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謎の修道女に奢る。

 簿記か。小説か。

 

 いや、まてまて。そんな究極の選択してる場合じゃねえ!


「どこだここは!?」


 とまるで演劇のように大げさに、パーカーのポケットから両手を力強く出すと、叫んだ。

 右手には、500円玉があった。

 落ち着こう。深く深呼吸する。頭痛が痛い。まて。とりあえず缶コーヒーを買おう。

 なぜか稼働している自販機に、500円玉を入れる。缶コーヒーのボタンを押し、受け取り口から取り出す。

 そのとき、がさりと背後から音がした。


「あ、あんた」


 草葉の影から、女がゾンビのように左手を伸ばしていた。修道服を来ている。修道服のゾンビとは、これいかに。


「み、水。水を」


 力尽きたように、がくんと、それはやはり演劇のように、女は力なく頭を垂れた。

 右手には、大事そうに魔法の杖、というより先端の丸いロッドのようなものを持っている。ロッドは、透明な包みで覆われている。

 死んでもなお、大事そうに持って。


「は、はやく」


 とはっと再び女が顔を上げた。

 死んでいない。


「お、おう」


 引き気味に答えながら、パーカーのポケットに入れた缶コーヒーを思う。喉の潤いに缶コーヒー?と謎の気遣いがでる。これは俺が飲もう。

 仕方ねえ、と自販機の釣り銭口から急いで200円だけ取り出し、お金を入れるとスポーツドリンクのボタンを押す。

 ごとんとペットボトルのスポーツドリンクが受け取り口に落ちる。釣り銭もじゃらんと釣り銭口に落ちる。急いでスポドリを取ると、キャップを開け「飲めるか?」と女に渡す。

 女は、ぱっと表情を明るくすると、スポドリをごくりと飲んだ。意外と元気だ。

「う、うまあああああああい!」と女は一気にスポドリを飲み干し「もう一本!」と俺に満面の笑みで言った。


「はあ?」


 図々しいやつだ。


「あの変な機械からね!」


 めざとく俺が買うのを見ていたのか、ずこずこと自販機のほうへと向かっていく。「何か入れてたわねここに」などとぶつぶつと自販機周りを物色している。女が釣り銭入れに手を伸ばす。やべえ、釣り銭そのままだ!缶コーヒー120円と、スポドリ140円。最初にあったのはワンコイン。簿記を受けようとしているやつが、こんな算数間違えるわけにはいかねえ。

 俺の、240円!


「ま、まてまて待て!」


「あ、これね。変わったコインね」


 と釣り銭受けからお金を掴んだ女の右手から、「か、返せ!240円!」となんとかお金を取ろうとするが、ひらりとかわされる。

 女はにやりと笑い「ふふふ、返すわよ、イリリア教会の修道女が、泥棒みたいなことするわけないじゃない」とお金を俺に渡し、「でも、これ壊せば中からでてこないの?その飲み物」などと不思議そうにやはり自販機を見た。

 イリリア教会?聞いたことがないが。しかしどちらにせよ「自販機壊して取るのも泥棒だぞ」と諌める。

 ぎくりと、自販機を調べようとした女は手を止める。


「わ、わかってるわよ。しないわよそんなこと。私はイリリア教会の修道女よ。この変な機械から、その変なコインで買うのね、つまり。どんな魔法なのかはわからないけど」


「理解が早くて助かるな。魔法?どういうことだ。ここはどこだ」


 俺の問いに、女は目を細め、俺を舐めるように下から上へと見る。


「へえ、珍しい。その服装といい不思議なコインといい、そして謎の機械。あんた、さては異世界から来たわね」


「異世界?」


「異世界は異世界よ。たまに現れるのよ、異世界のやつがこっちに」


 と勝手にうんうんと納得している。

 何をわけのわからないことを。俺には時間がないんだ。とうに0時は過ぎ、30歳になってしまっただろう。簿記か小説か、まだこの究極の二択も選んでいない。よくわからんが、現実を走り出そうと決めた俺には、異世界で遊んでる暇なんてないんだよ!


