ドロップ
「はい、これはお春ちゃんの分ね。また、次も頑張ってね」
「あ、ありがとうございます!」
今日は初めての給料日です。
紀子ちゃんと一緒に外へ出て、転轍機小屋の近くの廃線路群に腰かけて給料袋を開けました。
「見て!紀子ちゃん!4500円も入っているよ!」
「私も同じ!やったぁ!やったぁ!」
当時、公務員の初任給が6500円でした。私達にとって両手から溢れるくらいのお金でした。
「これでばあちゃんにご飯と着物を買ってあげるんだぁー」
私はばあちゃんという言葉に引っ掛かりました。
「紀子ちゃんはおばあちゃんと暮らしているの?」
「うん!私ねー、父さんは戦争で死んじゃって、母さんは結核、じいちゃんは広島に行ったきり帰ってこないの」
私は悪いことを訊いてしまいました。まさか、マイペースな紀子ちゃんがそんな事情を抱えているとは思ってはみなかったのです。
「ごめんね、紀子ちゃん・・・」
「ううん、いいの。どこもそんなもんよー。みんな、大変だもん」
明るく答えてくれた紀子ちゃん、この時、紀子ちゃんはとても真っ直ぐで強い人だと私は思いました。
次の日、私は退勤し、駅前の商店街で買い物をしました。
父、母に新しい着物を、妹達には人形を、弟には野球ボールを買いました。そして、駄菓子屋さんでドロップ、せんべい、チョコレートを買いました。
家に帰ると母は大きな荷物にびっくりしていました。
私からのプレゼントに皆、喜んでいました。
「お姉ちゃん、これなぁに?」
「これはね、ドロップという飴よ。色んな味が入っているのよ」
「飴?」
あ、そうか・・・。この子達は飴という食べ物を知りませんでした。百聞に一見にしかず、まずは食べてもらうことにしました。
缶を手の上でカランカランと振り、飴が出てきます。
「赤いね!」、「僕のは黄色!」
「ほら、口の中に入れて舐めるのよ。噛んじゃだめ」
妹達は私の真似し、口の中に飴を入れました。
「あまーい!」、「おいしいー!」
母と父にもあげました。
「飴なんて久しぶりに食べるわ・・・」
姉妹揃って縁側で飴を食べる後ろで、二人のすすり泣く音が聞こえました。
それからは徐々にお金が増え、ほんの少しだけ生活に余裕が出てきました。でも、妹達を何とか学校に行かせたい、父の病気を治したい、母に楽をさせたいと懸命に働きました。
そんな梅雨の日、その日は梅雨の中休みという感じで晴れ、暑い日でした。ホームには雑草が生え、線路にも生えていました。雑草はコンクリートを痛めたり、線路をガタガタにするほどの生命力があります。私はホームの草取りを朝からやっていました。
「おーい!五十里くん、小荷物をお願いする」
「はぁい!」
竹谷助役に呼ばれ、改札に戻ります。
当時、小荷物を各駅に届けていました。今でいう宅配便の列車版です。
リアカーにいっぱいに積まれた荷物を先頭客車の荷物室に持って行きます。
「うんしょ!うんしょ!」
身長が小さく、体重が軽いのでリアカーの取っ手を下ろすのに一苦労していると、「ほら!よ!」と誰かが荷台を持ち上げてくれたみたいです。
「すいません、ありがとうございます!」
「いいってことよ!」
どうやら今から列車に乗る炭坑夫のお客さんみたいです。
私はまた取っ手が持ち上がらないように体重をかけて運びました。
「お願いしまーす!」
「はいよ!ご苦労さん」
リアカーから荷物を下ろし、あとは荷物掛の車掌さんに仕分けをお願いします。
当時、炭坑線だけ客車列車の運転がありました。朝と夕方のラッシュ帯だけでしたが、電車よりたくさんのお客さんを運べるということであって賑わっていました。
客車ですから、それを引っ張る電気機関車が必要です。炭坑駅は、駅の横に大きな機関車専用の車庫がありました。当時は炭坑夫の家族と電気機関車の運転士や整備士などの職員家族で今とは全く違った様子でした。
電気機関車を連結させるため、ホームの端に立ち、機関車を待ちます。そこで少しくらくらとしていましたが、平気だと感じたのです。
機関車がやってきて、連結器を確認、私は旗で合図をするため、背中に刺してあった赤旗、緑旗を取り出し、絞った状態で頭の上でばってんを作ります。
「連結!!!」
ポッポ!
運転士も汽笛で応えます。
旗を持ち替え、ゆっくりと連結しろという意味の合図を出します。しかし、ここでピークだったのでしょう。私はぼーっとしてしまい、一時停止の指示を怠ってしまったのです。
あ!!まずい! がっちゃーーーん!ドスンドスン‼
既に遅し、機関車は気づいて急ブレーキをかけましたが、強い衝撃で連結をしてしまいました。
「この!くそ!あまがぁ!」
私はどうしようと立ちすくんでいたら、いきなり、頬を殴れたのです。
「てぇめ!何!ぼっさとしてんだよ!ああ?!連結器、壊したら俺が怒られるんだぞ!てぇめ!立てよ!」
「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!」
殴ってきたのは機関車の運転士でした。
私の腹を何度も蹴りこんできました。もう殴り殺されると思ったくらいです。
「おい!女の子を殴るなんてやり過ぎだ!」
「車掌の分際で口を出すんじゃね!」
荷物掛の車掌が助けてくれました。
「どうした!?何をやっているんだ!貴様!」
竹谷助役も助けにきてくれました。
「助役さんか、ちっ。こいつがですねー」
運転士が事情を説明する間、私はなかなか呼吸が出来ませんでした。
「なるほど、よく分かった。私の監督が行き届いてなかった。私が詫びるからこの場を許してほしい・・・。申し訳ない」
竹谷助役は制帽を取り、頭を下げる。私は体が痛いというよりも心が痛かった。
「ちっ、助役さんに頭のてっぺん見せられたら、何もできませんぜ。チビ、次やったらぶっ殺すからな?」
運転士は乱暴に機関車の乗務員扉を閉めました。
「助役、ご、ごめんなさい・・・」
「これは酷いことをするもんだ・・・。大丈夫かね、五十里くん?」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
その後、竹谷助役が後処理をしてくれ、私は駆けつけた幸田さんに駅務室に運ばれました。
幸田さん達が心配そうに手当てをしてくれました。
そこに駅長がやってきたのです。駅長はボロボロの私を見て悲しい顔をしました。
「いいかい?私が休憩は重要だと言ったね?」
「はい・・・、覚えてます」
「お春ちゃんは、朝からずっとホームで草むしりをやって、連結作業もやったね?」
「はい・・・」
「水も持たずに、飲まずに・・・。それはやってはいけないことなんだ。鉄道は安全が一番だ。しかし、安全を守るのは我々、人だ。その人が調子が悪かったらどうする?間違いが起こるだろう。だから、休むときは休む、体調が悪ければ作業を代わってもらう、中断するのが一番だ。いいかい?大切なのは自分なんだよ?いいね?まぁ、私も気づかなかったのも悪いがね、すまないな」
私は駅長の前でえんえんと泣きました。
その日、これ以上、業務が出来ないと判断され、自宅に帰りました。
今でも私の心構えは「健康第一、安全第二」です。