実在性サンタクロース
「なあ、サンタクロースの正体を知ってみたくないか?」
その一言が始まりなのだということを、今の僕はまだ知らない。
◆
陽太兄さんがそう言ったのは、年末が近づいてきた冬のある日のことだった。
「できるなら知ってみたいけどさ」
今年十三になった中一の兄の言葉に返答するのは、次男の是太兄さん。小六である。そして僕は小五と、一歳ずつ離れているのが僕ら三兄弟だった。
「お前はどうだ、柄草」
「……うん」
知ってみたいかな、と返す。少し気の抜けた受け答えになってしまったけれど、それを気に留めず兄さんは満足げに頷いた。
「そうかそうか──なら、作戦を説明しよう」
「作戦?」
「ああ、作戦だ。題して」
題して、なんだろう? と首を傾げる。
僕と是太兄さんは沈黙するしかない。言い出した陽太兄さんがこの調子だと先が思いやられるな、とぼんやり思う。
『作戦』の目的はサンタの正体を知ることでいいのだろう。しかしそれに名前をつけるとなると、うまい命名がないというのは確かだった。
が、それを勘案するか否かは陽太兄さんだけの問題だ。
「で、どうやってその正体を探るんだ? 早く教えてくれよ」
「あ、ああ。えっと……」
歳が近いため僕より多少気安く陽太兄さんに接する是太兄さんが、軽い口調で訊く。それを受けてようやく陽太兄さんは気をとりなおしたようだった。
「まあ、作戦はシンプルだ」
と語り出された作戦内容は、言葉どおり単純なもので。つまりそれは見張りである。
三人でひとつの部屋に張りこみをし、ひとりはベッドの中から、他ふたりは隠れて、夜通しの警戒を行う。
ただそれだけの簡単な作戦だった。
「なるほど。じゃあ、見張りは誰の部屋で?」
「もちろん、俺だよ」
「その心は」
「勉強が得意なのは柄草、運動が得意なのは是太。そして俺は両方が得意だ。だろ?」
「……」
僕は答えない。
ここでサンタクロースという存在についての認識を一致させておこう。
極北の聖人。鮮やかな赤を基調とする衣服。年齢を表す白髭。トナカイの曳くソリに乗り、聖夜に街を訪れる。煙突から侵入し、贈りものを靴下に入れて去るという老人。
それらは旧時代に共通した理解ではあるけれど、当然、現在では通じないものもある。今の家屋に煙突はない。
ともあれ、そうした認知を受けているサンタクロースの正体を暴こうというのがこの作戦なのだけれど、それらの認知の中にはひとつの見解があった。
『サンタはいい子にしている子にプレゼントを運んでくる』というのがそれである。
つまり要するに。
「兄さんが一番サンタのプレゼントを貰う可能性が高い、って言いたいのか?」
「平たくいえばそういうことだな」
陽太兄さんは笑い。僕は黙りこみ。そして是太兄さんは構わず続ける。
「で、兄さんはなにを貰うつもり?」
「それを言ったらつまらないだろ」
「前になくしたって言ってたあれとか、なにかしらあるんじゃない?」
「そういうお前はどうなんだよ」
「いや、俺は……」
どうやら作戦会議のようなものは終わったらしい。そう判断した時点で、僕は会話を聞き流しその場を離れた。
読みかけの本があったのだ。
◇
クリスマスイヴの日はあっさり訪れた。
陽太兄さんの部屋に僕ら三人は集合している。時刻は午後十時半。そろそろ寝るように言われる時間だ。
「さて、改めて概要を説明しよう」
と部屋の主が口を開いた。
「おそらくは深夜、プレゼントを置くためこの部屋を訪れるだろうサンタクロースを迎撃する。迎撃ってのは、正確にはその正体を見破ろうとするわけだな。で、三人で見張りをするんだが」
偽装工作はしてきたか? との問いに、是太兄さんと揃って頷く。偽装工作とはすなわち、ベッドで僕らが寝ているのだと見せかける措置のことだ。
クッションなどを布団の中に入れ、膨らませるという作業。暗いこともあり、遠目であれば判別は不可能だろうと思われた。
「ならいい。じゃあ、早速行動開始だ。どこかに隠れてくれ。俺は寝そべる」
そう言うと、陽太兄さんは布団にくるまってしまった。扉へと視線を向けているのだろう。
小さく吐息する。
この部屋の家具は大きく分けて四個ある。
