3 ー傷跡ー
「遅くまでお疲れ様」
雲間から差し込む陽のような声で、辰巳は我に返った。
「工房のあかりがついているから心配になって来てみたら、ぼうっとしているんですもの。疲れて進まないなら、部屋に戻りなさいな」
「夜中にふらふらと。嫁入り前の娘がはしたないですよ」
「辰巳、おじさんみたい」
夜着を羽織っ彩花は、机の上に散らばった図案を手に取る。
「ふぅん。梅と鶴と熨斗。ありきたりね。やり直し」
四つ下の生意気なお嬢様はあっさりと言い放つ。
わかってはいたが、六度目のやり直しにはさすがに心が折れそうになる。
「私しか着ないような面白いものにしてちょうだい、って言ってるはずなんだけど」
「言わせてもらいますけれど、おめでたい日なのですから吉祥模様でまとめる方向性でいくべきです」
「そう? あんなのただの花婿探しでしょう。おめでたくもなんともないわ。それよりも、特別な着物を着れることの方が私には楽しみよ」
彩花は壁にもたれかかり、窓の外を見上げる。
空気が澄んでいるこの時期の夜空は、明るさが増して見える。
辰巳は絵の具の器を片付けに入るが、彩花は帰る様子を見せない。
「どうして本気を出さないの。これじゃ貴方の意思が全く見えないわ。やっぱり姉様のことがあるから?」
ぽつりと零れ落ちた言葉に、仕舞っていたはずの記憶が呼び覚まされた。
「私は辰巳の絵が好きよ」
記憶の中の彼女がほほ笑む。
胸が握りつぶされたように痛む。
「花澄様は関係ありません」
平静を装いながらその言葉を口にすることで、辰巳は一杯だった。
「嘘ね」
忘れようともがく辰巳を断罪するかのようなきっぱりとした声。
「誰かのために作ることも頑張ることも悪くないわ。でも貴方はお姉様に依存しているだけよ。そんなの、私は許さないわ」
手を抜いているわけでもない。
まして、依存しているわけでもない。
そう言い返したいのに、言葉が出ない。
「私は、決まり事なんかどうでもいい。貴方が心から好きなものでよいわ。貴方の本気が見たいの。あの冬の椿のような。そういうことだから」
そう言い残すと振り返ることなく部屋から出て行った。
その声は、なぜか少し震えていた。