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1 小さな郵便

チャリーン・・・

 今日も古いポスト型をしている貯金箱に500円玉を入れる。お気に入りのコーヒーカップと同じくらいの大きさの、真っ赤なポスト。

 数ヶ月前から始めた500円貯金。その日の夜に財布をチェックし、500円玉が入っていたら貯金するのだ。これが思った以上に貯まる。数ヶ月で500円玉はもう直ぐポストの天井に届きそうだ。幸いお財布への影響もあまりない。出掛け先で缶コーヒーが飲みたくなった時、小銭が無くてお札をくずす回数が増えたくらいだ。でも、それによってお釣りに500円玉が混ざって返ってくる。またそれをポストへ。とてもいいペース。

 ニコニコしながらポストの頭を撫でる。今いくらぐらいあるのだろうか?そっとポストをひっくり返し、底にあるフタをめくって中を覗いてみる。500円玉が満員。これは少し期待してもいいかもしれない。数えてみよう。

ピーッッ!!

 やかんの音。そうだ、コーヒーを飲む為にお湯を沸かしてたんだ。直ぐにキッチンに行き、お気に入りのコーヒーカップに出来立てのコーヒーを注ぐ。

『郵便です!郵便です!』

 いきなり機械的な声が聞こえた。玄関からではない。何処から?

『郵便です!郵便です!』

 また・・・。部屋の奥?コーヒーをキッチンに置きっぱなしにしたまま、耳を澄ませて声の主を探した。

『郵便です!郵便です!』

 3度も聞こえると、空耳の疑いがすっかり無くなってしまった。耳を澄ませ、声の主を発見しようと部屋をうろうろ・・・っと言ってもワンルーム8畳の部屋。キッチンから声の主までは数メートルしか離れていなかった。

『郵便です!郵便です!』

 さっきまで頭を撫でたり、中身を覗いてウキウキしていたポスト。間違いない、声の主はここだ。おそるおそる、でも少しワクワクしながらポストを手に取る。

おしゃべり機能なんて付いていなかったハズだ。

 だから、好き。

 どこにでもありそうで、お金をお腹に入れるしか出来ない単純なポスト。

 だから、好き。

『郵便です!郵便です!』

 手の中でお喋りされると、さすがにワクワクが驚きに変わる。2・3度両手でトランポリンをさせてしまい、何とか両手の中で安定させる事に成功はしたものの、次にお喋りされたらもうその自信はない。

 耳を近づけ、軽く振ってみる。

 ガシャッガシャッ・・・

 重たい500円玉が満員を訴える。

 目を近づけ、そっとフタをめくってみる。

 小学校の全校集会みたいな光景。

 口を近づけ、小声で、声の主に身分を明かす様お願いしてみる。

『郵便です!郵便です!』

 久しぶりに悲鳴というモノをあげてしまった。今度こそポストは、トランポリンに失敗し、フローリングに硬い着地音を響かせ、コロコロと転がった。

 数分、転がったポストと睨めっこが続く。落ち着こう・・・そう思った。夢なのかもしれない。漫画やドラマでよく見る様に、ほっぺたをつねってみた。ほどよく痛い。状況は何も変わらない。足元には転がったポスト。それをじっと見つめる自分。何も変わらない。念のため携帯電話や目覚まし時計をチェックする。郵便が届いた知らせの着メロやアラームがあった覚えはないが、念のためだ。テレビのスイッチが切れている事も確認する。オーディオも。音が鳴る可能性がある全ての物をチェックした。はずれだ。・・・という事は・・

 夢じゃない現実の世界で、ポストから音が発したのが事実なのだ。

 モノガタリが始まった!漫画やドラマではなく、現実の世界で不思議なモノガタリが始まった!何だかとても嬉しくなった。

 もう一度、そっとポストを手に取る。ポストの頭を、人差し指でコツコツと叩いてみる。

『郵便です!郵便です!』

―誰からですか?

 顔を近づけ、小声で尋ねてみた。

『2丁目、2丁目、ヤマダさん、ヤマダさん、ユリさん、ユリさん』

 2丁目のヤマダユリさん。心当たりがなかった。

『2丁目、2丁目、ヤマダさん、ヤマダさん、ユリさん、ユリさん』

 ポストが繰り返す。

―その郵便下さい。

 小声で言ってみた。

『お届けします!お届けします!』

 ポストの小さな口から、コスモス色の小さな封筒が出てきた。その封筒は、目を離したらすぐ迷子になり、風が吹いたら楽しそうに宙を舞い、捕まえるのに多少なりとも努力がいりそうだ。手のひらに簡単に収まる、500円玉を四角くしたサイズ。それでもきちんと封筒になっていて、目を細めてよく見ると、ご丁寧に切手まで貼り付けてある。

 封筒をそっと裏返す。差出人は山田由梨。住所は2丁目。ポストが伝えた通りだった。

 細めていた目を軽くほぐし、優しく左手を閉じて手紙を包み込み、ひとつ、深呼吸をする。

ゆっくりと左手を開き、コスモス色の封筒がここにある事を改めて確認する。大丈夫、夢じゃない。再度左手を優しく閉じ、そのままキッチンに足を運んで爪楊枝を取る。爪で封を切ると、封筒も中身も一緒に破れてしまいそうで怖かった。

 コーヒーカップが香と湯気を漂わせている。すっかり忘れてしまっていた。右手でつまんでいた爪楊枝を一旦コーヒーカップの横に置き、真ん丸い取っ手を握る。左手の親指と人差し指だけを伸ばし、爪楊枝を拾う。慎重に、慎重に、慎重に歩き出す。思ったよりコーヒーカップから右手に熱が伝わってきた。慌てて少し早足になった途端、コップの中身が左手に襲い掛かってきた。

―あつっっ!

