今度こそトンボイへ向かう。
騒然としながらも、少しずつ事態を収拾していく。招待客は外へと移動し、エルフの顔をした蜘蛛は兵士によって運ばれる。
「すまなんだな」
と帝が、光のもとへ現れた。
皺は深いが、精悍な顔つきに体つき、男性にも女性にも見える中性的な逞しさと麗しさがあった。長くすっと伸びた右腕に対して、左腕がない。なんだろう、どこかで見たことがないこともないような。
ララの肘打から気を取り戻したマタナキが、ゆっくりと歩いてくる。
「マタナキ、まさかお前が操られるとはな」
帝が言うと「すみませぬ。不意をつかれました」とマタナキは答えた。
「癇癪でも起こして隙を見せたのだろう」
帝のこどばに
「いやはや、その通りでございます」
とマタナキは頭を下げた。
ジンが絡新婦で、マタナキが操られていた。たぶん、ジンとマタナキが首根っこのつかみ合いをしたときに魔法をかけられたのだろう。
「さて、帝、お話してくださいますか?私たちは、誰の糸に動かされていたのかを」
ララは、蜘蛛の血が付いた片手剣を払いながら、帝に問うた。
「ふふ、よく見れば、もう10年もたつか。あのときの子ど」
と帝のことばを「帝!」とララが怒ったように諌めた。
「な、なんて無礼な!」
カホ様がララを睨んだが、「いいのだ、カホ、いやはや、まあその話はやめておこう。とにかく、謝らねばなるまいな。勇者たちよ、すまなかった。巻き込んでしまって」と帝が頭を下げた。カホ様とトモ様は驚いていたが、占星術師のセツ様とヒサさんは、帝とともに俺たちに頭を下げた。マタ爺もまた、頭を下げている。
「あたしから話そうかのう」
とセツ様が、口を開いた。
およそ半月前、セツ様はその占星術によって、冥界の開くのを見た。冥界とは、俺もよくわからんが、悪しきものたちを封印している空間のような場所らしい。すぐさま絡新婦の復活を危惧した。絡新婦とは、クテンコウという名のエルフで、その昔隣国の王様をたぶらかし、エルフの迫害の原因になったものである。時を同じくして国の兵士(兵士?)として活躍していた帝は、同じエルフ族のクテンコウの行いを許せず、断罪し、遂には追い払うことに成功した。そのときよりクテンコウは帝に大きな恨みを持ち、闇の魔法使い、スピリタスの弟子となった。帝は迫害されるエルフ族を憂慮し、エルフ一族をまとめあげ、この地を作った。とここまでは随分昔の話で、再び現代に戻る。冥界が開く、そして、セツ婆がさらに得たお告げは、勇者を呼べ、であった。ついに、10日ほど前、つまり俺が自販機とこっちに送られてきたぐらいのとき、に冥界が開いた。こうなっては、誰が絡新婦かわからない。帝とヒサさんとセツ様だけがその予言を知っており、警戒されてはいけないので表立っては動かず、ことの詳細は伏せたままマタナキと黒い鳥で連絡を取り、なんとか勇者の斡旋を行ってもらおうとした。時同じくしてニエカケゴグモの症状が村にでていた。マタナキもまた、絡新婦の存在を感じ取っていた。勇者の斡旋は、帝に言われるまでもなく、マタナキは村のものを守るために行っていた。その後宮殿内とマタナキとで連携し、なんとか勇者一行、つまり俺たちを宮殿に入れようと、ノアの14歳の成人の儀を
「利用したんじゃな」
とセツ様は、ノアに申し訳なさそうに言った。
が、当のノアは特に無表情であった。あまり気にしていないと思う。
