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EacHope  作者: 髭小僧
01:Recruits Frauen Corps(新兵女隊)
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Recruits Frauen Corps(新兵女隊) 2/2


 砲声は緩やかに収まりつつあるものの、疎らに響く銃撃音は未だにんでいない。

 連合国軍と南連軍の小競り合いは終わりを迎えておらず、両軍の衝突から数時間が経過した今でも、遠方では散発的な戦闘が続いている。


 街ごと廃墟と化したこの場所は、そんな両軍の丁度中間地帯であり、そしてある意味空白地帯でもあると言えるだろう。


 優勢である連合側は十分な戦力を送ろうにも損耗が激しく。 

 劣勢である南連側は連合側の間を突く形で局所的に増援を送り始めている。


 この廃墟の街は現在、そんな両陣営にとっての最前線になっているのだ。

 

 攻めようにも進む兵士が足りない優勢側。

 反撃の機会として小さく動き始める劣勢側。


 情勢はある程度固まりつつあるものの、大きく動く程となるにはまだ時間が足りない。

 だから――ここは今、無人地帯であるも同然だ。


 両軍の兵士が自陣営でもたついている故に、銃弾や砲弾の嵐らしきものは見られない。

 動かない屍と廃墟、立ち上る黒煙と曇天の空。


 それらがこの空間を構築している。

 そして動くものが少ないこの街の中を、蒼凪達は小銃片手に息を荒らげ、駆け足で突き進んでいた。


 蒼凪と共に進むのは、フィル曹長と部隊の仲間1人の計3人。 

 フィル曹長を先頭に、少しだけ間隔を開けて二等辺三角形のような陣形で進んでいた。



「この辺りが良いわね」



 ものの数十分程度走った所で、フィル曹長は息を切らしながら脚を止めて周囲を警戒する。

 蒼凪達もつられるように駆ける速度を緩め、同じ行動を取り始めた。


 彼女達の周囲にあるのは――先程と同じ瓦礫ばかりだ。

 特別目立つものがあるわけでもなく、倒壊した建物等が織り成す悲惨な風景である。



「それじゃ、手筈通りにお願いね。作戦の前半はシンプルにいくわ。私が単独で南連やつらを引っ張ってくるから、貴方達は私が合図したら斉射してなるべく敵を引き付ける。何かイレギュラーな事が起きるか、もう限界と思ったら、後ろの教会まで全速力で撤退。良いわね?」


「は、はいっ!」


「わかりました」



 蒼凪はフィル曹長の言葉に真っ先に反応し、暗色の赤毛をまとめ髪にしている仲間の1人も、蒼凪とタイミングを少しずらして返事をした。


「無理をさせてしまって本当にごめんなさい……でも頼むわね、シンデレラ達。貴方達に魔法使いのご加護を――」



 フィル曹長は2人の方を向いてそれぞれの頭にあるヘルメットへ手を置き、その言葉を口にして微笑みを向ける。


 その優しさに陰りは未だ無い。

 いつまで経っても変わらない温もりに、強張っていた2人は少しだけ気を緩めることができたように表情を崩していた。



「また後で会いましょう」



 フィル曹長はそう告げてすぐに踵を返す。

 そしてまた駆け出し、瓦礫が続いている風景の奥へと瞬く間に進んでいき――数秒後にはもう見えなくなっていた。



「…………」


「…………」



 蒼凪と仲間の間には、沈黙が居座っていた。

 厳密に言えば、時折遠方からは砲声や銃撃音が聞こえているものの、至近距離にいる2人の間にすぐ会話が生まれるという事は無かった。


 一抹の気まずさを覚えた蒼凪は、小銃に視線を落とす。

 土汚れなどが目立つそれを見て気を紛らわし、どうするべきかを模索しかけた所で――。



「き、緊張……、してる?」



 先に口を開いたのは、蒼凪ではなく仲間の方だった。



「えっと――そりゃ、もうずっとだよ」



 はたから見てもわかるほど動揺している蒼凪は、直前の記憶を頭の片隅から引きずり出して言葉を紡ぐ。

 視線は向けず、手元の小銃を執拗に触り続けている。



「ふふっ、私も。手の震え止まらなくてさ……」



 仲間の少女は少し弱々しい口調でそう言いながら、片手を蒼凪の前に差し出した。

 小刻みに震えるその手は、少女の内心を物語っているかのように恐れを表している。


 蒼凪は同情に似た視線を少女に向けて。



「そう……なるよね、やっぱり」

 


 そう言って、お互いに微笑んだ。

 安堵感が身体を支配しているような表情を浮かべる蒼凪を、仲間の少女も優しい笑みを浮かべて見つめる。


 2人の間には、確かに深い関係があるとは言えないのかもしれない。

 しかし今の彼女達の間には、同じ空の下で命を預け合い、同じ目的を成し遂げようとする共通意識がある。


 それだけで、芽生える温かな感情がある。

 互いを信頼するという意識が生まれている。



「よいしょ――と」



 それ故に、と言えば奇妙に聞こえるかもしれない。

 しかし、その一連の会話が彼女達の緊張と恐怖をほぐしたのは事実なようで、半壊した一階建ての家屋の別々の窓に小銃を置くまでの動作には、幾分かの軽快さが垣間見えた。


 蒼凪は北側にある小さな木製の窓に。

 もう1人の少女は西側にある大きめの窓の端に。


 それぞれで仮設の銃座をこしらえ、共に北西に銃口を向けて待機し始めた。



貴女あなたの名前は……、ユキだったっけ?」



 室内は黒く薄汚れた日用雑貨が散乱して酷い有様だが、2人の間を隔てるものはほとんど無い上に距離も離れておらず、言葉を交わすのも容易い。


 そのためか、先程とは違って会話が途絶える事も無かった。



「そうだよ、ユキ=アオナギ。貴女は?」


「ジ、ジュリー……ジュリー・メイヤール・ルシオン。家族や友達はみんな『ジュリー』って呼んでる」

 


 警戒は怠らない。

 しかし、少女達は一瞥しつつ言葉を交わす。



「ジュリーは私の名前、覚えていてくれたんだ。みんなの前でちゃんと自己紹介したの、出発前のミーティングの時だけだったのに」


「う、うん……貴女みたいな日本人、欧州ここじゃ珍しいし……。日本だって、今はとても大変なはずだから……」


「そう……だね」



 それはトラックで運ばれている最中、カーク伍長にも言われた。

 やっぱり、己のワガママをお構いなしに体現している小娘だとみんなに思われているのか。


 蒼凪はそんな感想を押し殺そうとしたためか、返事に不鮮明さを生んでしまう。



「あっ、ご、ごめん! 悪く言うつもりなんて無いの! ただ私は、単に物珍しさで気になっただけというか……本当にごめんなさい」



 垂れがちな両目を僅かに濡らし、慌てふためきながら身振り手振りを混ぜて弁明する少女――ジュリー。

 しまいには、蒼凪に向けて深々と頭を下げた。



「そんなの、気にしなくて良いよ。それくらいは覚悟してきているんだから、それよりちゃんと外見てて」


「あっ、うん……」



 しかし蒼凪は特別責め立てる様子も見せず、柔らかな口調でそう答える。

 ジュリーはそれを聞くなり、ゆっくりと頭を挙げてまた顔を外に向けた。



「私……田舎育ちであまり気を使うなんて事、してこなかったから……。他の人と話す時、なんでも言っちゃうのが癖で……直したくても、なかなか直せなくて……。気を悪くさせちゃう、かも……」



 小銃の表面を指先で小さく撫でるように弄りながら、ジュリーは歯切れの悪い言葉を紡ぐ。

 上げていた顔も、少しずつ俯きがちになっていく。 


 おまけにジュリーが言う言葉は、喋れば喋るほどか細くなり聴き取り辛くなっていく。

 そこからでも、少女の気弱な性格は読み取れた。



「私は――はっきり言ってくれる子の方が良いと思う」


「えっ……?」



 蒼凪の言葉は、嘘の色を帯びていなかった。

 その変わりに込められていたのは、遠い過去の温もりだ。



「私のお母さんが、丁度そんな感じだったんだ。遠慮って言葉を知らないほど気が大きくて、気弱なお父さんをいつも困らせてた。でもお父さんはお母さんの事、絶対に『嫌い』と言わなかったし、お母さんも自分の事を理解してくれるお父さんにいつも感謝していた」



 語られるのは、蒼凪の記憶。

 昔は触れる事ができた、その温かさだ。


 目前に広がる瓦礫の景色の先にある虚空を見つめながら、蒼凪は続ける。



「私もそうだよ――ガサツな言い方をするお母さんと喧嘩する事はあったけど、仲直りしないなんて事は無かった。勿論、誰にでも言い過ぎちゃうのは確かに良くない事かもしれない。けど、それでも――それは『悪』だと決めつけなくても良いと思う」


「……」


「私がおかしいのかもしれないけど……、必要以上に遠慮する人よりは、ちゃんと自分の本心を言ってくれる人の方が、好感は持たれやすいんじゃないかな? そういう意味じゃ、ジュリーの性格はすっごく強みになると思うし」


「……」


「っていうのは、私の自論なんだけど。ジュリーが直したいって言うのなら、私はちゃんと――えっ!?」



 若干恥ずかしいのか、愛想笑いを浮かべながらジュリーの方に顔を向けた蒼凪は――驚いた。

 見ればジュリーは、両目に大粒の涙を浮かべて表情をくしゃくしゃに崩し、蒼凪の方を見ていたからだ。



「ど、どうしたの? 私、ジュリーに何か酷い事言っちゃったの?」


「ち、違うの……そんなふうに言ってくれた人、初めてなの。今まで嫌われた人からは、『礼儀知らずの田舎女』だとか……『性悪』だとか言われてて……・私だってちゃんと直そうとしているのに、聞いてもらえなかった……。そのせいで子供の頃、苛められた事だってあったの。でも、私の事をユキはそんなふうに言ってくれて……それを聞いているだけで、涙が出てきちゃって……」



