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フィスティニアの氷姫 スーディア1

 淡黄色に煌く陽が、洗濯物を抱えたウゴルとリコを照りつける。その中の一枚を干そうと空に掲げた時、布の合間から強い陽射しが飛び込んできて、リコは思わず目を細めた。

 暑くても腕を捲ったりすれば、逆に強い日焼けを起こしてしまう。一応日焼け止めの効果があるという植物から採れたクリームを塗ったのだが、成分や効果がパッケージに書いてある元の世界とは違い、どれだけの効果があるのかはわからなかった。

 そもそも、この元となる植物は一体どこから来ているのだろうか。

 町にも植物がなかったわけではないが、それほど多くもなかったのに、こんなに使えるだけの量が採れるものなのだろうか。ウゴルに見せてもらった実も、リコの記憶にある町の木には生っていなかったように思い、いまいち信頼性に欠けていた。長年使っている彼らがいうのだから、たしかに効果があるのだろうが……。


「結局どこから採ってきているんだろう……」

「? 何ですか、リコ様」

「ああ、ごめん。今朝日焼け止めに植物から採ったっていうクリームを塗ったじゃない? それによく果実水も飲ませてもらってるし……そういうのって、あの町にあった植物だけで賄えるものなのかなって思って」

「ああ、そのことですか」


 納得したように言ってから、ウゴルは腰に提げていた内の小さな筒を取り外す。それを何度かくるくると回すとレンズの付いた先端が伸びていった。

 ウゴルは筒を南東に向けて覗き込み、もう一度左右に回して微調整をする。


「この先に少しだけ、緑の多い場所が見えませんか?」

「……あっ、本当だ」


 筒の向けられた方角には、確かに何か緑のようなものが固まっているように見える。森というには範囲が狭く、ここからではゴマ粒二つ分といった程度の小ささで、言われるまでリコは気が付かなかった。


「ここからだと遠くて小さく見えますが、これで見ると町の中よりも緑が広がっているのがわかるかと思います」

「どれどれ……」


 ウゴルの譲ってくれた筒……単眼鏡を覗き込み、リコはその緑のある一帯をよく眺めた。低い位置に柵のような物があり、その中にいっぱいの草木が生えている。どの木にも実がぶら下がっており、どうやらあの一区画は果樹園として機能しているようだった。

 この砂漠の中では珍しい景色をじっくりと眺めていると、リコはふと視界の端に人影が映っているいることに気付く。そこに焦点を合わせると……。


「……か、神様!?」


 見覚えのあるローブと白髪が、その奥へと入っていく。


「え? 屍の神がいらっしゃったのですか?」

「う、うん……あそこに向かってた……」

「きっと屍の神もたまには緑を見て、心を安らげたいと思ったのでしょうね」


 不可思議でよくわからない存在、と先日考えていたばかりの神の出現にリコは驚き、単眼鏡を下ろす。ウゴルはそれを受け取りながらもう一度腰に括り付けると、果樹園の方と残り少なくなった洗濯物をそれぞれに見て言った。


「この洗濯物を干し終えたら、果樹園を見に行ってみますか?」





 ウゴルの提案にリコは二つ返事で乗った。何しろ変化のない毎日だ。それに塔の中に居れば体感温度はまともだが、窓の外の景色は総じて暑苦しい。

 そういうわけでリコとしては果樹園そのものに興味があったのだが、ウゴルは屍の神を見つけたことで興味が湧いたと考えているらしく、果樹園へ向かう馬車の上では、延々と屍の神を称える言葉が飛んできた。

 とはいえ、単眼鏡で覗くほど距離ではあるが、他の塔や町へ行くよりはずっと近い。手綱を取ってくれることに感謝しながら聞き流せば、大した時間も掛かることなく涼しげな青の集まりに辿りついた。


「まだ神がおられるとよいですね。来る途中でも確認した限りは、果樹園から出た人影はありませんでしたが……」

「あはは……。私はここを見てみたかっただけだし、別に神様がいなくたっていいよ」

「えっ、そうなのですか? 私はてっきり、屍の神にお会いしたいのかと……」


 リコの言葉に複雑そうな表情を浮かべた後、ウゴルはロバを繋ぐため太い木を探す。ここには細い木も太い木も、草も花も様々な緑が広がっているため、それもほどなくして見つかった。

 鳥の声が聞こえる。木の葉の揺れる音が聞こえる。砂漠には珍しいはずのものが一面にあふれている。少し前までは当たり前だったものが、何だかリコには不思議に感じてぐうっと背筋を伸ばした。


