五人の屍姫の茶会
「ねえ、ビブル。お茶会に他人を招くのってどうしたらいいのかな?」
「突然どうなさったのですか。他の屍姫様と交流を持たれて、興味でも持たれたのですか? それとも砂漠の熱にやられたのですか」
「相変わらず辛辣だね、ビブル……」
日が沈み、涼しい室内で、枕を抱きながら倒れこむ屍姫リコ。ビブルの憐れみを含んだ視線を浴びながら、リコはスーディアの茶会に招かれた時の、最後の一言を思い出す。
『今度はあなたが招きなさいよ!』
思い出しながら深いため息を吐いて、先日あったことをビブルに伝えた。
「まあ、正しいお話でございますね。お茶会のお礼はお茶会で返すものです」
「でも、フィズやシルフィーの時は何も言ってこなかったよね?」
「それは、今のリコ様が茶会を開いて無事に終わるとは思わなかったからです」
「う……」
至極もっとも。返す言葉もない。
「すぐに招待される方もいれば、時間を置いて開かれる方もいらっしゃいます。半年ほどなら……つまりは御霊還りの儀、ギリギリの時までは待っていただけるかと思ったのです。他の方も、リコ様がすぐに上流階級の慣例を真似できるとは思っておりますまい。ですが」
当然、スーディアに求められては別の話だ。とビブルの目が鋭く光った。
早急にとは言わずとも、限りなく近い内には呼ばなくてはならない。それも、今まで茶会に招いてもらった三人だけを呼んでアイーシャをのけ者にするわけにもいかず、四人全員をおもてなししなければいけないのだ。
「って言っても、ここじゃ……ねえ?」
「ははは……」
住まいを借りている身分とはいえ、一国の王女たちやお嬢様を迎え入れるにはあまりにみすぼらしい場所だと、リコも、手伝いに駆り出されたウゴルも思ってしまった。
あるにはある、応接室。絨毯は町の人が織ったらしい、立派ではあるがぬくもりの感じるもの。テーブルは普段使いとしては悪くないものの、装飾も味気なく、薄く色とニスが塗られた程度。テーブルクロスを掛けて誤魔化すとして、その上に乗せるティーカップもポットも菓子皿もそこまで上等なものではない。そもそも、部屋そのものが小さい。
「皆様も、リコ様に対して同等の茶会を期待してはおられません。ご理解いただけるでしょう」
どこか棘のある言葉だが、ビブルの言うことに間違いはない。その方がリコにとっても有難かった。
「でもお返しのお茶会でしょ? 何とかいい気分で帰ってもらえるといいんだけど」
「その心がけはよろしいことです。ですが、何をされるおつもりですか?」
うーんと腕を組んで頭を捻り、リコは数秒考える。
「そうだ。せめて私がお菓子を作ろう!」
きちんとした手順で紅茶をいれるのは、もはや高尚な趣味か上流階級の教養だ。元の世界ではペットボトルやティーバッグといった便利なアイテムがある。紅茶をいれる技術では、今から必死に学んだとてウゴルにも勝てないだろう。部屋自体も、見た通りどうしようもない。
残ったのは茶菓子だけだ。それがリコのできる、他の屍姫にも真似できない唯一のおもてなしだった。
「小麦粉とお砂糖、卵にバター、クリーム……。それと、もしあればなんだけど、チョコレートってあったりする?」
「チョコレート、ですか?」
リコの質問にウゴルが珍しく渋い顔で返す。
チョコレート以外は普段の食事でも使っているため、価格はともかく、存在はしているのは確実だ。だがチョコレートがあるかだけは賭けだった。
「やっぱりないよね……」
「あ、いえ、アイーシャ様の貢物の中にあって、今ごろ市場に並んでいるはずですが……」
「本当? よかった! ……内職した分のお金で足りるかな?」
「量にもよりますが、それほど多くなければ足りるとは思いますけど……。紅茶の代わりにお出しするのですか?」
紅茶の代わり、ということは、この世界ではチョコレートが飲み物や薬として出回っているのだろう。昔はそんな風に使われていたとテレビで見たことがある。食品として物珍しいのならば、屍姫たちに出すのには好都合だ。
