宮殿に侵入する。
翌朝、晴天を予感させる山吹色が昨日よりもいくらか薄い霧を鮮やかに染めていた。
岸部には、人だかりができていた。閑散とした農村に見えたが、村は他にもあるらしく、思ったよりも人がいるなとなんとなく安心した。誰もがうきうきと沸いており、着慣れない正装にぎこちなさもあった。エルフの国はどうも着物だったりタキシードっぽかったりと、昭和初期のような西洋と東洋の混ざり具合であった。宮殿はいくらか西洋寄りであったが、占星術師のセツ婆のようにがっつり和の人もいたりした。俺はパーカーに、上からララにバンフレートで買ってもらったジャケットを羽織る。ララとリンは相変わらずの格好だが、修道服とわかりやすい魔法使いのような格好は、逆にオーケーのような空気を醸し出している。船では武器のチェックは受けないので、堂々と持ち込む。リンの魔法の杖と、ララの十字、ノアの片手剣を大きな袋に入れて肩に掛け、ノアの木の大盾を背に背負う。なんだか小学生のとき野球しに行くのにこんな感じだったなと懐かしくなる。野球選手になると夢を見ていた小学生時代と、現実を知り、なんとか弱小野球部のレギュラーになろうと素振りをした中学時代よ。大盾は持って行く必要があるのか、とも思ったが、宮殿でのノアの様子を思い出し、やはり持って行くことにした。家族のために家族のもとへ戻るのもいい。ただ、本来の自分を捨てて、無理に大人になってまで14歳の時間を過ごすのはどうなのかなと30歳の俺は思うわけで、大盾を見て何かを思い出してほしいなとの思いもあった。マタ爺といえば、ジャケットを羽織っているのだが、その背中に小弓を隠していた。ややごつりとなっているが、少し背中の曲がったずんぐりした老人だと思えば納得はできる。
大きな船で、2〜30人が、船に乗っていた。宮殿に入れるのはこのなかでも招待されたもののみで、ほとんどが宮殿手前の噴水広場からノアのお披露目を見るために乗っている。船尾に待機し、マタ爺の合図を待つ。いくつかの島を超えていく。賑やかな乗客とは違い、俺は緊張していた。俺のテレポートが失敗したら、全てが台無しである。
本島が見えてきた。段々とその影が大きくなる。宮殿も遥か高くそびえ立っている。
「あそこじゃ」
マタ爺様が小声で言いながらに指を差す。運河の入り口の岸部であった。
ララとリンが、俺とマタ爺を隠すように立つ。俺は、マタ爺の手を握る。ごつりとした手の平、なんとなく苦労人だなと思った。
落ち着け。比較的足場の安定しているあの岩の上に、視線を集中しろ。
「行くぞ!」
と声をかけ、テレポートする。
はっと目を開ける。マタ爺のごつりとした手の感触は、まだある。
「ほお、素晴らしい」
マタ爺は、にこりと笑った。
ざざんと波が打ち寄せる。
運河へと入って行く船から隠れるように岩場の影に向かう。
ほっと一息つく。成功した。
「行きましょうぞ」
マタ爺が歩き出した。
黒い鳥の屍体が、岸に上がっていた。マタ爺は、踏まないようにまたいで行く。
俺も倣ってまたぐ。何か、どこかで見たなと、またぎながらに鳥を一瞥する。羽に、何か切られたような跡があった。
「おっと」
とまたいだ先の足下が悪く、こけそうになる。足下を見ながら慎重に、俺はマタ爺に続いた。
沿いを歩いて行く。入り江に行き着くと、そこから島内の森へと入って行く。宮殿が見えた。噴水広場とは反対の、宮殿の裏側であった。表の賑やかな声が微かに聞こえる。ララやリンはすでに宮殿内に入れただろうか。
特殊なガラスの宮殿であるが、中は見えない。マタ爺はきょろきょろと辺りを伺い、裏口の扉を開く。トントン拍子で宮殿内に入り込む。暗い、非常階段のようなところであった。ゆっくりと、慎重に上って行く。階段の終わりが見えた。通路より声が聞こえる。立ち止まり、様子を伺う。武器がバレたら一発でアウトだ。通路を人が通って行く。その向かう先が、段々と賑やかになっている。
「この先が帝の間の手前にある広間で、そこでノアが形式的な儀式をする。帝も奥座敷よりお目見えになる。あの大きな植木があるじゃろう」
とマタ爺様は慎重に階段から顔をのぞかせ、通路の向こうの壁のそばにある植木を指差した。
「あそこの影に、飛べるか」
通路には人が時折通るため、そこを走るわけにはいかない。
「ええ」
とマタ爺の手を握る。
広間からはすでに人がいるだろう喧噪が聞こえた。テレポート後にその人たちから見つからないように、大きな植木と壁の間に狙いさだめ、集中する。行け、と心のなかで言い、テレポートする。
はっと目を開ける。影の中にいる。植木がすぐ右手にあった。成功だ。
「武器はここに置いておくのが無難じゃ。わしは王族に顔が知られとるので前の方にはいけん。後方で伺っておる故、ユーキ殿は前方にいるであろうララ殿とリン殿に合流ください」
と植木の影から二人で出る。マタ爺は、すぐさまとけ込むように後方の客の中へ。
遥か前方、帝が出てくるだろう壇上に片目のエルフがいた。ヒサさんだ。ララとリンが、前方に見える。広間には30人ほどがおり、誰もが高貴な人々に見えた。やはり和洋折衷というか、タキシードのような格好のものもいれば、着物のものもいる。なかには民族衣装のものもいて、しかも、エルフ以外の他種族もいくらかいた。だからというか、ララとリンも、パーカーにジャケットという、日本だと非常識極まりない格好の俺も、なんとなく浮いていないように感じた。人の隙間を縫って、ララとリンと合流する。壇上の右下に、カホ様、トモ様、その間に挟まるように、ノアがきらびやかな緑のドレスを着ていた。背後にはジンがやはり従者のようにおり、反対側には、占星術師のセツ婆様が着物姿でちょこんと座っている。
「遅いわよ。武器は?」
ララと合流するやいなや、問われる。
「へ?あの、後ろの植木のところに」
「はあ!?十字は?杖は?」
言われてやっと思う。十字と杖ぐらいは持って来れたな。
「あ、それも、後ろに」
「バカなのあんた!?」
となんとか声を押し殺しながら、ララは言った。
そうか。あんな後ろに置いていては、いざとなったとき戦えないじゃないか。俺は、
「馬鹿だ」
やっべえ。
壇上のヒサさんが奥座敷の影に消えていくと、広間の誰もがおしゃべりをやめる。
どうやら帝の登場らしい。
今取りに行くのは、まずいよな。しかし、帝が命を狙われるならここしかない。誰だ。誰が絡新婦なんだ。この中にいる知らない誰かか?ここまでなんとなく、奇妙にもトントン拍子にきた。最後の最後で、俺は武器をなぜあんなところに。
「ど、どうしよう」
とリンが、俺とララを見た。
どうしよう。