「では、参りましょうか」


 そう言ってウゴルは先導し、リコを案内する。

 道はならされただけのものだったが、まっすぐと奥へと続き、自ら外れようとしなければ迷うこともなさそうだった。

 初めての場所を見て回る高揚感に加えて、葉によって陽射しからも守られ、元気になったリコの歩みは早まった。時折立ち止まってウゴルにこれは何、あれは市場で見かけたね、などと話しかけるものの、先の景色を見たいという好奇心が勝る。

 案内役のウゴルもそれに合わせて歩み、果樹園の散策は大分早く進んだ。


「――さて、そろそろ果樹園の中央ですよ」


 ウゴルがそう声を掛けるのは、ここで景色が一変するからだった。

 今までの歩いてきた道は両脇を木で固められ、その下には緑の絨毯が広がる。植物の種類やちょっとした形の違い、動物が顔を出すことで飽きることはなかったが、これほどに泉が広がり、キラキラと陽を反射させるような美しい景色はなかった。


「……わあ!」


 リコも感嘆の声をあげてはしゃぎだす。その姿を見てウゴルが顔を綻ばせると……すぐに緩んだ顔を引き締めた。視線の先に、屍の神が座っているのが見えたからだ。同時にリコも屍の神を発見したようで、しゅんと声が消えていく。


「リコ様」

「ん?」

「私の案内はここまでにさせていただきます。入り口でお待ちしておりますので、お話がお済みになりましたらどうぞお戻りください」

「え……えっ!?」


 別に神様のことなどいいと言ったはずなのだが。ウゴルにリコの気持ちは伝わっていなかったのか、それでも気をまわしてくれたのか。さっとリコの下を去っていくウゴル。奥にいる屍の神。

 リコはどうするべきかとっさには判断できず、その場に立ち止まってしまった。

 となれば残されたのはリコと奥にいる神だけで、リコはゆっくりとそちらへ歩み寄った。

 屍の神がいなくてもどうでもいいと思ったのは本当だが、先日茶会でフィズたちが話していたように、彼がどんな存在であるのか気になるのも事実。


「……リコ、だったか」


 しかし、リコの足がその横の土を踏みしめる前に、男の顔がリコへと向けられた。

 仮面はしていなかった。子供に向けた柔らかな表情はなく、口角は下がり、ただ死んだ銀色の目がリコを捉えている。泉には魚が棲んでいるのだろう、静寂の間に、ちゃぷんと水の跳ねる音が鳴った。

 その間に神はまた、す、と懐から仮面を取り出して被る。


「……神様、ですよね」

「そうだ」

「何でそんな仮面を着けるんですか。子供たちも言っていましたが、正直なことを申し上げると、あまり似合ってないと思います」


 ちゃぽん、ちゃぷ。

 再び静寂が流れた。子供たちも言っていたのだ、リコとこの世界の美的センスが違うということもないだろう。大切な民ではないリコが率直に言えば怒られるかもしれないが、この場では厳しく叱咤されるようなこともない気がした。

 何よりも、リコとしてはその理由が知りたかった。屍姫を敬遠させるように、不気味な仮面をわざわざ被る理由。屍姫として各国の女性を受け入れたのは彼自身だろうに、できるだけ距離を置こうとする理由を。

 しかし、二人の間には小さな自然の音が通り過ぎていくだけで、その回答は一切得られなかった。


「……お前は何故この領域に入ることができた?」


 答えないくせに、神はリコに質問を投げかける。


「……わかりません。私が元の国で死んだ後、突然砂漠の中で目が覚めて。その次には、あの塔で目が覚めました」

「お前は一体何者だ」


 問うわりに、神はリコから視線を外し、泉に小さな石を投げ込んだ。

 魚の跳ねる音と、同じような音がした。


「……異世界の人間、だと思います」


 リコは神とは違い、隠すつもりはなかった。屍姫たちに異世界から突然やってきたと言ったところで、頭のおかしい子だと思われて今後の交友関係にヒビが入るだけかもしれない。だが神ならばもしかするとという気持ちもあるし、信じてもらえずともここに置いてもらう以上、主である彼には正直に言うしかなかった。


「異世界……?」


 屍の神は眉をひそめて聞き返す。存外、この世界の神は考えが狭いようだ。


「まさか」

「本当のことなので、私にはそう言うしかありません」

「……。ビブルからも報告は上がってきていない」

「言っていなかったので」


 目が覚めたばかりの時は、現状について聞くのが精いっぱいで、あれよあれよと言う間に屍の神の御前に連れ出された。ただでさえビブルには不審がられていたのだから、異国ではなく異世界から来たなどと、そうは言えなかっただろう。


