小説執筆について色々
小説を執筆する為に必要なのは、技術と知識と感性である
技術は、文章の美しさである
頭の中に明確なヴィジョンがあっても、それを文章に反映、変換できなければ意味が無い
あるいは、ヴィジョンが無くても、技術さえあれば、何でもない日常を美しく彩れるのだ
知識は、文章の意味や価値である
頭の中にある世界とも、いえるかもしれない
頭の中にある世界が狭ければ、世界観の薄く小さいモノしか描けないだろう
感性は、文章の粋の良さ、瑞々しさ、に表れる
どれだけ技術や知識があっても、書いてる人間が無感情な人間なら、無機質な文章になるだろう
研究家や学者を生業とするなら、それでもいいのかもしれないが、小説を書くなら大事なものであろう
小説は娯楽である、一部のプロにとっては仕事、商売、ビジネスである
娯楽として嗜むなら、数多ある娯楽よりも、優越するモノで、モノにしなければ意味が無い
大抵の人は、ただ自己顕示欲の発露にやっきで、本来もっとやるべき事があるのに、小説を書いてる事が多々あるのではないだろうか?
とかく、仮に一流超一流の小説が書けるのだとしても、それ以上にやるべき事があるかないか、それは考えるべきだ。
一流超一流の小説を書くのは簡単だ
だいたい上位20%程度の、上流階級で優雅に有能に暮らしてれば、自然と積み重なる知識というモノがある
それだけの人が出来ることを、できたとして、果たして凄いだろうか?
例えば、英才教育を受けてきた人にとって、東大入学は簡単だ
同じステージで、凡人がわざわざ東大に行くメリットは、果たして過分な労力に見合って、あるのだろうか?
このように、自己の人生、ライフワークとして、本当に小説を上手く描けることが重要なのか、考えるといい
幼少期から本を嗜み、他者を圧倒する知識量、技術、感性を磨いてきたなら
それはそれで、小説を描く価値、意味が大きいだろう
逆に、知識も低廉、同じ様に技術も稚拙、感性も未熟ならば、大して有意義なモノはできないのだ
つまり、所詮は言葉遊びにしかならないのだ
物語は現実を超越するような、超現実的な内容でないと、わざわざ描く必要が無いだろう?
現実の方が楽しいならば、物語の価値はなくなる
これから先、現実はどんどん楽しくなっていくだろう
娯楽という、電子的に物理的にストックされるされる歴史、それも脈々と積み重なる
それに対して、人間の小説を書く能力、というものが、付いていくかどうか、正直微妙なところである。




