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屍の神の顔

「り、リコ様ーっ!」

「これ、ウゴル! そのような浮かれた状態で、大切な書状を持って走るでない!」

「はひっ、婆様!」


 二人が揃って階段を駆け上がってくる。忙しない足音とビブルの怒鳴る声は、扉が閉まっていてもリコの耳に届いてきた。

 数秒後に扉が開いて、興奮したウゴルとまだ眉間に皺をよせたビブルの姿が現れる。


「リコ様! やっぱりお城から使者の方が来られましたよっ!」


 そう言ってリコの前に差し出したのは、今まで茶会に招いてくれた三人の招待状とは違う、品よりも厳格さのあふれる手紙だった。花の香りもしなければ、上質ではあるものの飾り気のない紙と文字。

 相変わらず読めないのだが、どことなく文字の造りはフィズの書いてくれた招待状と似ている気がした。もしかしたらフィズは、ビブルとウゴルに気を回して、この土地の言葉で書いてくれたのかもしれない。


「これに、いつかはわからないけど私をお城へ招待するってことが書いてあるんだよね?」

「はい。……でも、少しおかしいんですよ。聞いた話では皆様、お食事を共にされたとのことでしたが、この招待状にはお茶会とあります。使者の方の話でも間違いないようですし……」

「私もスーディア様とフィズのお話じゃ、そうだって聞いてたけど」


 リコはウゴルの話を聞いて思う。やはり自分のことは論外なのかもしれない、と。

 他の屍姫とは同格にできないが、一応屍姫として置いている手前、一度くらいは呼んでおこうという神の考えなのだろう。優しいのだか優しくないのだかわからない心遣いだ。

 しかしどういう考えであれ、リコとしても断る理由はなく、呼ばれたからには行くしかない。

 一週間後には御者として手綱を握るウゴル。側仕えとして招待状を持ち、リコの側に座るビブル。賓客として馬車に乗ったリコの三人の姿が城の前にあった。

 馬車から降り、城の前に立つとリコは緊張に少し足が震えてしまう。顔合わせ以来、初めての城だ。塔より低くとも、その聳え立つ様は決して気軽に入れる雰囲気ではない。

 それに以前とは違い、ウゴルが傍にいる代わりに他の屍姫がいない。神の相手をするのは、ほぼリコの役目になるのだ。


「……」

「リコ様」


 リコの様子など気にも留めず、守衛が扉を押し開けて、ビブルがその先へと歩むよう催促した。

 来たばかりの時に案内したのはビブルだったが、今回はリコの側仕えとして来ているせいか、扉をくぐったすぐ先に見知らぬ妙齢の女性が待っていた。


「お待ちしておりました、リコ様。どうぞこちらへ」


 長い廊下を歩き、久しぶりにちぐはぐな内装を眺める。豪華であると思えば質素なところ、造りが粗いと思えば綺麗に整えられた場所。

 歩いている内に大きな扉はいくつか見かけたが、玉座の間も含めて、リコたちは全て通り過ぎた。

 お茶を共にするとのことだったが、どこへと連れて行かれるのだろう。

 内装を見るのも飽きて、リコが見つめていた後ろ姿がようやく立ち止まったのは、城にいくつもある小さな部屋の一つでしかない、ありきたりな扉の前だった。


「こちらの部屋で屍の神がお待ちです。……神様、屍姫のリコ様がいらっしゃいました」

「屍姫だけを通せ」

「畏まりました。リコ様、どうぞ」


 何故かはわからないが、言われた通りにウゴル、ビブルの二人は扉の前で待機する。リコは一人前に出て、不安と緊張でごくりと喉を鳴らした。

 そして、開けられた扉の奥に踏み込むと……テーブルの奥には、灰色の目をした生気の感じられない男がソファーに座っていた。町と果樹園で見た、屍の神だ。

 その顔に、いつもの仮面は着けられていなかった。


「か、仮面……どうしたんですか」


 今日は不意に出会ったわけでも何でもないのに。

 リコはぽかんと口を開け、それだけをどうにか言葉にする。

 口を開けている間に扉は閉まっていったので、ビブルたちに間抜けな声が届かなかったのは幸いだ。


「この仮面は変なのだろう?」


 かたり、と音を立てたのはテーブルの隅に置かれた仮面。それが神の指に触れたからだった。


「たしかに、そうは言いましたけど……」

「とにかく立ったまま話すのも何だ。座るがよい」

「は、はい……」


 恐る恐る、リコはソファに腰を下ろす。

 リコの傍にビブルとウゴルがいないのはもちろん、屍の神の傍にも誰もいない。リコが神に勝てるはずもないし、暗殺の心配もないといえばそれまでだが、さすがに不用心だ。それに一城の主であるのに、屍姫たちの茶会では必ず付いていた世話係が、ここでは一人もいないことになる。

 戸惑うリコに、屍の神は平然とした顔をして、二つのカップに紅茶を注いだ。カップになみなみと紅茶が入ると、神はすぐさまぐいっと煽る。下品な動作ではなかったが、勢いよく、遠慮はなく、あまり上品ではない飲み方だった。

 もう一つの手の付けられていないカップは、これまた、ぐい、と押し出すようにリコの前へと届けられる。


「あ、有難うございます……」


 せっかく淹れてもらった紅茶だ。リコもお礼を言ってから一口、気を落ち着かせるためにも喉へと通した。

 ……美味しい。

 声にはならなかったが、リコは小さく口を動かした。

 下手をすると、ビブルが淹れたお茶より美味しかったかもしれない。少なくとも、ウゴルのものよりは確実に美味しい。

 意外な気持ちで、こく、こくと更に飲んで、ふうと温かな息を吐く。そこでようやく、やってもらうばかりではいけないと、持参した手土産のことを思い出した。


「あ……そうだ。ビブルから、この間のお茶会に持って行ったお菓子に、屍の神が興味を持っていると聞きました。よければと思って、手土産に持ってきたのですが……どうしますか?」

