別格の強度の媒体から情報収集するべきって事を第一にまずは知るべき
題名の通りである
この世界は真に価値あるモノが幾らでも埋もれる構造だ
だがしかし、別格ならば、そうでもない
酷く理不尽で不条理、不合理で不効率なステージでも、圧倒的な実力があれば
と、つまりはそういうわけだ
力技で頂上に君臨している、そういう真に力のある創作者の発信する媒体を、まずは知るべきだろう
逆に、下らない広告やマーケティングで、二流三流で中堅の辺りをぐだぐだしているような、そんな媒体に関わっていてはいけない
一つの基準として、真に価値あるモノは、常に需要者の現実を越える実感を与えてくれる
そういう実感を与えてくれない物は、所詮は下らない創作者が商売で作った既製品である
なぜなら、そういう実感を与えない事が最大の商売になる事を知っているからだ
もちろん、大衆という名の平均値、そういう存在達に向けた低刺激的な、現状を維持するだけの作品も必要だろう
だが、例えば未来ある若者のようなのが、そのような妥協と堕落に満ちた、低廉な、将来性のない媒体に浸かっているのは駄目だろう
人生が終わってるような、老後のロスタイムで園芸などで遊んでるような、腐った馬鹿どもと同じ様なことをしていてはいけない
別格な創作者、あるいは集団は、まあ有名なので、ここで実名を出さなくてもよいだろう
しかし一応曖昧な隠語で上げるなら、型式月やら新書で一番の人やら出版社がその作品だけで成り立ってるアレなどなど
とまあ、あまりにも強大で巨大すぎるので、既に商売というよりも、別の何か、陰謀論染みた何かが感じられるレベルの現象と化しているようなのだ
これらの良いところは、既に有名なので、好き勝手できるところである、もちろんは限度はあるのだが
なので、大衆受けを過度に考えずに、コアな層に向けた、真に価値ある情報を提供してくれる所だろう
一言で断じるなら、馬鹿を相手に例レベルな商売をせずにいられる、最上位陣である
この構図は酷く当然だろう、上位陣が上手い商売をして、下位陣が下らない商売をしているのだから
そして下らない商売をせざるをえない中堅下位は、まあもう悪循環と言うか足の引っ張り合いというか?
そんな風に下らない目に、どうせあっているので、本来の実力も出しにくい
それでも、最上位陣、あるいは大手には、絶対に出来ない事をしてくれたりもするので、見過ごせない場合もあるのだが、、、
とにかく、人生をより良く生きたいなら、これらは心がけるべきだろう
こういう事を上手く意識して実践するならば、一流以上の幸福な人生を歩める確率可能性が格段に上がる
人生というのは、ただ何となく生きているだけでは、絶対に幸せにはなれない厳しいモノである
そういう自覚が必要だろう、現に八対二の法則などと、この世界は広く定義されて言われているくらいなのだ
よく考えずに生きてて上手くいくなど甘いのだ、世界は全く優しくも甘くもなく、只管に厳しく難しいゲームなのである
出来ることをせず、一度限りの人生を、二流以下の不幸せにしたくはないだろう?
弱者は弱者、屑は屑である、どれだけ繕っても、それがこの世界の現実であり真実である
十二分に不幸せな人間は、どうせ己を不幸にするように他人を不幸にして、足を引っ張り隙あらば傷つけて奈落に突き落とす事を厭わない外道だ
不幸な人間は、他人を幸福にする事に、酷い嫌悪感を醸し、拒絶反応を抱くものだ。
それが人間であり、二流以下の人間に、それ、人間性の限界のようなもの、を超越することは絶対に不可能だ、ゆえの二流なのだから
逆に、十二分に幸福な人間は全くの真逆で、他人を幸福にする事に、まったく嫌悪感を抱かない
さらに重要な事だが、十二分に幸福ならば、他人を不幸にすることに、真に罪悪感や背徳感を抱けることも重要だ
肉体的にも精神的にも恵まれていれば、他人を傷つけるなど、およそ考え難い次元の話になるのだ
だからこそ、一流と二流の、十二分に幸福なのと不幸なのとでは、別格の差があるのだ
足の引っ張り合いで悪循環に陥っているゴミのような世界と、引っ張り合い助け合い好循環に回っている人間らしい世界。
様々な娯楽の媒体において、別格の差が必然的に生まれるのは、こういう世界の構図からも来ているのだろう