 片手で乱暴に涙を拭うジュリー。

 対して蒼凪は、少しだけ困った様子だ。



「わ、私は特別な事言ってないよ! 本当にそう思ったから言っただけで。私の方こそ、知らない事ばかりだから気を悪くしちゃうかもしれないって思ってて……だから今だけは泣かないで、ねっ? あっ、外もちゃんと見てて」


「……ご、ごめんなさい」



 涙声を発しつつ鼻を啜り、泣きの表情を少し残しながらジュリーはまた窓の外へと視線を戻す。

 蒼凪はそれを確認した後、自分もまた外へ視線を向けた。



「ユキ……ありがとう。この部隊に入ってから不安だらけだったけど、ユキに慰められるなんて……思ってなかった。私なんかより、遠くから来ているユキのが辛い事多いはずなのに。ごめん……」


「お互い様だよ。私もジュリーと話せて嬉しいし、落ち着ける。今が怖くないと言えば嘘になるけど、もう手は震えてない」



 蒼凪は自身の片手に視線を落とす。

 その言葉通り、先程まであった手の震えは――ほとんど無くなっていた。



「……私も、おんなじだよ」



 ジュリーも同じ行為をする。

 涙で視界はぼやけているだろうが、輪郭からでも震えの停止は確認できたのだろう。


 表情にも、少し余裕が生まれていた。



「ね、ねぇユキ……ユキは、どんな所から来たの? もし良ければ、色々教えてほしい……って思って……」


「私の住んでいた所? うーん……なんにも無い田舎かなぁ。静かな所と言えば聞こえは良いけど、小さな町で観光名所も無かったし、どこにでもある町だったよ。ジュリーの方は?」


「わ、私の所も、田舎だったよ。生まれはルーズって町なんだけど、山や川しかなくて……。この部隊シンデレラに入るためパリに出てきたら――人がたくさんいて、ビックリしちゃった……」


「ビックリって……あはは」


 

 やや乾いた笑顔を見せた蒼凪も、警戒は怠らない。

 互いに顔を見せる事無く、言葉は繋がれていく。



「私も、もしよかったら教えてほしいんだけど――ジュリーはさ、どうしてシンデレラに入ったの? 何か理由があったとか?」


「り、理由……そんな大した理由じゃないけど……」



 ある意味踏み込んだ問いかけに、ジュリーは微笑する表情を変える事無く答えた。



「さっき、生まれはルーズって言ったよね……? フランスの南の方の町なんだけど……、戦争が始まって南連が攻めてきたから、私達家族は親戚がいるデンマークへ移り住むしかなかった。だから……『本当のおうち』にはもう、長い間帰れていないの」


「……」



 蒼凪は、その返答を聞き始めてから瞬時に後悔の念を露わにした。

 ジュリーが悪気なく行った質問を、今度は蒼凪がしてしまったからだ。



「デンマークでの暮らしに不便な事は無かったけど……軍に入った今でも、ちゃんとおうちに帰れなくて寂しいって気持ちはあるかな。家族のみんなも、そう言っていたし……」


「……ごめん。私、ジュリーに嫌な事聞いちゃった」


 

 ジュリーは首を横に数回振る。

 気にしていない、という言葉を行動で表したのだろう。



「良いの。今はこの寂しいって気持ちをバネにできているから……頑張れている気がする。私……生まれつき取り柄も何も無くて、なんにもできずにいたけど……こんな形でだけど、今は、ちゃんとできていると思うから……」


「…………」


「だから、私がシンデレラに入ったのは――『お家に帰りたいから』。それが理由……かな……。例え南連のせいで無くなっちゃっていたとしても……私が知っているあの町は、私の中でずっと残り続けているから……。だから、帰りたい」 



 言い換えれば、献身を取り柄にして平和を手に入れる。

 ジュリーという少女はそれを理由に、『命のやり取りが行われる戦場』へと赴いた。


 流暢に語られるその言葉の中には、強い決意と確固たる信念が健在している。



「ジュリーは強いね」


「わ、私が強いっ!? そ、そんな事ないよ! 私……凄くワガママな理由で軍に入っちゃったし、無神経な物言いで、みんなに迷惑かけているだろうし……」


「ううん、強いよ。自分の為だけじゃなくて、家族のためにも動いているし。ちゃんと考えて、ちゃんと目標があって――けど私、そんなジュリーに対して偉そうに質問しちゃったし……」


「ユキ……」



 互いに表情を曇らせる。

 ジュリーの方は蒼凪を一瞥し続け、やがて顔をそちらに向けて口を開いた。



「じ、じゃあ、これでおあいこ……ってのはどう?」


「おあいこ?」


 

 小銃から手を離して身振りを交えた事により、窓辺にあった小銃は一時的に落ちそうになるが、ジュリーは慌てて銃床を抱え直し小銃を支える。


 蒼凪も、ジュリーに対して顔だけを向けた。



「私がさっき言った事と、ユキが今言っちゃった事で……。だから、ユキも私もお互い様って事で、どう……かな?」


「お互い様って……なにそれ。ふふっ」


「え、えへへ……」



 2人からは、自然と笑みが零れた。

 

 ジュリーなりに気を利かせ、蒼凪に自責の念を負ってもらいたくないがための行動だと思われるが、当の本人にとってはどうやら良い意味で拍子抜けだったらしい。


 小さな笑いが、2人の間を何度も行き交っていた。

 


「わ、私……気を使うとか苦手だから、ユキの方こそ遠慮しないでほしい……かな」


「私だって。ジュリーの心遣いは凄く嬉しいし、なんでも言ってよ」


「ありがとう、ユキ」


「こちらこそ」



 また、笑みが交わされる。

 年端もいかぬ少女が織り成すこの会話が、紛いなりにも戦場で行われていると言われてもなかなか信じられないだろう。


 当たり障りのない会話も同然だが、しかしこれも、一兵士が紡ぎだす生々しい言葉である事に変わりは無い。

 

 望郷、羨望、そして希望。

 それらで色鮮やかに染まるこの空間に、憂いの色はほとんど無い。


あるのは安らぎと、温かな雰囲気と――。



「き、来たよ!」



 ジュリーのその一言で、2人を包んでいた温和な空気は鋭利に引き締まる。

 数十分の間緩んでいた拍動が瞬間的に高まり、身体が強張る。


 その状態でも蒼凪達は小銃を両手で固定したまま、瓦礫の海が広がる窓の外へと視線を巡らせた。


 ――それは、視界の右手から小さく散発的な銃撃音と共に出現する。


 蒼凪達が陣取る廃屋の北西側、数百メートル前方。

 瓦礫の海が丁度途切れ、轍などによって形成されている小さな小道。

 

 その奥の方から、険しい表情を浮かべている1人の女兵士が現れた。

 小銃片手に瓦礫の間を縫うように蛇行しながら走り続け、蒼凪達から見て左手前に向けて突き進んでいる。



「ユ、ユキ……」


「大丈夫。フィル曹長の合図を待って」



 思わず不安の声を漏らすジュリーを宥め、蒼凪達は変わらず小銃の照準をその女兵士――フィル曹長の少し後方に固定し続けた。


 こちらに向かって走って来るのは小粒ほどの人影で判別が難しいと思われるが、蒼凪とジュリーはそれが誰なのかを外見だけですぐに特定できた様子だ。


 目立つ外傷等は見られないが、肩を大きく揺らして時折後方を一瞥している。

 その様子だと、囮作戦は成功しつつあるのだろうか。


 蒼凪は徐々に早まる拍動を感情で抑え付け、フィル総長に対するその疑問を明確に浮かべ熟考する前に――ほどなくして、それらはフィル曹長が現れた場所と同じ箇所から登場する。


 簡素な装備を身に付けている南連の男兵士達だ。

 様々な体格と顔付き、千差万別の一挙手一投足と共に一人、また一人と不規則な間隔を空けて瓦礫の間から姿を現していく。


 そんな彼らが共通して行っている行動はただ1つ――フィル曹長に対する追撃。

 蒼凪達のいる位置からでも視認できるほど、彼らは執拗にフィル曹長を追い回していたのだ。


 1人は小銃を構えながら走り、狙いが十分に定まっていないにも関わらず自分の前を行くフィル曹長に向けて適当に銃撃を浴びせる。


 別の1人は片膝を着いて小銃の先をフィル曹長に向け、散発的に撃ってはまた少し走って片膝を着く。

 中には、拳銃片手に彼女へ怒号を浴びせながら追撃を行う兵士までいる。


 そんなのが瓦礫の間から滲み出るようにして出現し続けていた。



「早く……早く……!」


「…………」



 声を漏らして焦りの感情を見せるジュリーと、固唾かたずを飲んでただ静かに固まっている蒼凪。

 鉛のように重く感じられるほど、2人の体感時間は異様に延びていた。

 

 作戦の内と理解していながらも、目の前で徐々に追いつめられている人をただ止まって見ているのは、彼女達にとってとても多大な負担になっているのだろう。


 感情を露わにしているジュリーと対照的に静止している蒼凪も、時間の経過と共にその表情は少しずつ険しいものになっていく。


 小銃の引き金に掛けている人差し指は、彼女が直接言わない「まだか」という胸の内をさらけ出しているかのように、四六時中前後に小さく震えていた。



「7……、8……」


 

蒼凪は相手兵士の人数を無意識に数えている。

 そんな状態でも、相手方の兵士は瓦礫の間から不規則な間隔を開けて現れ続ける。

 現在の歩兵の総数は8人。


 フィル曹長を追う兵士の列は間延びしていて、その全長は数十メートルに達しかけていた。

 ――そうして、ようやくだ。


 蒼凪達が潜む方向に向けて、フィル曹長が大きくハンドサインを見せた。



「撃ってっ!」


「うん!」



 火蓋は再度切られた。

 溜まりに溜まった感情を吐きだすかのように、蒼凪とジュリーは構えていた小銃の引き金を力の限りを引いて、鉛弾を放ち始めた。


 狙いは当然、フィル曹長の後方に群がる南連の兵士。

 具体的に個人を狙う事をせず、2人は数人の南連兵士に向けて乱射した。


 重苦しい衝撃と発砲音が酷く轟き、多くの弾が南連兵士の周囲の地面に着弾して小さな土煙を上げる。

 発砲の衝撃に蒼凪達が慣れていないのか、それとも疲労によって制御が十分でないのか。

 

