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ララ、エルフの少年に切れる。

 ぱちりと目が覚めた。まだ早いな、と薄い部屋の明度に思った。天井の隅に、蜘蛛の巣が不気味に張り付いていた。天井に根を張ったように。その糸の範囲は、それはすでに蜘蛛の領域で、小虫が糸に絡み付いて動けなくなっていた。小虫はとうに死んでいるように見える。ぼんやりとそれを見ていると、


「ふぁああああ」


 と向こうのベッドで、ララが伸びをした。

 窓からはようやく光が入り込み、部屋の明度も上がってきていた。

 背を上げ、「おはよう」とララに言った。


「あら、早いわね、ユーキ」


 目を擦りながら、ララは答えた。

 リンは、布団をはだけながらも大きな寝息に寝ていた。ノアは、すーすーと上品に眠っている。射し込む朝の光が増えていく。ふと、天井の隅を見た。未だにそこは、暗く影になっていた。円網の糸が、やはり不気味に、部屋のすべてを見下ろすようにあった。

 朝食を済ませ、町の勇者組合に向かおうと宿を出た。

 宿街を出ると、朝から馬車の往来が多くあった。さすがトンボイとバンフレートの経由地である。道を渡り、勇者組合が見えたところで、後ろから男に声をかけられる。


「ノ、ノア様!」


 振り返ると、美しい少年がいた。白い肌と尖った耳、華奢な体は性別を間違えてもおかしくない。が、声はちょうど変声期ぐらいの、未だ安定していないやや苦しそうな感じのかすれ気味の声であった。目が吊り上がっており、俺たちを睨むように見た。

