リスベ・ガス、ラストサマー ~黄金のレシピを奪え! 【SIDE:スナギツネ】
古い建物の中で男二人、壁越しに立っている。よく見ると、片方はアカギツネ、もう一人は、ひと回り小柄なホンドギツネである。
「ゴン、おまいだったのか。いつも俺の背中を守ってくれたのは」
「ああ。俺だ」
ゴンと呼ばれた小柄のホンドギツネ――ゴンザレスは、持っていた葉巻から青い煙を漂わせながら静かに答える。
「……なぁゴン。うちのヴォルペ一家に泥を塗ったやつがいる。そいつの悪事を明るみに出してはくれないか」
「ああ、分かった。任せてくれ、ヘイジュード。俺と、俺の弟子で万事上手くやってやるさ」
葉巻の香りが消えた時、辺りにはもう誰の気配も無かった。
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リス・ベガス、ラストサマー ~黄金のレシピを奪え! 【SIDE:チベットスナギツネ》】
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黄金色に輝く魅惑のきらめき。それは全ての狐が愛して止まないだろう大豆からなる結晶――油揚げ。
今日も今日とて、油揚げが大好きなチベットスナギツネのスナコ、そして兄であるスナ彦の元にメッセージが届く。それは一見するとなんて事はない【SNSの文言】であった。
『盗まれてしまった我が家の甘辛お稲荷の伝説のレシピを捜してください #拡散希望』
「兄よ。これを私たちが見付ける事が出来れば」
「あぁ。我らが経営するお稲荷ファーストフード店【お稲荷the椀】のレシピの強化。さらにはめくるめく極上の稲荷dayだ」
二人は尻尾を膨らませると、呟きの主へと接触をはかった。誰からそのメッセージが届いたのかは、目先の油揚げに気を取られた二人は、深く考えてはいなかった。
「つまり、やけにモミアゲが長い猿に奪われかけたと」
「あぁそうなんですよ。まさか家内に変装していたなんて……。狐が猿に化かされるなんてっ」
悔しそうな玉藻前之進氏。頭の上の耳も、ふっさりとした尻尾もしんなりとしている。秘伝のお稲荷の甘だれレシピが先日テレビで紹介されたと思ったら、外国から来たという狐が訪ねてきて、気付けば猿と奪い合いをしたあげく持ち去ってしまったのだという。
「何か足取りを追える物があればよいのだが」
それを聞いて、ポンと手と尻尾を打つな玉藻前之進。
「たしか、これでリスベガスのグルメは俺のものだとか叫んでいましたね」
「リスベガスだと……」
兄妹は顔を見合せると、あの夕焼けの波止場に向かったのだった。トランペットの音色が鳴り響き、船上の人となると、二人はリスベガスへと向かったのだった。
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「なんでおま?」
リスベガスに到着し早速尋ねた人物。タヌキにしか見えない程に太った狐『ドン・アーゲル』。リスベガスの人気グルメを抑え、さらには油揚げで一世を風靡している。アーゲル氏が手ずから調理した油揚げは、一枚五千ドルもの値がつく時もあるらしい。そして、その隆盛の時期もレシピが盗まれた頃に合致する人物。それが彼だったのだ。
「単刀直入に問おう。現在捜索願いが出されている秘伝のお稲荷の甘だれレシピに見覚えは?」
「おおお……覚えなんてないでゴザルでございますでおま」
動揺しまくるドン・アーゲルに、二人は睨んでいる様にしか見えないスナギツネアイで迫る。
「むしろ予告状がうちに来てる位でおまぁ!」
「なんだと」
「これでおまぁ!」
『甘辛お稲荷の伝説のレシピ、今宵頂きに参ります。アルセーヌ・ヤマタ三世』
何やら怪盗からだという怪しげな予告状に少しだけ覚えがあった。【世界的に有名な怪盗アルセーヌ・ヤマタの孫を自称している男。狙った獲物は必ず逃がさず、たったの二時間で世界中のお宝を捜し出す、夏にしか仕事をしない大泥棒】。