 散布界が広くなりすぎており、なかなか弾丸が命中しない。

 しかし突然の銃撃に対し、南連兵士は酷く混乱している様子だ。


 自分の身を守ろうと周囲の瓦礫に身を隠そうとする者、構わずフィル曹長への追撃を続ける者。

 反応にはバラつきがあったものの、大雑把に分けるとその2つのうちのどちらかだった。


 その反応を見せる南連兵士のうち、先頭を走っていた南連の兵士の脇腹にようやく弾丸が一発命中する。



「あ、当たった……!」



 被弾した兵士は脇腹を片手で押さえながらその場に崩れ落ち、悲痛な叫び声を上げる。

 その兵士を視認したジュリーは思わず喜びの声を小さく発し、同時にその姿は蒼凪も確認していた。

 

 だが喜びは束の間だ。



「隠れて、ジュリー!」



 蒼凪達の居場所をざっくりと把握したのか、被弾した味方を庇うようにしてほとんどの南連兵士がこちらに熾烈な銃撃を浴びせてきたのだ。



「きゃあああっ!」



 悲鳴に似た叫びをジュリーは上げつつもすぐさま膝を抱えてその場でしゃがみ、頭を抱えて迫り来る弾丸の雨を逃れていた。


 蒼凪も同様に窓のすぐ下へとしゃがんで身を隠し、南連兵士の攻撃を回避する。

 何十何百という着弾音が蒼凪達の鼓膜を強制的に震わせ、2人の前に死の恐怖をちらつかせていた。


「あっ……」



 蒼凪は時間を無駄にしまいと、焦りの見られる手付きで小銃の弾倉にある残弾を確認していた。

 だが――そこには何も無い。


 残弾が少ないのはきちんと覚えていたはずが、これほど早く無くなるとはあまり思っていなかったのだろうか。

 無意識に撃ち過ぎていたのかは知らないが、その現実を目の当たりにして蒼凪の身体を再び不快な焦燥感が駆け廻る。


 しかしそれでも、彼女は呑まれそうになる感覚を押し殺す他無かった。



「ジュリー、作戦通りここを出よう! 残弾はあとどれくらいあるっ?」


 

 途絶える事の無い銃声の最中、蒼凪は小銃を肩に掛け、また声を張り上げてそう問いかける。

 問いかけられたジュリーは、半べそをかきながらそれに反応した。



「い、今までほとんど使ってないから、まだたくさん!」 


「なら、もう一度だけ奴らに向けて撃って! そしたら作戦通りにすぐに下がる。い!?」


「無理無理、無理だよぉ! 今顔を出したら死んじゃうって!」


「今ここに留まっていても同じだよ! フィル曹長と一緒に下がるって約束したでしょ? もうすぐ奴らが来ちゃうよ!」


「んん~…………!!」


 

 優柔不断でなかなか応じないジュリーを前に、蒼凪は落ち着かない様子だった。

 南連の兵士は目先の脅威を取り払おうと、フィル曹長だけでなく自分達も殲滅目標に加える可能性が高い。

 

 現に先程の銃撃もそうだ。

 敵を追撃している最中に近くの建物から攻撃があれば、放置したりせず攻撃して無力化し、より安全を確保しようとする。


 蒼凪はそれを見越してなのか、本来の作戦通りに動く事を重視するようジュリーを説得したのだろう。



「私が合図するから、当たらなくても良いから窓の外へ牽制射撃! そしたら一気に逃げる。それで行くよっ!」


「う、ううぅ――!」



 ジュリーもようやく現状を正確に理解したのか、壁を背に座ったまま泣きじゃくる顔を戦闘服の袖で適当に拭い、小銃を身体の正面に持ってきた。



「行くよジュリー!」



 蒼凪は口を動かしながら、少し前に拾った『WAG64』をズボンの隙間から引き抜いて片手に構え、腰を僅かに浮かし。



「3、2、1――」


 

 今一度、命を賭して生死を決めるカウントを重ねて。



「撃って!」



 合図を下した。

 2人は同時に胸より上を南連に対してあらにする。


 目の前に広がるのは、相も変わらず無機質な瓦礫の海。

 その間を縫うようにして接近してくるのは、自分達に銃を構える数人の兵士達。


 蒼凪とジュリーはその兵士達に対し引き金を再度力強く引き、一時的な弾幕を張るようにして何度も銃撃を浴びせ始めた。


 ジュリーは堪えるような泣き声を発しつつ、建物の中から見て左翼に散開する兵士に向けて。

 蒼凪は恐怖を噛み殺すように下唇を噛み締め、右翼で一塊になって身を隠しつつある小さな集団に向けて。


 無論。相手からは何度も何度も反撃を受ける。

 窓枠の周囲には弾痕が少しずつ増えていく。



「左に2、右に3、奥に5――3増えて8……!」



 身体を露わにしたのは単なる的になるためではない。

 その総数と状況を再確認するという意味を、蒼凪は個別に持っていたようだ。


 呟きながら狙いを定め、相手に命中せずとも散発し続ける――。



「あれって……」



 唐突に、蒼凪の表情がより険しいものへと変貌した。

 目の前の瓦礫の間を縫うようにして接近してきているのは、確かに南連の屈強な兵士達。


 しかし蒼凪はその後方――兵士達の後方から巨体の動物のようにのっそりと見え隠れするものの存在を視覚で捉えた様子だった。



「ジュリー、これ以上はもうダメ! 急いで退くよ!」


「も、もういの? あんまり早いと、ちゃんとした足止めにはならないんじゃ……?」


「そうだけど、そう言ってる余裕が無くなっちゃったから――急いで退かないと危ないの!」



 数秒程度の間攻撃を行った後、両者は一旦身を隠し、蒼凪は合図を出すようにしてジュリーへ避難を指示した。

 絶え間ない銃撃は廃墟の壁へ着弾し続けているが、それにはもうお構いなしのようだ。



「ま、待ってよユキ!」



 落ち着く間もなく腰を上げ、2人はどたばたという擬音が似合いそうなほど一目散に廃墟の窓から離れる。

 半壊した家屋を滑るようにして駆け降り、足を取られそうな小さな瓦礫を避けて屋外へ出ると、遠くにそびえ立つ協会に向けて、また全力で走り始めた。



「ジュリー、見えた? さっき僅かに見えたあれっ!」


「な、何? 敵の兵士? それなら……」


「違う、戦車! 向こうにもう戦車がきてたの! あれが来なければ、もう少しくらいやれそうだった……。でもあのまま欲張ってたら私達――今頃は戦車の砲撃で木端微塵だったかも……」


「こ、木端微塵……」



 荒い息遣いの合間に出る言葉で、会話は交わされる。

 その状態でも、蒼凪とジュリーは共に戦慄の感情を含んだ声を漏らしていた。


 もしあのまま粘っていたら。

 敵の戦車が射撃姿勢を整え、自分達のいた場所へ砲撃をしてきたら。


 実際に訪れていない、遭ってもいない場面なのにも関わらず。

 もしかしたらという未知のものに対して、今一度恐怖を抱いていた。



「ユ、ユキ! 後ろからまた……!」



 ジュリーは再度後方を一瞥しながら弱音を吐く。

 蒼凪もつられて後ろを軽く確認すると――確かにいた。


 こちらに迫り来る南連の兵士数人が、遠くの瓦礫の合間からちらちらと見え隠れしている。

 蒼凪達の場所からでもわかるほど殺意と気迫に満ちた様子で、時折小銃を乱射し2人を仕留めようとしている。


 まるで兎を追う猟犬の如く、こちらを執拗に追いかけていた。



「このっ――!」


 

 蒼凪は恐怖に震える心を抑えつけ、決心して半身を振り向かせ身を低くする。

 脚を止めると同時、片手に持っている拳銃を敵目掛けて散発し、牽制射撃を行った。


 性能が比較的良いとはいえ、拳銃は小銃と比べて威力だけでなく射程距離でも基本劣ってしまう。

 発射時の反動を未だ十分に押さえられないほど未熟な彼女がそれを扱った所で、当然命中などしない。

  

 しかし「運が良かった」と表現すべきなのか。

 戦闘を行く南連兵士のすぐ横に積み重なっていた瓦礫に弾は着弾し、敵はそれを過剰に脅威と感じたのか一時的に瓦礫の陰へ身を隠した。


 一瞬だが、蒼凪の牽制は進軍速度を遅らせる事に成功していたのだ。



「ふせてっ!」



 そして、また唐突に。

 ジュリーが叫び声と共に蒼凪の腰へ飛びついて来たと同時。


 蒼凪は、退く敵兵士達の奥に出現した『鉄製の穴』を視認する。


 視線の先にそれが入ると、彼女の視界は瞬く間に大きく横へと揺らぎ、そのまま半ば強制的に地面にうつ伏せとなる。

 爆発音に似た着弾音が耳を強襲し、近くにあった半壊の家屋の一部が爆散したかのように消し飛んだのはその直後だった。


 衝撃で巻き上げられた砂と石が通り雨の如く降り注ぐ最中、2人はたった今起きた出来事を嫌でも理解させられていた。

 それは――敵戦車の砲撃。

 

 蒼凪が先程敵兵の奥にあるのを確認した穴は単なる弾痕などではなく、自分達を狙っていた戦車の砲の穴。

 

