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無上に素晴らしい人、存在、世界と、、、

 

 

 無上に素晴らしい人というのは、意外と何処にでも潜んで居るのかも知れない。

 彼女は多分、掛け値なしに素晴らしい、少なくとも主観的には、そう、そのように見えるからだ。

 氷のような零の瞳。

 鋭い感じのするソレを向けられると、心を射抜かれているような錯覚をいつも覚える。

 全身を黒で固めた外装、意図的に異質である事を好むのか知れない。

 そのような趣味志向ひっくるめて、全体的に調和的に、素晴らしい黄金の比率で似合っていると思うのだ。


 今年も冬が終わりそうな、そんな微妙なる、感覚として曖昧に過ぎる、そんな気配がする。

 私にとって、四季の中で今のところ、最も情緒のある季節だ。

 それは、夏の終わりにも思ったのかもしれない、しかし、今に影響は及ぼさない感じである。

 精神的に、この季節が最も自分に似合っている気がするのだ。

 そんな全盛期でもあった冬が、もうすぐ終わってしまうというのは、やはり少し寂しいことであるはずだ。

 冬は人が少ない、これが好みなのかもしれない、特有の静けさが、私の心を落ち着かせてもくれるし。

 普段は雑踏に溢れても、特段に寒ければ人気は途絶える。

 そんな人によって阻害され、隠されがちな日常の全て、そのような美しさに私は気付いているのだろうか?

 まあ私にとって、季節など些細な誤差でもある、自覚がある。

 どれだけ寒くても、まだまだ健康に有り余るこの肉体は、少しも堪えないからだ。

 体力が有り余っていれば、過酷な環境は過酷足りえないのだろう。

 冬の始まりを、精神的にも肉体的にも、真に感じる為には、老いてからでないと甚だ無理だ。

 

 この世界には六十億もの人間が、確実に存在しているわけだが。

 皆は、本当に何を考えているのだろうか? 気になってしかたがないのだ。

 ひとりひとりの人間の人生をダイレクトに感じれたら、どれだけ凄い事になるだろうか?

 世界は玉虫色に、幾らでもその有様を変えるのだ。

 一人一人は、この世界が、果たしてどのようなモノに見えているだろうか?

 みんな鮮明に鮮烈に、色取り取りの色彩で意識し、明瞭なる視界で捉えられているだろうか?

 そして、日々の些細、あるいはダイナミックに跳動する思考は、どのようになっているのか?行っているのか?

 一人一人に興味が尽きない、自分が死んでも、あり続ける世界と人々。

 世界は溢れるほどに溢れている、自分と同一の意識で意志が無数に形作られているのだ。 

 今も聞こえる。

 大量に大勢が会話を、何気ないトークで盛り上り、テレビのスポーツ番組で一喜一憂したり。

 また、タバコや酒やギャンブルを嗜みつつ配信をしたり、見えない所で無数に人生を洋々と楽しんでいるのだ。

 皆が楽しんでいるのを、苦痛に感じて嫉妬していた頃。

 楽しめるようになってからも、過去の自分を想起し、いろいろな事を真底から苦痛に感じてしまう私。

 世界や社会の中で、色々な人を見るに感じる。

 特に、こんなにも豊富に表情をコロコロ変えながら、誰よりも楽しそうにしている人を見ると特に。

 このような疑問を感じる。

 当初は自分自身、嫌悪していたはずだ、なのに、今は、なによりも好感を覚える、なぜかと?

 社会において圧倒的に不適合、その所為で他者全てに嫉妬を抱き、狂うように劣等し羞恥していたのに。

 なのだというに、過去の不変の己に背いても、負い目に感じていても、相反する好感を覚えずにいれない。

 最近は、更に思う、矛盾を抱えても、それぞれが同時に存在するのは、絶対に可笑しいと。

 でも、そうでもないのか?

