エルフ族の人間模様
「こっちだ。粗相のないようにな」
ジンは相変わらずの嫌な言い方で言った。
遥か上階であった。螺旋の階段は普通の階段よりもなぜか進むのが早い。
「ジン、これはなんで?」
となんとなく気安く話しかけてみると、ジンは俺を鋭く一瞥しながらも「エルフの力だ」と答えた。風魔法が組み込まれているのか。上へ行くとともに、人の数も減って行く。
階段の先に、背筋のピンと伸びた奇麗な女がいた。左目に黒い眼帯をしてる。目皺は深く、結構な年齢に見える。右目の焦点が、ややふわりと浮いて、ようやく俺たちに収まると、その女は言う。
「ご客人、遠いところよりありがとうございます。これより私、ヒサが案内しましょう。ジン、しばし待たれよ」
「は、はは上」
とジンはさっと下がった。
親子?にしては年齢差が、などと思っていると、ヒサと名乗った片目のエルフは、姿勢良くつたつたと歩いて行く。
「こちらにセツ様がおられます。どうぞ」
と部屋に通される。
畳の間であった。大きな座布団の上に、小柄な老婆がいた。お団子のように髪の毛をくくっている。昭和の書生のような、丸い黒ぶちメガネをかけている。そばには小さな机があり、水晶玉が置いてあった。
「おっほっほ、良く来たのう」
「セツ様、船の時間もありますので、お短めに」
とヒサが部屋を後にする。
セツ様は、メガネ越しに、俺たちをなぞるように見た。
「占星術をされていると」
とやはり空気に堪え兼ねて、俺は口を開いた。
「ユーキさん、ですな。そうです。水晶で、極わずかな未来からの啓示を頂く」
「帝が10日ほどお姿がお見えにならないと。それも、啓示の一つでしょうか?」
ララが、丁寧な口調で訊ねた。
「ふむ。あたしの啓示は帝にだけ通す決まりになっておってな。守秘義務がある。が、まあ、鋭い質問ですな、と言っておきましょう。ひゃっはっは」
とセツ様は、口を大に笑った。
俺のもっぱらの疑問は、ジンとあのヒサという女の関係である。年齢差が親子というには離れ過ぎている。
「ジンと、あのヒサさんの関係は?」
「ああ、義理の親子よ。宮殿住まいだったジンの母親は早くに死に、父親は他種族と恋に落ちエルフの国を無断で抜けた。母親を良く知っていて、不憫に思ったヒサが、ジンを引き取ったんさな。ヒサは宮廷の帝付きで、50年以上帝と接しておる。この10日間は特に、帝と接することができるのはヒサだけじゃ」
何か、ジンには特別排他的な感じを持ったが、それが原因か。
「未だに、エルフの国は」
とララはことばを止めた。
「そうさな。閉鎖的だ。昔は、自由を求めて国を出て、迫害の標的にされることが多くあった。一時的に法律で外へ出ることに枷を作ったのだが、それがなかなか変えられなくなってしもうてな。帝も、自らが作った法による不幸に、自責の念をもっておられる」
「か、変えたらいいのに」
リンのことばに
「まあ、そうなんじゃが、宮殿内のものたちがなかなか頭でっかちでな。特に最近は、優生思想のようなものを強く感じる。若者ほど旧態的な、保守的な思想が強く、現状維持を求めたがる」
とやや悲しげにセツ様は言った。
間良く扉がノックされると「そろそろ船が出ますゆえ」とヒサさんが現れた。
「おお、もう少し時間があればな。ご足労すまなんだな、お三人。こちらの話ばかり聞いてもらってしもうたな。今回のノアの成人の儀は特別でな。宮殿の奥座敷にも、王族以外のものも参列してよいとのことよ。明日は、ノアを盛大に祝ってやってくれ」
とのことばをセツ様より頂き、俺たちは部屋を出た。
俺たちはヒサさんに続く。毅然と、真っすぐに歩くヒサさんは、後ろからでもなんとも凛として見える。片目なのによく見えるな。
階段の始まりに、ジンがいた。
「外から来たものが宮殿内に泊まることは御法度とされてるがゆえ、すみませぬ。明日また足を運んでいただくことになります」
とヒサさんは頭を下げると、「ジン、あとは頼んだぞ」と言った。そのとき、ふらりとヒサさんがこけそうになった。なんとか壁に手をつく。
「は、義母上」
ジンが心配そうにヒサさんを見る。
「大丈夫ですか?」とララも、ヒサさんの顔色を伺う。
「大丈夫です。おきになさらず」とヒサさんは去って行った。
内海が、夕日に染まっている。
ジンは船の前のほうで、船頭と何やら話している。
「絡新婦なんて、誰だかわかんのかこれ」
「うーん、会う人会う人、何かこちらを探っているような感じだったわね。でも、なんだか妙だわ」
「なにがだ?」
「何か、私たちもある意図に動かされているような」
「そうか?」
「まあ、誰の糸なのかはわからないけど、絡み付く感じが少し嫌ね。にしても、ノアの様子が気がかりね」
「ああ。意外と、リンと違って、家ではいい子ちゃんなんだな」