 あとほんの少し反応が遅れていたら。

 ジュリーが戦車に気付かず蒼凪を立ったままにさせていたら。


 起きてもいない事にまた恐れを抱いて身体を軋ませ、2人は砂の通り雨が収まるまで何も言わず。

 転げ落ちそうになる平常心を保とうと、口に入る僅かな砂利の味に意識を傾けていた。



「ユキッ……だ、大丈夫!?」


「う、うん――ごめん。私……」


「は、早く行こう!」



 些か虚ろになる視線と意識の中、蒼凪とジュリーは重なっていた身体を起こして中腰になり、それぞれ銃を片手にまた一歩を踏み出そうと動く。


 そして――また唐突だった。

 蒼凪は進行方向へと顔を向ける途中、同じように走り出そうとしたジュリーの斜め後方数十メートルの位置にある廃墟の間から飛び出た影を見る。


 その正体を全て理解する前に。

 蒼凪は跳ね上がる心拍数を気にも留めず、また片手の拳銃をそちらに向ける。 


 迫り来るは――南連の小柄な男性兵士。

 機動性特化の簡素な軽装備に加え、片手には刃渡り数十センチの軍用ナイフ。


 そして堀の浅い顔には――明確な殺意。

 一瞬で得られた情報から、少なくとも味方ではないと判断した蒼凪は、一発だけそちらに向けて撃とうとする。



「! もう弾が……」



、拳銃の引き金を力の限り何度も引くが、弾は出ない。


 撃鉄は音を立てて動くものの、発射時の衝撃と発砲音が鳴る事は無い。

 常時焦燥感に駆られていたために拳銃の残弾数を考慮していなかったのか、残弾数がゼロという現実は蒼凪にまたもや嫌な焦燥感と命を狩られる恐怖を芽生えさせ――。



「ジュリーッ逃げてっ!!!!」



 肉迫されるジュリーは後方から迫り来る気配を感じ取ったのか、小銃を構え直しつつ振り向こうとするが――油断から生じた反応の遅れは挽回させられない。


 蒼凪は身を挺して状況を打開しようと考えたのか、地を踏んで彼女に向け駆け始めるが、その反応も遅れてしまう。


 そして彼女はまた――訪れようとしているものを意識してしまう。

 いくつも目にしてきた『死』というものが、今度はジュリーに訪れようとしている事を。


 彼女はわかっていた。 

 この状況は、自分ひとりじゃどうしようもできないものだと。


 ジュリーがそれに向けて攻撃を行うより。

 蒼凪が間に入ってジュリーを庇うより。


 振り上げられている『鉄製の刃物』の動きの方が、圧倒的に早いと理解していたからだった。


 敵兵の口からやがて聞こえ始める怒号。

 ジュリーは振り下ろされる『死』を小銃でなんとか防ごうと構えようとして――。


 ――銃声が聞こえた。


 敵兵の攻撃範囲まであと数十センチとなったと同時。

 その兵士の左胸には小さな風穴が肉を切り裂く音と共に開き、先程まで見せていた勢いは軍用ナイフを振り上げた姿勢のままぱたりと止まる。


 そして少量の血飛沫を胸から出したかと思えば――力無く、ジュリーにもたれ掛るようにして倒れた。



「えっ……どうして……、お、重いっ……!」


 

 急に自分の方へ倒れてきた男性兵士に戸惑い、ジュリーは将棋倒しのように倒れつつあった。

 自然と、蒼凪の脚も止まる。


 一瞬で変化した状況に対し、ジュリーも蒼凪も完全に置いてけぼりだ。

 起きた事を理解しようにも、「誰が撃ったのか」という最大の謎が目の前に鎮座しているせいで正常な思考ができてない様子だった。 


 流れ弾にしても向こうにいる敵兵とは距離がかなり離れているし、かといって他に兵士など――。



「ユキ! ジュリー!」



 答えはそこにあった。

 無論それが『考えられなくはない答え』だったと2人が理解したのは、その『答え』がなんなのかを十分に理解した数十後だった。



「フィル曹長……!」

 

 

 後方の廃墟の間から湧き出るように出現し、自分達を追いかけてくる南連の兵士がいる方へ牽制射撃を行いながら2人を取り囲んだのは――先程別行動を取ったフィル曹長と、カーク伍長と行動を共にしているはずの仲間2人だった。


 フィル曹長は蒼凪達のすぐ横へ滑り込むように片膝を着くと、小銃を敵兵のいる方向へ構えながら2人を一瞥して口をまた開く。


 

「うまく敵を釣れたようね――このまま教会まで一緒に後退するわよ! 先に行きなさいっ!」」


「は、はいっ!」



 良い意味で有無を言わせないような物言いに蒼凪とジュリーは反応する。


 ジュリーは自分にもたれかかってきた南連兵士の遺体をどうにか横へ退け、落とした小銃を急いで拾う。

 その間に、蒼凪はそんなジュリーに気を配りながらも、フィル曹長の言う教会のある方向へと再度顔を向けた。


 見れば――教会までは残り百メートルあるかないかの距離に蒼凪達はいたのだ。

 相も変わらず目の前には廃墟や瓦礫、砲撃や爆撃等によって人工的に生み出された起伏が大海のように続いているものの、目印となるその教会はさっきと変わらずそこに佇んでいる。

 

 がむしゃらに、そして死にもの狂いで駆け続けてきたため目標物を見失いかけていたのだろうか。


 しかし――いずれにしても、自分達が進むべき道を今一度確認する事ができたようだ。

 蒼凪は一呼吸を交えて改めて覚悟を胸に抱き、フィル曹長達と共に後退を開始したのだった。


 

   ◇       ◇       ◇



 後方から飛んでくる銃弾の間隔は様々だ。

 散発的な時もあれば、いくつもの弾丸がほとんど間隔を空けず飛来してくる時もあり、銃弾は総じて自分達のすぐ横や脇を掠めたり、少し離れた地面や廃墟の壁などに着弾したりする。


 その凶弾を放っている人数に変化が無いのは遠目からでも確認でき、更にその後方には、命を狩られる恐怖を一層煽り立てるかのように、戦車の姿が瓦礫の間から時折見え隠れしていた。


 それらは執拗に追撃を続けており、蒼凪達を亡き者にしようと未だに迫ってきている。


 そんな状況がどれだけ続いただろうか。

 幸い部隊の面々はまだ被弾していないものの、長い間追いかけられているという過酷な状況に晒され続けたせいか、疲労が蓄積しているのは火を見るよりも明らかだ。



「はぁ――はぁ――」



 無論それは蒼凪も例外ではない。

 随所で燃え盛る戦場の業火の中を潜り抜けてきた事により、心身共にほとんど摩耗しきっている彼女は、既に気力だけで身体を動かしているも同然の状態だ。


 疲弊により駆ける足は時折もたつき、先程までの機敏さと生命力はいつの間にか喪失しており、今となっては他の仲間の走るペースについていくため常に身体に強く鞭を打ち続けているような有様だった。



「伍長っ!」



 そんな彼女の不安定さを消し飛ばすかのように、フィル曹長は声を張ってそう叫ぶ。

 気が付けば、蒼凪達は先程も訪れた大きな教会のすぐ手前まで戻ってきていたのだ。


 そしてフィル曹長の視線の先に――戦禍を盛大にこうむった事により、一枚の巨大な壁のような有様となっているその建物の正面、木製の大きな両開き扉の下部に彼はいる。


 カーク伍長は蒼凪達に背を向けるようにしてそこでしゃがんでおり、呼ばれた時は何かの作業の途中だったのか、上半身を捻って顔だけをこちらに向けてきた。


 また、残りの仲間の1人は彼の護衛役を担っていたのか、小銃を適当に構えつつ彼の傍で腰を下ろし待機していた。

 フィル曹長が発した伍長を呼ぶ声に彼女もすぐ気付き、カーク伍長と同様こちらに視線を向けて軽く反応したが――ほぼそれと同時。


 蒼凪達のやや後方にいる敵を彼女も視界内に捉えたのか、小銃を今一度構え直し戦闘態勢を取り始めていた。



「各自、手筈通り廃墟を盾に散開して迎撃よ。準備ができるまで持ちこたえるわ! ユキは私と一緒に!」



 指示を受けた蒼凪以外の3人は、教会の近くまで近づいていたその足で左右へ適当に散る。

 1人は教会左手にある物置小屋の入り口付近に身を隠し、もう1人は教会右手にL字型の状態で佇む石造りの一軒家の窓に陣取り、残るジュリーはその石造りの一軒家の2階に駆け上がっていった。


 そして敵を目視し――また銃撃を浴びせ始める。


 他方、引き連れている面々にそう指示を飛ばしたフィル曹長と蒼凪は、姿勢を低くして頭のメットを手で押さえながら、カーク伍長の傍に数段積んである土嚢どのうの陰に滑り込んだ。


 長時間の苦行を終えたような顔で蒼凪は背を土嚢の側面にどっかりと預け、これでもかというくらい荒らげていた息を整え始めるが、それとは対照的に、フィル曹長は間髪入れず土嚢越しに元来た道の方へと銃を構え、すぐさま臨戦態勢を整えていの一番に引き金を引き始めていた。 



「曹長、上手い事行列を引き連れてきたようで!」



 周囲から聞こえ始める銃撃音に負けないくらいの大声を上げ、彼は傍に来たフィル曹長に話しかけていた。

 


「お世辞なんて結構よ! それより準備は? みんなの弾薬も残り少ないわ!」


「こいつで最後ですが、あと2分くだせえ……!」


「駄目よ、あと1分でやりなさい!」


「へへ――やっぱりそう来ますかい。いつも通り、無茶言ってくれますねぇ!」

 


 カーク伍長はその言葉に呼応するようにして正面へと向き直り、足元にある白色系の直方体を目の前にある大きな扉の片側へ押し付けるように設置していた。

 直方体の上面中央からは数本の黒いケーブルが伸びており、彼は何やらそのケーブルを束ねたり繋げたりして弄り回している様子だった。



「ユキ、最後にもう一仕事よ! 合図があるまで伍長を援護して! アリッサ、弾薬があるならユキに分けてあげなさいっ!」



 半ば怒号に近いフィル曹長の命令に喝を入れられ、蒼凪は飛び起きる。

 現実の戦闘はまだ終わってはいない。


 その事実を再認識し、誰かから弾薬が渡される事を予想して視線を左右に動かす。



「投げるよっ!」



 声の発生源は――カーク伍長を挟んで反対側からだ。

 蒼凪が自分の顔をすぐそっちに向けると、そこにはついさっきまで伍長を護っていたやや長身の少女が、険しい剣幕のまま腰にある弾倉を忙しい手付きで取り出していた。

 

