九月二十・二十一日
この二日でようやく漫画を進めれた。
始めてしまえば、意外と描ける物である。
後は日刊のエッセイを眺めて色々と考えていた。
前提として、俺には創作の才能はない。
だから、自分が面白いと感じた作品から学べる所を学んで作品を書いている。創作論.αは俺がその中で気がついた事を書いているメモ帳みたいな物だ。そういう意味では限界説は売方。創作論.αは技術。フォルダは本編という形でまとめている事になる。
ただ限界説も創作論.αも読んだ所で。
面白い作品を書ける訳ではないと思う。
それは俺が他者の作品を読んだ時に違和感を抱くからだ。俺が面白いと感じた作品には違和感を抱く機会が少ないので好みの問題でしかない。という事は、その違和感を他者に指摘するのは相手に自分好みの作品を書かせようとしているだけだと俺は思う。
何でこんな話を書いているのかだが日刊エッセイで表面的な部分しか考えてもいないのに、それを結論としている奴を見かけたからというのがある。それを指摘するかを考えて、わざわざ書いてやる義理もないかとも考えはするものの。まぁ、不満は溜まる。
何でそんなに考えないのか。
中途半端なまま終わらせるのか。
理解できないから苛立つ訳だ。
俺のような無能でも考えれば分かる事を考えていない時点で、まともに考えてはいないのだ。そんな連中に感想を送る意味はあるのだろうか。才能がなく努力さえもまともに出来ないのに願望を捨てる事も出来ずに絶望し切る事も出来ない中途半端な俺が唯一できるのが思考を巡らせるという事だ。
では、彼等がそこまで考えずに書けるという事は彼等はまだ俺よりもまともだからという事になる。別に俺のように才能もないのに諦められない愚図として活動し続けろとは思わないので、今ある彼等がそこまで考えずに何かを書けるという事は幸福なのだ。
失ってから気付くタイプの幸せだ。
そう言えば今日、前に感想を送信して一ヶ月近く活動を停止していた同族が連載を再開していたのに気がついた。向こうが俺のような凡人を覚えているかは分からないが励みになれる程度には頑張ろう。
他人に興味を持ち過ぎだな。
今はやるべき事を熟していこう。
がんばるぞー。




