フィスティニアの氷姫 スーディア2
スーディアとの関係がこれで終われば万々歳。昼食後や就寝前にウゴルとする会話の種にでもなったのだろう。
だが数日後。スーディアから茶会の招待状が届くと、リコの気分は一気に地獄へと落ちた。
優しいシルフィーのお茶会ですら身分差でガチガチに緊張してしまったというのに、あのスーディアが相手なのだ。会ったが最後、どんな言葉をどんな態度で投げつけてくるのか容易に想像がつく。
だからこそ断るわけにはいかず、今までと同じように返答を求めるビブルに、リコは弱弱しくお願いします……と代筆を頼んだ。
スーディアはあくまでも他の屍姫との交流を望まないようで、日程の調整は嬉しくないことにすぐに済み、リコとウゴルの二人が北の塔へと向かわねばならない日がやってきた。
「ここが、スーディア様の住まう北の塔……」
すでにフィズとシルフィーの塔、二つに訪れたリコは、自分の借りた低い塔との違いを知っている。しかし何度見ても、リコは顔が痛くなるほど見上げねばならない塔の高さに圧倒されてしまった。
フィズとシルフィーの塔との違いはあまりない。調理場からほんのり漂ってくる香りと、塔の窓の一か所から国旗らしきものが垂れ下がっているくらいだろう。
ウゴルが扉を叩き、その奥にいる塔の人間にリコの来訪を告げる。すると扉が開き、侍女が出迎えてくれた。
スーディアの使用人たちは細見に見えるよう、寒色中心のすっきりとしたデザインに、はっきりと見えるよう国の紋章が大きく付けられた服をまとっていた。雰囲気もフィズの使用人よりも硬く近寄りがたく、穏やかで柔らかな印象のあったシルフィーの使用人よりも、所作の一つ一つが軍人のようにキビキビとしている。
彼女は必要最低限の言葉だけを口にして、リコをスーディアの待つ広間へと案内した。
「失礼いたします。スーディア様、リコ様がいらっしゃいました」
「通して頂戴」
「畏まりました」
扉の向こうでは、スーディアが豪華なテーブルの前に堂々と座っていた。
中へと通されたリコは強張った顔で愛想笑いをするが、スーディアはどうぞと冷たい顔で席を勧める。
「ほ、本日は、お招きいただき、有難ウ御座イマス……」
「言葉がぎこちない。上品さを一切感じない」
すぱり、とビブルのマナー講座より何倍も鋭い言葉が飛んできた。隣から少し退いた場所で控えているウゴルも口元をひくりとさせる。
そのまま一口、紅茶と茶菓子を口にして、毒が入っていないことを示すスーディア。席同様に一言で勧められると、リコはそろりとカップに手を伸ばした。
……カチャン!
震えた手が、必要以上に音を鳴らす。
「音」
「う……」
瞬間、再び飛んでくる言葉のナイフ。
どう会話すればよいのか困り、紅茶に逃げたつもりが、味どころか喉を通り過ぎる前の熱ささえ忘れてしまいそうになる。慎重にソーサーにカップを戻すと、ただ静寂が広がった。スーディアの後ろにいる侍女も、スーディアと同じ冷たい目でリコの挙動を見つめている。
「……あ、あの、スーディア様」
耐えきれなくなったリコは、緊張に震えながら、とうとう会話を切り出した。
スーディアは数秒の間を空け、はぁ……と深く息を落とす。
「こんな人間には会うのに、なんで私には会ってくれないのかしら」
「えっ? スーディア様、お会いしていないんですか?」
「……嫌味?」
「いいいいいえっ! ただ、以前シルフィー様のお茶会で、スーディア様がお城の前にいらっしゃったと話題に上ったので、てっきり神様とお会いする約束を取り付けたのかと」
「取り付けようと城の前にいたのよ! でも城には何とか入れても、屍の神へのお目通りは駄目。取り付く島もないわ」
ふう、と遠くを見つめるようにまた溜め息を落とすスーディア。しかし、そんな片手間でも静かに紅茶を飲む姿は美しく、流石、一国の皇女であった。
リコは恐怖や近寄りがたさと共に、少し尊敬の念も抱いてしまう。
「私も、特に会ったというほどではないので……」
「当然です! あなたみたいな人が顔を合わせるだけでも過分なことなのに……!」
スーディアはそう言ってぐっと手を握りしめ、リコへと向けそうになった怒りを何とか飲み込む。
陰に徹しているウゴルと侍女の二人を除けば、この広間にはリコとスーディアの二人きり。塔自体もスーディアの支配下であり、小さな出来事くらいは揉み消せる。とはいえ、先ほどマナーを語った口で、顔を真っ赤にして闇雲に怒りをぶつけるのは自分自身が許さなかったのだろう。
不機嫌さだけはありありと残して、投げやりにリコに問う。
「それで、あなたは神様と何を話したの?」
「……えっと、話したと言いますか、ただ私がいた国のことを語っていただけ、と言いますか」
「煮え切らないわね。儀式のことは? 何か言ったのでしょう?」
「え? いえ、何も」
「……何も? 二人きりで話せたというのに? 色仕掛けも交渉もしなかったっていうの!?」
「……はい」
リコの返答に驚いたスーディアは数秒考えて、
「じゃあ、あなたの国についてしたって話、もっと詳しく話しなさい!」
と前のめりな姿勢と強い口調、鬼のような形相でリコに迫った。
気圧され度合は果樹園で胸倉を掴まれた時と同じで、話すというよりは吐かされるようにリコは答えていく。自動車や機械といった、おそらくここでは文明として進んだものは曖昧に。それ以外は正直に。
始めは何がそんなに神の興味を惹いたのかと探るように聞いていたスーディアも、少しずつ興味を持ちだし、相槌も話を聞く顔も真剣なものに変わっていった。
神との交流としては価値のない情報だが、代わりに皇女としての顔が出てきたのだろう。
「随分変わった国なのね、あなたの住む場所は」
「そう……みたいですね」
頷きながら置いたカップがまた音を立てた気がしたが、今度はあの厳しい言葉が飛んでこない。スーディアの目はまっすぐリコを向いていた。
「その上、あなたは平民だというのでしょう? ということは、その文化や技術は市井にまで普及しているということよね」
「はい……」
「本当にはっきりしない言葉ばかりね。いい? あなたは畏れ多くも屍姫に選ばれたのよ。ましてやそんなに技術が発達して尚、他国を侵略せず自分たちの国だけでやっていけるなら、その国の出身者として誇りに思うべきだわ。違って?」
「それは、まあ……」
確かに、ここの暮らしと比べれば大分快適であるし、おそらくは安全なのだろう。生まれ育った国を良く思うのもきっと間違いではない。
だが、侵入者に吠える番犬のように一挙一動に文句をつけ、厳しい態度を取ってきたスーディアに諭されるのは、リコとしても何だか変な気分だった。
「でも、あなたが競争相手として取るに足らないことはわかったわ。同じ立場にいるということは変わらず腹立たしいけれど、警戒したことが馬鹿みたい。私もアイーシャみたいに適当に流していればよかったわ」
「あはは……」
リコは乾いた笑いを浮かべながらも、ほっとする。
厳しい態度はこれからも変わらないのだろうし、これがスーディアの性分なのだろうが、それでも根の部分で敵対心を抱かれることがないというのは、幾分か気が楽になる。
しかし、スーディアと絡んでいい気分で終われるはずがなかった。彼女は茶会の最後に爆弾を投下していく。
「私が招いてこれだけおもてなししてあげたんだもの。お茶会。今度はあなたが招きなさいよ!」
「は、え……?」