 彼女が持っている小銃は、蒼凪と同じU.S.M1カービン。 


 

「もう予備は無いからねっ!」



 茶髪のベリーショートが特徴の少女は、そんな大声と共に二つの弾倉を蒼凪に投げ渡し、また正面へ向き直って銃撃を再開する。

 対する蒼凪はなんとか受け取った弾倉の片方を腰の弾帯へ乱暴に収めると、ずっと肩に掛けていた小銃を久しぶりに下ろし、急いでそれに弾薬を装填し始めた。


 

「早く……あっ……っ」



 土嚢に背を預けて視線を下に落とし、手元を確認しながら弾を込めるものの――焦るあまり弾倉を一旦地面へと落としてしまった。

 

 慣れつつはあるが暴力のように耳へ入ってくる銃撃音と着弾音。

 過酷な状況が継続している事を示す各々の険しい表情。

 半ば麻痺している己の指先の感覚。

 

 彼女を急き立て追い込む要因は、彼女の周囲にいくらでも存在していた。



「これでっ!」



 弾倉をようやく交換し終え、フィル曹長の指示通り迎撃を行うために土嚢の上部から上半身だけを露出させると、蒼凪は小銃を正面に構えながら敵の位置を目視で手早く確認する。


 先程から自分達に付きまとっている敵がいるのは百も承知のようだが、改めて状況把握をするため、視界に映っている敵を可能な限りかつ大雑把に捉え直した。


 左の建物の陰に1人、右の瓦礫のすぐ脇に2人、奥の廃墟の向こうに数人の南連兵士。

 現状は敵部隊の先頭集団と撃ち合いになっていると理解したのか、蒼凪は躊躇う前に自分から最も近くにいる右側の二人組に向けて銃を撃ち始め――。


 その直後だ。

 自分達の左方にある物置小屋の近くに立っている建物の上部が突然爆散し、凄まじい爆風と爆発音、無数の小さな石の雨が数秒間蒼凪達を襲ったのは。



「なんだってんだくそがっ!」



 物置小屋の近くで応戦していた仲間――首まである灰髪が特徴の小柄な少女は、目の前で突然起きた出来事のせいか尻餅をつくようにして体勢を崩す。

 だがすぐに持ち直し、頭を片手で押さえながら一つ手前の瓦礫の傍まで急いで後退すると、身の安全を確保するためそのままそこに隠れ、文句を垂れつつさっきまで自分がいた方の様子を瓦礫越しに観察し始めていた。


 爆発地点のすぐ近くにいたというわけでもなく、尚且つ突然の轟音に驚いて思わず片腕で爆風を遮ったため蒼凪は怪我を負わなかったが、部隊の面々は酷く混乱している様子だ。


 唐突な爆発の正体がなんなのか。

 目の前でうろつく敵を対処しながらも各々は視線を巡らせてその原因を探すが――その爆発を引き起こした原因は、やがて重厚な機械音と共に瓦礫の奥からその一部を露出させてきた。



「……『シロサイ』」

 

 

 蒼凪が呟いた通りだ。

 視界の奥の方にある倒壊した石造りの建物の脇を抜けるようにしてのっそりと現れ始めたのは、ついさっきも彼女達の命を掠め取ろうとした南連の戦車――『シロサイ』。


 鉄の巨体は先程と変わらず両側を数人の南連兵士に護衛されながら、周囲にある瓦礫を自然の盾として利用しつつ、蒼凪達のいる教会に向けてやや蛇行するように進軍していた。


 それも1輌だけではない。

 少し間隔を空けて同じ型の戦車が同じ所からもう1輌出現し、計2輌の戦車がこちらに向けて轟音を立てながら迫ってきている。


 あれらは蒼凪を目標物に定めてここまで執拗に追ってきたのだろうか。

 いずれにせよ、目の前にある脅威が一気に強大なものへと変化したのは言うまでもない。



「伍長っ、まだなの!?」



 蒼凪のすぐ近くにいたフィル曹長が、表情を酷く歪めながら焦燥の声で尋ねていた。 

 当然の問い掛けだ。

 

 立案した作戦を確実に成功させるためには、現出してきたあの鉄塊に作戦を台無しにされぬよう立ち回らなければならない。

 敵に一泡吹かせるため立てた作戦が敵の手によって壊されてしまっては本末転倒である。



「もうちょい……、最後にこいつを繋げりゃ……!」



 カーク伍長がそう呟いている間も、向こうから飛んでくる弾丸の数は次第に増えてきている。

 正面に陣取っている敵の数も初めは少数だったが、今となっては後方から来た味方と合流を済ませ、前方の様々な位置から蒼凪達に向けて銃撃を行っていた。

 

 正面の道沿いに置かれている土嚢や放置された廃車の陰、道の左右で崩壊しかけている廃墟の隙間、だいぶ前に出来たと思われる砲弾の弾痕だんこん等々。


 確かにフィル曹長などの攻撃は時折敵に命中し、それらの場所に陣取っている敵を亡き者にしていくものの、それを上回るペースで向けられる銃口の数はひとつまたひとつと増加している。


 それに対して、こちらの攻撃力は既に上限に達しているも同然だ。

 劣勢に立たされかけているが故に、その現実は部隊の人間に一層重くし掛かる。


 己に迫ってきている恐怖と焦燥を前に、蒼凪達は肉体的にも精神的にも少しずつ押され始めている様子だった。


 

「当たって……、当たってよ……!」



 そうして迎撃を行う部隊の中でも悪い意味で一際目立っていたのは、やはり蒼凪だ。


 他の者よりも明らかに狙いのブレや手足の震えが大きくなっており、肩で息をしながら何度も引き金を引くが、その攻撃にはほとんど有効性が無い。


 明後日の場所に着弾するのは勿論、偶然敵兵に当たる事も牽制の一種になる事も無く。


 一発、また一発と、彼女はただ弾を浪費しているに等しい状態だった。

 度重なる死地へのいざないをどうにか拒んできた彼女だが、やはりもう擦り切れる寸前なのだろうか。


 本能的に不満の声を漏らしても、狙いが定まる事は無く発射された弾丸は次々に空を切っていき――そしてその時だ。


 自分達の目の前の地面が鼓膜を破壊しかねないほどの爆音と共に突然爆発し、発生した凄まじい衝撃と風圧のせいで部隊の仲間は全員大きく姿勢を崩された。


 無論蒼凪も例外ではない。


 爆発の中心地から最も近い位置にいた彼女はその場で身体を後ろ向きに半回転させるようにして勢い良く転ばされてしまい、衝撃と混乱によって一瞬意識が飛びかけてしまう。


 それとほぼ同時だ、

 一瞬で大量に舞い上げられた砂埃は、辺り一帯を不鮮明な世界へと変貌させる。



「奴ら煙に紛れて来るわ! 各自応戦っ!」



 朦朧とする意識の中、地面に手をついてなんとか立ち上がった蒼凪にそんな警告が不意に飛んできた。

 出所は恐らくフィル曹長だろう――砂埃のせいでその姿をはっきり確認する事はできないが、その言葉を理解し咀嚼しだした頃だ。


 遠くの方から、何やら大小高低様々な叫び声が聞こえ始めたのだ。

 初めは小さく、しかし時間が経過するにつれて全ての声は大きくはっきりとなっていく。

  

 やがて砂埃の向こうから現れたそれは、怒号をまき散らしながら走る勢いを利用する形で蒼凪達に突撃してきた。


 部隊に襲い掛かってきたのは、銃剣やナイフを片手に鬼のような形相で迫り来る南連の兵士達だ。

 自分達に迫って来る数人は全員男の兵士であり、背の高さや体格、装備しているものが全員バラバラだったが、気迫やその言動から誰もが明確な殺意をこちらに向けているのは言うまでもなく。


 奴らは自軍の推進力を利用して一気に攻め入ってきたのだった。


 やがて交錯するのは――銃剣、銃声、悲鳴、何かを抉る音、何か硬いものがぶつかり合う音。

 そして、誰かの命が尽きる音。


 肉体同士がぶつかり合う白兵戦が随所で展開され始めており、各々は目の前の敵を処理するので完全に手一杯の状態となっている。


 無論それは蒼凪も例外ではなかった。

 南連兵士の青年が一人、咆哮を上げながら険しい形相で自分目掛け一直線に接近してきたからだ。


 彼は全ての部分が鉛色の軍用ナイフを片手に握ったまま彼女に飛び掛かる。

 蒼凪は小銃を横に構え盾として使い彼の攻撃を身体ごと受け止めてるが、体格差故の不利な状況を覆せるはずもなく、その場で力任せに押し倒されてしまった。



「○×◇▲ッ――!!」


 

 比較的端正な顔立ちが作りだす激しい剣幕と凄みを利かせた怒声が、小銃を隔てた反対側にいる彼女を襲う。

 不鮮明な発音のせいで何を言っているかは聞き取れないものの、彼女の顔面目掛けて突き立てられているナイフが彼の抱いている生々しい感情をこれでもかと物語っていた。



「や、やめ、て……」



 単純な体格差もそうだが、性別故の筋肉量の違いや体重差もあり、蒼凪は彼の突き攻撃を自分の顔の寸前の所で食い止めるだけで精いっぱいのようだ。


 彼女が彼の身体を押し返せておらず、それどころか小銃を支える手が今にも屈してしまいそうなほど細かく震えているのがその証拠である。


 少しずつ、また少しずつ。

 ナイフは蒼凪に死を与えるためににじり寄り――しかし、青年の顔は突然横方向から割り込んできた誰かの片脚によって盛大に蹴っ飛ばされ、蒼凪の上から悶絶の声と共に転げ落ちた。