 フローリングと左足にもコーヒーがこぼれたが、そんな事はどうでもよかった。一番被害を受けた左手の指の間から、掌にジワジワとそれが伝わるのが分かってしまった。


「初めまして。山田由梨で」

 これしか読めなかった。そこから先は溶け込んでしまった。コーヒーに襲われた封筒を、ティッシュで包んで本の間に挟んで数十分・・・そっと取り出し、勝手に糊がはがれた封筒を爪楊枝で捲り、ピンセットで中身を取り出した。コスモス色がほとんど茶色に変わり、しわくちゃになって硬くなっていた。

「初めまして。山田由梨で」

 そんな事は知っている。ポストも教えてくれたし、もう読めなくなった封筒の差出人欄でも確認した。どうせ次の文字も見当が付く。「す。」か「ございます。」あたりだろう。「ごわす。」でもいいし、「やんす。」でもいいな。「はございません。」だとオモシロかったかも。この際、「した。」で完結してくれていたら諦めがついたのに。

 コーヒーに溶け込んで遊泳を楽しんだ痕跡がある文字は、残念ながら本来は、きちんと整列して何行か続いていたようだ。すっかり名前を名乗るだけの内容でしかなくなった手紙を数分見つめ、深い溜め息をついた。手紙が宙を舞う。もうどうでもいい。ぬるくなったコーヒーを一気に飲み干し、乱暴にカップを置く。

『返事、書く?返事、書く?』

 ポストが喋った。見ると、ポストの頭にコーヒーが少し飛んでしまっていた。さっき乱暴に扱われたカップから逃げ出したコーヒーだろう。

『返事、書く?返事、書く?』

 ポストが繰り返す。

―もういいよ。モノガタリが始まる前に終わっちゃったんだよ・・・

『返事、書く?返事、書く?』

―ううん、書かない。

『返事、書く?返事、書く?』

―書きたくても書けないんだってば。

『返事、書く?返事、書く?』

―書きませーん。

『返事、書けよ、返事、書けよ』

―君、ちょっとうるさいよ・・・

 コーヒーカップを逆さまにしてポストに被せた。同じくらいの大きさだったから、わりと上の方でつまって動かなくなった。ポストはでっかい帽子を頭に乗せたまま、まだモゴモゴ言っていたが、2丁目の山田由梨さんの事が気になって、それどころではなかった。


 1週間後、宅配便の不在通知が届いていた。バイトが終わり、帰宅したのは午後7時。すぐに宅配会社に電話をし、今日中に届けて欲しいと伝えた。

 こんなお願いをした理由はただひとつ。不在通知に記入されていた差出人の名が、山田由梨だったからだ。これほど自分宛の宅配を心待ちにしたのは初めてだ。せっかくくれた手紙に返事も出来ず、あれから一週間何もしなかった自分に何を送ってくれたのだろう。

 玄関がノックされたのは30分後。いつも通り食後のコーヒーの為にお湯を沸かしていた時だった。受け取った荷物は一辺がA4サイズくらいの箱で、差出人は確かに山田由梨。住所は2丁目。中身はコーヒーのセット。コスモス色の封筒も入っている。今度の封筒はあんなに小さくはなくはがきサイズで、中には二つ折りにされたコスモス色の手紙。手紙を襲う物が近くに何もない事を確かめてからそれを開く。

「山田由梨です。先日はコーヒーをありがとうございました。」

 どうやら山田由梨さんに先日コーヒーを送った事になっているらしい。

「お礼に、当店のコーヒーセットをお届けします。」

 コーヒーのお店にコーヒーを送ったのか。よく分からない事をしたらしい。

「味は5種類。ブラジル、モカ、ハイマウンテン、マンデリン、そして当店オリジナルのポストです。」

 ポスト?聞いた事のない種類だ。届けられたコーヒーセットに視線を移す。

 ピーッッ!!

 やかんの音。丁度いい。ポストを飲んでみよう。


 それはとても奇妙で、鳥肌が立ってしまった。普通の色をしていたコーヒーが、お湯を注いだ途端真っ赤になったのだ。ペーパーフィルターもドリッパーもお気に入りのコーヒーカップも巻き込んで。ポスト色・・・そう解釈出来ればよかったのだが、これじゃあまるで・・・

 とても飲む気になれなかった。片付ける気にもなれず、そのままこの場を離れた。

「そして当店オリジナルのポストです。」

 あんなコーヒーをお客さんに出してるの山田由梨さん?

『郵便!!郵便!!』

 1週間ぶりに500円玉をお腹に溜め込んでいるポストが喋った。あの時コーヒーカップの帽子を被せたせいで、少し頭が茶髪になっている。

 ドキッとした。ちょっと怖くなった。もしかして、始まったモノガタリはホラーだったの?

『受け取る?どうする?受け取る?どうする?』

―うん・・・一応下さい・・・

『はいよ、これだよ、はいよ、これだよ』

 1週間前に比べて何だかフレンドリーで馴れ馴れしくなった気がしたが、それは頭が茶髪になったからだという事にした。

 封筒は相変わらずコスモス色で、今度は1週間前と同じ500円玉サイズ。何事もなく上手く開封出来た。差出人はもちろん・・・

「山田由梨です。コーヒーいかがでしたか?もしよかったら、当店にお越し下さいね。」

 文末に地図が書かれていたが、小さすぎてよく分からなかった。

 明日・・・2丁目を少し歩いてみようか。そう思い、今日は何も考えず寝ることにした。


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