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三人称で描く打撃描写

作者: 柿原 凛

 ネクストバッターズサークルで、三番の滝川は相手投手の方を一度たりとも見ず、自分の打撃フォームを確かめるようにゆっくりと、だが力を身体の内側に、特に軸足に貯め込むように素振りをしている。

 夏の地方予選2回戦。相手はセンバツ優勝校の広島実業高校。相手投手はプロ注目のエース梅川。現在8回裏、11対5で広島実業がリードしている。4回に怪我で降板したエース辻原のためにも、なんとか追いつきたい。広島水産ナインの思いは皆同じだった。先頭の一番、沖浦は綺麗なセンター返しで出塁し、二番の足立は滝川の目の前でレフト線を綺麗になぞるような二塁打を放った。流れはこちらに来ている。滝川はそう信じて打席に向かった。

 ノーアウトランナー二、三塁。自慢のクリーンナップにスクイズはいらない。甲子園優勝候補でありプロ注目のエースである梅川から6点も取れていることは自信につながる。その動揺からか、はたまた疲れからか、いきなり連打でチャンスを作ることに成功した広島水産。マウンド上に集っていた広島実業ナインをじっとみつめながら、スパイクで足場を固めた。

 エル・クンバンチェロの大応援に包まれる市営球場。もはやランナーを気にせずお互いに睨みを利かす投手と打者。汗を軽く拭って、梅川が振りかぶった。セットポジションでくると思った滝川は一瞬タイミングが狂い、得意としている内角のストレートを見逃してしまった。8回なのに全く落ちない球速。電光掲示板に球速表示はないが、140キロは軽く超えている。一旦打席を外して屈伸運動する滝川。乱れている相手のペースをここでこちらから立て直す訳にはいかない。滝川はそう感じて深く息をつき、もう一度打席に入り直した。

 またもワインドアップから投げ下ろしてきた球は、外角から大きく曲がって捕手の前で跳ねた。曲がりの大きいカーブに滝川は手が出そうになったが、グリップエンドは肩の高さでしっかり止まっている。梅川には他にも曲がりは小さいが鋭く曲がる横のスライダーと、フォークボールのような落差の縦のスライダーがある。今日はこの縦のスライダーが冴え、失点は多いもののギリギリのところで踏ん張ってきた。打者を惑わせるように、どの打者にも3球種以上使うような配球をしてきた。ロジンバッグに手をやり、顔の前に舞う白いベールに包まれながら、梅川は捕手の門田と次の球とコースを決めた。ランナー二、三塁で右方向に打たれるとまずいので、外角に球威のあるボール球のストレートを投げ、左方向の打球を誘う。これが見逃されても、次の内角をえぐるような縦のスライダーを振らせて、内角に意識が行ったところで最後に外角の直球。こうやって抑えよう。捕手の門田は無言でサインを出しながら投手の梅川に念じた。梅川は、わかってるよ、と涼しい顔で返す。

 一方の滝川はここまで梅川に対して決して悪くない成績。前の打席で三振したものの、その前の2打席はいずれも安打を放っている。しかし滝川は今日の自分の状態について隠していることがあった。それは、早く身体が開いてしまうということだった。身体が早く開くと、そのぶんボールを早く判断しなければならないし、自分のいつもの打撃のポイントと違うので会心の一打は生まれない。前の打席の三振はそれを修正しようとあえて遅く始動したが、それを見抜かれたのか内角の直球に振り遅れたし、その前の2打席も自分が思っているほど気持ちよく打った感覚はなかった。自分が内角球を打つのが得意でそこが一番気持ちよく打てるポイントだからこそ陥ってしまう身体の開き。高校3年間で最後になるかもしれない試合。しかも8回ということは、これで負ければこの打席が高校最後になってしまう。悔いの残らない打席にするにはどうすれば良いか。結果を出すしか無いと滝川は胸に手をやり瞳を閉じた。ギュッと目をつぶり、パッと目を開くと、多少は新鮮な景色になって元の景色が帰ってくた。