二人だけでは荷が勝ち過ぎている。スナギツネは無理をしない。必要であれば応援も厭わない。二人は素早く相談すると、腕利きの探偵に応援を要請する事にした。そう……リスベガスで一番ハードボイルドで一番腕利きのリスの探偵。フィリップ・スクワーロウその人に。
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だが、予告状まで来ていて散々構えていたというのに、すったもんだの挙句まんまと伝説のレシピを盗まれてしまったスナ彦スナコの兄妹と、リスの迷探偵フィリップ・スクワーロウに助手のクレア一行。
スクワーロウが腕利きの探偵らしく、市警と連携して速やかに各所に連絡をとっている。そんな中、スナコの仕事用のスマートフォンに、一通のメッセージが届く。
『ヤマタはSNSに弱い。あのヒロインのふりをすれば、たちどころに捕まえる事が出来るだろう。師匠より』
先のメッセージも、二人の師匠からであったのだった。この手を使わない理由は無い。スナコは、悩むスクワーロウに声をかけた。
「大丈夫だミスター・スクワーロウ。私にいい考えがある」
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「いや~余裕だったなー。二人共いい仕事っぷりだったぜぇー」
赤いスーツに、長い特徴的なもみあげのヤマタ三世は、相棒である二人に瓶ビールを渡しながら乾杯する。
「拙者は、またくだらぬものを斫っただけでござる」
「ちぃっとばっかし危なかったが、まぁ簡単なヤマだったな」
着流しに地下足袋。黒い羽根のクマゲラ(キツツキの一種)である三代目ゴロー・イシカワは、自らの愛用している削岩ドリルに丁寧に磨きを入れている。まず武器の手入れを欠かさない日本の職人である。横では357マグナムを手早く手入れをした後に、黒い帽子をテーブルの上に置き、ヤマタと乾杯したビールを瓶からそのまま飲んでいる渋いクロヒョウ――ジーゲン・コバヤシである。
「後は、いつもの様に、フージーちゃんが来てくれたら今回の俺たちの仕事も終わりだなー」
「そういえば、フージーと言えば、拙者先ほどこんなものを見つけたでござるよ」
イシカワが研いでいたドリルをよけて、羽先で器用でスマートフォンをヤマタに差し出す。その画面にはこう表示されていた。
『私の可愛いお猿さんへ。私は波止場で待ってるわ #拡散希望 フージーより』
それを見て、目にハートマークを浮かべ画面にキスしそうなヤマタ。
「おうおうおうー。待ってろよー。俺のフージーちゃーん」
横で二人が溜め息をついたが、この面々ではこの流れはいつもの事であった。
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ここはリス・ベガスのマリーナである。砂漠の街だから海は無い。波止場に似たそれらしい所を探した結果、帆船の模型と人造池に波止場の外観が作ってあるここは、地中海料理のレストランだ。用意があるからと一行の後から到着したスナコは、何故かライダースーツ。そして茶色のウィッグによって腰程もある長い髪の毛を風に泳がせたまま、バイクに乗ってやってきた。
「全く。お色気はギンコの担当だというのに。んっ……アーアー。本日は晴天ナリ。東京とっきょきょきゃきょく。よし」
何やら少し発声練習をした後、スナコの雰囲気がいきなり変わり、隠れていたスクワーロウと助手のクレアは驚愕する。
「ほぉら~ヤマタ~私はここよ~! 早く迎えに来なさいよ~。ルパ…いや、待ってるわよお、ヤマタ三世ぇ!」
いきなり豹変したその気配に、スクワーロウがスナ彦に尋ねているのが見えるが、すぐにスナ彦が二人と共に隠れてくれる。
「わぁお! フージーちゃーんおっそいじゃなーい。お話も半分も進んでるぜぇー」
けだるげ、もしくはクールな雰囲気から一転。色気を前面に押し出したスタイルで、フェロモンを飛ばしたスナコを見つけたヤマタは、いきなりキスをしようとまるで水泳の飛び込みの様に宙を舞ってスナコへと飛んでいくが軽くあしらわれる。
