手汗が気になる。
「ララ?ノア?」
ララが、ララだけじゃなく、屍鬼もいない。ノアも。
「ララちゃん!?」
とリンも異変に気づき、そのススキの原を見渡した。
「ノア!?」
リンの悲壮感漂う声は、風に儚く消える。かさかさとススキは、渇いた音を立てる。
「なんで!?うち、また一人ぼっち」
「バカ!俺もいるだろう!」
「うわああああんん」
泣き崩れるリン。
へいへい、どうせ俺じゃあなんの足しにもなりませんよ。
そのとき、ススキがかさかさと揺れた。風か?いや、違う。ススキの群生の中を、ススキほどの背丈の影が素早くこちらへ向かってくる。
「リン!なんか来るぞ!」
「ぐず、ううう」
「バカ、リン!いつまでめそめそしてんだ!」
その影が、ススキより跳び現れリンに襲いかかる。大きな尖った耳に、ぎょろりと飛び出そうなほどの楕円の目、脳みその少なそうな小さな頭、そして、緑色の体色。俺は、ぐずっているリンを守るように、その緑色の体にタックルする。
「大丈夫か!?」
「ぐずっ、う、、、うん」
とリンはようやく顔を上げる。
「これは、ゴブリンか」
「う、、うん。でも、な、なんか、変だよ。絶滅した屍鬼がいて、ゴブリンもいるなんて」
リンのことばが終らないうちに、かさかさと、ススキが慌ただしく音を立てる。丘の中腹、さらにゴブリンが数体かけてくる。
「うおっ」
と飛びかかってくるゴブリンを、咄嗟にララのロッドで叩く。ゴブリンの顔がひしゃげると、吹っ飛んで行く。なんだ、倒したはいいが。
すこし立ち直ったリンが、おそい来るゴブリンを倒す。リンは、「な、なんか、手応えが、ない」と倒れたゴブリンを見た。ローブを着ていても、武器がなくても、ゴブリンの群れは、リンの相手ではなかった。リンは、二体、三体とゴブリンを倒して行く。
「う、うひゃあ」
すっとんきょうな声が、ススキの原に響いた。
声の方を見る。
白髪パーマに丸メガネをかけたまん丸小さなおばあさんが、どこからともなく落ちてきた。
そして、すぐそばのススキから、ひと際大きなゴブリンがのそりと立ち上がる。
「うへえええ」
と白髪パーマのお婆さんが、大きなゴブリンから逃げるように走る。
「やべえ、助けるぞ!」
と俺は、お婆さんの方へとかける。
リンは唖然と口を開け「ろ、老魔女さん!」と叫んだ。
老魔女さん?リンが読んでいた童謡か?
白髪パーマのおばあさんは、こちらに気づくと、「た、ぜはあ、はあ、はあ、助け、ちくりー」と息も絶え絶えに、ゴブリンに追われながらも向かってくる。なんとかお婆さんと合流する。ぜはあ、ぜはあと本当に呼吸も苦しそうだ。
大きなゴブリンは、無表情でこん棒を振り下ろす。俺は、ララのロッドでそれを受ける。衝撃はあるが、その大きなゴブリンから振り下ろされたとは思えないほど、こん棒の威力は小さい。リンが、ゴブリンの足をひっかけると、ゴブリンは面白いようにどすんと倒れ、そして、消えた。
なんだろう。小さいゴブリンにも感じた違和感。狂気が、殺気が感じられないというか。なんなんだ、この空間は。
「お、おっこちて、もうた、ひー、ひー」
老婆の全力疾走を見たのは初めてだが、辛そうである。
「おばあさん、深呼吸して、深呼吸」
俺は、お婆さんの背中をさする。
そのとき、リンが、はっと丘向こうを見やった。
明るかった大地に、一点の黒が現れる。点が大きくなっていくと、遂には向こうの空が、世界を侵食するように黒くなっていく。徐々に、侵食は波のようにこちらに近づいてくる。黄金色のススキの原が、黒に飲み込まれて行く。
「なんだ、ありゃ!?」
「わ、わかんないよ!」
とパニックのままに、俺は過呼吸気味のお婆さんを抱え、リンと反対方向にかけていく。
走れども走れども、同じ景色。果てはなく、ただ息づかいが早くなり、体力が減って行いくだけである。なにかがおかしい。何か知っていそうなお婆さんは、呼吸しているのがやっとでとにかく抱きかかえて走るしかない。
隣で走るリンの耳が、ぴくりと動いた。リンははたと立ち止まり、そのおそい来る黒い波の方を見た。
「ど、どうした、リン」
と俺も立ち止まる。
リンは、集中した様子で、言う。
「き、聞こえる。ララちゃんの声が」
「どこにだ!?」
リンは、黒い波の方を指差した。
「いや、どこだよ!?」
「あ、あっちだって!」
「波のほうから!?いねえじゃねえか!」
「き、聞こえたんだもん!」
黒い波。俺の力で振るロッドですら倒せる手応えのないゴブリン。あっさりと消えた大きなゴブリン。そういえばララも、屍鬼を倒しながらに、違和感を感じていた。
「そ、そっち、お前さんの、移動魔法、でふう、ふう」
とようやく落ちついたお婆さんが、ようやくことばを発した。お婆さんは、リンがララの声がしたという方向を指差している。
俺の移動魔法?テレポートのことか。なんでお婆さんが俺の魔法を知っている。しかし、近づいてくる黒い波を前に、考えている暇はない。
俺はリンに右手を差し出す。
「な、なに」
「俺を信じろ。手を握れ」
「な、なんでうちがあんたの手なんか」
「今だけだ、ララにまた会いたいだろう」
黒い波はそこまで来ていた。
リンは、嫌々ながらも俺の手を握った。温かく、思ったよりも柔らかい手だった。
「手汗は、すまん」
「い、いいよ、別に」
波が近づきながらに、俺は妙に冷静だった。
女の子の手を握るのは、いつぶりだろう。
「行くぞ」
と俺は、黒い波のなかの、リンがララの声がするといった方向を視認する。
どうせ飲み込まれるなら、向かってやる。
謎のお婆さんを右手に抱え、左手にはリンの手があった。
テレポートする。黒い波の、その向こう側へ。




