七十五日目
今、溜まっている作業は。
小説・序盤6種。
漫画・序盤4種。
動画のイラスト。
TRPGのシナリオ・2キャンペーン分
今日も『隷王』は進まなかった。
その代わりに、ジャンプルーキーを読んだ。
絵の上手い人や構成が上手い人、物語自体が上手い人もいる。そんな作品の中で『夢』についての作品を見ると違和感のような何とも言えない気分になる。
そこにあるのは、挫折や努力。
才能という幻想に対する作品だ。
僕が思うに夢を潰すのは、才能の壁ではないと思うのだ。少なくとも主人公が何に対して悩んでいるのかが分からない。彼らの目の前には目標があり、目指すべき場所があり。憧れがある。
夢みることは誰にだって出来るが。
夢を叶えられる者は少ないし。
夢を追い続けられる者も少ない。
僕が生きてきた中で夢を抱いている人は、多くないし明確な意思を持っていると思えた者はいなかった。きっと皆んなは夢を追う事のツラさばかりが見え、夢という目標への道筋が想像できないからだろう。
ただ、そんな僕にも分かる事がある。
立ちはだかるのは、才能でも人でもない。
僕たちが生きている日常だ。
最近はプロとアマチュアの境界があいまいになっていると聞くが、僕が思う違いとは日常の一部となっているか否かだと思う。人生の中で劇的な変化もなければ革命などはない。
どんな衝撃も日常という時間の流れの中で治ってゆく物だ。熱が冷めるように。夢から覚めるように。人は現実を知るようになる。一日一日がより短く過ぎてゆくようになる。だからこそ、日常の一部として取り入れられた者こそプロだと思うのだ。
僕からすれば。
たとえ燻り続けられる者も才ある者だ。
少なくとも理解から、もっとも遠い存在だ。