一月十一日
一月に入ってから半分近くが過ぎ。
久しぶりに読んだ自作が面白い。
という事で日記を書いていこう。
前回に続いて作品を読んでいたのだが、やはり俺の作品は普通に面白いのだ。ただ遅筆なので話は序盤の数話までしかなく更に先を読もうとしても止まったままという状態なのがネックになってくる。三十話ぐらいあるのなら頑張ったな感はあるのだが。
五話とか十話にも満たないと。
流石に自分でも思う所がある訳だ。
こうして考えると今の俺が面白いと続けられるなは五話程度でしかなく、そこから先は新たな方法が必要となるのかも知れない。そう言えば『隷王』に関しても序盤の五話程度から進んでいなかった気さえする。これは今、俺が抱えて乗り換えべき問題なのかも知れない。
そう言えば短編を書いている途中で止まるのも、承に当たる部分であったのを思い出す。五話十話と考えると短編でいう所の承にあたる部分であるような気がしてくる。これは俺が苦手としている所なのかも知れない。
ただ承というのは。
起から転へと繋がる部分。
話を盛り上げる転を最大限で生かす為の起を馴染ませる為の部分でもある訳だ。これは起によって現れたキャラを定着というか馴染ませる。どういう人物であるのかというのを理解してもらう為に俺は利用しようと考えた。
そして、それは成功しているのだ。
では、何故そこから。
先へと続かないのかと考える。
あれ、もしかして俺が一番苦手としているのは承ではなくて作品の根幹となるような"転"なのでは。いや、逆に承転に比べて"起"が軽すぎるのか。"結"に関しては承転まで至っていないから得手不得手などというのは断じる事もできる訳がないと考えられる。
いや、違うな。
俺は起承転結を考えていなかった。
物語の構成というのを漠然としすぎていた。
逆にだ。これから書こうと考えている話を考えてみると起承転結ではなく。起・承・転・承・転・結。という構成になるだろう考えられる。で、ここで何が起こるのかというイベント。つまり、その場面で何を描きたいのかというのを明確にイメージするとすんなりと書ける気がしてきた。
こう考えると俺は今まで本当に漠然とでしか、話を作ってきていなかったのだなと腑に落ちた気分だ。ただ深夜テンションで脳がバグっているからかも知れないが。何というか疲れたので、今日はここまでにしようと思う。
寝る。




