アラヤとイデア‐死にたがり談義
「死にたいと想う事は、良い事だと思わないかね? イデア?」
「アラヤ、お前死にたいのか?」
「死にたいね、でも絶対に死なないがね、具体的には行動として自殺しないって意味ね。
真底から自殺したいからこそ、現状を変える真の原動力になるって、つまり、そういう事を言いたいの」
「分かる話だ、確かに死にたいとは、自己を心の底から変革したい願望の、ある意味での発露に違いない。
実際自殺すれば、何もかもが変わる、それが例え無になる結果だろうが、輪廻転生だろうがな」
「そうそう、しかし俺は死なない、なぜだか分かるか?
それは単純にこの世界を大好きで、何よりも愛しているから。
今まで長い期間掛けて愛情を積み上げてきて、心残りも未練も悔いも、相当にあるからだ。
これは実際の自殺をせずに、自殺願望から得られる原動力だけを得られる上手い循環を生み出すのだ」
「ふむ、そうか。
だがな、実際自殺しない程度の自殺願望など、真の自己変革願望じゃないのではないか? というのはどうだ?」
「確かにそうも言える。
だけど、人間ってのは理性的に考えて、死んだら無になるって確信があると思うね。
だから、絶対に死なない、無になることを前向きな変革と思えるのは、相当人生に負け続けないありえんわけよ」」
「ならば、勝ち続けないと、実際の行動として自殺する可能性が高まりそうだな」
「ああ、人生勝ち続けないとジリ貧だ。
所詮は人生、この現状の世界において展開される物語だ。
上位20~数パーセントが過半以上のリソースを得る。
より幸福になれる存在、投資対効果の高い奴らが優遇されんだ。
逆に見込みの無い奴らは、ほどほどに投資されて、二流三流の己の人生という鑑賞物に絶望して死ぬだけなんだなこれが」
「まあ、現状世界は存在に対して過剰投資できるほど、恵まれても居ないから、それはしょうがない現実だろう」
「そうだ、ああホント、世界とはそういうモノなのだ。
観測できる主体から見える世界が全てで、それが二流以下だと本当に生きる価値が皆無だ」
「そうか? 二流や三流の鑑賞物でも、良いではないか?」
「相対的に見てみろ、一流以上の鑑賞物に比べたら、無価値としか思えない、そういうモノだ。
人間が己の人生に価値を見出せない、それが不幸以外の何ものでもないって事実は揺るがんだろうね」
「そういうものか、私は別にどんな鑑賞物でも、楽しめると思うのだが」
「それは、お前が既に一流以上の鑑賞物の枠組みから、世界を見ることができるからだな」
「なるほど、酷く恵まれているな、自殺するなんて、発想すらなくなるわけだ」
「そうだな、自殺したいって感情は、恵まれない奴だけが持てる、ある意味で武器になりうる特権だろうよ」
「真に自己変革したいって感情か、それはそれは高出力な原動力になりそうだ」
「そう、だから、俺は自殺したいって常に思ってるよ」
「ふむ、アラヤがそう真に思える時は、たぶん来ないだろうな」