「うーん。出すには出すけど、お菓子としてね」
「お菓子?」
それから当日までは大忙しだった。ビブルは招待状のやり取りや日程の調整など、各塔との打ち合わせがあるし、ウゴルは必要な物を買い付けに走った。リコは予定しているものを塔の設備でも作れるように何度も試行錯誤して、あっという間に日々が過ぎていった。
「いいですか、リコ様。紅茶と茶菓子は先にご自分で安全だと示してから勧めること。フィズ様が他の皆様より下であること以外序列がつけられません。何事も皆様を公平に扱うことを心がけてください」
精一杯に飾られたリコの塔の貴賓室で、ビブルが口をすっぱくしてリコに言い聞かせる。リコはこくこくと絡繰人形のように頷きを繰り返していた。
「リコ様、フィズ様がお越しになりました」
「はっ、はい! どうぞ!」
キ、と情けない軋み音が鳴って、大国のお嬢様を迎えるには不相応な扉が開かれる。
それでも侍女と共に現れたフィズはにこっと笑って、呼んでくれて有難うと茶会への招待を喜んだ。侍女も礼をして、フィズの傍に控える。他の茶会でも見た、橙色の短めの髪を一括りにした、背の高さに反して可愛らしい顔立ちの少女だった。
気心の知れたフィズに会話に花を咲かせていると、少し後にシルフィーがやってくる。本人はふんわりとした雰囲気を振りまくも、部屋には一気に緊張が走り、次にアイーシャが、彼女と同じ妖艶な雰囲気をまとった侍女を連れて扉を開いた。
「あら、あたしが最後なのね。遅れてごめんなさい。でもこれで四人、揃ったわね」
アイーシャは今まで通り、四人で行われるものだと思い込んでいるようだ。到着した途端に周りを見回してそう言った。
「あ、いえ、その……今日お招きしたのは屍姫全員で……」
「スーディア様のこと? どうせ来やしないわよ。シルフィー様の茶会も蹴って、あたしの手紙の返事もよこさないんだから」
アイーシャがふんと鼻で笑った瞬間に、扉がまた情けない音を出す。カツリと最後に石床を踏みつけてスーディアが入ってきた。
「誰が来ないですって? リコ。約束通り、招かれにきてやったわよ」
「スーディア、様!?」
アイーシャが金色の目を丸くして青髪の気高い皇女を捉える。
スーディアは髪を靡かせて、不機嫌そうな声色で返した。
「何よ、文句でもあるの? きちんと招待状もらって返事したのよ。出席して何か悪いことでもあるのかしら?」
スーディアの言葉に合わせるかのように、付き添った侍女が懐からさっとリコの贈った招待状を取り出して見せつける。
アイーシャはそれに軽く顔をしかめて言った。
「……別に悪いとは言っていないわ。驚いているだけよ。てっきり屍の神にしか興味がないと思ったものだから」
「それはあながち間違いではないわね。御霊還りの儀に選ばれるのは私だから」
「あらあら、随分な自信ですこと。それが空回りにならなきゃいいのだけど」
言葉をバチバチと重ねる度に、リコの茶会にだけ来た疑問が御霊還りの儀の争い変わっていく。
少し険悪なムードが漂い始めたところで、慌ててシルフィーが間に入り、ぱちんと軽く手を合わせた。フィズもリコも、もちろん周囲の侍女も間に入れるはずがなかったので、ひっそりと息を吐く音が聞こえる。
「まあまあ。無事にお揃いになられたことですし、折角ですもの。お茶会を始めましょう。ね、リコ様」
「は、はい」
さすがシルフィーだ。リコは感心と感謝をして、ビブルに配膳を頼む。
全員が席に着き、目の前のカップに紅茶が注がれていく。庶民が飲むには十分に高級な茶葉だが、彼女達にとっては日常のもので、スーディアの視線が語るには及第点といったところだった。リコが少し口にして安全を示し、皆に勧めていく。
次に茶菓子としてテーブルの中央へと運ばれたワンホールのケーキには、四人の視線が一斉に注がれた。
「……何これ。焦げてるパン?」
「でも上に砂糖が振りかけられていますわ。焦げたものにそんな勿体ないことをするでしょうか……」
「それに何だか不思議なにおい。甘いのに苦いような……」