「わからないものね。どうしたものかしら」
とララにしては悩んでいるようだった。
船先にいるジンを見た。
相変わらず顔つきは険しいが、こいつにも色々あったんだな、と船に揺られながら思った。
岸部に、夕日に照らされるマタ爺様がいた。近くの桟橋に船を付けてもらい、陸に下りる。
「無事であったか」
とマタ爺の安堵した表情があった。
「ありがとう、ジン」と俺は、ジンに礼を言った。ジンは、ふんっと、俺を睨んだ。ジンが、今度はマタ爺様を睨む。二人の間には、何か分かりやすい対立があった。ジンは、マタ爺様を睨んだまま
「義母上の右目が随分悪い。どこぞの誰かに左目を切られたから、右目の疲労が著しいんだ」
と言い捨てた。
かっと、瞬間沸騰機のように、マタ爺様がジンに近づく。
「お前が、何を知っておる。仕方がなかったんじゃ!」
と船頭の先に足をかけると、ジンの襟首を掴んだ。ジンもまた、マタ爺様の首を掴む。
「二人とも、やめろ!」
俺は、二人をなんとか離す。
「ふん、明日はノア様のお祝いに、船が迎えにくる。それに乗るといい。お前たち三人は、宮殿にも入れるよう手配してある」
ジンがやはり言い捨てるように言うと、船は動き出した。
ざざんと波が打ち寄せる。
船はすでに夕日の小さな影になっていた。
マタ爺様は、無言で桟橋から浜へと下りると、一度よろめいた。マタ爺様、昨夜もそうだったが、少しかっとなりやすい。この年で高血圧だろうな、となんとなく思った。ジンのあの物言いだと、ヒサさんの片目を切ったのはマタ爺様らしいが、触れない方が良さそうである。
「見苦しいところをおみせした、すまぬ」
謝りながらに、マタ爺様はぽりぽりと首筋をかいた。ジンがマタ爺様の首を掴んだ手はかなりの握力だったらしく、首筋は赤身を帯びている。それだけ、ジンの恨みが重くあった。
民家に戻り、ララが今日あったことをマタ爺様に説明する。マタ爺様はじっと聞いていたが、ララの説明が終ると頭を下げた。
「帝はノアの成人の儀に必ずお顔をだされるはずじゃ。そのとき、絡新婦は行動を起こすじゃろう。お願いがある。なんとしてもわしも帝を守りたい。わしも、宮殿内に連れて行ってもらいたい」
「マタ爺、宮殿には招待されているものしか入れないわ。あなたはどうやって入るの?」
「方法ならある。ユーキ殿はテレポーテーションが使えると言っていたの」
「ああ」
「宮殿へ向かう手前のある岸部で、船からわしを連れてテレポーテーションしていただきたい。そこから宮殿の裏口に周り、侵入することができる」
「鍵がかけられているのでは?」
ララが鋭く問うた。
「宮殿には、絡新婦をともに探る協力者がいる。そやつが開けてくれる。もともとあの夜小舟で侵入しようとしていた方法じゃ」
「私とリンは宮殿にそのまま入って、ユーキとマタ爺は別行動、ということ?リスキーね」
とララはなおも問うた。
「そうじゃ。じゃが、リスクを負う意味もある。宮殿に入る際、武器の点検があるんでもっていけんじゃろう。それでは宮殿内で戦闘になったときにことじゃ。わしとユーキ殿が、裏口から武器も持って行こう」
武器は、宮殿に入るときに一度預けることになっていた。ララのロッドだけはごり押しで持っていっていたが。確かに、絡新婦を見破っても、武器がなければなす術がない。
「いい案じゃないか」
と俺は同調した。リンは、俺たちのやり取りをきょろきょろと見ている。
しかし、ララは少し訝しげにマタ爺を見て、訊ねた。
「ジンの義母、眼帯をしていらっしゃったヒサさんという方との関係は?」
空気が、一瞬間凍り付く。
ちらりとマタ爺を見る。癇癪を起こさないか。
マタ爺は、肩を大きくすくめると、話始める。
「50年も昔の話じゃ。絡新婦は少女に乗り移り、帝を襲ったと前に話したな。その少女というのが、ヒサじゃ。そして、わしがヒサの片目を切った。絡新婦はヒサの体から抜けると、捕らえられ、冥界へと封印された。帝は、片目となったヒサを敢て自分付きの宮廷仕えに指名した。ヒサがいじめられるのを怖れたんじゃな」
「ま、マタ爺は?」
リンが、恐る恐る訊ねた。
「わしは、国を出た。迫害されていたエルフの名誉を回復するためでもあった。時を経て、国の農村には戻ってきたが、宮殿にはあれ以来足を踏み入れていない。ただ、帝を守るという思いは、50年前と変わっておらん」
とマタ爺は、真っすぐな力強い眼差しで、俺たちを見た。
「ごめんなさい、辛い話をさせてしまったわね。そんなことがあったとは」
「いえいえ、ララ殿、ジンとわしのつかみ合いがあったところじゃ、気になるのも当然じゃろう。明日は忙しくなるじゃろう。早めの夜としよう」
とマタ爺は立ち上がると、寝床についた。