「……出せ」

「は、はい」


 リコは持っていたカゴから取り出したフォンダンショコラを、茶会と同様、小さなテーブルの上に乗せた。そして一ピースずつ切り分けて、屍の神とリコの前に置く。

 もちろんリコは茶会前に学んだように、先にフォンダンショコラを口に入れた。オーブンとは違い、窯では毎度同じ出来にはならないが、それでも今回もおいしく出来上がっている。

 おいしそうに頬張るリコを見て、屍の神もそっと一口、黒い物体を口に運ぶ。


「……これが、異界の菓子というものか」


 ふ、と。町で見せた一瞬の、柔らかい笑みがこぼれた。

 不味くは、ないらしい。

 うまいの一言もなかったが、それでもリコの胸の中に、少しだけ温かいものが広がった。


「……あ、の」

「何だ」

「町、でも……お会いした時、素顔でしたよね。果樹園でも」

「ああ」

「何故、私たちの前で仮面など着けているんですか」


 緊張が解けてきたのか、次第に言葉の突っかかりがなくなっていき、リコは率直な疑問をぶつける。

 奇妙なその仮面のことだ。

 変だとわかっていて、今はリコの意見も汲み取って外している。町や果樹園などでも着けていなかったのに、他の屍姫は一切彼の素顔を見たことがないようだった。置かれた仮面を見る限り、奇妙な模様であること以外、大したものではないようにも思えるが……。


「……」

「……」


 リコと屍の神が出会うと、必ず一度は沈黙が訪れることになっているのだろうか。

 部屋はしん、と静寂で包まれる。

 静寂の中リコは返答を待ち、屍の神は何かを考えるようにじっと仮面を見つめていた。


「……私は、普段からこの仮面を着けているのではない。屍姫が来るまで、元々民とは分け隔てなく接していた。この顔のままでだ」

(それは、そんな気がしていたけど)


 素顔の神を子供たちはすぐさま「あ、神様!」と判別したし、分け隔てなく接しているというのも、あの柔らかい表情と慕われっぷりを見ればわかる。ただの王様に、子供たちがあれほど無邪気に絡めるはずがない。少なくとも、親が慌てて止めに入るはずだ。


「素顔を見せるのが恥ずかしい、とかではないってことですよね」

「当然だ。深く残るような傷は全て治っている。美醜に関してはわからないが、少なくとも仮面で隠すほどとは思っていない」

「だったらそのままでも……その方が親しみやすいんじゃ……?」

「だからだ。各国の有力者の娘たちに民と馴れ合い、威厳のない姿を見せては、舐められて面倒なことになるだろう。だから恐れを抱きそうな仮面これを被った」


 仮面を持ち上げて、神はリコによく見せる。見れば見るほど奇妙で、暗闇で見かけると恐ろしい模様をしていた。

 この見た目通り、やはり仮面は屍姫たちを敬遠させる意図を持っていたのだ。屍の神は策士なのかもしれないし、面倒くさがり屋なのかもしれない。


「でも、それじゃ他の屍姫と深く話し合えないんじゃないですか? 御霊還りの儀に一人、選ばなきゃいけないんですよね」

「……お前は、御霊還りの儀をどう思っている?」

「え」


 声を上げ、顔を上げて、リコは気づいた。常に悲愴感をまとっている神の顔が、さらに憂いを浮かべていることに。

 リコがぱちぱち、と目を瞬かせると、神ははっとしてすぐに表情を戻す。わずかな違いだが、神はふうと自嘲するように息を吐いた。


「……仮面は、このせいもあるのだろうな」

「それって、どういうことですか?」

「……」


 それに対しての返答は、いつまで待ってもこなかった。おかげで正解はわからない。

 だが、紅茶を自身で淹れる城主らしからぬ姿。ふと見せる柔らかい表情。仮面を着ける理由。

 もしかしたら、その考えはリコの気のせいかもしれない。だから、はっきりと言葉にして問いかけたりはしないけれど。


(案外、怖い人ではないのかも)


 そう思った。

 冷たく、怖く、誰とも関わり合おうとしない。リコが初めに思い描いた、そんな人ではないのかもしれないと。




「――どうでしたか、屍の神とのひと時は」


 塔に帰ると、まず一番にビブルに問われたのはそれだった。


「……思っていたよりも、ずっと楽しかったよ」


 粗相を働いていないかという裏の声が聞こえるようでもあったが、リコは正直に素顔であった屍の神と二人きりでお茶を楽しんだことを伝えた。

 すると、ビブルの目がすっと見開かれる。ビブルの手前うずうずしながらも聞き出せないでいたウゴルもまた、同じ驚き様だった。


「俺、他の屍姫様が正式な場で素顔の神とお会いになったのなんて、聞いたことがありませんよ! きっと神はリコ様に――」

「ウゴル」

「っ!」


 はしゃぐようなウゴルのは反対に、ビブルの声はやけに厳しく、冷たかった。


「リコ様。そのことは決して、他の者たちにはお話になりませぬように。二人で話したことも、素顔を見たこともです」

「え、でも婆様……」

「ウゴル。お前もです。いいですね?」

「はい……」

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