ベッド、机、本棚、そしてクローゼット。それらは『L』のように配置され、縦棒の上天にクローゼットがある。そこから横棒の右端に向かって、本棚、ベッドと続き、端が机となる。ふたつの棒の交点がベッドの枕であり、部屋の反対に扉が位置していた。
床は散らかっており考慮を外れる。本棚には隠れられるほどの本はなく漫画ばかり。ベッドでは陽太兄さんが寝転んでいる。残るは机に、クローゼット、と。
思考する間に、是太兄さんは手近なクローゼットの中へと入っていた。衣服の合間を縫って場所を保持するために動いている音が聞こえてくる。
選択肢は机しかなかった。
「悪いけど柄草、電気は消してくれ」
「うん」
応じて扉に近寄る。傍のスイッチに手をかけ、目的地である机を見据えた。その像を脳裏に刻みつつ、同時に部屋全体を目に入れて、消灯する。
視界が暗転。記憶に従ってゆっくりと歩き、机にたどり着いた。手を置き、椅子を慎重に引く。脚が転がらないタイプの、シンプルなそれを退かせば、机の下には空間ができる。
そこに滑りこむようにして身体を入れ、背中を曲げながら椅子をなるたけ元の位置に戻す。
想像以上に姿勢は厳しかったけれど、ここに入るのが兄たちであればよりつらい姿勢となるだろう。我慢することにして、姿勢を調整する。
目が暗闇に順応すると、部屋の様子も見えるようになった。前方には扉がある。もちろん閉ざされたそれの、左側にはクローゼット。わずかにその戸に隙間があることは、おぼろげに窺えた。隠れている是太兄さんが室内を覗くためのものだろう。
視界が狭い。クローゼットからのそれも同様だと感じられる。不安すらあるほどだ。この姿勢では寝られないだろうということが唯一の救いかもしれない。広い視界をもつ陽太兄さんは、寝転がっている都合上寝落ちしてしまう危険がある。
沈黙が、静寂が、部屋に満ちていた。とりとめのない思考が流れては消えていく。身体の節々が異常を訴え始める。黙殺する。気にしてはいけない。時が移ろうのをとても遅く感じた。
状況に動きはない。当たり前だった。当たり前だろうか? わからなかった。意識が揺らいでいくのを知覚して頬をつねる。鈍痛がした。しかし意識は覚醒しない。
思っていたことを遥かに上回るほど、それは苦痛だった。見張りという行為、それも不安定な姿勢でのそれは、小学五年生の自分にはつらいことらしい。
……。
…………。
………………。
ただひたすらの静寂。
それが続く。変化などなかった。
自意識すらも疑いたくなっていた。
けれども、ようやく、終わりが訪れる。
机の上方の、東を向いている窓から光が射す。部屋が少しずつ照らされていく。
日の出を表すそれを目にして、僕はゆっくりと椅子を押し出した。
伸びをするようにして机の下から這い出ると、そのままストレッチ。身体が解れていくのを感じながら、窓に視線を向ける。
かつてないほど晴れ晴れしく日光を浴びて、なにとはなしに机に目を下ろすと、
そこには包装された袋があった。
◆
起き出してきた陽太兄さんが──といっても眠っていたわけではないそうだけれど──包装を解くと、出てきたのはシャープペンシルだった。通称、シャーペンである。
そのときの陽太兄さんの表情は見ていなかった。それ以上の混乱があったからだ。
消灯する前、この場所にはなにもなかった。それは確かだ。そして消灯したのちの室内は三人で見張っていた。多少意識が緩くなったこともあっただろうけれど、陽太兄さんも、僕らふたりも、ずっと起きていたつもりではある。
サンタクロースなんて問題ではなく、誰もこの部屋には侵入していないのだ。
唯一の扉も唯一の窓も、どちらも閉まっており、さらには三人の視線。これらを乗り越えてプレゼントを置いていくことは可能なのだろうか。
反語である。それは無理だろう。
「だからこその不可解だ」
陽太兄さんは宣う。
その謎を解かなくては、と。
是太兄さんも同意した。
けれど、僕はそう思わなかった。
そのクリスマスを境に、僕はいっそう学業に励むようになる。勉学だけでなく、運動においても。
どうしてそのような意識が生まれたのかは、明確には説明できないけれど。
気勢をあげていたふたりの兄は、そのできごとを両親に話してはいないという。結局、謎を解くこともできなかったのだろう。
