九月十六〜十九日
という事で、日記を書いていく。
この四日はサルファーで装備を回収していた。
砂漠アプデの追加要素はほぼ揃えたと言える。
ただ面白い武器がなくて残念だ。
後はシェイプヒーローファクトリーのアプデもしたのだが序盤に小型化がないと上手くいかないので何だかなぁという感じで過ごしていた。別に面白くない訳ではないのだが、既存の内容を底上げする形でゲームとしての幅を広げるような内容ではないアプデらしいアプデ内容で少し残念に感じたという話だ。
後はサイレントウィッチの作者の別作品『白翼のハルピュイア』を読んで色々と学ぶ部分が多いというのを感じていた。
俺は前に物語全体を通しての物語をメインクエストと章単位での物語となるサブクエストの二つを併用する事により、物語全体を一貫した作品かつ読者を飽きさせない工夫があるのだと感じていたのだが。
今回は章単位での物語を他のキャラに据える事で物語全体に幅を持たせながら読ませるだけの工夫があるのだというのを感じたという話だ。それは主人公だけでは知り得ない情報を読者に開示しながら、読者が知りたいという感情に応える書き方だが。
どういう手法で自然と話にしているのか。
前から疑問に感じていたのだが。
章単位の物語をあくまで主人公のみにせず、意外と章毎に物語の主体となるキャラを変えながら物語を進めているのだなというのに気がついたのだ。思い返してみれば『ダンまち』も主人公兼ヒーロー役はベル君で進みはするけれど、物語全体をベル君から見た視点のみで描かれている訳ではなかった。何なら序盤でリリルカを主軸にした物語が描かれていた。
つまり、何が言いたいかというと。
群像劇的な物語構成であろうと。
面白い物語は面白いのだ。
小説を書く時に参考にした『嘆きの亡霊』の場合は主人公視点である地の文を一人称で描き、他のキャラ側を描写する時は三人称にするという使い分けがされていた。そこから俺も感情移入し易いので一人称視点で物語を描くのを基本としてきたのだが。
一人称視点でのみ物語を書くのに限界を感じてきていたりする。そう言えば、短編を書くのは楽だが長編を書くとなると何故か進みが悪くなるという事があるのだが、一人称では描写できずにいるという部分は当然あるし、誰が何を感じているのかなど言葉にされないと描写を出来ないという苦労がある。またはそれを吐露する状況を自然と描くのは難しい。
まぁ、何が言いたいかというと。
三人称での物語の描き方というのを。
考えなければな、そう感じた四日間でした。