 話は変わるが、地球上には、無限に近く、少なくとも己の視点からは、無尽蔵に見えるが、存在する。

 私が知る限り、至高の位置に存在する人々、関係性。

 以外にも沢山の組織系統、ネットワーク、コミュニティが存在するのを認識する。

 更に、それより何よりも、広大に過ぎる荘厳な自然の世界が存在するのだ、厳然と現実において。

 深海から超上空成層圏、宇宙は太陽系、銀河系、更に更に大規模構造が幾重にも存在するのだ。

 そのような世界の、一点に己がいて、己が認識する人々も、同様にまったく平等の存在として在るのだ。

 その視点に身を置くと、何もかも些細ごとと思えてくる。

 しかし、それでも、譲れない、存在感の変わらないモノ、点が存在する。

 たぶん、それがこそが、真に大切で尊きモノなのだと、その時に改めて、悟るに至る。

 世界、あるいは地球、その無限に巨大な空間。

 だからこそ、より深く感じれる。

 無限大の意識の中でも、明瞭に絶対の強度で感じれる、己にとって確実に確固たる存在感。

 物理的にも、精神的にも、此処において、いま現在生きているのだ。

 という、この確かな事実、現実、こそが、本当に本当に真底から重要なもの。

 で、それだけで唯一無二、無上に幸福だと、今まさに思えてきたから、だから。

 無限の宇宙の広大さにすらも負けない、それが証明だろう。

 霞む事を知らない永遠の、その先が、今まさに目の前にあるのだろう。



 本当に良い音楽やBGMを聴いていると、度々発生する、あの感覚。

 そう、あれ、あの感覚だ。

 私を絶望の淵の淵から救い上げて、救ってくれた。

 神の与えてくれた脳の、無上に美しき機能の身業である。

 頭の中で暴れる、無数の何か。

 言葉の嵐が駆け巡る、他にも何かが幾重にも幾十にも発生した。

 リズムも振動も不規則に規則的に。

 意識化できる言語・文脈に捕われず、粗方無視したイメージ、比喩や警鐘が鳴り響き飛び交う。

 阿鼻叫喚、トランポリンに鉄球が落ち込んで、突き抜けたと思ったら浮かび上がり天井に。

 パンチングマシーンを殴ったような音、電子音が響き渡り、ハイスコアを記録した時の音が木霊する。

 豚が喚きたてるだけ喚いているだけの、閑静な養豚場から、三角頭の化け物が幾十体も現われ走っている。

 何かが確実にいるのに、雰囲気だけで、実際は真っ白なもぬけの殻の部屋。

 絶叫が永遠と思えるほど響き渡る。

 己の断末魔かと錯覚して思えるほどに、自分のに似ている誰かの叫び声、それが聞こえたり。

 過剰な現実、過激な演出、現実を粗方超越した現実。

 白々しさや意図的なわざとらしさに、底知れぬ狂気を感じる。

 私はただただ、目の前の現実を何時もどおり感じる。

 現実を超越した現実に対抗するには、目の前の現実を何時もどおり感じるだけで良い。

 漠然と感じる現実感、それは安心感でもある。

 夢で夢と思える安心感。

 夢でそれが夢とすら思えず、現実を知らなければ、どれだけ狂気と恐怖と不安に襲われ堕ちるだろうか?

 現実世界とは、無条件で安心を無上に与えてくれるモノだと、直感的に知る。

 この光景が愛おしい、何よりも愛すべき感覚だったのだ。

 これを目に映し、相互に感じあうことで、私はどこまでも頑固に意固地に、発狂をやり過ごすことができる。

 勇気が溢れているのに、空は不安を醸すほどに翳っている、霞み、濁っている。

 これは雷が鳴り響くだろう、そう思った。

 次の瞬間、生まれて初めて、十本の雷が同時に当たりに落ちたときには、己の正気を疑った。

 現実でも安心などできない、私は無上に不安定な世界で、今まで生き続けている事を同時に知った。

 宇宙には、太陽の数千倍の赤々とした巨星が存在すると聞く。

 全体を克明に意識するだけで、発狂してしまいそうな気を味わった。

 いや、実際克明に意識できるようになっても、どうか分からない、多分発狂しないとも言い切れないが。

 何もかも自分の、自分で全て確認したわけでもない、人間は何もかもすべからく実態など知らない。のだろう

 とりあえず、私は何が何でも、発狂したくない、ただそれだけを望む。


 世界とは無限である。

 私は、ゼロと一、無と有に、無限大を見出す事が出来るのだ。

 白黒、その究極二元論にすら、ひたすらなる無限大性、無尽蔵性を感じずにいれない。

 この画における、境界面はどこだろう? 色彩は完全に分かれているか? 疑問、懐疑、、、。

 この面の白と黒、全てを分解し、無限の小さな白と黒達に分けてみたり。

 それ自体の意味、価値を考えて、何時しか見いだし、そこから更なる深みに無限に飛び込んでいく。

 視界に無いモノすら求めて、何時しか存在しない存在にすら、到達可能だと信じて、突き進む。

 この目に映らぬモノはない、それは真だ。

 まだ見ぬ色を求めて、求めて、無いという仮の真理に絶望し、更に潜って潜ってみて。

 側にあった、今まで絶対に無いと直感していたモノ、仮の真理は真理足り得ない、暫定の真理を得る。

 この目には無限の真理が存在する、絶対の真理が無いから、無限の真理が存在するのだ。

 それら全てを材料に、まだ見ぬ真なる真理を追い求め続ける。

 精神という宇宙、世界は無限大である。

 無いならば、無限に創造する、その為のピースが無限大である。

 なので、無限の景色を作り出す力があるのだ、人間は有限大だが、その能力を持っている。

 そして神は、宇宙は、世界は、社会は。

 そのような力を一個の人間以上に、限りなく無限大に近く無限に、持っている、そうであるように感じる。

 果たして、これら全ては何か?

 宇宙も無限大自身すら、己について無尽蔵の問いかけを無限大に行っているのは間違いない事実だろ。

 人間が自らにそう問いかけるなら、それは上記存在の希求する行いの代行に近い行いだろうと思った。


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