「フージーちゃーん。冷たいじゃないのぉー。うーんチュッチュッ」
「キスはおあずけ。それよりも、いいレシピを手に入れたそうだけど、私早速作ってみたくなっちゃったわ~。美味しいネタもあるし。アジトに案内してちょうだぁい~」
「うんうん。フージーちゃんのためならばー」
あっという間に、スナコとヤマタはどこかへと移動していった。スナ彦が手元から端末を出してスイッチを入れると、スナコが乗ったバイクの位置を知らせる光が端末の地図上に表示される。一行は、スナ彦がどこからか用意した【お稲荷the椀】のバンに乗り込むと後を追った。
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郊外にある狸のマフィア以前使っていた工場の一つ。とある事件で規模が縮小し、こちらは賃貸物件になっていた。そしてそれをヤマタたちが今回のアジトにまんまと利用していたのだった。GPSが作動しているのを確認し、スナコはヤマタと一緒にアジトに潜入を成功した。
「で、フージーちゃーん。美味しいネタってなんだーい」
「そう、それなんだけどね」
工場の奥にある調理スペースでスナコは用意していた油抜きを済ませた油揚げと酢飯を合わせ始める。
「ちょっとゴロー。レシピ見せてちょうだい」
「あぁスマヌ。こちらなのだが……」
スナコは巻物の様になったレシピをゴローから手渡され、速やかに目を通す。
「そういうことか。理解した……。ミッションは完了だ」
「貴様、今回のフージーじゃないな!」
ジーゲンが、構えすら見せずに抜き撃ちで放った銃弾は、先ほどまでスナコがいた場所を貫通するが、既にそこには誰もいない。そして調理されようとしていた油揚げが物凄い量の白い煙を放ち、辺りが見えなくなる。
「アブリャーゲギャングの、味がまずい油揚げを細工したものだ。存分に味わうといいヤマタ一行よ」
「あー。まさかスーナコちゃんか~!」
そのヤマタの声と共に散開するヤマタたち三人。そしてそこに到着したスナ彦・スクワーロウ・クレアが突っ込んで乱戦となった。
工場の前に停まったバンを見ながら小柄な狐が一人、どこかへ連絡を取っていた。
「ああ俺だ。ゴンだ。これから俺も突入する。そろそろやつも動くだろう。そちらは頼むぞ」
ゴンは、自らの銃をおごそかに取り出すと、白煙がうずまく工場の中、ゆっくりと入っていった。
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乱戦の中、スナ彦が上手い事やってくれたおかげでゴロー・イシカワは倒せた。だが、物陰に退避したスクワーロウとクレアを白煙の中、銃弾が二人を襲う。
「煙が充満していようとも、風の動きで分かるんだぜ」
「この声は、ジーゲンが。さすがに凄まじい腕だ……」
身を低くしたスクワーロウのすぐ横を、再び銃弾が掠める。頬袋のナッツで反撃しようにも、スクワーロウからは方向すら分からない。そうこうする内に次々と着弾する銃弾が近づいて来る。
「スクワーロウさん!」
「ダメだ! クレア! こっちに来ては!」
なんだか物凄くハードボイルドな展開だと思いながらも、冷や汗をかいたスクワーロウの眉間のすぐ上の空間を銃弾が通過する。――万事休すか……。
だが、そこに六連発の激しい音がこだまする。
「スナ彦さんか、スナコさんか!」
「いいや。どちらでも無いが味方だ」
そこには、小柄な身体のホンドギツネが見慣れない形の銃を持って立っていた。
「その独特の音、火薬の香り……まさか! ゴンおまいだったのか!」
驚愕するジーゲンの声が聞こえてくる。筒口から、青い煙が立ち上る中、丁寧に弾込めをしていく。目の前の狐。
「ああ俺だ」
ゴンはコクリと頷きました。その間も手は一切止まる事無く、筒口を丁寧に掃除し、一個ずつ火薬を詰めて、弾込めをして……
「火縄銃かいっ!」
「ただの火縄銃ではない。こだわりの六雷神機(六連発火縄銃)だ。まぁ任せておけ。スナギツネたちに銃を教えたのは俺だ。いたずらに時間はかからない。任せてくれ」