そして僕は、その記憶を少しずつ忘れ去っていった。
いずれは完全に忘却する日もきていたのかもしれなかったけれど、そうはいかないのが、運命の皮肉というものなのだろうか。
物語の舞台は、翌年の冬に移ることになる。
◆◆
「なあ、去年のクリスマスのことを憶えているか?」
その一言は、一年前の奇妙なできごとの記憶を鮮やかなまでに想起させた。似たような切り出しかただったということの影響もある。
「もちろんだ」
「うん、今思い出した」
十四となった陽太兄さんの問いに応じるのは、同じように年齢を重ね中学へ入った是太兄さんである。当然同様に十二となっていた僕も続いた。
対する陽太兄さんは、さもありなんとばかりに頷く。
「まあそうだろう。あれほど不思議なことだったからな」
「でも陽太兄さん、どうしてそれを急に?」
「急ってことはないだろう。なにせ、もうクリスマスが近いんだからな」
そう言われるとそのとおりではあるのだけれど、
「でも、それがどうしたの?」
「どうしたもなにも、話の流れからして目的はひとつしかないよな」
質問に答えるのは是太兄さんのほうであり、陽太兄さんもそれを肯定した。
それはつまり。
「サンタクロースの正体を暴くという試みに再挑戦する……ってこと?」
「おう」
力強い返事がされる。それにためらいはない。
「なら、僕は辞退するよ」
「何故だ」
「何故、って……」
動揺する前に理由を問われたことで、逆にこちらが慌ててしまう。とはいえ、もちろん否定の要因はある。
「去年は僕もまだ十一歳だった。でも今年は違う。背もかなり伸びているんだ。前と同じように机の下に隠れるってことはできないから」
「なら、柄草がベッドに入ればいい」
「……え?」
「つまり今回は、柄草の部屋で張るってことだ」
あっさりと反駁される。そう決定づけられると、僕の側にはそれを論理的に否む根拠はない。僕の側にはないけれど。
「でも、それで大丈夫なの?」
「俺がやりたいって言っているんだから、多少の苦痛は我慢するさ」
「なら、問題ないけれど……」
「それに兄さんは、今回はプレゼントを貰えない可能性もあるしね。成績が下がっているんだろ?」
「うるせえ」
「…………」
脱線する会話を繋ぎ留めるため、僕は訊いた。
「だったら、勝算はあるの?」
「勝算?」
「今年こそは謎を解明できる、と思えているの?」
「勝算か。……あるともいえるし、ないともいえるな」
「……」
「要は、秘密ってことだ」
陽太兄さんはにやりと笑い。僕は沈黙し。その沈黙を破るように是太兄さんは、
「で、柄草はなにを貰うつもりなんだ?」
「……」
からかうようにそう訊いてきた。嘆息する。
「どうやら、答えるつもりはないみたいだぞ」
「そういう兄さんこそ、今年はなにか頼んだのか?」
「あ、いや、俺は──」
背後で展開される会話を気にせず、僕はその場から歩き去った。
◇◇
改めてこういうことを追認するというのは自慢のようで好きではないけれど、僕らの両親はそれなりに裕福である。大金持ちやら大富豪やら、といえるほどの資産ではないものの、中流家庭と呼ばれる部類の家庭でも上のほうではないかと思う。
そのため、僕らが暮らすこの家はだいぶ広いほうだといえる。
そんなわけで、クリスマスイヴとなった。
僕自身の私室にて、三人が集合していた。
部屋の構造は陽太兄さんのそれと大きく変わらない。また、家具の配置も似たようなものだった。ベッドに机に本棚にクローゼット。陽太兄さんの部屋における家具の配置を『L』とするなら、僕の部屋でのそれは左右が反転したものになる。
この部屋の本棚には多くの本がある、というのも大きな違いのひとつだろうか。
「さて」
と陽太兄さんが口を開く。現在は午後十時半。昨年と、ほぼ同じ時間帯である。
「去年もやったから概要はわかっていると思うが、大丈夫か?」
是太兄さんと同時に僕は首肯した。陽太兄さんは満足げに笑むと続ける。
「もちろん、偽装工作はしてきたよな?」
「ああ」
これには是太兄さんだけが応じた。三人で頷きあう。
「じゃあ、行動開始だ。柄草はベッドに入れ。是太はクローゼットに。俺は電気を消してから机の下に」
