絶対存在でない絶対存在2‐素晴らしい世界で、人間哲学を高次元にする雑談
今日は一日中、体感時間では30時間くらい本を読んでいた。
横には、ライトノベルのとあるシリーズ(あのシリーズって意味じゃない)が平積みで十数冊積みあがっている。
緩やかなチェアに座り、楽な姿勢で読書、休日はこれに限る、かもしれない。
そしてベッドに、ニアディアが居る。
類稀な身体を、ただ縦に座らせて、パラパラ漫画のような勢いで、ページを捲くっているが、あれが彼女にとっての”視る”らしい。
俺が12巻ワンシリーズ読む間に、もう1000冊くらい見たような心地である。
「お前って、改めて考えると、凄く恵まれた存在だな」
「馬鹿な事を、この世界に、恵まれた存在などいない」
「その真意は?」
「はぁ、さっさと神の領域まで、悟りきれ。
そうだな、無我の領域まで悟りきらなければな、到底人間を極めきって、突き詰めきったとは言えんのだ」
「うんうん、それで、恵まれた存在がいないって意味は、果たしてどういう事だ?」
「お前は、等価交換の原則を知っているか?」
「もちろん、ああつまり、幸福を得たら、その分の不幸を得るからって、こと?」
「そうだ、だから、恵まれた存在も、恵まれない存在も、この世界には決して存在しないという意だ」
「そうかぁ、、?」
「絶対的真理だ、何の間違いも無い。
私達は所詮は物質だ、高次元の事象か、低次元の現象か、とか、そういうのがあるだけだ。
そして、人間は生きる事に関しては、無上の天才性を有しうる、なんと言うか、そういう的な存在なのだ。
だから無限に娯楽や快楽、幸福に従属し、同量の不幸を厭わずに求め続ける。
いや厭うが、不幸や幸福観を超越した欲望、退屈に耐えられないので、そのストレス等に従わされるのだろう。
この原理だが、高度な脳の働きに基づく、人間は絶望の中でこそ希望を強く感じる、絶妙で無限にバランスを極めて物事を感じ生きる。
絶望の底でも生き続けて、前向きに希望に、高次元に至る為に生きる。
で、だからだ、私たち人間は、弱く愚かで、無限大に神に、絶対の存在から程遠く、其処に無限に到達不可能な存在だ。
人生において、ただただ高次元の事象に至りたい、その自我にのみ従う、それだけだ。
その自我を満たすか、満たさないか、つまり欲望だな。
欲望を満たすか満たせないか、その要素として、恵まれているか、いないか、という話だが。
幸福不幸も意味は無く、欲望だって、無限に湧く、底なし沼のようなモノ、人間なんてどう生きようが意味は無い。
よって、恵まれている、などという事象や現象は、そもそも存在しないのだ。
この無限大に、破綻し崩壊し破滅した、この世界で、その一部でもある人間にとってはな」
「確かに、一から十まで聞くと、納得できる、気がする」
「その納得できた感覚が大事だ、それこそが理性の片鱗になりうる、おまえ自身だけの感触と心得よ。
でだ、人間とは高次元の存在に至る為だけに、高次元に欲望を満たしたり、退屈をする事で、そうなるから、最大限そのように生きるんのだ」
「ふーん、なんでお前達神は、そのように生きる事、幸福不幸を度外視で、娯楽の為だけに生きれるんだろうな」
「神じゃない、神に限りなく近いだけで、絶対性は有しないぞ。
答えは、最終的にプラスマイナスがゼロでも、途中計算が複雑であればあるほど、純粋に面白いから、そういう例えに答えが見出せるだろうな」
「楽しいから、面白いから、生きる、なら、恵まれているって要素は、やっぱ存在する気がするんだが」
「絶対に無い、これは私の信仰とか、そういう話じゃなく、絶対の真理だ。
そもそもが、楽しい、面白いから生きる、というのが神の領域に至れない人間である事の証明だ。
つまりは愚かで弱く、どうしようもない生命体という証明に他ならない。
幾ら幸福で、楽しく面白くても、同量詰まらなく下らないのだから、そもそもが意味が無い。
なのに生きる、破綻した存在が、破綻した世界で生きるのだ。
どうだ? どう考えても、こんな状況で環境で、”恵まれる”だの”恵まれない”だの、そんな要素は存在し得ないのだ」
「それは、神の視点からじゃないのか? 人間の視点から語ったら、果たしてどうだろうか?」
「人間の視点? そんなモノは無限に存在するから、語れんよ。
お前ぇ、こういう話は、聞いたことないか?