「絡新婦は、自分がことを進めていると思っていたことだろう。絡新婦もまた、顔を出さぬ帝を引きずり出すのにノアの成人の儀を利用しようとした。こちらは、絡新婦を炙り出そうとしていた。しかし、マタナキが操られておるとはわからなんだ。伝書の鳥が届かんとは思っとったが。いや、しかし、予言にある通り、お三方の勇者様が、助けてくれた」
「ノアも、ノアも、勇者だけど!」
リンが、セツ様に言った。
ノアが、はっとリンを見て言う。
「リン。ちょっと好き」
「ちょっとって何!ちょー好きでいいじゃんか!もう!」
とやはりぷんと、リンはそっぽを向いた。
ノアは、いつものように意地悪く笑った。その笑い方を見て、帝が吹き出した。
「ははは、宮殿では見せぬノアだな。おもしろい。さて、ノア、14歳の成人の儀だ。外は今の騒動で騒がしいだろうが、収めてくれるか?」
ノアは、こくりと頷いた。手も頬も煤で汚れていた。
「ノアさん」
とカホ様が、悲しみのこもった目でノアを見た。トモ様は、「ノアがいいのなら、いいのだろう」となにやら勝手に納得されていたが、カホ様は、しくしくと涙を流し始めた。
ノアは、困った顔を浮かべながらも、カホ様に言う。
「お姉様、お兄様。ごめんなさい」
そして、階下にあるバルコニーの方へと歩いてく。途中で、「リン、杖かして」とリンに言った。「いいけど」とリンは、ノアに魔法の杖を渡した。
「ま、待ちなさい!」
カホ様は、涙声で、ノアを追いかけた。
はっと、ノアは振り返った。カホ様は、ノアを抱きしめると「ノアさん、皆様にお顔を見せるのです。お綺麗になさい」とその煤で汚れた頬を優しく拭った。ノアは、その真っ白な顔をいくらか赤らめ「ありがとう、お姉様。行って参ります」と歩き出した。
バルコニーにノアが立っていた。上階の窓からその姿が見えた。広場から歓声が上がった。ノアはゆっくりと手を振ると、杖を大きく振り上げた。窓越しにも、強い風が吹いたのがわかった。歓声がさらに上がる。気を良くしたのか、さらに杖を振り上げる。竜巻のような風に、今度は悲鳴が上がる。
ノアが、やや引きつった顔で戻ってきた。年の離れた末っ子ってのは、人見知りに見えて以外とお調子者が多い。と誰かが知ったように言っていた気もするが、なんとなく納得してしまった。
「やり過ぎだ、ノア」
帝が諌めると「まあまあ、お婆さま、ノアですから」とトモ様が今度はバルコニーに出た。再び歓声が上がる。立場的には次期帝、第一王子である。大丈夫そうだ。
缶コーヒーを拾う。最早、武器としての役割が大きいな。飲みたい気分だが、お守りとしてやっぱり持っておこう。
宮殿にて大変な歓待を受け、一夜を過ごした。そもそもノアが国を出たのはどうやって、という疑問だが、これは本当にノアがひっそりと抜け出したらしい。帝は、人探しの触れは出したが、意外と「まあ、外に出たい年頃なんだろう」とあっけらかんとしていたとか。しかし、セツ様いわく、当初は相当慌てていたようで、ノアが出て行ったことを占えと、そしてその結果が良と出ると、幾分かほっとしていたようだったらしい。そんな話をセツ様にされて思わず顔を赤らめる帝が、かわいらしくもあった。ヒサさんは、その昔マタ爺に片目を切られたとはいえ、大変感謝していた。帝殺しにならないで済んだのはマタ様のおかげだ、と。色々と話を聞きながら、ララ共々久しぶりの酒に酔いに酔い、なんやかんや二日過ごしてしまった。
「って、早くトンボイに行かなくちゃ!」
とララは、二日目の朝、慌てて起きた。
「なんだ、どうした」
「冥界が開いたって!とにかく、ああ、酒はダメね、急ぐわよ!」
眠そうなリンをなんとか起こし、俺とララとリンは方々に挨拶を済ませ、宮殿の出口にいた。