「ユキッ!!」



 肝心な時に横槍を入れられたと理解したのか、青年はうつ伏せの状態からすぐさま立ち上がろうと片膝を着く。

 そこへ彼に蹴りを入れた人間――フィル曹長は、蹴飛ばされた衝撃で彼がうっかり落としてしまったナイフを地面からあっという間に掬い上げると、そのまま一切の躊躇いなく下方から首を斬りつけた。


 一瞬で深手を負ってしまい、青年は首の横を両手で強く押さえつけながらもだえ苦しみ仰け反るが、フィル総長はそんな状態になっても容赦などせず。

 青年の腹部へ力強い蹴りを再度叩き込んで彼を仰向けに押し倒し、片手に握っていたナイフを一直線に振るってその左胸へ一気に突き立てた。


 悲鳴が満足に上がる事は無く、彼はやがて人間らしい全ての反応を停めてしまった。

 それほど軽やかに、そして瞬く間に、ひとつの命の火は蒼凪達目の前でまた消え失せてしまった。



「全員、建物裏へ逃げろぉ!!」



 息つく間など存在しない。

 彼の絶命直後、嵐のように巻き上がっていた土埃も割かし収まり掛けた頃、別方向から聞き慣れた男の野太い大声が、空気を震わせて蒼凪達の耳に飛び込んでくる。


 誰が何を言っているのかは言うまでもなかった。

 声に反応したフィル曹長は、未だ仰向けで半身を起こしたままの蒼凪へ一目散に駆け寄ると、切羽詰っている表情で彼女の片腕を掴み上げると強引に引っ張る。



「合図よ、立って走りなさいっ!!」



 半ば放心状態に陥っていた蒼凪は、片手に握りしめたままでいた小銃を再び胸に引き寄せつつフィル曹長の助けを借りてどうにか立ち上がると、やや千鳥足気味で後方へと走り始める。


 先程響いてきた男の一声は、自分達が立案した作戦完遂のために必要な手順、その最終段階が開始された合図だ。

 何を意味して何をすべきかなど当然理解している蒼凪も当然作戦に従って行動を取るが――各種行動はどこか覚束なさが出てきていた。


 これまで何度も繰り広げていた命の奪い合いが彼女の精神と肉体を共に追い詰めてしまい、疲弊が頂点にさしかかってきていたのだ。

 敵を寄せ付けないために小銃を構えたりもするが、狙いも体制も十分に定める事ができるとは言い難い状態であり、その差は敵に対し的確かつ可能な限り牽制を横で円滑に行えているフィル曹長と比べれば明白である。


 蒼凪もフィル曹長に頼りきるのは得策ではないと本能的に理解してはいるのか、鉛のように重く鈍くなっている四肢と感覚を最大限に活用して徐々に退いていく。

 襲ってくる銃弾はむ事無く、多種多様の怒号や罵声や銃撃音があらゆる方向から大小問わず永遠に聞こえてくる中――2人は土煙の支配する空間から完全に脱出し、ようやくあと数歩で教会裏手に差し掛かるという所まで後退を完了させていた。



「早くしろぉ!!」



 声が不意に飛んできた教会方向へ2人が視線を向けると、教会裏手には既に自分達以外の仲間が後退を完了させていた。

 さっきから時折彼女達の耳に入っていた野太い男の声の主は勿論、つい先程まで一緒にいた部隊の仲間も誰一人欠ける事無くそこにいて、あの土煙の中で行われた命の奪い合いからなんとか逃れられた事を示していた。


 1人は返り血で顔と身体の半分近くが酷く汚れ、1人は片腕上腕部に軽度の銃創が出来ていて、1人は全身の至る所が土と泥で覆われているといったように、全員が完璧な状態であるとは言いきれない有様だったが。

 しかし全員は各々で蒼凪達の後方に向けて銃撃を続けており、迫り来る脅威の足を少しでも止めようと奮闘していたのだった。



「伍長ぉ、今よっ!!」


 

 蒼凪の視界に仲間の少女達が入り込み、それからすぐ後だ。

 フィル曹長が怒号に等しい言葉をカーク伍長に乱暴に投げ付けると、彼は待っていたと言わんばかりに手元にあった手回し式の起爆装置のハンドルを勢い良く捻った。


 その直後だ――視界と意識が大きく揺さぶられ、蒼凪の横と背後から体勢を大きく崩してしまう程の衝撃と爆発音が一瞬で轟き、彼女の近くにあった多くのものに一方的かつ多大な影響を与える程の物が起爆したのは。

 あらゆるものの反転と、なんとも言えない鈍い痛みと、平然と立っている事など不可能な衝撃を彼女は一度に全部受けてしまった。



「……どう……なって……っ」



 それにより、不本意ながら一時期に意識を混濁させてしまい、また状況の認識と自我が曖昧になってしまう。

 それと同時にややもつれ気味に姿勢を崩してしまった彼女は半身だけをなんとか起こし周囲に顔を向けるも、爆発による土煙のせいなのか自身の不鮮明な意識のせいなのか満足かつ明確に現状を把握する事はできていなかった。


 しかし、その中で聞こえたひとつの声と自分の手を強引に引いた誰かの行為により、彼女はまた強引に正される。

 何度も瞬きを繰り返しはっきりさせた視界に写っているのは――張り詰めた表情で蒼凪の手を必死に引っ張り誘導していくフィル曹長と、その傍で援護を行い後退を支援するジュリーだった。



「崩れるわ、走ってぇっ!」


 

 フィル曹長が轟かせた一声と本能的かつ反射的に察知した不鮮明な脅威を原動力に、蒼凪は渾身の力を振り絞って前へと脚を運ぶ。


 先程何が起きて今がどうなっているのかなど、今となってはもはや厳密に認識する猶予も必要性も無かった。

 既に蒼凪の視界の隅には、その声の意味も、本能が感じ取った不明確な脅威の正体も映り出していたからだ。

 

 最初は乾ききった音と共に極小の砂粒や外壁の欠片が壁沿いに転がり落ちてくる。

 散発的だったそれは次第に大きさ速さ重さが倍々で増していき、砂塵はやがて拳大こぶしだいの瓦礫を次々と上方から落下させてくる。

 さらさらと耳障りの良い音を聞かせていたそれは時間経過に従って音量と不快さを急激に増していき、気付けば何かが落下し割れて砕けるような不規則で鈍く低い音ばかりを響かせてくる。

 

 それの発生源は全て――今まさに真横で崩れ始めている教会だ。

 元々数多くの銃砲弾や爆撃を受けたと思われるくらいの劣悪な廃墟と化していて、建築物という観点から見ると非常に不安定な構造となっていたが、つい先程の爆発により巨大な鐘楼や屋根を支える外壁の根元は爆散してしまった。


 唯一の支えに重大な偏りが発生した建物が起こすのは、重力と自重による崩壊。


 教会が轟音を立てながら前方へゆっくり傾斜し始めたのは、蒼凪達が建物後方へと再度駆け出したとほぼ同時だった。

 人や民家とは桁違いの重さを持つものが間近で倒れていく光景は、見る者が抱く恐怖と焦燥を極限状態にまで跳ね上げるのに十分な役割を果たし、同時に倒壊を画策した者達の目的達成のためその身を加速的に地面へと近付けていく。


 そして倒れる先にあるのは――怒号にも悲鳴にも聞こえる叫び声を無秩序に上げ大混乱に陥っている数人の南連の兵士と、蒼凪達を追い詰めつつその身をもって護衛していた戦車の姿。

 

 完全な退避をする余裕など、ほとんど無に等しかった。

 やがて訪れたのは形容しがたい強烈な爆音と、周囲をすっぽり覆い尽くす程巻き上げられた巨大な土煙、倒壊の衝撃により一時的に空中へ舞い上げられていたと思われる極めて小さな瓦礫類。


 倒壊を辛うじて免れ地面に尻餅をついていたりした蒼凪達は、轟音と土煙を順に味わった後、小雨にように振ってくる極小の瓦礫や砂等をその身に浴びる。


 一帯を、短くも重苦しすぎる静寂が支配した。



「煙に紛れて生き残りと戦車を無力化してっ! 今度はこっちが奴らを駆逐する番よ!」 


   

 唐突にフィル曹長の命令が一閃の如く空間を駆け、その場にいた蒼凪達の安堵を改めて一蹴する。

 彼女の言う通り、大きな質量を有する似非爆弾をぶつけたとはいえ確実に敵を全滅させたという証拠は、現時点では未だ存在しない。

 

 ならば残存敵兵の掃討及び敵戦車の無力化を改めて行う必要はまだあるはずで、それを実行するなら現在も混乱状態の最中であるはずの今がまさに好機である。


 彼女の命令の意図を瞬時に理解した蒼凪達は今一度武器を手に、既に率先して突撃を開始していたフィル曹長やカーク伍長に急いで追従していく。


 舞い上がった砂煙によってお互いの視界は未だ不良のままだが、彼女達が退避した場所から数十メートル手前のそこが現在どういう有様なのかは、既にあちこちから上がっている大小高低様々な男の悲鳴や怒声が断片的ながらよく表していた。


 想定通り敵の統制は根本的に破壊されているようで、敵方から組織的な反撃なども一切無く、先程の爆発とそれによって引き起こされた教会の倒壊から辛うじて逃れた敵兵も完全に散り散りとなっており、進路上に出現した南連兵士は先頭を走るフィル曹長やカーク伍長の手によって遭遇次第順次駆逐されていった。


 瓦礫に手足を挟まれ身動きが取れない者や自分の負った怪我にのみ注意を向けてしまっていた者、半ば錯乱状態に陥っている者や抵抗意識を喪失したのか何もせず呆然としている者、倒壊した教会の瓦礫の下敷きになりとっくに絶命している者等々。

 南連兵士の様子は千差万別ではあったが、大半は満足に抵抗する猶予も無いままこちらの銃撃を浴びたり銃剣を突き刺されたりして、短い悲鳴と共に次々と果てていく。


 形勢逆転を通り越し、もはや一方的すぎる攻撃だ。


 だが戦場に形式的なルールなど存在しない以上、蒼凪達の反撃は決して止まらない。

 小さな瓦礫の山をいくつも乗り越え、やがて彼女達の目の前には形を保っているが所々変形した状態で地面の上に横たわっている大きな洋鐘と、無数の外壁の欠片や降り積もった砂に埋もれている鉄塊が出現した。