「……」
口を開こうかと思ったが、それはとりやめた。狭さは陽太兄さんも理解しているだろう。僕が差出口をすることではない。
言われたとおりベッドに寝転がろうとして、思い返すと部屋を見回す。慣れ親しんだ自室だった。もちろん、机の上に包装された袋が見受けられることもない。
それらをじっくり観察してから、僕は布団に入った。クローゼットに入った是太兄さんが、その戸を少しだけ開けているのも確認できる。陽太兄さんは扉の手前に立っていた。
そして、消灯。
あっさりと視界に暗幕が落ちる。目が慣れるまではなにも見えない、と感じた。その暗闇の中、陽太兄さんが手探りで進む気配がする。
絨毯を踏み締め歩いて、机に到達し手をかける。椅子が引かれていく物音。狭い机の下では、流石に難儀しているようだった。
しかし、それが終わると静かになる。
暗順応により部屋の様子が見えていくが、それだけだ。変化があるわけではない。開いた戸から是太兄さんの視線を感じる。おそらく、陽太兄さんは扉を睨みつけているだろう。
ぼんやりと、昨年のこのときを振り返る。あのときもまた、なんら変化なくゆっくりと時は過ぎていった。違うのは状況だけだ。窮屈な中手足を折り曲げた去年と、ベッドにゆったりと横たわる今年と。
それは、誘惑だった。
扉は陽太兄さんが、窓は是太兄さんが、それぞれ視界に入れている。この部屋のただふたつの出入口。そこから出入りする者の姿は見える。
──僕が起きている必要はないのではないか?
脳裏で囁かれている気がした。抵抗する術はない。抵抗する意味はあるのか。抗わなくてもいいのではないか。流れていく思考を抑えつける、が。
寝転がっているというのは楽だった。昨年苦痛を経ているからこその誘惑。陽太兄さんは机の下では寝られない、という不思議な確信を得ていた。そして、机の下から見られるものとベッドから見られるものはさして変わらない。
内心の欲望を否定しながらも時間は流れていく。暗い中で目を開き続けることは疲弊を伴っている。昨年を思い出した。朝、起きた現象を不思議がりながらも睡魔に抗えず、眠りに落ちたことを回想。そのときの安楽が思い起こされる。
……。
…………。
………………。
とうとう堪えきれずに。
意識が遠のき始める。
視界が霞がかっていく。
朦朧とした思考の中で、陽太兄さんも去年この眠さを感じたのだろうか、と考えながら、
僕は眠りに呑みこまれていった。
◆◆
肩を揺り動かされる。揺さぶられる。静かに声をかけられる。鋭い声に意識を呼び覚まされる。
僕は覚醒した。
慌てて身体を起こすと、ふたりの兄が目に入る。すぐ傍に陽太兄さん、その後ろに是太兄さん。ふたりの表情は怒っているそれではなかった。寝落ちに対する咎めで起こしたわけではないのだろう。
と、いうことは──
「またやられたよ」
陽太兄さんがすっと枕元を示した。視線を向けて、束の間呼吸が止まる。
包装のなされた袋がそこにあった。
昨年見たそれと比べたら大きな袋。少なくともシャープペンシルではないようだ。
兄さんたちにどいてもらって起き上がると、袋を持って机に近づき椅子に座った。筆箱から鋏をとり出して、包装にその刃を当て、贈りものを開封していく。
現れ出たのは一冊の文庫本だった。その題は記憶に残っていた。何十年と前に絶版となり、すでに図書館で借りられるかどうかということすら危うくなっていた古典探偵小説。その話題を、いつだったか食事の場でしたことを思い返す。
「…………」
「寝ていた柄草のために言っておくと」
沈黙する僕に、まったく皮肉のこもっていない口調で是太兄さんが注釈した。
「今回も、消灯から朝に至るまで誰もこの部屋には入っていない。それは俺が確認してる。兄さんもそうだろう?」
「ああ」
「そして」
「……消灯前の時点でこんなものがなかったのは、僕も憶えているよ」
「ということは」
「うん、そういうことだと思う」
暗闇の中とはいえ、起きているときになにかを枕元に置かれたら流石の僕でも気づくだろう。犯行──という呼称が相応しいのかは不明だが──は僕が眠ったあとに行われたとみて間違いない。
でも、どうやって?
