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匂いは思い出のままにずっとある。

 お婆さん、名前をトー・ヤンソンといい、まだ観光地と言われる前の、ただの寒村であったバンフレートに生まれた。家はとても貧しく、当時まだ10いくらかの年のトー婆さんもマッチを売って家計を支えていたという。


「そのときさな、爺さんに出会ったのは」


「爺さんってのは、さっきの」


「そうさな。あの人や。向こうも金もないのに、こっちも日銭かせがなあかんのに、なんかマッチただで渡してしまったんや。んで煙吹いて天使の輪っかや、なんて言って笑いながら偉そうに歩いて行ってな。わかりやすく異世界から来たって服装やのに、堂々としとって。なんかそれが、当時のあたしにはもうどうしようもなくたまらんかったんや」


 さらにトー婆さんの昔話は続く。金もなく、しかし魔法に活路を見出したトー婆は、色々と頑張って生活を工面、爺さんとの間になんやかんや子を生す。しかしこの爺さん、その日暮らしのような生活で、酒にギャンブルにとまあ大変。勇者組合の仕事を受けたり、そうだ、執筆だと合間を縫って小説を書いたりと、それが『老魔女』シリーズに繋がるという。


「放蕩爺さんやけど、恋してしまったほうが負けというかな」


「うんうん!」


 と老魔女シリーズのファンであるリンは、熱心にトー婆さんの話を聞いている。作品のファンだと逆に聞きたくないような作者の裏話のような気もするが、そこは人それぞれか。

 爛々と喋っていたトー婆さんは、途端にトーンを落とす。


「じいさんが、ちょっと出てくる、って、そっからおらんくなってしまってな」


「いつから?」


 俺の問いに、トー婆さんは、「もう一年になるなあ」とぽつりとことばを落とした。婆さんは悲しげにもオトメな眼差しを床に落とした。

 恋してしまったほうが負け、か。トー婆さんの人生は爺さんに始まって、そして全てが爺さんだったんだな。

 落ち込むトー婆さん。部屋に静寂が訪れる。そして、トー婆さんは、重い口を開ける。


「すまんなあ、思い出話に付き合ってもらって。出口はあるで、そこから出るといい」


「あ、あの」


 とリンが、思い切ったように言った。


「どうしたんや?」


 トー婆さんは、顔を上げた。


「トー先生も、一緒に」


「あたしは、いいんや」


 とトー婆さんは微笑した。そこには諦観が微かに感じられた。

 リンは、ローブの袖を掴み、少し唇を噛むと、言う。


「あ、あの、うちの家、ママが魔法嫌いで、パパに隠れて老魔女さん買ってもらって、いっつも隠れて老魔女さん読んでて。すっごいワクワクして。それで、学校行くようになって読まなくなったんだけど、クラスでいじめられたときとかあって、ベッドに隠してた老魔女さんを久しぶりに読んで。必死に生きる老魔女さんが、小さいとき読んだわくわくとは違うんだけど、なんか、うち、すっごい勇気をもらって、助けられて」


 やや涙目になりながらも、リンはことばを紡ぐ。


「もう、老魔女さんの続きは、読めないのかなって」


 リンの瞳から、涙がぽつりと落ちる。

 トー婆さんは、リンの頭をなでながら、言う。


「リンちゃんは純粋で優しいなあ。ありがとうな、老魔女シリーズを好きになってくれて。でももう、あかんねん。ごめんなあ」


 リンの瞳から、涙がぽつりぽつりと連なった。

 一時をおいて、「行くか。ララたちも待ってる」と俺は声をかけた。リンは、袖を拭うと、「うん」と頷いた。


「それでええ。あんたらには未来があるで」


 トー婆さんは、俺たちを先導するように扉を開いた。

 町の外れの平原にやってきた。音はあるが、やはり寒さや匂いはなかった。トー婆さんの記憶をもとに創られた空間だそうで、嗅覚や温度の再現は魔法に限界があったらしい。

 平原の向こうで、どしんと音がした。

 ぬわりと大きな黒い影が現れる。


「屍鬼!?」


 と俺はその影の正体、屍鬼をみやった。訓練場の空間にいた屍鬼である。

 トー婆さんの表情が、張りつめる。


「あ、あかん。やっぱり空間が混じってしまっとる」


 俺はトー婆さんを抱え、屍鬼に背中を向け逃げる。リンも続く。

 世界を覆うように薄くさしていた光が、黒くなっていく。

 黒い波が、世界を侵食して行く。


「トー婆さん、どうすれば洞窟に戻れる!?」


「あかん、出口が波に飲み込まれてしもうた。黒い波のどっかにテレポートすれば、もどれるかもしれん。でも、それがどこかわからんようになった。あの波に力加えて洞窟と繋がる場所探さな」


 バンフレートのそばまでやってきた。

 黒い波になんの反応も示さずに、人々は変わらずそこにいる。トー婆さんの、記憶のなかの人々と、町。

 背後で、屍鬼が黒い波に飲まれる。


「リン、声は、ララの声は聞こえるか!?」


「う、ううん」


 少しでも、小さくても、洞窟と繋がれば。リンの5感でララの存在が分かるはず。


「リン、魔法だ!」


 と俺は、その辺の石を黒い波に投げる。石は、黒い波に吸込まれる。洞窟に繋がる場所に当たれば、何か反応があるに違いない。


「そ、そんな、うちの魔法じゃ」


「ソーサラーなんだろう!」


「で、でも」


「めんどくせえなもう!お前の魔法が、必要、なんだよ!」


 と角度を変え、道ばたの石ころを黒い波に投げる。しかし、やはり何の反応もなく吸込まれる。石の数も少ない。もっと創っとけ!