「なんでこんなところに!?どうすれば俺は戻れる!?」


「あんたが異世界からきた理由?あのときのあれがああなったからね」


 ふんふん、となにやら意味有りげに女は頷く。何か知ってるっぽいぞ。


「戻り方も、教えて上げなくもないけど、でもまあ、そりゃ、こっち次第よ」


 と女は、にやりと笑って右手を上げ、人差し指と親指で丸を作る。手が縦になっているので大仏がしているポーズとまんま一緒だが、こっちではどうもお金のことを意味するらしい。どちらにせよ、修道女がする表情でもポーズでもない。


「しゅ、修道女がどうのこうのと言っておきながら」 


 と俺が文句を言おうとしたそのとき、少し離れた場所から音がした。話し声もうっすら聞こえる。


「野盗ね」


 と女は余裕しゃくしゃくで言ったが、この至って普通の修道女と240円を持っているだけのパーカーの俺で、野盗と対峙できるか!

 自販機の稼動音は、森にあっても少し音が響く。こっちに来てしまう。

 女は、自販機をしげしげと見つめ「あっちに行くわよ」と自信たっぷりに歩き出した。


「お、おう」


 と謎の信頼感に引きずられ、俺も付いていく。

 自販機から少し離れたところで、女は木を揺らす。「ほうほう、ややや」と口を尖らせ、謎の声を発す。滑稽だが、こんな状況なので笑ってもいられず、女の奇行を思考停止して見ていることしかできない。

 野盗らしき影が、自販機の方向から外れこちらへ向かってくる。


「お、おい、こっちに来ちまうぞ」


「あの機械がばれるともったいないわ。それこそ壊されちゃうわよ」


 と女は平然と言った。


「いや、お前、命の方が」


 そのとき、3人の下卑た男たちが現れた。


「なんだあ、金は持ってなさそうだなあ」 


 と言いながらも、男たちはナイフを構える。


「ないです。本当に、何も」


 と俺は両の手を挙げる。アメリカではこれでいいはずだ。アメリカじゃないよなここ。


「人売りに売ればいい」


 と両手を上げても意味のないだろうことを察することができるセリフを野盗の一人がはいた。俺は、咄嗟に女を見た。やはり女は平然としている。魔法。そして、女の持つロッド。その大きなロッドはなぜか綺麗に包みに覆われているが、そうか。


「お前、魔法が使えるんだな!」


 俺は喜々として言った。


「まあ、使えないことはないけどね」


 と女は、俺の予想と反してその包みに覆われているロッドを、俺に渡した。


「お、おい、どうやって戦うんだ」


 俺の問いに反応したのは、野盗のほうであった。


「戦うつもりか?なら、ちょっと傷ついてもらうぜ」


 とナイフを片手に襲ってくる。

 女は、にやりと笑い左手の裾をまくった。そして、何も巻いていないのに、何かを掴もうと右手で左腕に触れる。


「あ、あれ、ない!?どこ!?」 


 とそこでようやく女は慌てだした。

 野盗たちは、女のほうに向かっていく。


「な、なにしてんだ!」


 と俺は、足下にあったひと際大きな木の棒を野盗に向かって投げた。

 野盗が棒を弾くと、女の方に木の棒が転がっていく。もう一人の野盗が、女に襲いかかる。


「ナイスよ、いいサイズだわ」


 女はにやりと笑うと、転げるように木の棒を拾い、切り掛かってくる野盗の右手を立ち上がり様に払った。小さく呻き声を上げ、野盗はナイフを落とす。上質なアクション映画のような、ダイナミックでいて無駄がないように見える動きに、唖然と見とれる。


