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アタマの盛り
牛丼としてやってきた今日この頃。
日々を生きる上での幅について考える。
牛丼はごはんと牛肉とたまねぎの煮たやつだから、正確には幅はない。
どこまでもうち空ければ空けれてしまう。
しかしそれでは牛丼のいけないところを列挙してしまうことになる。
いけなくはないが、作っていただいた人達に申し訳が立たない。避けることもなければ。
なら、器としての私を重ねてみようと思う。
牛丼を受ける器。牛丼をおいしく召し上がれるための器という、牛丼の構成物ではあるものの食べられはしない、その器。
形なきものを受けて初めて形をなすその体をして、日々の牛丼生活に、青や黒、白などの彩りをもうけるとともに、その大なり小なりを推し量らんことを願いまして、ここによもやま話として記すことにて。
拝杯、受けるものがあることを知り、喜ぶ。