優秀な人間は、生活模式が似る、とかだ。
逆に、愚劣な人間の生活模式は、多岐に渡ると。
これは神に近い人間は、この世の真理の多くを悟り、それに沿った生き方をするから。
愚か者は、真理に沿わない、無限に拡散するような、無駄な事をするから。
この世には、無駄な事なら沢山あり、有意義な事は少数、見つけ易さの存在比も圧倒的に違う。
だから、人間の視点など、娯楽以外の用途で不要。
ただ一つ、神の視点、真理だけを知っていれば良いのだ、分かったかぁ?」
「分かったよ、何が言いたいか。
そもそもが、恵まれるだの、恵まれないだのは、娯楽以外の用途で使いようがないって」
「その通り、真理が娯楽の頂点だ。
それを支える形で、真理以外は知れる分だけ知っておけば良いのだ。
まあ、真理をより深く知るためには、真理以外を広く深く、どこまでも只管に無限に知る必要がある、そういう話もあるのだがな」
「そうか、娯楽が重要って、さっきから言ってるが」
「もちろん、脳に記憶さす娯楽の総量が、欲望や退屈等々、それらストレスに対する耐性の総量。
どれだけ高次元に生きて、高次元な存在に至れるか、それを決定付ける為の、大きな一つの尺度だ。
だから、娯楽は重要、なモノの一つなのだよ」
「なにが、具体的に重要な娯楽だろうか?」
「レクチャーしてやろう。
第一の基礎に成るモノ、娯楽であり情報なら、言語というモノが挙げられるだろう。
言語というのは、全ての娯楽の媒体に、関連付けたり、変換、逆変換等々することができる。
絶対の普遍性と単純性、更に汎用性と応用性を併せ持つ、柔軟にして強固な強度を、人間の脳で唯一に近い形でも持てる情報の在り方だ。
これをどれだけ高次元に扱い、言語思考力や、想像力として極め突き詰め、精神世界の娯楽を高いレベルで維持できるかが、重要だろうな。
その為にも、収穫逓減の法則を意識しつつも、一つの超重要な娯楽の媒体として、一生を通して扱うべきだ。
総合的で全体的な言語情報力、質と量と強度、多彩多様性も含めて、費用対効果の限界で、上手く維持向上させるべきだ。
これらの脳の働きの次元性、高速想起力や、連想想起力、情報価値総量力等々、その他、様々な応用発展力等々、できる限り高くするべきなのだ。
だから日々、身体を動かす感覚で、脳を言語的に動かして、高次元に働かせる事ができるようにするんだ、最善を尽くす形でな」
「うんうん、大事だな、それは」
「冗談じゃなく、本当にな。
機動兵器の戦闘のような、ものだ。
どれだけ多くの、戦闘機動を知っているか、それに基づく情報処理能力の速度、最適化度。
それが射撃の正確さ、回避の上手さ、近接格闘戦の高さを、絶対的に決定付けるしな」
「分かった、他に、重要そうなメディアはないか?」
「それよりも、だ。
ああ答えはない、言語以外は、全部団栗の背比べだ、優秀な人間はみな本を読む、読んでいる、だろう? 他はない、というより知らん、わけでもないが、特筆するほどじゃないって感じだ。
愛を、育むぞ」
「愛? って?」
「なんとなく、魂の震えるような、そんな言語化できない、そういうイメージ的な感覚だ」
「それを、育むと?」
「ああ、むろんもちろん、お前とわたし、と、でだ。
それでだ、最近は、セカンドワールドという、ネットワークゲームが流行っているようだが、、、」
「待った待った、ニルディアは、生きる意味なんて、あるのか? そういう方向性で?」
「ないな、わたしの一方的な、慈善事業だ。
と、言いたい所だが、そうじゃないのが残念なところだ。
わたしは、お前が今より高次元な存在に成ったり、仮初の幸福を得たりする、そう見えたりすると、魂が震えるような感覚がある、つまり、愛が、愛情みたいなのがあるらしい。
わたしは今、そういう愛の未知なるパワーに魅せられ魅入られている、というわけ。
だから、お前との愛を、今より絶対のモノにしたいし、まあこれは人間だから、絶対の強度にするのは激ムズそうだが、これにおける不可能を可能にしたい衝動は抑えがたいので、なんとかして画策しよう、絶対に無理だが、今より強度の次元を高くするのは、十二分に可能だしな。
でだ、愛してるから、愛を育みたい、今より高次元にしたい、最大限協力せよ、身を粉にして尽力せよ。
わたしにとって、お前が高次元に動き回るのが、最大限の幸福であり娯楽であり、悦楽とか快楽等々に直接的に繋がるのだよ、絶対的に唯一な。
まったく、神に最も近いような存在であるわたしを、このように魅せるなど、本当に罪深いほど愛くるしい奴なのだろう、お前は。
いや、そうでもないのか?
