八月十・十一日
さて、この二日の進捗はない。
代わりに読んでいた小説を読み終えた。
やはり書くのを楽しんでいる人の文章は面白い。
一人称と三人称。
小説を読み終わり感じたのは地の文により物語の見え方は変化するという事だ。俺は一人称でしか人の読める形で文章を書けないので三人称視点で物語を書く事はあまりないのだが、直接的に地の文で誰が何を考えているのかを書いたり、その時々により寄り添う視点を変えながら物語を書けるというのが三人称の利点にあるのだなと感じた次第だ。
一歩だけ引いた俯瞰した書き方だ。
それは物語が謎解きの要領で構成されているからなのかもしれない。そして、物語の大筋となる部分を先に提示する事により物語自体は分かりやすく。ただその先にある大どんでん返しを仕掛けておくというのは中々に謎解き的で面白い仕掛けだ。
多分、俺に足りないのはこれだ。
大筋となる物語なら書けるし。
舞台となる世界観も書けるし。
そこに生きる者達も描ける。
ただ足りない。
そう感じていた部分の答えの気がする。
要するに、俺が書く物語は短絡的なのだ。
行きつく先にある風景を考えずに書いている。
なるほど、足りないのだ。
俺は物語の根幹たる物語を書いていない。舞台を用意しても人を用意しても事件を書いても。その先となる部分を俺は書いていない。目指すべき先を書いていないから物語を前へと進められずにいる。
中途半端だ。
何もかもが中途半端なままだ。このままだと何も形にすることも出来ずに終わるだろう。そんな中途半端なまま終わるのは俺のやりたい事ではない。なら、やりたい事をする為にやるべき事をしよう。
まずは現金化。
俺がすべき事の中で足りないのは金銭だ。
やはり漫画だ。漫画を描くしかない。




