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マタ爺、憤る。

 外に出る。俺は、小屋の外にかけていたノアの木の大盾を取った。邪魔なんだが、一応持って行こう。


「さて、行くかいのう」


 とマタ爺様が小屋の裏から出てきた。厠にでも行っていたのだろうか。

 ばさりと、黒い鳥が常緑の森から空へと抜け出た。覗いている日は、まだまだ高くあった。

 森は続くが、道はなだらかにあった。


「あ、あの、うちも来てほしいって、なんでかなって」


 リンが、照れながらマタ爺様に訊ねた。相変わらずの分厚いローブを着て丸メガネを鼻に乗せているが、毒の対策のためか、首元に手ぬぐいを巻き、腕には日焼け避けに黒いアームカバーをしている。こんなんでニエカケゴグモ対策になるのかとも思うが、まあリンは本当に五感が敏感だから大丈夫だろう。


「おお、絡新婦は火が弱点でな。先のボアを倒した火の魔法、その適切な加減とコントロール、是非とも戦力になってもらいたい。エルフは昔迫害されていたとき、住んでいた森に何度も火をつけられて、火の魔法に対する忌避感が強くてのう。火の魔法を使うものがおらんのじゃ」


 ボアを倒したときのリンの魔法?あれはリンの全力全霊無我夢中の魔法であって、適切な力の加減でも、しっかりと狙ったわけでもないが。


「いや、あれは」


 と俺が口を開こうとすると、ララが俺の足を踏んだ。いてえ。ララが、耳元で囁く。


「どうとでもなるから黙っておきなさい」


 依頼金に目がくらんでやがる。まあいいか。どちらにせよノアのことを考えると、行くべきだ。リンも、役割をもらって嬉しいのか、顔を輝かせている。あの小さな火しか出せないのに、楽天的なやつだな。しかし何も言うまい。

 馬車が一つやっと通れるようなトンネルを抜けると、緩い勾配に禿げた田畑が段々にあった。ぽつりぽつりと田畑に人がおり、その誰もが高齢であった。道沿いの田んぼの隅に、手ぬぐいを頭に巻いたエルフの老婆が座っていた。モンペを着て、白いタオルを肩にかけている。服装は日本の農家なのだが、いかんせん顔がエルフである。違和感を覚えながらも、にっこりと会釈する老婆に、会釈を返す。田畑を抜けると、家がいくつか並んでいた。老人は、その一つの戸をノックすると、「マタじゃ」と言った。戸が内側から開いた。年配の男が出てきた。俺たちに驚きながらも、嫌な顔はせずに「マタ爺か。上がってくれ」と言った。エルフは閉鎖的と言っていたが、意外とそうでもないように感じる。

 やはり靴を脱いで、部屋へと入っていく。布団に若い男が寝込んでいた。母親らしき年配の女が、心配そうに若い男を見ていた。若い男は、息は一定ではあるが、大きく深くをしんどそうに行っている。マタ爺が寝込む若い男に「医者が来てくれた。ちょいと診てもらうぞ」と言うと、男は目を瞑ったまま、小さく二度頷いた。ララは、ロッドを俺に渡すと、若い男のそばへと膝をついた。瞳孔を、口の中を、心臓の動きを、時折優しいことばをかけながら、質問を施しながら、いつにも増して真剣に、若い男を診た。ひとしきり終えると、ロッドを再度持ち、言う。


「やっぱりニエカケゴね。ユーキ、魔力をおくってちょうだい」


「おう」


 と俺は、ララの背中に手をつく。巡り来る魔力を手から放出し、ララの背中に流し込む。ララは、若い男の胸辺りに手をつきヒールを施す。男の呼吸が、少し落ち着いてくる。


「毒の抑制と、体力の回復を施したわ。あと、家先にクダの葉が植生していたわね。それをすり潰してニエカケゴに刺された部分に塗ると炎症も随分おさまるわ。2〜3日経てば、歩けるぐらいには回復するはずよ」


「ありがとうございます、ありがとうございます」


 男の母親がララに頭を下げる。


「いいえ、ご安静に」


 とララは、慈悲の目で母親と若い男を見た。


「ララ殿、あと5軒ほど、回っていただきたいのですが」


「行ける?ユーキ」


「ああ」


 まさか異世界で人助けをするとは。

 日が傾きかけた頃、ようやく5軒を回り終えた。魔力と体力は明確に分かれているらしいが、なにか気力というか、精神力というか、魔力を消費する度にすり減って行く感覚があった。マラソンのような疲れはないが、買い物に付き合わされてすぐに椅子に座りたくなるような精神的な疲れがあった。マタ爺様は、できるだけ早く宮殿に乗り込みたい、今日の夜中にも出発したいと言った。その問題の宮殿であるが、侵入のための下見に行くというのでマタ爺様についていく。傾斜を下るように行くと、木々が開ける。冷たい風が吹く。少ししょっぱい。ざざっと、波の音が柔らかにあった。人がちらほらと歩いている。