何故だがきちんと待ってくれるジーゲンの態度に、そこはかとなくハードボイルドを感じつつ、スクワーロウはヤマタを探す為に、その場からゆっくりと移動していった。
「さぁーて、スーナコちゃん。どう料理してくれようかねぇ」
「料理は、油揚げで十分だ」
ベルトコンベアの合間を縫って、ヤマタとスナコはお互いに物陰まで走りながら銃弾を撃ちつつ駆け抜ける。
「ヴォルターか」※ドイツ語読みでワルサー社
「やだなぁ、日本風にワルサーでいいんだぜぇ」
そう言いながらも、ヤマタ愛用の銃ワルサーP三十八が、的確にスナコがいる物陰に銃弾を撃ちこんでいく。ジーゲンの技に隠れているが、ヤマタも銃の腕前はかなりのものである。スナコは搦め手で、グレネードや、おとりの油揚げを投げるが、的確にいなされている。
「さて……どうしたものか……」
「もう降参かい、スーナコちゃーん」
「大丈夫かスナコさん!」
「えっと、ほらフージーよ!」
スナコのずれたウィッグをスクワーロウが直しつつ、ヤマタと相対する。二人は今回の事件の真相を語りつつ、晴れていく煙の中、勝負をつけようとじりじりと動いていく。ヤマタは銃をホルスターに戻し、右手を添えて抜き打ちの構えに。スクワーロウは新たなナッツを頬袋に詰め、その一瞬に備える。
「スナコさん、下がってくれたまえ。この煙が晴れた時、勝負をつける」
「いいねぇ。ハードボイルドだねぇ」
一気に晴れていく煙。二人の姿が見えていく。勝負が決まる。その場にいる誰もがそう思った時だった。
「ヤマタァ! ターイホ! 逮捕だあっ!」
「えっ!? ちょぉ!」
「うわああっ、やめろおッブレーキ踏めえっ!」
「逃げてーみんな逃げて―」
リス・ベガス市警の装甲車が乱入する。真っ直ぐしか進めないゼニカタ警部が乗った装甲車は、ボイラーに激突。工場は倒壊。遠くから警察と消防車のサイレンが鳴り響いていた。
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「また世話になったミスター・スクワーロウ。協力に感謝する。おかげで無事に伝説のレシピを取り戻す事が出来た」
夕陽が見える波止場――に見せ掛けたレストランで船を待っているスナコとスナ彦。その見送りに来ているスクワーロウにクレアは、穏やかな笑顔で返す。見送りはここがいいとスナギツネの二人が指定したのだった。
「ところでミズ・スナコ。あのレシピにはどんな秘訣が記されていたんだい? やはり細かな分量なんかが書いてあったのだろうか」
それを聞いて、スナコは黙って巻物となったレシピを広げる。
「いや、ただ一言。筆文字で【料理は愛情】と」
「呆れる程に基本ですね……」
「なんとまぁ」
思わずこける二人にスナ彦が静かに返す。
「基本であり最上の事だ。ドン・アーゲルはそれを金で手に入れようとした。その時点でやつはもう落ちていくだけの場所にいたのだろう。だが出所したらぜひ日本に来て職人魂に触れてくれと。玉藻氏からの伝言だ」
「夢は自ら掴むものであり、さらに高めるものだからな……。また会おうミスタ・スクワーロウ。ミズ・クレア」
船の模型が時刻を知らせる汽笛を鳴らす。それを合図にスクワーロウが、持っていたケースからトランペットを取り出すと頬袋を膨らませてメロディーを奏でる。一行は皆シルエットとなり、それぞれが帰る場所へと向かっていったのだった。
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「ヘイジュード、全て終わった」
「ああ。上手い事やってくれたな。助かった」
ドン・アーゲルは狐の組織ヴォルペ・ロッソの中でも、目立ち過ぎて消されようとしていた。だが、今回の逮捕により命は助かった。後は更生するかどうかは彼次第だが、生きていれば浮かぶ瀬もあるだろう。
「なんでやつを助けようとしたんだ?」
「俺と同じ、一人ぼっちのやつだからだ」
お前も俺も、既に一人ぼっちではないだろう。そう囁いた声が、リス・ベガスの乾いた風に消えていった。