ふたりの兄が話しあいを続けるのを耳で感じながらも、その内容が頭に入ってこない。
僕は思索にふけっていた。
いかにして僕の枕元にプレゼントを残したのか。
どうしてそれが、この文庫本だったのか。
けれど、時とは移ろいゆくものだ。
昨年同様この謎を解き明かさんとして考え続けていた兄たちは、今年もまた真相には至らなかったようだった。
僕も、いつしか考えることをやめていた。
そうして、そのできごとを思い出すことも少なくなっていく。
それはまるで、臭いものに蓋をするかのように。
厭な記憶を思い出させないように、僕の脳が働いていたのかもしれない。
ふたつの聖夜の記憶は、ゆっくりと僕の頭をよぎらなくなっていった。
◆◆◆
そして、僕はその少女と出逢う。
◇◇◇
近所の図書館の中庭にて。雪が降り積もっていくのを、僕はぼんやりと眺めていた。
ビルディングも多くなってきたこの頃には珍しく、比較的広大な敷地を持つこの図書館には、何年か前から通っている。けれども今日ここを訪れたのは、そういう目的ではなく。
「……で」
傍らで押し黙っていた少女はようやくその口を開いた。
「結局、その話を聞かされた私になにを求めているの?」
「……」
目を横に向け、隣に座る少女を見る。
ありていに言ってしまえば、彼女は美少女だった。つややかで長い黒髪。芯を感じさせる、きりっとした強い眼とその眼差し。口は引き結ばれ、かすかに微笑を湛えているようにも、冷笑しているようにも見えた。
その名を、霧野美梨という。
彼女と出逢ったのは四月。中学に入学したところ同じクラスだったのである。以来、なんの因果かはわからないけれど、僕は彼女と親しくいた。
だから、彼女がただの少女ではないということも知っている。
「もちろん、霧野の意見を求めているんだよ」
端的にいえば、霧野は探偵としての才能を有する者なのである。
入学してから九ヶ月。なんだかんだ彼女とともに行動していた僕は、いくつかの不可思議な事件に彼女が論理的解釈を施したのを目にしている。
もっとも、この件について彼女に相談しようと思い立った理由は、今日がクリスマス・イヴだという単純な事実でしかないのだが。
「なら、確認したいことがいくつかあるのだけれど」
「なんでも訊いてくれよ」
「確認というか、前提条件の共有といったほうがいいかしら?」
「……」
前提条件。
僕がした話だけでは真相にはたどり着けない、ということだろうか。
「まず、きみの父親について」
「父さんがこの件にどう関わるっていうのさ」
「きみの父親は、確か商社に勤めていると以前言っていたわよね」
「……うん」
「クリスマスイヴ、および当日、彼は出張していた。そうではないかしら」
「違わないよ」
「そして、きみの母親はパートタイム労働者」
「うん」
「きみとお兄さんが『作戦会議』をしたとき、彼女は働いている最中だった──」
「それも、違わない」
父、瀬戸内抑人は俗にいう商社マンであり、母、瀬戸内陽子はパートと呼ばれる労働者である。そのことは話した憶えがあるし、そこから推測できることを確認したのだろう。
「では次に、他の部屋について」
「……というのは?」
「犯行が行われた部屋以外において、プレゼントは残されていたの?」
「……それは」
回想する。確か、衆人環視の部屋にプレゼントがあったということに気をとられて曖昧ではあるけれど、
「あった、と、思う」
「……そう」
はっきりとしない応答。珍しい、と思う間もなく、
「なら、その包装は?」
「同じだったよ。シャーペンや文庫本を包んでいたものと」
「わかったわ。では、その次に──」
と、ここで一拍置いて。霧野はすらりとその言葉を滑りこませてくる。
「長兄である陽太さんは、一昨年のクリスマスの時点であるものを盗まれていた」
「…………」
「それは彼が、中学に入学した記念として貰ったシャープペンシルだった」
「…………」
「違う?」
「……いや」
正しかった。寸分の狂いもなく正しい推測。
「なら、これですべて解けたわ」
これが小説なら読者へと挑戦がされているでしょう、と。淡々と彼女は言う。
そうだろう、とは思っていた。そうでなければ、さきほどのような確認はされないだろう。
