6 返信 ―河崎優衣子―
「面白い!ドラマみたい!」
持って来たポストの貯金箱とコスモス色の手紙を前に、うまく説明できた自信はなかったが、少なくとも優衣子は大まかな内容を理解してくれた様だ。初めて山田由梨からコスモス色の手紙を受け取った時の自分と同じ反応。同じ様にワクワクし、同じ様に喜んでいる。
「でもなぁに?この字は確かに姉の字だけど、名前は山田由梨って書いてあるよ?姉の名前は河崎弥生よ。ねぇマスター?」
「私は・・よく分からないが・・手紙の主は弥生ちゃんなんだね?弥生ちゃんは元気なんだね?」
軽部は戸惑いを隠せていない。理解して欲しいというのが無理な要望なのかもしれないが、実際に事実しか伝えていない。作り話や嘘は言っていない。大袈裟に話を膨らませたつもりもなかった。
軽部の言葉に頷いてはみたものの、弥生が元気なのかどうかはハッキリと答えることが出来なかった。今まで届けられた手紙は、弥生の健康について記されていた事がない。コーヒーの事だけ。ただしそれは目を通した手紙に限っての話だ。もしかしたら、駄目にした一通目の手紙に事細かく記されていたのかもしれない。一通目を駄目にした・・悔しい・・その思いが胸を締め付ける。
「わたしなら、最初は自己紹介から始めるわね。名前でしょ、年齢でしょ、今何処に住んでるかでしょ・・」
上を向いて楽しそうに話す優衣子。
「あ、それと何で手紙を出したのかも書くわ」
思い付くだけの自己紹介の項目を言い、最後に付け加えた。一番知りたい項目を。
「おそらく、その様な事が一通目に書かれていたと思うんだが、何も読めなかったんだね?」
軽部の問いに頷く。すみません、と言いながら。
「それで?姉に返事はしたの?」
優衣子の言葉にハッとする。知らぬ間にコーヒーを送った事になってはいるが、それっきり山田由梨からの一方通行のやり取りになっていた。初回の手紙を破損させた現実に落胆し、ポストという真っ赤なコーヒーに震え、何処かからずっと見られていたかもしれないという可能性に怯え、返事を書くという作業をしていなかった。
返事をしていない事を察した優衣子は、更に目を輝かせてこう言った。
「ねぇ、今から返事書きましょうよ」
目を丸くした軽部と同時に優衣子を見た。見つけた宝箱を開ける前みたいにはしゃいでいる。気持ちは分かる。自分もそうだった。
「何もしないなんて勿体無いわ!姉もきっと返事を待っていると思うの」
「優衣子ちゃん・・」
軽部が口を開いた。今度は優衣子と同時に軽部を見た。軽部は少し間を置き、重たそうな口をゆっくりと開いてこう言った。
「聞いてもらいたい話があるんだよ。弥生ちゃんの事だ。返事を書くのはそれからでもいいかい?」
首を傾げる優衣子。目の輝きはまだそのまま。まだ面白い話があるの?そんな感じだ。
優衣子は弥生が黒いスーツの男に一度連れ去られた事をまだ知らない。ユリと呼ばれていた事もハッキリとは知らないはずだ。好奇心だけで動くと、何か大変な事になりそうだと軽部は思ったのだろう。たとえ優衣子の反応が分かり切っていたとしても。
「すっごい!我姉は一体何者?」
予想通りと言うか、予想以上と言うか・・優衣子はますます興奮していた。軽部はそんな優衣子を見ながら微笑し、水をひとくち口に含んだ。
「ね?だったらなお更返事書かなくちゃ!」
誰の反応も待たずに優衣子は席を立ち、便箋とボールペンを持って帰ってきた。
「えっと・・まず『拝啓 河崎弥生様』よね?」
軽部が、本当に書くのか、と訊いても、他に姉の事を知る方法があります?と質問を返されてしまった。
確かに、そう。河崎弥生と、山田由梨へのコンタクトは手紙しか思いつかない。それ以外の方法があったら教えて欲しい。
しかし、この胸が重たい感じは何なのだろう。おそらく軽部も同じなんだと思う。
「次、何て書く?難しい挨拶はいらないよね?」
軽部と同時に一応頷いてみた。優衣子はボールペンを下唇に当て、うーん、と天井を見上げながら首を傾げた。
「ねぇ、優衣子さん。ごめんなさいって書いてもらえる?」
「ああ、ずっと返事書かなかったから?」
「それと、一通目を読めなくしたから・・」
「そんな暗くならなくても!」
優衣子はそう言いながら、スラスラとペンを走らせた。まるでこの場には優衣子一人だけで十分であるかの様に。
『拝啓 河崎弥生様
妹の優衣子です。お元気ですか?えっと・・堅苦しいので敬語はやめます。
わたしは今もカフェYAMADAで働いてるよ。お客さんも相変わらず知ってる人ばっかり。でも楽しいかな。マスターも元気だよ。
わたしの事はいいか。そうそう、まず質問!今一体どこにいるの?何してるの?それからお姉ちゃんが言ってた黒いスーツの人の事だけど、サラリーマン的な人が結構お店に来るから誰の事だかさっぱり分からないよ。あとどうやって連絡したらよいのか分かりません。だから、要するに、えっと・・とにかくわたしはお姉ちゃんが心配なワケで・・お姉ちゃんの居場所さえ分かったらまず安心出来るから教えてくれない?
あ、そうそう、今回手紙を書いたのはね、お客さんか来たからなの。お姉ちゃんが手紙とコーヒー送った人が訪ねて来てくれたんだよ。でも残念な事に、お姉ちゃんの最初の手紙が読めなかったんだって。コーヒー零しちゃったみたいでさ。あ、コーヒーって言えば、お姉ちゃんマスターに気味悪いコーヒー淹れて飲ませたんだって?来てくれたお客さんにも送ったらしいじゃない。わたし実際見てないけど、真っ赤なコーヒーってどうなの?ある意味興味あるけどさ、飲みたいって思う人少ないんじゃないかなぁ?
それから、えっと・・とにかく、この手紙読んだら店に来てよ。いっぱい説明してもらわなくちゃいけないからね!
じゃあ、待ってるからね!
優衣子』
「優衣子ちゃん・・もう少し整理して書かないかい?」
軽部が苦笑いで言った。優衣子はほっぺたをプクーッと膨らませ、
「だって文章とかって苦手なんだもの。じゃあマスターが書いて下さい!」
と、便箋とボールペンを軽部に渡した。
「いや・・私も得意ではないんだが・・」
軽部はペンで頭を掻きながら考え込んでしまった。その様子を暫く窺っていた優衣子は悪戯っ子の様な笑顔を見せ、軽部の肩を何度も叩いた。
「思った事を書けばいいんですよ。期待してますよマスター」
軽部が手紙を書き終えたのは、恐る恐る『拝啓 河崎弥生様』と達筆な字で書き始めてから、三十分以上経過してからだった。軽部の隣で欠伸をしている優衣子を見て、思わず吹き出してしまった。
「もう・・マスター遅いですよ!」
「うーん・・これで失礼はないだろうか?」
満足していない様子の軽部。目が何度も何度も便箋を往復する。待ち兼ねた優衣子は軽部の不意を衝いて便箋を素早く奪い、再び悪戯っ子の様な笑顔を見せた。
「じゃあ、お手並み拝見しますよ!」