血に飢えた佳代とシャルの話
佳代が父親を殺していた。
リビングで、何時もどおり全身真っ黒な外装で、それを行っていた。
室内なのに、その装いはどうなの?って、何時も突っ込みたくなる。
八月の暑苦しい日に、その姿はあるいは犯罪級か。
と僕が考えている間にも、その手の鋭利なナイフは大の男、父だ、の左胸に何度も突き刺さっている。
「ああ、兄貴おかえり」
その声が酷く場違いに思えた。
こんな異常な光景において、いつもどおりの声で、いつもどおりの挨拶だったからだ。
「ああ、おかえり」
それに釣られてか、僕も同じ様に返す。
とにかく僕は、ぐさぐさ刺してるリビング中央を迂回して、ダイニングの通りの角、冷蔵庫まで到着。
その冷えた飲み物の入っている扉を、半ばまで曲げたとき、がっと勢いよく閉じた。
一瞬見えた血みどろ、見間違いがなければ母親、だったものが、僕の視界に飛び込んできた。
まさに地獄絵図、そういう光景だった。
妹の方を見る。
彼女は手首を回転させたりして、よりぐにぐにと、だいたい心臓の辺りをシェイクするのに夢中で、なんとなく話しかけずらかった。
僕は冷蔵庫の中身をどこに移したかを、聞きたかったのだけれども。
僕はしょうがないので、冷蔵庫のわきのスペース、壁との間、そこに収められていた”生垣”という名のビンを取った。
コップに入れて、流しに凭れ掛かるようにして飲む。
妹は人形のゼンマイを必死に巻き直すような仕草で、ナイフぐるぐる、一生懸命な形相に見えた。
父の胸から溢れすぎたモノが、床に池のように広がり、酷く生々しく真っ黒な血液として溢れ出していた。
妹がナイフをゆっくり抜いた、ふらふら酔っ払いの千鳥足のように、僕に近づいてきた。
そして、足元にすがりついてから、うつ伏せに倒れた。
そして、僕も同様にずるずるとくずれ落ち、頭を抱えた。
「どうして殺したの?」
「そう、別に。
いつから見てたの?」
妹は足を振り上げ、父の方に向けながら言う。
「さっき、帰ってきてからすぐに声を掛けられた」
妹は仰向けの体勢をこちらに向けて、それから体が反るほど伸びをする。
大きくそり返ったその体勢を利用して、逆手のナイフを投擲した。
そのモーションから放たれたナイフは、寸分違わず、僕の胸に深く突き立った。
何度も。
兄の胸から血が噴き出し、私に飛散する。
私は委細それを気にせず、淡々とナイフを心の臓に素振り続ける。
一切の感傷を見せずに、冷静に殺人の動作を繰り返していた。
振り上げては、振りかぶり、突き立て、突き刺す。
やがて兄は、血の脈動とともに、些細な動きすらも止めた。
しばらく、完全に動かなくなった兄を眺めていた。
さすがに、少し呼吸が乱れた。
私にも人の心があるようで、よかった。
肩を揺らしながら、小刻みな呼吸を吐く。
ひと時の感傷を終えた後、血に染まったナイフを一振り、完全に血は拭えてないが、革のケースに収納する。
さらに通学鞄からウェットティッシュを取り出し、己の返り血で真っ赤だろう顔を拭いた。
真っ黒な服にも、大量の赤が付着していたので、とりあえず脱いだ。
「ふぅ」
一仕事した後のような、吐息の音を自覚する。
この兄と父を、殺人した者は自分だ。
そういう自覚を繰り返していると。
ピンポーンっと、インターホンが鳴った。
相手をカメラ越しに確認すると、それが隣のクラスの友達だと気づく。
「こんばんは」
「こんばんは」
が、それに気付いたのはこのときだった。
彼女の手には、血塗られたナイフが握られていたのだ。
しかし、私の使った普通の尋常なモノとは一線画す。
精緻な技巧で作り上げられた、中世の装飾剣の様な、複雑な彫刻が施されている。
白磁のように美しい手と一体化して、それだけで芸術作品のようだ。
「それ」
私は問う。
何時ものように、彼女の白く美しい顔立ちを見ながら、学校で相対するときとまるで変わらない。
違うのはお互い瞳の色だけだろうか。
普段の愛想の輝きは影もなく、無感情なのだ。
それもただ無感情というのではなくて、その底に暗色の何かを隠し持っていそうな、そのような様相なのだ。
「たとえば」
彼女は言う。
「人体模型のそれのような、命なき存在を壊すのは、悪いことでしょうか?」
金属を打って響いたような、人工的で味気なく、冷ややかな感じのする声だった。
そこには何の表情もなく、完全に無感動だった。
「とりあえず、あがれば?」
彼女が兄と父を見た。
完全暗色の瞳が、薄暗い明かりが灯ったように煌めいた。
彼女の下でへばりついているので、はっきりとは見えないが。
それでも、やはり何の色も感じれない、とにかく薄すぎるのだ。
その色彩は元々が透明だったのか、果たして、うかがい知ることはできない。
驚くでもなく、逃げるでもなく、私はただガラス玉の瞳で、静かになるたけ無感情に彼女を捉えていた。
彼女は、リビングの椅子に腰掛けていた。
先ほどまでは、私の下で可笑しな、おかしな格好をしていた。
彼女に近づく。
「そう」
そばに立って座る彼女を見下ろす。
「十代の兄と、四十過ぎの父だろう?
どちらも中肉中背、特に個性もなく、死んだような眼をしている」
いた、座りながら手を伸ばして、頭をコツンとされた。
「家族の悪口は許さない」
「そう」
私達はお互いに家族を愛していた。
だけど、お互いに相反する感情も同量、いやそれ以上に抱えていた、のかもしれない。
「佳代は、どうして殺したの?」
「シャルこそ、どうして殺したの?」
考える、そこに恨みはあった、憎しみはあった、殺意はあった。
だが、同量の愛情が、負の感情以上に、あったかもしれない。
「わたしは」「ワタクシは」
殺される前に殺した、ただ、それだけ。
疑心暗鬼に駆られて、だ。
現実的に考えて、何時殺されるか、分からなかったのだ。
被害妄想でも誇大妄想でも、精神病でも何でもない。
「私達の家族は、そういうギリギリの状態だった」
「ワタクシの家族も、ホンの一線越えれば、血塗れになる、そのような状態でした」
二人はお互いがお互いに。
共感やシンパシー、シンクロニシティーと呼ばれる感情の状態を奮わせるのに、最適のパートナーである。




