4 -花澄-
大和花澄という女性は、和紙に桜色や草色や水色の雫を落としてつなぎ合わせたような人だった。
華やかさはないが、鮮やかで。
彼女に似合う着物を考えると尽きなかった。
「ねぇ、辰巳。今日の着物、友達から褒められたの」
自分とあまり歳の変わらない辰巳を気に入ったらしく、普段着の図案をお願いされることが多かった。
花澄は大和屋の従業員のことを何かと気にかけ、よく仕事場に顔を出していた。
辰巳のもとにも昼休憩や仕事が終わったころによく現れては他愛もない話をしていた。
彼女の笑顔を見ていると辰巳はなんだか嬉しくなった。
その日も唐突にやってきては、妹の話や友達の着物の話をしていた。
けれど、その時の彼には彼女の話を聞く余裕がなかった。
姉が姿を消した。
突然だった。
「どうしたの?」
「だ、大丈夫です」
顔を覗き込んで切る花澄に、あわてて一歩距離をとる。
「体調が悪いの? それとも……何か変な噂でもきいた?」
「いえ、ちょっと、その……姉が結婚したのです」
「それは、まぁ。おめでとう。お祝いしなくちゃ。何が良いかしら」
「今はどこに行ったかわかりませんが」
「え?」
「両親に認められなくて、絶縁したそうです」
「……そう……」
しばらく絵葉書が届かなかったので心配ではあったが、その理由は母からの手紙によって知らされた。
姉は、少なくとも両親が認めないような男と駆け落ちをし、仕事も辞めてどこかに消えた。
描いていた夢が、黒色の絵の具をぶちまけられたように、一瞬で消えた。
しばらく呆然とした後、湧き上がってきたのは怒りだった。
姉も一緒に着物を作るのを楽しみにしていると言っていたのに。
「素敵なお姉さんね」
「素敵でもなんでもないです。あの、親不孝者が」
「家族を失うってとても勇気のいることよ。それでもなくしたくない大切なものを見つけたんだわ」
「あの身勝手な人間の肩を持つんですか」
尋ねられた時に、言い淀みながらも口に出してしまったのは、彼女なら分かってくれると思ったからだ。
けれど姉を庇うような言葉が出てきたことで、辰巳は怒りを隠せなかった。
そうね、と彼女は目を伏せた。
あの時の辰巳は家族や自分との約束より、よく知らない男をとった姉が許せなくて、自分の正義感で頭がいっぱいだった。
それからしばらくして、花澄の輿入れのことを知った。
相手は東の都の商人で、一年近くも前から話が進んでいたらしい。
「それでもなくしたくない大切なものを見つけたんだわ」
花澄の言葉の意味にやっと気が付いた。
あれからも、花澄はいつものように接していた。
けれどその間、彼女は何を考えていたのだろう。
大和屋のことを大切にしていた彼女が、家のために親しい人もいない故郷から遠く離れた土地で暮らさなくてはいけなくなった。
それは彼女にとってひどく悲しいことで、自分は彼女の気持ちを踏みにじったに違いない。
姉がいなくなってからも花澄が求めてくれたから、描き続けることができたのに。
頭も胸も痛くて、呼吸するたびに苦しかった。
けれど、これは恋ではない。
あの時、己のことしか考えられなかった自分に、彼女を失うことを辛く思う資格はない。
ただ、その日を境に、辰巳には思い浮かばなくなってしまった。
嬉しかった時、悲しかった時、自然と色と形で認識されていた彼の世界は、崩れた。
人の気持ちを知ることも怖くなり、特注品の仕事の担当から何度も降ろされた。
仕事にしてしまったからには、描くことをやめることができず必死にもがいたが、その手は宙を掻き、ただ沈んでいった。