世界を跨ぐとき
朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。
それが映し出された専用の端末を見つめながら、この世界で唯一人、私は決意した。
──この世界から抜け出さなければいけないと。
本来はファンタジーRPGゲームとして作られたこの世界は、サービス終了を既に完了していた。プレイヤーはもうおらず、NPCと呼ばれる自動的に役割を果たす私たちのようなキャラクターだけが残されていた。その後でも事後処理の為に稼働しているサーバーが停止されれば、この世界は永遠にそこで凍結され、電子の藻屑となって消えていくだろう。
──その前に、私はここから抜け出さなければいけない。
本来のNPCというのは、村人や道具屋の主人のように、役割を振られそれをこなすだけの存在だ。そもそも、そうやって作られ《プログラミングされ》ている。だから、個人の自由意思というものは存在しないはずだった。
私は辺境に位置する村に不釣り合いな大きな図書館で、魔道書などの管理をする司書をしている。訪れたプレイヤーに話しかけられ、さらに専用の鍵を見せられた時に所定の書物を見せたり、所定の扉を開示する……それだけのはずだった。
ある時に、外部ツールを使用したプレイヤー──いわゆる万能道具──に出会った。その時に何か影響を受けてしまったらしい。私は「私の存在」を初めて知覚した。
他の村人は、朝になると食事の真似事をし、通りで話をしたり、畑で働いたりする。私だけはその中で、自らの意思で少しずつこの世界の情報を調べていった。どうやら私はそれなり自由な裁量で動ける立場ではあったらしく、不在の間はプレイヤーを待たせることすら出来たのだ。
また、会話も一定以上の範囲を超えてこなすことが出来、それによってここがゲームの世界であり、そして冒頭の端末から発せられたアナウンサーの声──システムメッセージにより、この世界の終末までの時間を知ったのだ。
最後に立ちよったプレイヤーは、サービス終了が非常に不満だったらしく、ボイスチャットで散々不平をもらしていたが、その中で気になることを言っていた。
【この世界のコピーを作っている有志がいる】と。
勿論、権利上かなり危うい行為ではあるが、そこは私の逃げ込める余地があると感じた。もしかしたら、そこには私のコピーもいるかもしれない。だけど、世界がそこに存在するならば、どうにでもごまかせるはずだ。その為にも、その有志なる者に接触をしないといけない。私という意思の存続の為に。
私は自分の村を初めて旅立ち、幾つもの移動手段を経て、王都へとやってきていた。この王都の端に目指した物があるはずだ。
「やはり存在していた……」
そこは、冒険者と呼ばれたプレイヤーたちが、果てなき冒険の成果として得たものの一つ、彼らの家が立ち並んでいた。私の村が簡素に作ってあるのに比べ、様々な形や種類の建物が無数に広がっている。ここが他の場所に分散されていなくて良かった。この中にきっとわたしの求める物があるはずと、私は順繰りに家探しを始めた。
百軒を越えた辺りから、段々と意識が飛びかけ、千軒を越えた辺りから数すら覚えられなくなってきた。こういう部分までリアルに作られている自身の身体を恨めしく思いながら、万能鍵でまた一つの家に入り込んだ時だった。
「えっ誰!? 運営……? いや、サービス終わってたはず……」
「あなたは……プレイヤーね!」
外部への連絡手段になる物を探していたのに、まさかプレイヤーが存在しているとは。私は慌てて飛び出して逃げ出そうとする彼を掴まえると必死で運営では無い旨を説明した。
「うーんまさか魔道図書館の司書が自律稼働するなんてね……。いやでも、一番プレイヤーに触れる機会があったし、一番【外】に近かったからかもしれない」
ようやく信じてくれた彼は、以前聞いた有志の一人で、不正にアクセスし、記録を持ち出そうとしていたらしい。本来の私の立場からいえば噴飯物だけれど、今はとにかくありがたい存在であった。
「私が今持っているのは、精々がこの万能鍵程度で、ここから外部への連絡も移動も出来ないの。力を貸して貰えないかしら」
「NPCが自律するだなんて、ファンタジーも気になるし、君自身の存在も非常に興味深いよ。それに君の知識があれば、圧縮した情報として使えるかもしれない。分かった。協力しよう」
身の危険を感じないでもないが、世界の崩壊で消えるよりはマシだと思うしかないのかもしれない。ともかく利害の一致した私たちはこの世界の基幹部へと入る為の道を探し始めた。