でも。
「どうしてわかった?」
「それはもちろん、きみの話にほぼすべての手がかりが散らされていたからよ」
「…………」
それはそうよね、と彼女はわらう。
「だって」
続く言葉は、もしかすると──
「犯人はきみだったのだから」
僕がずっと、求めていたものなのかもしれなかった。
「さて」
◇◇◇
「正直にいってしまえば、この事件の真相はまったく難解ではないと思う」
まず初めに彼女は言った。
「ちょっとした論理の積み重ねで犯人は特定されるわ。それがきみだったのだけれど」
「…………」
「──前提から話しましょうか」
「……というと?」
「仮に、プレゼントを置いていった人物がなんらかのトリックによって姿を隠したのだとすると……」
指をひとつ立て、霧野はそれを口にする。
「その人物は、見張りがいるということを知っている必要がある」
「……なるほど」
ついさっきの彼女の質問は、ここで意味をなしてくる。
「きみの母親は『作戦会議』のときいなかった。普通に働く男親なら、女親がアルバイトをしているような時間帯に家にいることはない」
「父さんと母さんは、見張りのことを知らなかった──」
「さらにきみの父親は、事件当日にも家にはいなかった」
ふたりは、容疑から外れた。
「ましてや、きみの家とはまったく関わりのないひとなんてもっての他」
「確かに」
「これで容疑者は三人」
断定する。
残るのは、僕、是太兄さん、陽太兄さん。
「では、犯行の機会から考えてみましょう」
「いわゆるアリバイだね」
「そうともいえるわ。まず──」
立てていた指をいったん下ろすと、霧野は指を四本立てた。
「犯行が行われうる時間帯は大きく四分される。消灯前、消灯直後、消灯中、そして朝よ」
「でも、そのうちのふたつはありえない」
「そうね」
頷きとともに、指がふたつ下ろされる。
「消灯前の時点で机上にプレゼントがなかったことは僕が確認済みだ」
「同様に、朝にはすでにプレゼントが置かれていた」
「それも、最初に隠れ場所を出た僕が確かめている」
故に、残る時間帯はふたつ。
「順に考えていきましょう。まず陽太さん。彼はベッドに寝ていたわね。消灯時にすでにそこにいた彼は、朝になったときでもそこにいた」
「もし間で動いたとしたら……」
「そのときは是太さんがそれを目にしているでしょう。もちろん、ふたりの共犯だという線もなくはない」
それは否定できないわ、と肩を竦め、
「でも動機が薄いから、考慮から外しても構わないと思う」
「つまり、陽太兄さんは犯人ではない」
「それは是太さんも同様よ」
端的に彼女は述べていく。
「消灯前と朝で不動だという点。消灯中の行動は陽太さんに監視されていた点。それだけでなく、きみもまたその行動を監視できていたのだから、磐石といってもいいくらい」
「是太兄さんも、犯人ではない……」
「残るのはきみだけでしょう?」
悪戯っぽく霧野は微笑む。しかしすぐ真顔に戻ると、
「一応説明しておきましょうか。きみは消灯時と朝の時点の間で動いていた唯一の人物だった。もちろん、机の下に潜りこんでからの行動は是太さんに見られているから、そのときは犯行には及べない」
「…………」
「けれど、消灯直後にきみは机に近づくことができた。机の下に隠れる、という名目でね。消灯のすぐあとだから、他のふたりの眼は暗さに順応していない。その間隙をついてきみは」
──手を置き、椅子を慎重に引く。
「プレゼントを置いて、そのまま隠れ場所についた」
それが第一の事件の全貌よ、と彼女は締めた。
「……動機は? 動機はなんなんだ」
「それについては想像の域を出ないけれど」
動機というのは論理的に解明できないものだから、と彼女は言う。
しかし、僕にもわかっていた。霧野はすべて見破っている。それ故の、あの質問なのだろう。
「でも、材料は充分あったわ」
それをひとつずつ、並べ立てていく。
──是太兄さんの言葉。「前になくしたって言ってたあれ」。
──陽太兄さんの表情について口を濁したこと。
──僕が不自然な沈黙を多く挟んでいたこと。
そして。
「そして、きみが犯人だということ。最後に──」
「陽太兄さんは、中学入学祝いのシャープペンシルを盗まれていた」
