの対象にされることも、やっかまれることもなく、それでいて、いるかいないかわからない、なんて扱いになることもなさそうなタイプ。良くも悪くも自分の興味のあるものにしか関心がないようで、パートナーを気にするでも、担任の顔色を窺うでもなく、対戦相手方のパートナーや担任にも一瞥も払わない。景虎にばかり注目していた。
無理もない。この世界に召喚される異世界人少年少女は、すべからく、毎日エステを欠かしてないくらいの美男美女になってしまうものだが、元々絶世だったであろう景虎は、そんな美男美女の群れに紛れていてさえなお際立っている。
ただ、彼女は確かにうっとりと景虎を見つめてはいたが、我を忘れているという感じがそんなには見受けられないように思えた。育ちかあるいは躾けの顕われなのか、感激や興奮を声や動きに出さないよう、節度が染みついている感じだ。隙あらば景虎を占有しよう、なんて欲望も表情からもれ出してきてはいない。
芙実乃は騒がしかったり、距離の詰め方に無神経な人間がとても苦手だから、そういう意味ではこの二人に好感を持った。とはいえ、これから景虎と戦う相手とそのパートナーとあっては、親しみなどを抱いたりするはずもない。無意識レベルでのネガティブなフィルターがかからないだけの話だ。それでも、引っ掛かりを感じて目が離せなくなる、なんてことにならずに済んで、視線はすんなりと三人目へ、相手方の担任へと移ってゆく。
するとちょうど、彼が会話の口火を切り出すタイミングで目を向けることになった。
「全員席に着いたことだし、まずは自己紹介からはじめようか。わたしはこの二人の担任で、スルッグ・レイ・ポッドロッド。真ん中は試合当事者のティラート・ロー・サイルーグ君で、奧にいるのがそのパートナーのリィフォス・ロー・マーミノーラ君。二人の名前のローというのは、貴族の家格を示すものだそうで、縁者であるとかではないようだよ。二人の名前はこの国の女性名に似た響きで聞こえてしまうだろうが、決して略して呼ばないよう気をつけてやってほしい。この国での略称は面識があれば使うほうが普通だが、二人の文化だと、名前を愛称で呼び合うのは、婚姻関係にあっても人前では絶対にない行為らしくてね」
スルッグという相手方の担任は、生徒の文化的忌避事項を伝えるためか、こちらに理解する時間をくれるように話す。それほどゆっくり話しているわけでもなさそうだが、各々が別種の言語を使用する異世界人生徒との会話にこなれている感じだ。
が、こちらの相槌を待つようなその話運びがかえって、芙実乃の中の警戒心を刺激する。
気づかぬうちに人を丸め込んでいるような話しぶりをする大人だと、芙実乃は感じたのだ。この交渉は単なる条件の取り決めだけでは終わらない。あちら側の優位を確保するなんらかの仕掛けがあるに違いない。
相手方担任の当たり障りのさなの裏に潜むものに、芙実乃は内心で身構えるのだった。