 鉄塊の正体は無論、鈍足故に倒壊から逃れられなかった南連の主力戦車である『シロサイ』。

 鐘と同様原型を維持しているものの、倒壊する建物が車両全体にのしかかってきた事を証明するかのように走行装置部分は全て瓦礫の中に埋没している。


 しかし敵戦車内の人間はまだ無事なのか、エンジンを周期的に吹かして車体を極僅かに前後移動させたり、車体上部にあるが大きめの瓦礫によって上から押さえ付けられている視察口をこじ開けようとして内側から何度も叩いていたりと、瓦礫によってろくに身動きできない現状をどうにか打開しようと足掻いている最中だった。


 

「銃座に注意しながら二手に分かれて回り込んで! 私と伍長で中を掃討するから、貴方達は周囲の警戒をっ!」



 たった数秒で飛ばされた指示にも彼女達は即応し、蒼凪達は3人ずつに別れてフィル曹長とカーク伍長それぞれを先頭にしたチームを形成し、左右から迂回して駆け足で戦車に接近していく。

 だがしかし、戦車まであと数十メートルという所で変化はまた訪れる。


 戦車の搭乗員は蒼凪達の肉薄にその時点で気付いたのか、戦車内部から低い怒声が一度聞こえてきた直後、発見してから今まで沈黙を辛い抜いていた車体前部の銃座が突然火を噴き始めた。

 連続して響く乾いた銃声と共に銃口からは次々と弾が連射され、迫り来る2チームのうちカーク伍長の率いているチームがその銃撃を受けてしまう。



「伍長っ!」


「大丈夫、俺達が注意を引きますっ!」 



 幸いな事か、起伏の激しい地面を形成している瓦礫類のおかげで誰も直撃を受けなかったようだが、不意打ちに近いその攻撃により彼らのチームは迂回を妨害されてしまう。

 しかし狙いが自分達である状況を逆手に取ろうと考えたのか、点在する瓦礫を盾にしながら更に迂回する経路を彼らのチームは進み始め、同時に率いている仲間へ戦車への攻撃指示を即座に出し、散発的ながらも銃撃を浴びせていく。


 無論、強固な装甲を持つ敵戦車に小銃の弾など豆鉄砲同然だが、目的は機銃の狙いをフィル曹長達へ向けさせないよう阻害する事だ。

 並行して自分達も少しずつながら敵戦車へにじり寄っているため、敵戦車の機銃は特定の方へ狙いが定められていないのを示すかのように不規則に乱射していた。



「アリッサ、瓦礫を退けて! 私とユキでやるから、頭は下げてなさいっ!」 


 

 ようやく敵戦車の上部に取り付いたフィル曹長達は視察口の周囲を囲む位置に陣取り、そのまま曹長の指示に従って彼女と蒼凪は持っている銃の銃口を視察口に向け、残りのアリッサは視察口の上に乗っかっている大きめの瓦礫を後方へ強引に引きずり下ろす。

 視察口が勢い良く開いたのはそのすぐ後だ。


 髭が濃い中年の男の頭部が内部から外部へ飛び出した同時に、フィル曹長は改めて狙いを定める事無く真っ先に引き金を引き、反撃してくるか降伏くるかなんて確かめず出てきた頭を撃ち抜いて敵兵を一瞬で絶命させる。

 そしてそのまま車内へ崩れ落ちそうになった敵の襟元を鷲掴みにすると、彼の片胸に吊るされていた2つの丸型手榴弾の安全ピンを手慣れた手付きで全て抜き、遺体を再び車内へと捨てて視察口を力強く閉じた。


 

「頭を下げてっ!」



 蒼凪達が自分の顎を瓦礫に着く寸前まで下げると、そこからほとんど時間を置かず車内から爆発音が鳴り響く。

 中から聞こえていた怒声などはその直後から一気に音量が小さくなり、変わって不鮮明ながらも痛々しい男の叫び声が聞こえ始めてきた。


 悲痛な声を挙げてしまう程乗員にダメージを与えたと予想したのだろうか、フィル曹長は片手で依然として銃を構えつつまたも戦車の視察口を片手でゆっくり開く。


 次に出てきたのは、ヘルメットを被っている若い白人男性の頭だ。

 顔のあちこちにある手榴弾の破片によって創られた傷からかなり出血しており、表情と声共々酷く歪めている様子から察するに、爆発が生み出した痛みや恐怖から逃れるため本能的に頭を出したのだろう。

 

 しかしそれらから逃れるどころか、それを感じる感覚器官すらもまたフィル曹長によってすぐに機能停止に追い込まれる。

 唐突に現れたその頭をまたも一発の銃弾で撃ち抜き、亡骸と化したそれをまた車内へと滑り落とす。


 こうして車内に残っている残存兵をフィル曹長はひとりずつ確実に無力化していき、傍にいる蒼凪と当初瓦礫を退かす役を担ったアリッサは車内から反撃して来る敵がいないか視察口の奥を注視し続けていた。

 そして飛び出てくる乗員がやがていなくなり、フィル曹長が生存者の有無を確かめるため車内の奥の方に向け何発か銃を発砲した途端――彼女達のすぐ近くで何かが突然炸裂し、彼女達の視界は再び激しく揺さぶられて身体が大きく後方へと吹っ飛んだ。


 地面に身体を叩き付けられると同時に表現しがたい痛みと爆風を全身に痛感し、何が起きたのかを確認するためにそれぞれが周囲を見回すと、彼女達を蹴散らしたものの正体が視界の奥から徐に姿を現した。


 それは、もう1輌の『シロサイ』。


 外部から力を加えられたかのように大小様々な凹凸傷が車体の全面に点在しているが、そんなのはかすり傷程度で動作に支障は全く無いと言わんばかりに力強く両輪を回し、彼女達の元へ瓦礫を乗り越えゆっくり迫って来ていた。


 こちらの戦車も先程の倒壊に巻き込まれていたはずだが、護衛の歩兵は排除できても結果的に戦車自体を足止めさせるまでには至らなかったのだ。

 砲塔の先から僅かな白煙を上げている様子から、直前の正体不明の爆発はあの鉄の巨体が放った砲弾が原因と容易に推測できる――群がっていた敵兵を味方の戦車ごと葬ると判断したのだろう。



「そんな……まだ、動けて……」



 そう呟いた蒼凪をはじめ彼女達が目の前の戦車の無力化に専念しすぎてしまっていたのも、奇襲を許してしまう事に繋がった要因のひとつと思われるが、後悔の念に駆られている彼女達はまたもひっくり返された戦況に絶望していく。


 走行不可となっていた敵戦車自体が砲弾の直撃を防いでくれたものの、砲弾の炸裂時の衝撃までは満足に防げなかったのか、吹き飛ばされた彼女達は呻き声を上げたり身体を起こそうとしているものの、未だ誰一人体勢を立て直せていない。



「曹長っ!」



 既に無力化させた敵戦車によって攻撃を妨害されていたカーク伍長のチームが、未だ戦闘に復帰できていない彼女達を援護しようと鉄塊に向け即座に小銃を乱射し駆け寄り始めるが、敵戦車は銃座から銃撃を連続で彼らに浴びせその進撃を冷静に鈍化させた。



「くそっがぁ!」



 フィル曹長らよりも敵戦車との間に距離が空いてしまっている故に彼らの援護は有効なものとは言えず、逆に敵戦車の牽制射撃は周囲の瓦礫を盾に接近しようとしていたカーク伍長らの足止めには十分効、強制的に瓦礫の陰へ身を隠さざるを得なくなったカーク伍長も吠えて嘆く有様だった。


 実際、敵戦車にとって残す脅威はカーク伍長達のチームだけだ。


 フィル曹長達のチームはかろうじて意識を保っている蒼凪だけがそんな現状を認識していて、フィル曹長や残りの仲間は先程の衝撃により意識を混濁させているのかまだほとんど動けていない。


 そして唯一状況を把握している蒼凪さえも、半身を起こす所まではできてもそれ以外は何もできない。


 それは今が絶体絶命に陥っていると精神や感情で十二分に理解していても、度重なる変化に無理矢理対応してきていた肉体の方がついに限界を迎えていたからだ。


 身体を多少よじらせる事はできても、両脚は千切れ爆散したかのように動かせず、身を起こすために用いた両腕も握力や腕力が枯渇しているに等しく、満足に動作させるのはもう不可能な状態にまでなってしまっていた。


 消耗は無論肉体だけではない。


 周りを認識する精神や思考は漠然的に捉えるのが精々であり、複雑な理解や詳細を把握する能力は肉体と同程度に消耗していた。



「あ……うっ……」



 敵戦車に風穴を開けられるか、砲撃で爆散するか、あるいは隣で倒れている仲間共々車輛に轢き殺されるか。


 もはや戦況の不利は変えられず、彼女達が納得する選択肢など存在しているとは言えない。


 それでも――蒼凪は決して諦めていなかった。

 

 酷使に酷使を重ね続けた身体へ更に鞭打ち、反撃を行うため手元にあるはずの銃を手探りでどうにか見つけ出すと、伏射に近い姿勢を取り目の前で仲間に危害を加える鉄塊に銃口を向ける。


 小刻みに震える腕や定まらない照準、泳ぐのが止まらない視線を最後の一絞りの気力で支え、一矢報いるために今産み出せるありったけの力を全て指先の一点に集めていく。


 こんな些細な抵抗など豆鉄砲にもならず、敵にとっても味方にとっても最初から意味など無い行為だというのは、軍人であり人間でもある彼女は本能でとっくに理解しているはずだ。


 しかし徒労に終わるとほぼ確定していたとしても、このまま何もせず好き勝手にされるだけは絶対に嫌だ。


 どんな形であれ、最後まで敵に抗う事は決してめない。

 