「海か」


 と俺は反射する夕日に目を細めながら、遠くに目を遣る。小さな島がいくつか見える。


「内海じゃ。島をいくつか超えた先に、宮殿がある。さて、小舟を用意してある。状態を確認しておこう」 


 マタ爺様が、歩き出した。浜の端に小さな桟橋があり、木の船が小さく、時折大きく揺れている。


「夜は真っ暗じゃない?小さな島がいくつも入り組んでいるように見えるけど」


「なんだララ、来たことあるんじゃないのか」


「随分昔だし、私が来たのは対岸にある採掘場からのルートよ」


「採掘場?」


「うむ。対岸の陸地には特殊なガラスの採掘場がある。観光で入るなら、そっちから入って内海の宮殿に行くルートじゃな。暗闇じゃが、灯台がもう一つ先の島から出とる。それを頼りに、慎重に進めば宮殿に入り込める。船も無事にある。一刻も早く入り込みたい。忍び込むことになるので、仮眠をとって、今日の夜中にも出発をお願いしたい」


 とマタ爺様は内海に背を向け、歩き出した。ララとリンも続く。


「まあ、善は急げだな」 


 俺は暢気に言った。

 ざざんと波音が背中にあった。砂浜に足下を取られると、ノアの大盾がずるように背中から落ちた。それを拾い上げる。潮風が足下から冷たく吹いた。つと、海の方を見る。島向こうに、日が落ちかけていた。手前の島のそばに、影があった。ゆらりと海上を動いている。船だ。大きな帆が張ってあり、なんとも豪華に見える。観光の船だろうか。人がいくらか乗っているが、遠くて特定はできない。


「ユーキ、早くなさい」


「おう」


 と視線を切り、海を背にした。


 あれからいくら寝ただろうか。深い睡眠というより、うつらうつらしているうちにマタ爺様に起こされ、出発する。空を見る。黒々とした分厚い雲が、空を隠すようにあるらしかった。闇のなかでは、手許のランプだけでは心もとない。何度もつまずきそうになりながら、夕方に来た内海へとやってきた。


「リン、しゃきっとなさい」


 ララが声をかけると「う、うーん」とリンは目を擦った。リンはほんと、朝に弱いというか、寝起きに弱い。

 手許のランプのみを頼りになんとか桟橋へとやってくる。そこまでやってくると、灯台の光が一定間隔に、微かにではあるが浜に届いていた。

 マタ爺様が、ランプ片手に桟橋の先ではたと立ち止まる。どうしたものかと様子を伺っていると、ばっとこちらを振り返り、腰に差したショートソードを抜きながらに言う。


「絡新婦め、すでに入り込んでおるな!どいつじゃ!」


 マタ爺様の怒号が、海岸に響いた。


「ちょっと待って、どういうこと」


 ララが後ずさりながらも、訊ねた。


「船が、船が、なくなっておる。知っておるのはお前たちだけじゃ!」


 と声を震わせながらも、マタ爺様は言った。

 ざばんと内海の波は激しい。雲がはけたのか、月明かりがマタ爺様を薄く照らす。怒りにうち震え、ふーふーと息は荒く、ぎらりと俺たちを睨んでいる。

 絡新婦が、すでに誰かに入りこんでいる?リンか、ララか?いつもと違う様子はなかった。いや、絡新婦という魔法使いなら、違和感なく入り込めるのか。ずっと行動していながらに、絡新婦に取り入られるような、そんな場面があったか。

 わからん。考えても思い出しても、答えはでない。


「正体を見せんか!」


 マタ爺様は、荒い息のまま言った。


「ふ、伏せて!」


 リンが叫んだ。

 背後から、何かが射出されるような音がした。

 慌てて伏せる。ララは、興奮気味のマタ爺様にさっと近づくと、強引に頭を下げさせた。何かが頭上を通った。線がキラリと光っている。


「大蜘蛛よ!」


 とララが、浜の少し内陸にある林を見て言った。

 二メートルはゆうにあるだろう大きな蜘蛛が、しゃーしゃーとなぞの音を立てて現れる。


「ララ!」


 と俺はノアの剣をララに渡す。ララから、その梱包された大きなロッドと先の尖った小さな十字を渡される。このやりとり毎回やってるんだが。

 大蜘蛛の口から、きらりと鋭い糸が吐き出される。ララはその糸を剣でなでるようにかわすと、手前の大蜘蛛に近づいてく。大蜘蛛は、その鋭い上あごを接近してきたララに向けて振り下ろす。ララは、剣でそれを辛うじて受ける。上あごは強靭で、つばぜり合いのようになる。力で圧されたララは、じりじりと下がる。後方にいたもう一体の大蜘蛛が、しゃーと糸を吐き出す。ララの体に糸が絡み付く。