大皿に真っ黒なフワフワの何か。温かさが残っており、上には真っ白な砂糖が振りかけられた、大地に雪が降ったような菓子が乗っていた。
「こちら、フォンダンショコラです」
侍女達も鼻をひくひくとさせて、主人のために匂いから謎の物体を解析しようとしている。そんな中ではっとして、一番に声をあげたのはアイーシャだった。
「これは、チョコレート?」
「はい。焦げてるわけではなく、民に下賜されて町の市場に流れた、アイーシャ様のお持ちになったチョコレートを使用しました」
「なら、材料自体は悪いものじゃないだろうけど……それにしても、茶菓子に混ぜるなんてどういうこと?」
自分が持ってきた貢物なだけに、質には当然自信があるのだろう。材料自体の批判はしないが、未知の利用法なだけにアイーシャも不安そうな面持ちで訊ねた。
他の三人もチョコレートと聞いて納得する。流石、大国の姫やお嬢様だけあって、一部でしか採れない高価なチョコレートは知っているらしい。
「チョコレートって、南の大地で採れるっていう薬のことよね?」
「ええ。わたくしも体に良いと伺って飲んだことがあります。それ自体は苦いのですけど、牛乳とお砂糖をたっぷりと混ぜて飲むと苦みが和らいで、独特の香りが癖になるのですよ」
「商品として取り扱ったことはありますが……口にするのは初めてです」
アイーシャに追従するように口々にチョコレートの知識を呟き、けれど目の前の物に繋がる具体的なことは誰も、何一つ出せずにいた。
「ビブル、切ってもらえる?」
「畏まりました」
まとまらぬ場で、リコに命じられたビブルがさくりとケーキにナイフを入れると、五等分され、切れ目からトロリとチョコレートが溶け出す。リコにとってはその光景と香りが堪らなく美味しそうに見えるのだが、粉末や液体に溶かされたチョコレートしか記憶にない四人に、真ん中からこぼれていく黒い流動体は違う印象を与えるのだろう。
全員が恐ろしいような、それでも興味を抑えきれぬような目で見つめ、一つ分だけがリコの皿に取り分けられた。
リコはいただきますと心の中で言ってから、一口分をフォークで切って口へと運ぶ。
試行錯誤して出来上がったフォンダンショコラはほんわりと温かく、ほろ苦い甘みが広がって口の中を満たしていく。ふわふわの生地もほろほろと崩れていき、溶けるように消えてしまった。我ながらいい出来だ。
自然と浮かんだ笑顔で四人にどうぞと勧めると、四人の侍女が緊張した面持ちで自分の主の皿へとケーキを移す。
「だ、大丈夫……ですか。フィズ様」
「う、うん。リコが私に危ないものを食べさせるわけないもの。んっ……!」
言いながらぎゅっと目を瞑って数秒。
「お、美味しい!」
フィズはぱあっと明るい笑顔を見せた。それは偽りや演技ではなく、三人もそれぞれに手を付ける。
すると、屍姫全員がほうっと幸せそうに息を吐いた。吐いて、すぐに次を口へと運ぶ者もいた。
「チョコレートの苦みと、甘み……なめらかな舌触り。不思議なお菓子ね」
「なんということでしょう。体にも良いチョコレートでこんなに素晴らしいお菓子が作れるなんて、素晴らしいです! 今度わたくしの使用人にもレシピを教えてくださいませ」
「はい。お気に召したのなら、是非」
薬なんて苦くて美味しくないものだ。それが甘くてトロトロの美味しいスイーツになるのなら喜んで食べるだろう。もっとも、体に良いとはいえ薬とはいえないことを知っているリコは、適度に食べるよう、レシピと共にシルフィーの侍女に伝えねばと考えていた。
フィズとシルフィーが単純に喜び、リコを褒める中、アイーシャはリコを真剣な眼差しで窺う。スーディアはリコの国のことを知っているせいか、一人でフォンダンショコラを観察し、早速制作の過程を考察していた。
「……あなた、一体どこでこんなものを知ったの? それとも自分で考えたのかしら」
「私の国では普通に作られていたものなので」
「あたしたちの国以外でもチョコレートは作られていたってこと? 驚きだわ……」