 そんな尋常ならざる不屈の精神を原動力に、彼女はその双眸に写る敵へ狙いを定め――引き金を引く。


 結果は――盛大な爆散・・だった。



「なっ、に…?」



 銃弾が戦車の前部装甲に弾かれると同時に、突如発生したあり得ない程の大きな爆発によって戦車が破壊され、それが瞬く間に炎に包まれてしまったのである。


 想定外どころか突然起きた意味不明な光景に、理解が追い付けていない様子の蒼凪は炎上する敵戦車との間に片手をかざす。


 何がどうなったかなどはこの場にいる全員がわかっていなかった。


 少なくとも、彼らが蒼凪達の後方から声を張り上げつつ波の如く押し寄せている事に気が付くその瞬間までは。



「敵は逃げていくぞっ、押せぇ!!!!」



 一人の若い男の兵士が蒼凪の近くで怒声に近い指示を全方位に飛ばす。

 自分達とはデザインが異なる暗色の戦闘服に、片方の胸元には尉官である事を示す金属製の簡素な階級章、自動小銃をはじめ装具にはまだ砂汚れや擦り傷はほとんど無く、堀が深く色白な肌はまるで優位に事が運んでいる現状を喜ばしいものと捉えているかのように艶やかだった。

 

 戦場を瞬く間に埋め尽くしたのは、彼と同類の格好をした何十何百という兵士。

 敵戦車の残骸が残っている方向へとひたすら駆けていき、ある者は立ち止まって射撃姿勢を取ってから発砲したり、ある者は自分より後方にいる味方へ何やら合図を送り進軍を先導していたり、ある者はひたすら声を張り上げ不特定多数の味方を鼓舞したり。


 彼らが標的にしたのは、他ならぬ南連の残存兵だった。

 突如来襲して来た無数の兵士達に、『シロサイ』の更に後方や離れた所を進んでいた南連兵達は抵抗から恐怖に表情を変え、大半がろくな反抗もせず瞬く間に改装し始める。


 それは戦意喪失を具現化したような姿だ。

 大の大人から若者までが悉く恐れ一色に心身を染め上げ、効率的な構えも走法も無いただの逃げ行動に文字通り命を賭している有様だった。


 無論、一握りの勇気を振り絞り手元の小銃で手当たり次第に乱射する南連兵もいたが、多勢に無勢どころか数と士気の暴力には全く歯が立たず、乱入して来た例の兵士達によって次々と迅速に処理され、数秒後には力尽きたただの屍と化していく。



「この人達……どこから……」



 蒼凪は銃から手を離して両腕を支えに上半身だけどうにか持ち上げ、地面の上に横座りして辺りを駆ける兵士達へ視線を向ける。


 不意打ちの如くいきなり現れた味方に動揺していたが――残りの敵を駆逐するためかなりの人数が彼女の周囲を通り過ぎて行った頃、彼女の後方から複数人の人間が歩き寄って来ていた。



「ユキ……!」



 もう何度目かわからないくらい聞き慣れた声音で蒼凪に話しかけたのは――さっきの戦車の砲撃で一時的に吹っ飛ばされていたフィル曹長と蒼凪の同僚達。


 フィル曹長は片脚の太腿の外側と額の一部に少量の血を拭った後があり、見ず知らずの若い男の兵士に肩を借りてはいるものの大きな怪我を負っている様子は無い。

 

 その後ろに続いてきた蒼凪の同僚達も、各々軽度の負傷は負っているようだが命に別状はなさそうだった。


 蒼凪の傍まで支えてもらったフィル曹長は彼女の近くまで来るとその場で膝を折り、彼女の肩へ自分の片手を置き身体の無事を確かめる。



「フィル曹長、ご無事で……」


「貴方も無事で良かった……。後ろにいた彼らがようやく来てくれたのよ」


「彼ら、ですか?」



 疑問符を浮かべる蒼凪に対し、フィル曹長が彼女の元まで寄るのに手助けをした男達の中の一人が徐に前に出て、自軍の進軍先を一瞥してから自分達の正体を説明していた。


 彼は他の男達と同じ戦闘服を身に纏っていたが、首元の簡素な階級章だけは他と違ってやや高位のものだ。



「ドイツ陸軍第一一機甲歩兵大隊を率いるバント=ヘアマン少佐です――いや、今は国連軍第二二機甲師団所属と名乗った方が適切でしょうかね? 貴方も随分お若いのに、『シロサイ』相手に少人数でよく持ちこたえられました、シンデレラ様」



 明朗な笑みと爽やかな雰囲気、若干細身の身体と日焼け気味の肌、それに青の瞳が特徴の彼はそう言いつつ簡易的な敬礼を蒼凪に向ける。



「曹長! 大丈夫ですかい⁉」



 ヘアマン少佐に遅れてカーク伍長と彼に追従していた部隊の仲間達も蒼凪達の元へと集まっていく。



「なんとかね……。今回ばかりは肝を冷やしたわ」



 仲間の無事を確かめられてある程度安堵できる状況と身体が理解し、フィル曹長は小銃にもたれかかって戦場の片隅で一息ついていた。



「フィル曹長には先程お伝えしましたが、後方にいる戦車隊に先行し我々が援軍として先に駆け付けました。妨害工作によってもたついていた味方の戦車も既に進軍を再開し、半数以上がじきにこちらへ到着すると連絡を受けていますので、後はこちらにお任せください」


「助かります。でも敵は街の郊外へ逃げただけで、また部隊を再編制して来る可能性が高い。私達も補給が済み次第そちらに合流して――」


「いえ、それには及びません。我々は前線にいる部隊の掩護と共に、皆様の撤退を支援するよう国連側から命令を受けていますので。フィル曹長は残存兵を率いて後方にいる部隊と合流し、シンデレラ達を無事に基地へ帰してください」


「ちょっと待ってくだせえ、少佐殿。敵がまだ来るってんなら一人でも多くの人手がいるんじゃないですかい? なのに俺達はここまでやってきたのにもう帰れって事ですかね?」



 厳密には所属が違うとはいえ、カーク伍長が自分の階級を忘れているかのように挑発的な物言いをしてヘアマン少佐に突っ掛かる。

 

 窮地を救われた事への恩返しだけでなく、助力を申し出ようとしたフィル曹長の気持ちを彼なりに汲んだ上での発言だったが、ヘアマン少佐は特に動じる姿も見せないまま冷静に返事する。



「士気が高いのは宜しいですが、命令ですので従ってください。それにこれは私の私見しけんですが……」



 彼は意味深に蒼凪達の汚れた顔や身体を順番に見ていくとまた口開く。



「残存兵がこれなら猶更です。負傷は軽微だから問題無いと言っても、部隊の大半はまだ少女ばかりでこの先も体力が持つとは思えませんし、過酷な訓練を潜り抜けてきたと考えても、既に長時間作戦に従事しているため疲労もだいぶ溜まっているはず。それに弾薬の枯渇などで補給に戻る必要があるのなら、戻って来る頃には我々は遥か先にいますので意味がありません。この命令は部隊がこうなっているのを見越した上での命令かと思います」



 誠実に回答する彼はかなり的確な分析をしている。


 現に蒼凪をはじめ部隊全員の弾薬等は底をつきかけていて、敵の武器を再利用したり味方から武器を譲ってもらうにしても一度それらを収集する時間が必要であり、速さと強さが最優先の状態となっているこの戦場においてそれは致命的な遅れに繋がると言える。


 その上、もう少女達は疲弊しきっていた。


 大きな負傷こそ見られないものの、細かな擦り傷や切り傷や打撲は全員の身体の随所に見られ、両脚を引きずり気味に歩いたり虚ろな目をしていたり、中にはその場で立ち続ける事にも耐えきれず瓦礫に独り腰掛け項垂うなだれている者までいる有様だ。


 例え前線配備前の教育課程で体力の増強を行っていたとしても、彼女達の体力はやはり年相応からやや多い程度しか有していないというのが今の姿から把握できる。



「そもそも戦争を勝つための旗振り役のひとつを担うシンデレラ達も、全滅してしまってはなんら意味が無い。国連もそれを見越して最初から程良い所で退かせるつもりだったのでしょう。貴方達には兵士と似て非なる役割がある事をお忘れなく」


 ヘアマン少佐の説得を受け感情論だけではどうにもならないと理解したかのように、カーク伍長も小さな溜息をついて黙る。


 命令を受けたからというだけでなく、自分達の今の状態を俯瞰して考えてみても活動できる限界はここまでだと頭で適切に理解したのだろう。


 少女達の胸中では歯切れの悪さや安全がある程度保証される安堵などの感情が入り混じり、僅かな活力を湧かせると同時に酷い脱力感を全身に覚えさせる。



「では先程言ったようにこのまま後方へ――」


 

 片手で自分が歩いて来た方向を指し示してヘアマン少佐は撤退を改めて促す。


 彼の説明を受けて部隊が撤退の方針に従い始めていた時だ――その言葉は地面に何かが倒れる鈍い音によって突然遮られた。


 しかしそれは近くで轟く爆撃の音でもなければ、重火器を使用した際に生じる不快で大きな音のせいでもなく、かと言って狙撃や流れ弾による攻撃のせいでもなく。

 

 一人の少女の身体の中で蓄積していた疲労が一気に氾濫を起こし、誰も気付かぬうちに意識を徐々に擦り減らし続け、やがて部隊が撤退行動を開始し始めた頃と偶然タイミングが合わさったのだ。



「ユキッ!!」



 気分が歪に高揚する過程を既に通り越し、流出する活力は完全に枯渇し、精神論を根拠に再起を図る事ももはや不可能なくらい何もかも摩耗していた蒼凪は、受け身を取る事すらできないまま不意に地面へと横向きに倒れてしまう。


 彼女の変化に気付いたフィル曹長をはじめ仲間達がすぐさま介抱しようとするも、蒼凪自身は呼び掛けに応える事もできず、そのまま眠るようにして意識を手放してしまったのだった。



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続く(更新日:2024/9/23)









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