実践演習。リンは泣きじゃくる。
結構な距離を歩くと、ややじとりとした湿原になった。前を行く受験者たちの背中は、すでに見えない。いわゆるどんけつだ。
なだらかな丘を越えると、常緑の森があった。ララを先頭に、森へ入っていく。
椎の木が高くあり、足下には苔の集合体が散り散りにあった。漏れてくる光は薄く、小さく、うすら寒さすら感じた。ぐしゃり、ぐしゃりと地面を踏む音が森に孤立したようにある。
「静かね」
ぽつりと、ララは言った。
他の受験者たちはよっぽど前にいるらしい。にしても、静かだな、と不気味に思った。
森を慎重に進んでいくが、不思議にも、奇妙にも、モンスター、というか、モンスタードールは現れない。足下を隠すシダの葉は、なんとなく気味が悪い。
そのとき、がさりと近くで音が跳ねた。
「何かいるわ!」
とララが声大きくずんずんと音の方へ向かっていく。
モンスタードールかもしれないが、この際それでもいい。誰も、何もいないよりはよっぽど。
「だ、だれ!?」
とその音の方、木の向こうから、勇気を振り絞ったような、女の強い問いかけがあった。
木を避け、その正体を見る。
「お前は」
名前なんだっけな。
肩口まで伸びたウェーブのかかった茶色い髪の毛。分厚いローブは体全体を覆い隠し、地面にすれすれまでの長さだ。頭からは耳が二つピンと出ている。淵のない小さな丸めがねは鼻に乗っかるようにしてあり、その奥の大きな目は、マツエクによりさらに大きくなり、そして浮かんだ涙によりさらに大きく見えた。先端が星形の、銀製の重厚感のある杖を大事そうに持ちながら、後ろに引き気味にいた。しかし、俺たちを見て安堵したようで、へたりと座り込んだ。
「リン」
とノアが、ぽつりとこぼした。そうだ。そんな名前だった。ギャルなのに、オールドスタイルな魔法使いの格好をしているソーサラー。その胸元に勇者カードが見当たらないが、確か組合の不手際でまだ発行されていないとか言ってたか。
ララが、ずんずんとリンに向かっていく。
びくりと身構えるリンに、ララはゆっくりと腰を屈め、「もう大丈夫よ」と修道女モードでリンに手を伸ばす。
「う、うううう。うわああああん」
とリンは、大泣きしララに抱きついた。
ララは優しくリンの頭をなでた。
けんかっ早かったりケチだったり。忙しいやつである。
泣きながらも、リンは一人森を歩いていた理由を語った。
いわく。実践演習前の集合場所で、声をかけられパーティを組んだ。まあ、その格好ならすごい魔法が使えそうなので納得である。そのパーティとロビンの森の中に入っていった。他にも遠くない距離を2、3のパーティが歩いていたらしい。リンは、森を歩きながらに、違和感を覚えた。この先で、戦闘の気配を感じ取ったと言う。それも、モンスタードールのようなぬるいものでもなく、殺気を帯びた戦闘だという。それをパーティメンバーや近くのパーティにも伝えるが、
「う、うう、うちは、言ったの。ぐすっ。なんか嫌な感じがしたから、先に行くのはダメって。でも、あいつら全然聞いてくれなくて。ぐすっ。うち、仲間外れにされて、どっかいけって」
「辛かったわね。うん。辛かった」
とおあつらえ向きなことばでララはリンを慰めた。
「うん、超、辛かった」
とリンは、ララの胸に頭を埋めた。おあつらえ向きなことばで良かったらしい。
「で、どうすんだ、ララ」
リンの予感は、あながち間違っていないような気もする。モンスタードールが一体も出てこない。これは、どういうことだ。
「進むわよ」
とララは、強く言った。
リンははっと顔を上げ、ララを見て言う。
「だ、だめ!この先はヤバいって!超危ないって!」
ララは、すでに森の向こうを見ていた。強い眼差しで。
「リン。ありがとう。私はあなたのことばを信じる。でも、私が、そのバカどもを救ってあげないと」
「そんな、でも」
リンは、ことばに詰まる。
「それが、私の使命よ」
とララは、歩き出した。
「リン、とやら。街へは戻れるか?ここまでの道のりに危険はなかったが、この先異変があるかもしれない。戻って組合の人に伝えてくれ」
唖然と座り込むリンに俺は言うと、ララに続いた。
ノアも、無言で続く。
ぐすりと、背中で鼻水を啜る音が聞こえた。
いくらか歩いたところで、俺は背後の音に気づいた。
リンが、後ろから付いてきている。付かず離れずの位置で。
俺は、ララに並び、小声で言う。
「おい、あいつ、どうする」
「へ?」
とララは俺を見た。
「なんだよ、気づいてねえのか。後ろから付いてきてんだよ」
ララは振り返り「あら、リン、来るなら来なさいよ!」と笑顔でリンに声をかけた。
こいつ、本当に前しか見てねえな。
未だにぐずってるリンに、「早く来なさい、置いてくわよ!」とまるでマントを翻すように、再び前を向いた。
「う、うん!」
とリンは顔をぱっと明るくし、ようやく足早に来た。
その大きな背中と、妙な自信に溢れたララは、じとりと薄くらい森にあって、不安をいくらかかき消す存在であった。
はたと、全員が足を止めた。
リンと合流してから、結構な距離を歩いたところであった。
男がよだれを垂らして地面に打っ伏していた。ララが容態を確認する。
「気絶してるだけね。さて、どうしたものかしら」
そばには男のものと思われる魔法の杖が落ちていた。そして、男は、襷を駆けていた。
『勇者組合秋の大資格祭』と書かれた、襷を。
「組合の試験官ね」
「そうだな。モンスタードールが出てこなかったのもこのせいか」
さて、本当にどうしたものか。
さすがのララも思案している。
そのとき、遠くではあるが、声がした。悲鳴のような、声。
静かな森にあって、その悲鳴のような声が、小さくも連続して聞こえる。
ララが走り出す。
「ララちゃん、待って!ダメ、マジで!」
リンが、再びララを止めた。
ララは、ぴたっと止まると、振り返らずに言う。
「ここから先は、私のエゴ。私が、救いたいから、行きたいから行く。あんたたちは、私のエゴに付き合う必要はない」
そして、ララは再び走り出した。
俺は、リンとノアに言う。
「今度こそ明確な異変だ。街に戻って組合のやつに伝えてくれ。頼んだぞ!」
「こらユーキ、早く来なさい!」
といくらか先にいるララが、振り向いた。
「行くから、まってろ!」
俺で力になれるか?なんもできねえぞ。この先の異変はなんだ?
ララに追いつく。足の張りが半端じゃない。
息を整えながら、言う。
「はあ、お前のエゴに、付き合う必要は、ないんじゃなかったのか?」
「ユーキ、部下1号のあんたはノーチョイスよ!黙って私に、付いてきなさい!」
となぜか笑顔で走り出すララ。
その謎の自信に溢れながらも、俺を待ったというのは、こいつにもちょっとした不安があるのだろうか、と付いていくことで少しでもそのこいつに似合わない不安を消すことができるなら、どこまでも付いていくのが俺のできる精一杯のこいつへの奉仕なのだろう。
ララを追って、走る。その大きな背中を見ながら。
太ももは悲鳴を上げる。だけど、まだ、走れる。走れ、俺。その背中を、一人にしないためにも。