「こ、こんな素敵なレシピがあったら高く売れるよ! ああ、私が国にいたのなら、買い取って販売したのに」
「フィズ様」
「あ、ごめんなさい、ルディ……。こんな場所で商売の話しちゃ駄目だよね」
ふるふると体を震わせて思わず商人魂を出してしまうも、付き添いの侍女に窘められ、フィズはしゅんと縮こまる。更には他の屍姫にくすりと笑われて顔を赤くする姿がリコは愛らしく感じられ、緊張していた心が癒された。
「ところでリコ。あれから屍の神とはどうなの?」
「どうって……以前スーディア様とお話してから、まだ少ししか経ってないじゃないですか。別に何も変わりないですよ。あの時は偶然だったわけですし」
スーディアがふと話題を振ってくるものだから、シルフィーとフィズの視線がリコへと向かう。
「? わたくしたちの知らない間に何かあったのですか、リコ様」
「スーディア様とも知らないなんだか親しくなってるみたいだし……」
「あー……たまたま私が果樹園に行った時、屍の神も果樹園にいたってだけの話なんですけど」
「……神に会ったということ?」
何気なくカップを傾けていたアイーシャも、リコの言葉にすっと金色の目を向けた。リコとスーディアの関係など興味もなかったのだろうが、今まで二人きりでは誰とも会ったことのない(もっとも、リコが町で出会ったことは口にしていないため含まれないが)神との邂逅に、興味を持たない屍姫はいない。
リコは三人の視線にどことなく気まずい雰囲気を感じ、慌てて突き出した両手と首を振る。
「あ、あああああの、本当に大したことないんですよ!? 私は果樹園が見たくて行っただけで、屍の神がいたのは偶然ですし。屍の神は私に全然興味なさそうでしたしっ。スーディア様にも言いましたけど、御霊還りの儀や屍の神についてなんてこれっぽっちも話していませんので! むしろほぼ静寂って感じでしたから!」
「……まあ、私はあなたとのお茶会の後、ようやくお招きがあったからいいけれど」
リコ中心だった空気をぶった切るようにフッと気取った息を落として、スーディアは青い髪をさらりと掻き上げる。
瞬間、ガタリと席を立って反応したのはアイーシャだった。
「何ですって!?」
金の目とかち合ったのは、やはり余裕の浮かんだ青く切れ長の目。しかしここはリコの塔の応接室で、五人全ての屍姫が集まる場。フェースベールのような布を着けたアイーシャの侍女が小さく「アイーシャ様」と呟くと、数秒後、不機嫌そうにアイーシャは椅子に収まる。
「……あの、スーディア様? お招きということは、偶然お会いしたとかではなく中央のお城に、お茶会か何かを特別にお誘い頂いたということですよね?」
確かめるように問いかけるフィズに、スーディアは自信満々に腕を組み、頷いた。
「ええ、もちろん。一週間後の月の曜に、私と晩餐を共にされたいとのことだったわ」
「まあ……羨ましい限りですわ。わたくしはもちろん、他のどなたともお会いになっていませんもの。スーディア様は、わたくしたちの代では初めてお城に招かれた屍姫ということですね」
「ふふっ。まあ、そういうことになるかしら」
心底羨ましそうにシルフィーは言う。フィズは少し落ち込んでいるようで、アイーシャはというと、カップを握る手を小さく震わせていた。
「ふ……ふふふ。北の皇女様の狡猾さに気づかないなんて、屍の神も抜けていらっしゃるところがあるのね?」
「あら? 嫉妬でその目が曇ってしまっても、屍の神の選択は覆らないわよ。屍の神とのお食事が終わったら、どんなものだったのか教えて差し上げましょうか」
「選択なんて言葉はおかしいんじゃないかしら。御霊還りの儀に選ばれたわけではないもの。ただの気まぐれ。あたしが選ばれるまでの余興、頑張って頂戴」
ふふふ。あはは。と、髪や胸倉の掴み合いは取っ組み合いはないものの、リコの顔が引きつりそうなほど笑い声が響き渡る。
茶会でリコの失敗はなかったが、できることならもう二度とこの組み合わせで茶会を開くことはありませんようにと、リコは少しぬるくなった紅茶を喉に通した。