 リンは、必死に石を投げる俺を見ていた。見られているのがわかりながらに、俺は石を投げ続けた。それが、リンの心を動かすのに最もよい方法に思えた。


「もがけ、リン、やるだけやれ!必死に生きろ!」


 リンは、何も答えなかったが、ようやく杖を握った。目を瞑り、集中する。


『エターナル・フレーム!』


 とかわいらしい声が響く。

 小火が、杖より放たれる。


「成長してんじゃねえか」


 と前回の種火ほどの火より大きくなったそれを見て、言った。


「う、うるさい!」


 とリンは、俺の方を見て頬赤く答えた。

 小火が黒い波に当たると、その部分の空間が溶けるように開いた。その箇所から、光が小さく一瞬射し込み、すぐにまた黒い波へと修復される。光だ。石を投げてもそんな反応はなかった。


「や、やっぱり、だめだ、うちの魔法じゃ」


 俺の方を見て怒っていたので、リンにはその光が見えなかったのかもしれない。


「いいや、光が」


 あそこか、と狙いをつける。

 石ころは、もうない。パーカーの中のコーヒー缶を手に取る。角が二カ所へ込んでる。野盗と、鬼と。すまんなコーヒー缶、酷使しちまってよ、とコーヒー缶を、黒い波に向かって投げる。リンの火がこじあけ、一瞬光が射し込んだ箇所に。

 コーヒー缶が黒い波に当たると、やはり空間が開いた。


「い、いったあい!」


 とララの声がその開いた空間から聞こえた。コーヒー缶が当たったらしい。


「あそこだ!行くぞ!」


 俺はリンの手を握る。温かく、意外と小さい手。


「う、うん」


 とリンも、強く頷く。


「トー婆さん、行きましょう!」


 婆さんは、黒い波に飲まれる町を、ぼーっと見つめている。


「はよいき。あたしは、この世界とともに終わりや」


「トー先生!うち、うちらと」


「リンちゃん、ありがとうな。あたしのことは嫌いになっても、『老魔女さん』のことは嫌いにならんとってな」


「子どもも待ってるんでしょう!!なに考えてんです!」


 しかし、トー婆さんは黒い波に飲まれる町をずっと見ていた。その思い出の町を、若かりし頃の爺さんを、ずっと。

 そのとき、すんと、リンが鼻をしかめた。

 黒い波のほうから、匂いが漂う。この不快な匂いは。いや、待てよ、この世界に匂いはないはずだ。俺は、さっきコーヒー缶を投げた黒い波の部分を見た。

 まだ微かに穴があいており、洞窟と繋がっていた。

 が、それもゆっくりと閉じていく。


「お爺さんだ!お爺さんがいるに違いない!トー婆さん、いきましょう!」


 はっと、トー婆さんもその煙たい匂いに顔を上げた。俺はトー婆さんの腕を無理矢理掴むと、黒い波の、缶を投げた部分を凝視する。

 あそこに飛び込めば、洞窟へと繋がるはずだ。

 集中しろ、そろそろテレポーテーションも成功するだろう!ララ、ノア、コーヒー缶よ、待っててくれ!

 目を閉じる。

 ぶわりと浮く感覚。


「あんた、缶投げたでしょう、痛いわね!」


 ララの声に安堵する。

 目を開く。

 薄暗い洞窟だった。天井に小さく穴があいており、光が射し込んでいた。その下に、ララとリンと、見覚えのあるお爺さんがいた。爺さんは、右脇にタバコのカートンを抱え、そして口にはやはりタバコをくわえていた。タバコには火が灯っている。


「ちょうど火がなかったんや」


 と爺さんは、上を見上げ煙を吐く。煙が一つ二つと輪っかを創った。


「天使の輪っかや、なあ、婆さん。ははははは」


 と豪快に笑った。


「あんた!」


 とトー婆さんは、爺さんに抱きついた。

 きょとんとしている俺とリンに、


「このお爺さま、どかどかと洞窟に現れてね。リンの放った火を器用にタバコにつけたのよ」 


 とララは、その煙を手で払いながら言った。


「リン、お前の魔法の火だとよ」


 俺のことばに、リンは、「う、うん」と力強く頷いた。


「火が小さいから、ちょうど良かった」


 とノアがぽつりと余計なことを言うと、リンがノアの頭をはたいた。


「やめなさい、あんたたち!」


 ララが叱るように言うと、二人はぶすっと黙った。


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