「ジン、ほれ」
とヒサさんが、ジンを前に押した。
ジンは、そっぽを向きながらも「い、色々と迷惑かけました。あ、ありがとうございました」と言った。
「何いい子ちゃんになってんのよ、糞ガキは糞ガキでいいのに」
「あ、あれはあやつられてたんだ!バカ!」
「ああ、そうだったわね。今も糞ガキだけど」
「うるせえ!助けてくれてありがとうございました、さようなら、もう来ないでください」
ジンの態度に、もう、とヒサさんはため息をついた。まあ、ララも大概だが。
ノアが、階段を駆けて下りてくる。
新しい大盾を持っている。が、やや古びたというか、年季の入った大盾である。
「それ、もらったのか?」
俺が問うと、ノアのあとより歩いてきた帝が言う。
「私が使っていたものだ」
「へ?」
「まあ、昔は色々とあってな。今後は、国を出るのももっと自由に変えて行く。そのいいきっかけにもなった。しかし、私がよかれと思って作った法律も、この50年間の間、ノアのような子をたくさん縛ってしまったのだろうな。難しいものだ、いや、別れ際に言う悩みではないな」
「帝。良いか悪いか、表か裏か、そんな、単純には行かないような気もいたします」
「ふふふ、そうだな、ララ。年老いて奢り、狭くなった視野に忘れていたよ。君たちの戦いを見て思い出した。時代も社会も、物事は一様でない。そのときかけた天秤のはかりが、少しでも善に傾いていたことを願うよ。では、うら若き勇者たちよ、その旅に幸運を」
ララがお辞儀すると、俺とリンも倣ってお辞儀した。
ノアは、ちらちらと宮殿内を見ていた。トモ様は溌剌と「私も時々は外の見聞を広めよう」などと調子よく見送ってくれたが、カホ様の姿がない。
宮殿をでる。広間の噴水は、やはり盛大に噴いていた。
船に乗ろうとしたそのとき
「ノアさん!」
と走るのに慣れていないのだろう、息荒く、カホ様が走ってきた。ノアが、ノアにしては珍しく、わかりやすく表情明るく、カホ様に寄っていく。
カホ様が、ノアを抱きしめる。
「また、帰ってきてくださる?」
ノアは、カホ様のことばに、何度も頷いた。
カホ様は、涙を拭き、俺たちを見た。
「大変失礼な態度を、申し訳ありませんでした。ノアさんを、よろしくお願いいたします」
ララは、「必ず」と小さく言い、カホ様と別れ、船に乗った。
「安請け合いは、良くなかったわね」
「何がだ」
「ノアに何かあったら、私たち、殺されるわよ」
「ああ、まあ、そうだな」
と揺れる船上から、宮殿のほうを見た。いつまでもカホ様は、こちらを、ノアの方を見ていた。その向こうでは、美しくも麗しき宮殿が、空に突き刺さるように伸びている。
エルフの国を出て、再び町へ戻ってきた。宿で一泊し「さあ、今度こそ本当にトンボイへ行くわよ!リン、しゃきっとなさい!」とララが準備を済ませ立ち上がった。
リンも、目を擦りながらも部屋を出る。
ノアが一人、開いた窓の方を見ながらぼーっとしている。
「おいノア、行くぞ」
声をかけながらに、なんとなくノアの視線の先が気になった。
窓の向こうの木の柵に、きらりと線が光に反射した。線は、風にたおやかに揺られている。美しくも、儚くも。対岸をなくした、蜘蛛の糸であった。それを、ノアはぼーっと見ている。
「お前の糸は切れてない。帰る場所があるってのは、いいもんだ」
ノアの肩をぽんと叩くと、ノアは大きく頷いた。
「行くわよ、ノア、ユーキ、はやくなさい」
ララに言われ、二人で部屋を出る。
「おう」
だが、俺は帰れるのか?