「し、しまっ」


 とララは、その糸に引きずられるように倒れた。手前の大蜘蛛がララに覆い被さるようにあり、その強靭な上あごをララに振り下ろす。

 やべえ。俺は、唯一の武器であるポケットの缶コーヒーを投げた。缶コーヒーは力なく手前の大蜘蛛の頭に当たるが、虚しくも砂浜に沈んだ。


「ば、ばかユーキ!遊んでんじゃわよ!」


 ララが、寝そべった状態ながらも、なんとか大蜘蛛の上あごを受けながら言った。


『エターナル・フレーム!』

 リンの精一杯張った、かわいらしい声が響いた。

 小さな、それでも前よりは成長した火が、そして以前よりもスピーティに、ララに覆い被さっている大蜘蛛に向かって行く。しゅぼっと大蜘蛛の鼻先に当たると、その小さな威力の割に、大蜘蛛が大きく仰け反った。ララは上あごから開放され、瞬時に足下に絡み付いた糸を剣で切り立ち上がる。リンの火に仰け反った大蜘蛛だが、再び体勢を立て直すと、上あごをララに向けて再々度振り下ろす。ララは再び剣で受ける。

 もう一体の大蜘蛛が、側面からララに襲いかかる。そのとき、背後から矢が鋭く飛んだ。矢が大蜘蛛の不気味にも白く透明な目に刺さる。大蜘蛛が悲鳴とともに仰け反る。


「目を狙え、他の部位より柔い!」


 弓を構えたマタ爺様が言った。


「リン、お役御免だ。変身しろ!」


 と俺は、リンにララの十字を渡した。


「う、うん」


 リンはローブを脱ぎ、魔法の杖を俺に渡すと十字を持った。

 片方の目がつぶれた大蜘蛛は、すぐさま態勢を整える。その大蜘蛛に向かって、リンが駆ける。

 ララの剣ともう一体の大蜘蛛のつばぜり合いは続いていた。ララは、押されながらに、手首をくりんと返しその上あごの力を逃がすと、素早く大蜘蛛の真下に潜り込む。そして、突き上げるように剣を大蜘蛛の腹に刺した。断末魔とともに、大蜘蛛は倒れた。ララは、倒れる大蜘蛛からなんとか避けると、剣をぶしゅりと抜いた。大蜘蛛の濃い血が、ララにいくらか飛び散った。

 リンは、片目の大蜘蛛の糸とその長い足を搔い潜りながら、矢の刺さっていないもう片方の目に十字を刺した。大蜘蛛がのたうち回る。ララは、無言で近づいて行くと、その血みどろの剣で、無言のまま、鋭く、慈悲のこもった一刀を振り下ろした。

 断末魔は止み、波の激しさは依然あった。

 波打ち際に、缶コーヒーがあった。波に飲まれないように、拾った。


 村の民家に戻る。

 リンは、隣室でいち早く眠りについていた。


「すまぬ、船がなくなり気が動転しておった」


 マタ爺様は、声を落として言った。


「い、いいわよ、くしゅっ」


 とララは、性格に合わないかわいらしいくしゃみをした。修道服を脱ぎ、タオルを巻いている。蜘蛛の血が付いたので洗ってもらい、今は室内に干してあった。


「あれは絡新婦の使役しておる大蜘蛛に違いない。船の消失もやつの仕業じゃろう。しかし、お三方以外にも、実は宮殿内に協力者がおる。そこから潜入の情報が漏れたのかもしれん」


 と再度マタ爺様は頭を下げた。


「いや、まあ俺たちを疑うのも仕方がないだろう」


 と俺は、マタ爺様の入れてくれたお茶を飲んだ。温かい。


「次の策はあるの?」


 ララもまた、問いながらにお茶を啜った。

 外の荒涼とした夜の沈黙が、室内にも染み入るようにあった。

 マタ爺様は、頭を抑え、静けさを嫌うように「うーむ」と小さく唸った。


「とりあえず、今日は休みましょう。次よ次!」


 ララは、何かを振り払うように快活に言った。

 うむ、とマタ爺様はゆっくりと立ち上がると、背中を丸め、湯のみを洗い場へと持っていった。

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