「そう。では、それらを踏まえてきみの動機を推測するとどうなるかしら?」
「…………」
首を傾げる霧野の顔から、僕は目を逸らした。
「きみはクリスマス以前に、兄である陽太さんのシャープペンシルを盗んだ。おそらく、嫉妬かなにかしらの理由があったのでしょう。けれどきみは、すぐに罪悪感に苛まれた。返したいと思っていた。でも機会がなかった」
「…………」
「そこへ降って湧いたのが、サンタクロースの正体を知ろうというその作戦だったわけね。これ幸いと思ったきみは、隠し持っていたシャープペンシルを近所のデパートかどこかで包装してもらった。サンタだと偽って、それを元の持ち主に返すために」
「…………」
「強引な当て推量だけれど、どうかしら?」
「…………」
沈黙して、そして。
「霧野に、なにがわかるっていうのさ……!」
「……なにもわからないわよ」
「──! なら、どうして……!」
「わからないから、ヒトは考えるのでしょう」
「────」
沸騰した憤怒が、急速に落ち着いていくのを感じた。内心を的確に言い当てられること、つまり心に土足で踏みこまれたことへの怒りは、すぐに鎮静していった。
霧野の顔が、わずかに、けれど確かに歪んでいるのが見てとれたから。
「……うん、当たっているよ」
「そう」
「すべてそのとおりだ」
「そう」
「で、どう思う?」
「いや、別に──私は、きみを信じているから」
「…………」
「さて、続けるわよ」
「……うん」
推理は、第二の事件へと及んでいく。
「昨年の事件。これもまた、解釈は至極簡単よ」
「そう、なのか?」
「きみだって気づいているのでしょう?」
「…………」
沈黙を選ばざるをえなかった。
「この件に関しても、さきほどと同様の論理が用いられる」
「ああ、『犯人は、見張りがあるということを知っている必要がある』ってわけだね」
「そう。よって容疑者は三人」
さきほどと同じだった。
僕ら三兄弟のうちの、誰か。
「ここで仮定してみましょう。第二の事件において、被害者と呼ばれうる人物はきみだった。ではきみ自身の自作自演だという可能性はあるのか」
「……」
「結論からいえばないわね。なぜなら動機がないから。文庫本はきみがほしがっていたものなのだから、偶然にも古本屋で手に入れた、とでもいえばいいでしょう」
「僕は容疑者から外れる、と?」
「もちろん」
それにしては、先刻の断定は「僕がすべての事件の犯人だ」と言っているかのようだったけれど……。
「残るはきみの兄ふたりだけれど、そこでもうひとつ、きみ自身も気づいていた条件がある」
「そんなものあったかな……いや、あったね」
──犯人は、僕が眠ったあとに行われたとみて間違いない。
「よって、犯行の機会はふたつの時間帯に絞られた。きみが寝落ちした直後か、朝になってからか」
あとは簡単よ、と霧野は言った。
「陽太さんと是太さんは相互監視の状態にあった。朝になるまではどちらにも犯行の機会はない。そして、きみが目を覚ましたときの話では、陽太さんのほうがきみに近い位置にいた。先に行動したのは陽太さんなのでしょう」
「犯人は、陽太兄さん」
「傍証もあるわ。きみも考えていたように」
──陽太兄さんも去年この眠さを感じたのだろうか。
「陽太さんは一昨年の見張りにより、ベッドでの眠気を知っていた。彼は運動も得意だったのよね。その分体力があり、睡魔を乗り越えることができた。しかしきみは違う」
「陽太兄さんは、僕が寝落ちすると予想していた」
「机の下を選んだのは、そこならばきみが寝ているのか否か判断しやすいからでしょう。クローゼットではどうしても布と触れあう音がする」
「あとは、僕が寝たのを確認してから、是太兄さんより早く行動するだけ、か」
「そして枕元に文庫本を置いた」
いわゆる早業殺人ね、と霧野は笑う。それは洒落にはならなかったけれど。
「このくらい、きみにもわかったでしょう?」
「……うん」
確かに、わかっていた。わかってはいたのだ。でも、同時にわからなかった。
「どうして、陽太兄さんはこんなことを──?」
「おそらくきみのためでしょう」
おそらくという言葉とは異なり、彼女の口調は断言していた。