「信じてはもらえないと思いますけど……すみません。言った方が、いいですよね。ビブルにはお世話になっていますし」

「よい。どこからの屍姫だろうが、私にとっては変わらぬ。ビブルにとっても、お前はお前だろう」


 これは気遣ってくれているのだろうか。戯言が面倒と思って流しているのだろうか。

 相変わらず屍の神が何を思って言っているのか、表情は読めない。


「では、その異世界とやらはどのようなところなのだ」

「どのような……」


 そう問われると、リコも数秒考えてしまう。

 世界のことなんて、何も考えずに過ごしてきたのだ。元の世界にあるものは全て当たり前にあったし、違う世界が本当に存在するなんて思いもしなかった。日本は日本で、地球は地球だった。

 どうにか差異を見つけていくなら、そう。


「少なくとも、魔法なんて存在しないです。信仰はありますが、神様も、人と同じ世界にはいません」

「……そうか」

「あとは、移動手段としてロバや馬車はもう一般的ではなくて、自動で走る車を使っていたり――」


 神はただ、リコの話を聞くだけだった。相槌は軽く、話を聞いていようが聞いていまいが通じる一言ばかり。

 だが途切れると再び問いかけてくるので、リコは一人分の距離を空け、神の横に座り込み、ひたすらに話を続けた。


 ――何度目だったろうか。続いた問いかけが止まり、急に屍の神が腰を上げた。


「そろそろ帰らねばならぬ」


 そう言って神はリコに背を向けた。そちらの方へ歩いていくのかと思えば、神が何事か、小さく呟く。

 足元から黒い煙がうねるように立ち上り、神の体を包み込んだ。大きな暗闇ができた時、今度はふうっと砂が風に流れていくように暗闇ごと姿が消えていく。

 リコが初めて魔法を見た瞬間だった。




「リコ様!」

「ごめん、お待たせ」


 ウゴルは約束通りロバの前で待っており、リコの姿が見えるなり駆け寄って迎えた。きょろきょろと神を探す仕草を見せたので、リコが魔法で城に帰ったよと付け加えると、ウゴルは何故か残念そうにそうですか……と返す。

 だが、それを残念に思うのはウゴルだけではなかった。

 目の前の木につないだロバとは別のロバの嘶きが聞こえ、二人は同時に振り返る。物凄い勢いで果樹園へとやってきた豪華な馬車は、リコたちの前で停まると、車内から何かを喚かれた御者が急いで扉を開ける。憤慨した表情で現れたのは、艶やかな青髪に、自然の中を歩くのは大変だろう足首まであるドレスをまとったスーディアだった。


「ちょっと、あなた!」

「へ?」

「今、屍の神がいたでしょう! 隠したって無駄よ。城の者に、ここにいるって聞いたのだから!」

「いましたけど……もうお帰りになりましたよ」


 別にやましいこともないし、隠す必要はない。スーディアが知っているのなら尚更だ。

 だがその言葉を聞いたスーディアは、リコが正直に答えたにも関わらず、吊り上げていた目で更にギッと睨みつける。


「あなたみたいな下賤の者が一体何を話したというの? 屍姫になったのだってうっかり昔、そういう規律を作ってしまったせいでしょう。それを神様と二人きりになろうなんて、思い違いにも甚だしいわ!」


 叫びながらずんずんとリコへと近づき、胸倉をぐっと掴んだ。

 ウゴルは制止しようと二人に駆け寄って、後ろに控えていたスーディアの御者や開いた扉から覗く使用人はぎょっとした。


「す、スーディア様! 乱暴はお止めください!」

「何よ! 小間使いのくせに」

「り、理由のない他の屍姫様への乱暴は、神様に進言させていただきます!」

「……っ!」


 神、という言葉を出されては、スーディアも止まる他なかった。

 リコが突然やってきた予定外の屍姫であることはもちろん、付けられた使用人が城から派遣されたものであることも皆知っている。スーディアが顎で使える小間使いであったとしても、神からの信頼のあつさは上だろう。

 スーディアの手からぱ、とリコの服が離れ、周囲の者たちはほっと小さく息を吐いた。


「たままた先に神様の居場所を突き止められたからって、思い上がらないことね!」


 フン! とドレスを翻して馬車の中へ戻ると、スーディアが再び何かを喚き、御者が慌ててロバを走らせる。

 嵐のように過ぎ去った王女一行に二人は茫然として、


「な、何あれ……」

「さあ……」


と呟き合うのだった。

本当はなろうで行われてた賞に応募したいと思っていたのですが、1月中が忙しくて全然書けませんでした……orz

今は応募用タグを消して、普通に更新していく予定です。

プロットは最後まで作っているので、更新速度はゆっくりになるかもしれませんが、少しでも読んでいただければ幸いです。

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