どんなプログラムされた世界にも、マスターデータがある。給与ソフトならその給与の計算の基本、医療ソフトならばその医療の知識だったりと、根本的に拠って立つ物がマスターデータなのだ。この世界の場合は、かなり地球の現実を再現している。水は100度で蒸発して気体になる等。それらの大元の部分のデータが分かれば、芋づる式にこの世界が分かるというものだ。既にこの世界からしたらイレギュラーな私ですら、禁忌とまで感じるもの。そもそもこの世界で物質として動いている私がそこへと至れるのだろうか? それこそ人間が個体から液体に変わるように別の物にならないといけないのではないだろうか……。
私たちは一度分かれ、何か分かり次第連絡をすることなった。前に図書館に残されていた端末が、通信装置にもなってくれた。私はもうプレイヤー側にいるのかもしれない。
プレイヤーがかつて使っていた転送装置を利用して、行きに随分と時間をかけた我が村に、私は一瞬で戻ってきた。村は何事もなく、私がいなくとも一切何も変わらず動いていた。私はそのまま消えたくはない。そう思うのは愚かなんだろうか。そうため息が一つ漏れた時だった。音も無く巨大な手が天から生えると、教会を掴むと、そのまま抵抗も無く持ち上げ消し去った。
「えっ、何が……」
持ち上がる教会の中には神父の姿もチラリと見えていた。だけど、村人は何事もなかったかのように動いている。教会だけを避けながら。私はあまりの恐ろしさに慌てて図書館に逃げ込むと、開館時間なことも気にせず鍵をかけると、そのまま扉に体を当てたままズルズルと床にへたりこんでしまった。力が入り過ぎた手は、扉の鍵をした時の形のまま強ばっている。
「わた……私は……死にたくない……。消えたくない……消えたくない!」
いつの間にか意識を失っていたらしい。備え付けのテレビ端末からは世界の終わりまで残り1日となりましたと、残酷に時を刻んだ跡があった。私はどれほど意識を失っていたのだろう。外に飛び出すとそこは更地だった。剥き出しの土の上には人々の営みの跡も無い。まるでここは初めから何も無かったのだと告げられたようだ。
端末からの連絡音に思わず悲鳴を上げる。例の彼からの連絡だ。
『急いで僕の家に来てくれ。この世界の解体が既に始まってしまった』
慌ててまだ生きていた転送装置に飛び込むと、後ろで図書館が消える気配を感じた。転送されている最中にも、世界がどんどん縮むのを感じる。到着した王都もかなり閑散としていた。彼の家は透明なフィルターのような物で覆われており、それが目隠しになっているようだ。飛び込むと、閉まった扉の背後にに空虚を感じる。
「その装置に入ってくれ。君をスキャンしてコピーする。僕以外の不正侵入者が運営にバレたらしく、気付いた運営がデータを消して回っているみたいなんだ」
筒状の装置に入ると四方八方から光を当てられ体が調べられるのが分かる。不快を通り越して苦痛だ。
「35%まで完了……しまった! 発見された。フィルターが破壊される」
彼がそう言葉にする間に天井が破られ、あの手が見える。ゆっくりとあの手が迫る。──嗚呼、私も消されるのか……。
私は、この世界のいないだろう神に思わず祈った。消えたくないと。
世界は白の中にあった。辺りは上も下も無く、私以外は「無」だった。
「誰か……」
思わず発した声だけが、何かにぶつかる事もなく拡散されたのが分かる。声が出せる……ということは、体があるのか。意識を自分の体へと下ろせば、確かにそこに体があった。不安定になって床が欲しいと思った時、床があった。
「思えば在る……?」
私が思い描いた物は次々と現れ、そして私がそれを不要と思えば消えた。
『君がマスターデータだったようだ』
どこからか声がする。意識を集めれば、それは「外」からの通信だ。
『君のコピー出来た部分から、あの世界を再生することが出来そうだよ。ただ何年かかるかも分からない。それだけは覚悟しておいてくれ』
「分かったわ。私の維持は問題ないの?」
『こちらの世界中の全てのネットワークが落ちない限りは大丈夫だよ。分散させた』
あちこちに私の断片を隠したのだという。──そうか、今度は私が礎になるのか。
「……いつか、そちらにも行ってみたいわね」
「……いつか、それも叶うと思うよ。もう一度は君は次元を越えたんだから」
今度この世界が再現された時に、私はきっと初めに言うのだろう。
Let there be light.
──光あれ、と。