とにかく、この世界というゲームにおける、やり込み要素として、当座の攻略目標は、どうやらお前だけで、優先度もお前が一番、というわけ」
「よく分からなくも、なくもないが。
第一に、愛ってなんだけっか?」
「そんな事も知らんのか。
愛とは、信仰であり希望であり、夢や理想や願望や欲望とうとう、最も崇高な事象の総称だ、少なくとも関連付ける事が可能だ。
わたしはお前だけを、唯一絶対に信じれるし、希望とできる。
無限に広く深く、この世の特異点のように、夢や理想を見れるし、感情や欲望を抱く事ができるのだよ」
「俺も、ニアディアを、ちゃんと愛せてるかな?」
「うん? 駄目だな、全然駄目だな、わたしが満足できないから。
わたしは底無し沼だ。
私よりも上位の存在に成り、屈服させるくらいじゃないと、駄目だが、それは人間程度の矮小さでは掛け値なしの不可能ごとであろう。
私のフラストレーションを、多少なりとも解消する為に、気張ってくれ。
幸福も不幸にも、興味がない、つもりだが。
欲望や退屈は、多少なりとも、お前に、なんとかして欲しい、わたしは、そう、それを願って病まないのだ。
私は病んでいるのだ、いつもな、精神が、常に異常に活性化している、愛によってな。
いつもいつも、私は、私を含めた世界の全てよりも、お前を優先するだろうし、絶対に価値を感じ、絶対の強制力や影響力を認めるんだ。
このどうしようもない愛情を、僅かでも、最小単位でも満たせれば、私がどれほどの悦びを感じれるか、お前では一生掛かっても共感できないだろうけど、不可能ごとだろうけども、最小単位でも共感して欲しい、理解して欲しいと、私は何時も思っているぞ。
君が、私の愛情を少しでも感じて、その感受性を引き出し引き伸ばし、それを踏まえたうえで、最小限以上でも高次に生きてくれるだけで、もう私は無上の幸福を、満足や充足を感じれるのだよ。
さて、何をしようか?」
「何でもするよ、何すればいいかな?」
「君がしたい事を、わたしは何でもしようじゃないか。
さて果て、お前がわたしをどれだけ喜ばせ、満足させてくれるか、楽しみでしょうがない。
何処までも只管に無限大に、ただただ、この全時空世界を、どのような形でも生きたい、生きたいと思わせてくれるのだ。
わたしの方は、どんな人生でも、お前と一緒なら、なんでも良いのだろう。
つまりはお前次第だよ、なにもかもな、全てという全てが思うがままだ、私の意志など無い、無にも等しい。
だって、お前が居れば、それで全てが始まり、全てが終わるも同一。
神の領域まで自我を失い無我に成ったような存在だ、私の意志など、”ほぼ”の強度でないのだよ。
私の要望よりも、お前の要望を優先してくれて、まったくもって構わないという事だよ」
「そうか、それじゃー、うーん、なにしようかなぁ?」
「私に聞くな、私は何でも良いのだからな、ほぼな。
でも、強いて言えば、私の意見を参考にして、私のほぼない、自我に基づく要望を聞きたいなら、答えよう。
さっき言った、セカンドワールドっていうネットゲーム、あれが、あれを、お前としたい」
「そうか、それじゃ、それ、しよっか?」
「うむ、もちろんだ。
恐らくだが、いや絶対だけれども。
お前は私の要望を聞きたい、そんな性分なのだろう?
だったら、私はそれに従うだけだしな。
しかたない、しかたない、お前と遊んでやろう、わたしも遊びたいしな。
で? 本当にしたい事は、それで良いのか?」
「本当にしたい事は、俺にとって、唯一つだよ。
ニルディアの、ほぼないって言う、自我に基づく要望を、満たしてあげることだけ。
それ以外は、正直に言って、100%どうでもいいしね、それが俺の、ニルディアに対する高潔さと認識するからね」
「カッコいい話であるな、なんて都合の良い彼氏だ、褒めて遣わすぞ」
「ありがとう。
嘘じゃないよ、本当に今までも、そしてこれからも、俺の生きる全ては、全てを、それだけに集約させるんだ。
最も神に近い、その意志の方向性に沿って生きるのが、最も意義あるモノだと、俺は思うんだ」
「だろうね、もしかしたら、最善解になり得る、たった一つの冴えたやり方だと、私は思うよ」




