五十三日目
今、溜まっている作業は。
小説・序盤6種。
漫画・序盤4種。
動画のイラスト。
TRPGのシナリオ・2キャンペーン分。
今日は昨日やった分の添削をしていた。
所詮3,000字程度なので、ものの数分で終わる。
なので、作品の続きを書こうかと思ったのだが気晴らしに、なろうエッセイを覗くことにした。前はこうして面白そうな人を探していたのだが、意外とつまらない人間ばかりで悲しくなってくる。
生産性のない話。
必要性もない話。
不備とも感じれる創作の話。
とくに創作に関する話だけは、何とも言えない気分になってくる。なぜなら、大抵が結論で結ぶのは『だから、私はこうする』という文章で締め括られるからだ。クソほどしょうもない。なんで書いたのか分からない。バチギレたくなってくる。
お前のスタンスなど興味ない。
という話だ。ただ情報は情報として有意義だ。
どういった情報から、何を目指すのか。
何のための、何の意味がある会話なのか。
『僕はこう思ってる』キリッ!
とか言われると、イラッとくる。
まぁ、色んな人がいいと思うけども拍子抜けするような、ため息を吐きたくなるような。一度、深く考えてみて分解して欲しかったとも思うような事がままにある。
前に俺が書いた創作論は今、何の力も持たない駄文として皆から興味を持たれていないだろうと俺は分かっている。分かった上で上げたのは、同志が欲しかったのと自分にとって面白い作品が増えて欲しかったからだ。
物語とは単調だ。
だが、人は単調ではない。
複雑怪奇であるからこそ面白く、心を知れぬからこそ人は惹かれる。物語は物語を綴るのではなく人を綴っているのだ。ゆめゆめ忘れてしまわぬように。ゆめゆめ惑わぬように。人は愚かだからこそ愛らしい。
まぁ、人なんか見てないで。
自分のすべき事をしよう。