五月三十・三十一日
今日は半身浴しながら。
小説家になろう限界説を書いていた。
四時間かけて2000文字。
才能なさすぎて震えるね。
それで書いたはいいけど読まれていない。読まれるような題名でもないし、あんな内容でも評価してくれる人がいるというのはありがたい話だ。評価してくれた人には悪いが、俺はあの文章を読んだ所で作品を書こうと息巻く作者はいないと感じてる。
あのエッセイは四時半に投稿する設定で書き終えた後に消そうかとも考えていた。何のバグかは知らないが四時半に設定したのに、消そうかと開いた所で絵文字が付いてて血の気が引いたのだ。投稿したのなら仕方がない。評価をつけてくれた人にも悪いし。
という事で。
あれは残している。
それで何で消そうかと考えたか、だが。これ投稿した所で意味ないなと感じたからである。少し考えれば思いつくような内容だ。読んで得られるような事もなければ、俺からすれば現在は作品を投稿していないので宣伝効果もない。いや、作品投稿の場でしかない環境に変化を与えようとする方がおかしいのか。
作者は基本的に個人主義で勝手に書いてるだけの有象無象でしかない。それに親近感や仲間意識のような物を抱く方がイカれてるのかも知れない。やはり人は話の内容などではなく、誰が何を語るかの方が興味を抱くのだろう。
ああ、そう。いいよ。