 少年の出現に、ノアがすっと俺の後ろに隠れ、


「し、しらん、そんな人」


 と裏声で答えた。


「いや、無理があるだろう」


 俺は飽きれたように、ノアに言った。


「ノア様、みな探しておいでです!すぐにお戻りください!」


「まあ、とりあえず話を聞きましょう」


 ララの一声に、俺たちは人のいない裏路地へと入った。


「ノア様、なぜ国をでたのです」


 少年は縋るようにノアに言うが、ノアは同朋の登場にも、無表情というか、むしろ眉をしかめ、嫌悪感すら表情にだしながら「なに?」と冷たく言い放った。


「早く国へ戻りましょう。こんなところにいる場合ではございません。お付きの方達も、理解を示してくださるでしょう」


 少年は、一心にノアの方を見続けている。俺たちにはまるで関心がなさそうである。

 ノアは、無言でぷいと顔を背けると、俺とララの間へとすっぽりと治まった。


「カホ様トモ様も、ノア様の身の上を心配しております!」


 ノアが、びくりと反応する。カホ様、トモ様、ってのは両親のことだろうか。


「まあ、色々事情はあるんだろうけど」


 とララが口を挟むと、それをすぱりと切るように、少年は言う。


「帝の体調が優れません」


 そのときようやく、ノアの顔に緊張が宿った。


「ばあばの」


 とぽつりとことばをこぼした。

 この従者らしき少年。帝をばあば呼び。ノアはつまり、エルフのプリンセスということになるのか。


「はい。行きましょう。時間がありません」


 ノアは、俺とララを見上げる。無表情だが、その瞳が揺れている。


「お婆さまは、大切な方なのね」


 ララのことばに、素早く少年が反応する。


「無礼なやつめ!帝をお婆などと」


 ノアがぎろりと少年を睨むと、少年は恐縮したようにことばを止めた。

 ノアは、ララの問いに、こくりと頷いた。


「う、うちらも一緒に行けば」


 リンが心配そうに口を開いた。少年は、強い口調で言う。


「なりません。エルフの宮殿は他族禁制です」


 ノアは、ことりと俯き、黙る。


「ノア、いってらっしゃい。大切な方が待っているんでしょう。その方と同じように、私たちもいつまでもあなたを待つわ」


「そうだ、気にすんな。俺たちはゆっくりクエストこなしながら待ってるから、行っとかないと後悔するぞ」


 俺も、親父の死に目に会えなかったのを後悔してたりする。

 ノアは、こくりと頷いた。

 ララが、突如少年の胸ぐらを掴み、言う。


「おい糞ガキ!ノアを必ず返せ!わかったな!」


 ララにしてはよくここまで苛立を我慢したなと感動しながらも「やめとけ、大人げない」とたしなめる。


「ふん」


 と少年はララを一瞥し、「さ、行きましょう、ノア様。その木の盾はなんですか?持たされているので?カホ様とトモ様が見たら、なんとおっしゃるやら」と最後まで嫌なやつのまま、歩き出した。ノアは、木の大盾とショートソードを俺に渡すと、とぼとぼと少年に従う。あれだけかたくなにこだわっていた大盾を、あっさりと。いくらか歩いたところで、ノアが振り返った。あのマイペースで、無表情で、頑固にもグレートシールドにこだわっていたノアが、寂しげにこちらを見ていた。


「ノア、うちら絶対、待ってるから!うちとノアは、ズっ友だから!」


 リンが、涙を流しながら言った。転校するギャル友への挨拶に聞こえなくもないが、いつもは泣き虫なリンを馬鹿にするように笑うノアも、自分に向けられたリンの思いにあてられてか、瞳を潤ませながら大きく頷き、再び背を向け歩き出した。

 表通りの喧噪は漏れてくるが、それでも路地裏には寂しい静けさがあった。


「エルフの森ってのは」


「ユーキ、なかなかに歴史があってね。その昔エルフたちは隣国で迫害されていたのよ。彼らをまとめ、国を越え、この地にエルフの国、まあ自治領みたいなものね、それを創ったのが、現帝のノアのお婆さまよ。一度その地位を退いたんだけど、息子夫婦が不慮の事故で早々に亡くなられて、再度帝になったはずよ。当時の迫害の影響からか、エルフの宮殿そばは基本的に他種族の出入りを禁じているわ。観光として一部は公開されているけど、それもルート的にね。移動はかなり制限されている」


「つーことは、ノアが勇者になってるってことがエルフ側からしたら異常なのか」


「まさかノアが王族の出だったとはね。エルフの職業勇者がいないわけではないけど、それ相応の手続きを経てエルフの森を出立しているはずよ。王族ともなると、それにあの様子だと、ノアはこっそり森を抜け出たみたいね」 


 昨日壁に張ってあった、捜索願の紙を思い出す。やはりあそこに書かれていた似顔絵は、ノアだったんだなと。


「さあ、リンもめそめそしない!クエスト受けるわよクエスト!まずは飯代を稼がないと!」とララは歩き出した。「う、うん、ぐす」とリンも続いた。腹がなった。そうだ。飯を食わねばノアを待つことも出来ない。そして飯を食うには金がいるのは、どの世界でも常なることなのだ。

 表通りに出る。通りの向こうからは朝市の声が、馬車や人の行き交う音を超えてあった。

 ケロスにある勇者組合へ向かう道中。


「うちがノアの顔笑ったから」


 とリンが、いつまでもぐずっている。昨日リンは、ノアが頬に渦巻きを書いていたのを見て笑った。今にして思えばノアのその奇行は同じエルフ族から見つからないための変装であったが、自分が笑ったせいでその変装を解いたとリンは自身を責めている。いや、そこまで重く考えなくても。


「そんな気にすんなよ。どっちにしろノアもお婆さんの見舞いのために一度戻ってただろうよう」「う、うん、ぐず」


 リンは鼻水を啜った。

 改めて、ノアの従者らしき少年の態度を思い出す。リンには聞こえないように、ララに問う。


「エルフたちがノアを返すと思うか?」


「うーん、難しいわね。さっきの子もそうだったけど、エルフはその歴史から、閉鎖的なところがある。帝は意外と革新的なところのある方だけど、周囲はかなり保守的な人たちが多かったし。まあ、そのおかげで今のエルフ族の平和があるんだけど」


「よく知ってんな、お前」


「で、伝聞よ伝聞。おほほほほ」


 こいつの出自が一番怪しいな。不審の目を向けていると、ララは「さあ、勇者組合についたわよ!」とどかどかと扉を入って行った。


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