三月八日
今日は序章となる話を書いていた。
というか、仕様をまとめていた。
話を書いたり絵を描くよりも進んでいる感がないのは何故なのか。本編に関係ないからですね。という事で本編となる物語を完成させたい。とか書くだけなら他に何も書くような事もないので今日は何を書いていたのかという話を書いていく。
まずゲームが完成したら。
Steamへと投稿するつもりだ。
なので、Steamで投稿されている作品はどのような情報を概要に載せているのか調べたのだ。調べた感じからすると注意事項的な物は少なく、制作者の私語に近い物がないのに驚いた。その代わりとしてレビュー欄がその役割を果たしているようだ。
これは小説家になろうで活動している身からすると軽い文化的衝撃を受ける内容だ。まず小説家になろうではどのような作品かを明示しておく場合が多く。他の者が書いたレビューなど読む機会はないし、それに近い感想欄も読む基準になるような物でもない。
もちろん有料無料という差はあるがゲーマーは横の繋がりという連帯感に近い物があるようだ。そう考えてみれば、小説家になろうは作者と読者。一対一でのみ関係が構成されている。
いや、違うな。これ。
小説家になろう側のレビューが。
何の参考にもならないのが原因だわ。
レビューが参考になったとか嘘記事だとか、そういうのもなくて純粋にレビューが書かれた順で積み重ねられてゆくだけ。連帯感もなければ達成感もない。面白いと感じた作品を布教できるのはそれだけで嬉しい物ではあるのに、それを感じる物がない。
ただなろう運営に金落としてる訳でもないから文句言う筋合いはないんだよな。別に小説界隈が盛り上がろうが斜陽になろうが小説家になろうが損をするような事もないだろうし。そのうち小説家になろうも初音ミクみたいに書いたり読んだりが好きな人が残り続けるみたいな感じになるだろう。
新作は減るけど。
面白い作品が評価される。
そんな環境になる気がする。