 バットを遠心力を利用して肩の高さまで持ってきて、構え直し、足でリズムをとる。梅川が振りかぶって、叩きつけるように放ってくる。ボールは地面ギリギリを這うように進み、ミットに収まった。

「ストライク!」

 外角ギリギリの直球。梅川がボール球として投げた直球は、少し内側に入った。門田は冷や汗をかき、梅川は門田からの返球を受け取るとバッターに背を向けた。滝川はその球の意図がわかっていたのか、悠々見送った。滝川は思った。前の打席ならば手を出してしまっているボールだと。うまく打って安打になるならまだしも、打ち損じてしまうと三塁方向に飛びやすく、ランナーが帰ってこられない。一塁方向に打てられれば、打ち損じたとしてもランナーが帰ってこられる可能性はある。この場面ではとにかく右方向に打球を飛ばすことが大事で、得意の内角でフライを打ち上げることができれば長打も狙えるし最悪でも犠牲フライになる。滝川はどうにかして右方向にフライを打ち上げることにした。

 しかしカウントは2ストライク1ボール。追い込まれている。次のボールはストレートか変化球か。変化球なら何がくるか。滝川は様々なパターンを想像しながら打席の外で天を見上げた。雲ひとつ無い青空。野球日和。微弱な風は大会旗を動かす力もない。風に乗って打球が伸びることもないだろう。滝川は打席に入り直し、開き直った。来た球に素直に反応する。原点回帰である。腰のところに力を入れて、上半身はリラックスる上虚下実の構え。梅川と門田のサイン交換が終わり、梅川の右腕がしなってきた。ボールは一瞬で滝川の腰まで届き、そこから下降を始めた。滝川は自分の得意なコースの球が来たと思い、どうしても開いてしまうスイング動作を疑うこともなく開始する。しかしボールは予想外にも急激な下降を始めた。恐れていた縦のスライダーだった。梅川の縦のスライダーは変化量が大きく、見逃せばボール球になることが多い。しかしもうスイングが始動してしまっており、滝川のバットは止まることができない。万事休すかと思われたが、滝川の身体は魂が乗り移ったのか、勝手にその球に反応し、腰を回す幅を小さくし、ほぼ腰を回さないことで対応した。腰が抜けているような格好にはなってしまったが、ゴルフスイングのように縦回転になったバットの先端はギリギリ内角低めの縦スライダーのタイミングと合い、遠心力によってボールをセンター前まで持っていった。

 三塁ランナーの沖浦は、第二リードを取りながら、ゆるゆるとした滝川の打球を目で追った。センター前に落ちるとすぐに本塁に突入し、ホームベースを力強く踏み、すぐに二塁ランナーだった足立に本塁突入の指示を出す。センター新田は不規則に回転するその打球をがっちりつかみ、すぐにバックホーム。ノーバウンドの強烈な送球が、超低空飛行の飛行機雲のように伸びていく。沖浦は足立に右側へスライディングするよう指示したが一歩遅く、左側へスライディングした足立と捕手の門田が交錯することになった。スライディングでできた砂埃の合間から、主審がボールの行方を覗き込む。判定は――。

「ヒーズ、アーウ!」

 He is out.

 思えば、この本塁突入失敗がその後の試合の流れを大きく左右した。試合はこのまま11対6で広島実業の勝利。優勝候補を追い詰めることはできず、広島水産ナインは広島実業の校歌斉唱をまともに見ることができなかった。白球を追いかけた広島水産ナインの夏はここで終わった。 

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[良い点] 激アツな野球ドラマの展開 [気になる点] 野球を知らない人には難しい内容かも知れません。 [一言] 夏の高校野球を思い出しました。 一つ一つの試合にドラマがあるように練習一つ一つにドラマが…
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