「この野郎!」


 ともう一人の野盗がナイフを切り下げる。

 女が木の棒で受けるが、木はもろくも折れる。


「だ、だめだあ!」


 と女は野盗と距離を取ると、再び一転、慌てて俺を見る。


「あ、あんた、異世界から来たんなら、なんかできるでしょ!」


「できねえよ!」


「はあ!?まあいいわ、さっきの場所にクロスが落ちてる、はずだから」と男たちの攻撃をかわしながら、女は続ける。


「探してきなさい!」


 返事もせずに、俺は女から渡され持っていたロッドを放り投げ、走り出した。ロッドがざすんと地面に落ちる。


「あ、あんたそれ、高いのよ!」


 女の声は無視して走る。


「ちゃ、ちゃんと戻りなさいよ!か弱い女を置いて!」


 と再び背中から女の声がした。

 か弱いか?とさっきの動きを思い出しながらも、森を走り自販機まで辿り着いた。

 自販機周りにはなにもない。クロス、と言っていたな。女は、左腕を探るように触れていた。ということは、左腕にそのクロスとやらを巻いていたのか?そのクロスを。クロス。修道女。十字。

 女のいた場所を思い出す。俺がこっちの世界にきて自販機の前で呆然としているところを、背後から声がして、振り返ると女がいて。

 女がゾンビのように左腕を出していた草葉の影に向かう。きらりと光るものがあった。拾い上げる。掌サイズの、先の尖った十字であった。チェーンが付いており、ブレスレッドのように巻ける。中学生が修学旅行で買うキーホルダーにしては少し大きいな、と思いながらも、ふと踏み出しかけた足を止める。

 すでに女が死んでいたら?女に十字を渡せたとして、このちっぽけな十字で男三人を相手に何ができる?しかし、今にもか弱い(?)女が窮地にたっている。女が、俺に頼んだ十字がここにある。

 自然に、癖でパーカーのポケットに手を突っ込む。缶コーヒーが、ポケットの中にごつりとあった。親父がよく飲んでいた、缶コーヒー。まだ小さかった俺は、コーヒーが苦いから嫌いで、なんであんなの飲んでるんだと不思議に親父を見ていた。30歳か。そのときの親父と、そう変わらない年齢になっていた。あのでかく見えた背中と。


 簿記か、小説か。


 んな究極の選択はどっちでもいい。

 俺が、俺自身が、本質的に変われるかどうかだ。

 ここで逃げたら、それこそ死んだも同然だ。

 なら、変わってから死んでやる!

 走れ、俺。まだ走れる。走れ!


 女が、3人に囲まれていた。

 頬には切り傷があった。肩で息をしている。


「おとなしく、諦めろ!」


 野盗の一人が、ナイフで切り掛かる。


「女あ!受け取れ!」


 と俺は、先の尖った、修学旅行先で買うにしては少し大きい十字を投げた。地区大会一回戦負け元セカンドの弱肩で。


「遅いわ、バカ!」


 と女は、器用に十字をキャッチすると、野盗の振り下げてくるナイフを十字で弾いた。そのまま鋭く懐に踏み込むと、野盗の太ももを十字で突刺した。野盗が呻き声を上げる。

 背後の野盗が、女を襲う。女は読んでいたように体を小さく丸め後ろへ素早くステップを踏むと、背中を向けたままながらも、ナイフを振りかぶった男の懐に入り込む。そして、十字の刃先のみを男側に向け、その太ももをぶしゅりと刺した。


「この野郎があ!」


 と最後の野盗が、女に切り掛かる。

 態勢を整えようとした女の動きを、太ももを刺された野盗が抱きつくように止める。


「な!」


 と女が、慌てて野盗の手を振りほどこうとする。


ーーー間に合え!


 と俺は、未開封の缶コーヒーを投げた。

 缶コーヒーは、女を襲おうとしていた男の頭にヒットする。男の右手にあったナイフは、女の顔先でぽろりと落ちた。

 投げた缶コーヒーが、ことりと転がる。親父とのキャッチボールが、なぜか今思い出される。

 女は背後の野盗の手を払いのけ、立ち上がる。

「さて」と野盗を見下ろし「金目のものは、ないかしら」と邪悪に笑った。


「おいおい、お前、修道女だろう」


 修道女とは思えないセリフと表情にぞっとしながらも、野盗3人が傷を負いながらもそれぞれ生きていることに、感心したりもした。まあ、とりあえず草葉の陰の親父よ、今度元の世界に戻れたら、缶コーヒーを供えにいくよ、と少し凹んだ缶コーヒーを拾う。こっちの草葉の陰には親父はいないか。


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