「何度も言っているように、第一の事件は単純よ。少し考えれば解ける謎。春がくる頃には、お兄さんも真相に勘づいていたでしょうね」
「でも──」
「だからこそ彼は、第二の事件を起こした」
気づいていたかしら、と霧野は尋ねてくる。
「この事件。現場を指定したのは陽太さん。犯行を行ったのは陽太さん。凶器、ではなく、プレゼントである文庫本を探し出したのも、たぶん陽太さんだと思う」
「え──」
「数十年前に絶版になった稀覯本なのだから。探すのは並大抵の苦労ではないでしょうし、それで陽太さんは成績が下がったのではないかしら」
確かに……そう考えれば辻褄は合う。合うけれど。どうして。
「最後に、これは直接関係のあることではないけれど……きみたちが張りこんでいた部屋以外にも、プレゼントが置かれていたそうね」
「……それは」
「シャープペンシルや文庫本と同じ包装で。不思議だとは思わなかったかしら」
「…………」
「そして、どうして、二部屋だけなのか」
「……それは──」
「いや、関係のない話ではなかったわね……。言い換えれば、問題はひとつよ。
そのサンタクロースは、いかにして正確にプレゼントを届けたのかしら?」
言われてみると不自然だった。
見張りのいた部屋を除く部屋にだけ、何故プレゼントが置かれていたのか。なにせ、部屋の扉が開けられた形跡はなかったのだ。
「そんなことができるのはひとりだけよ」
「ひとり、だけ」
「まず、そのプレゼントはシャープペンシルなどと同じ包装をされていた。つまり同じ店で包装を受けたということ。そのことは、たとえば一昨年きみがシャープペンシルの包装をしてもらったとき、それを目にする可能性がある人物を示唆する。
次に、きみたちは見張りがあるということを知っていたけれど、それ故部屋を離れていない。他の人々は見張りのことを知らず、それ故きみたちが見張っていた部屋に入ってしまう可能性がある。それらの矛盾の例外となる人物。
さらに、それらの条件を満たしたうえで、デパートなどで得た情報によってきみたち兄弟の関係を推し量れる人物。
最後に、これは単純に。真冬の深夜、きみたちの家に入ることができた人物。
すなわち……」
「……母さん、か」
それが、サンタクロースの正体だった。
◇◇◇
一昨年。
クリスマスプレゼントの包装のためデパートを訪れた母さんは、そこで僕の姿を目にする。
母さんは、僕が持つシャープペンシルを見て状況を理解したのだろう。長兄が、シャーペンをなくしたと騒いでいたことを追想して。
僕が、陽太兄さんにプレゼントを贈ろうとしているのだと。
そのために母さんは、長子へのプレゼントをとりやめた。そして他のふたりへのプレゼントを包装してもらい、聖なる夜にそれを部屋に置いたのだろう。
──クッションなどを布団の中に入れ、膨らませるという作業。暗いこともあり、遠目であれば判別は不可能だろうと思われた。
昨年も似たようなものだった。
今度は陽太兄さんの側が古めかしい本を持って包装にきているのを見て、母さんは僕へのプレゼントをとりやめた。
母さんも、陽太兄さんも、僕のことを見ていたのだろう。
「要するに、クリスマスというのはそういうものなのだと思うわ」
感慨深げに霧野はそう言う。
「私の家族はいないけれど──」
その枕詞をなんの衒いもなく言ってのける彼女は、確かにもう両親を亡くしている。今は親戚とのふたり暮らしだ。けれどそれを、必要以上に気にすることなく。
「──家族がみんなで楽しく過ごすのが、クリスマスというものでしょう?」
彼女の言葉とこめられた想いは、不思議なほどにすっと僕に入りこんだ。受け止め、頷く。
「さて、覚悟はできたかしら」
「うん、できたよ」
──陽太兄さんに、謝ってこよう。
それが、霧野の推理を聞いて、僕が出した答えだった。
二年越しの謝罪。受け容れてもらえるのかはわからない。霧野の見立てでは、昨年のプレゼントは『赦しているという意思表示』だということらしいけれど、それほど楽観はできなかった。
でも、覚悟は決めたのだ。
なら、それに従うしかないだろう。
霧野はまだしばらくここでゆっくりしていくという。
彼女に背中を押されるように感じながら、僕は雪の降るなかを歩き始めた。