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呪われた剣

 ハイノサイスという国があった。

 その国は独立と交易の国を謳い、大きな大陸路と小さな国々の中間地となって、貿易を生業とした。

 その国には多くの人間が訪れる。行商人、旅人、浮浪者や難民。

 そのすべてを、ハイノサイスは受け入れる。基準はただ一つ。金になるか否かだ。


 ハイノサイスには東西南北、四つの入り口がある。

 北には大陸路に続くある程度整備された街道が続く。そのため、国の北には多くの貿易商人が屋敷を構えている。

 西、東、南には整備されない干ばつが続く。奇跡的に地脈が通じていたためハイノサイスには豊富な水があるが、周辺には国が作られることはない。

 国の西側には下層階級人の居住区や宿屋がある。また、東側には畑を耕作するための土地がある。痩せた土地に十分に実るのは主にライ麦やじゃがいもだ。

 中央には噴水をシンボルとする広場があり、多くの出店がここに並ぶ。

 南側は食品店を主としながらも、その他床屋や花屋、鍛冶屋といった“その他”の店も並んでいる。

 鍛冶屋はハイノサイスにただ一つしかない。南門からすぐ見える高い煙突が、剣を求める者を鍛冶屋へと導いてくれることだろう。

 そんな話を聞いてだろうか? 中央の噴水広場を抜け、亡霊のような足取りで南に向かって歩く男がいた。

 黒い髪には、年齢にそぐわぬ白髪が多く混じっている。

 暗く陰鬱とした表情と、目の下の隈は男を実年齢の倍ほど老けて見させた。

 男は本来、二十代の前半ほどであろう。何があったのか、若々しさは薄れ、何かに恐れたように足を進める。

 腰にはロングソードを携えていた。黒い鞘に入った刀身は見えず、鍔は禍々しく歪んだ形をしている。

 すれ違う人々の視線を意にも介さず、男はただひたすらに南の鍛冶屋に向けて歩いた。

 レンガを踏みしめながら歩いていく。男が俯いた顔を上げると、箒で掃除をしている青いツナギを着た少女の姿が見えた。

 彼はしばらくその姿を眺める。茶色の長い髪と瞳、小柄な体格、服装……話に聞いた鍛冶屋の主人の外見と一致した。

 少女は男に気づくと、箒を動かしたまま軽く会釈をする。

「君が……鍛冶屋の主人、だね?」

 男は喉の枯れたしわがれた声で確認した。少女は箒を壁にかけ、改めて会釈をした。

「はい。わたしが鍛冶屋のティカルです。なにかご用事ですか?」

 男はこの場で話すべきかと少しまごついた。それを察したティカルは、彼を鍛冶場に案内する。

 鍛冶場はひんやりとした空気に満ちていた。炭の匂いと鉄の匂いも強い。

「彼は……?」

 男の目に入ったのは、炉の近くに寄りかかっている背の高い青年だった。髪が長く、前髪が顎ほどまで伸びた無造作な髪型をしている。その体は、ボロのローブで覆われていた。

「この鍛冶屋で住み込みをしているヴィカです」

 ヴィカは男に対して無感情な赤い瞳を向けた。その声に抑揚は宿らない。

 男は不気味な様子を持つヴィカに不審感を抱いたものの、ひとまずティカルに勧められた通り鍛冶場の木の椅子に座った。

「それで、改めまして、どういったご用向きでしょうか?」


 男は落ち着きなく辺りを見回したあと、腰のロングソードを鞘ごと外した。

「これをっ、買い取ってほしい!」

 ティカルは剣をいきなり目の前に突き出され目を白黒させる。

 ひとまず鞘から剣を抜き、刀身を確かめる。形はよいのだが、ひどく汚れている。

 血肉や脂を処理しきれていないのだろう。刀身は赤く薄汚れ、刃はところどころ欠けていた。

「これ……は」

「非常に値打ちのあるものなんだ。金貨三十枚くらいで買い取ってほしい」

「金貨!? 三十枚って」

 ティカルは怪訝な表情で剣を鞘に納める。

「無理です。高くても銅貨三枚か四枚といったところでしょう」

「そんな! 何とかならないのか?」

 男が必死に食い下がろうとするのを見て、ティカルは剣の鍔を確認した。複雑な意匠が凝らされている。だが、それだけだ。

「確かに、原価は高かったのかもしれませんが、保存処理が悪すぎます。刀身も歪んでいますし、使い物になりません」

「そんな……そんな、待ってくれ」

 男はわなわなと震えながら釈明を始める。

「頼む、頼むから、買い取ってくれ。それを持っていると僕は、人を斬らなきゃいけなくなるんだ」

「はい?」

 意味不明な男の物言いにティカルは思わず聞き返す。だが男はなおも続ける。

「持っていると、人を殺さなきゃならないんだ! 僕は人を殺したくなんかないのに、その剣があるから! その剣が、僕に人殺しをさせるんだ!」

 その男の言はまるっきり要領を得ないものだったが、わずかに頭に引っかかるものはあった。

 北欧の神話の中にその名が語り継がれる、魔剣ダインスレイヴ。

 鞘から抜けば人の返り血を浴びるまで鞘に戻らず、必ず誰かを死に追いやる。

 その刀身による傷は決して癒えることなく、やがては所有者に破滅をもたらすという。

 実際には、ティカルが抜いたときこの剣には特に何も起こらずそのまま戻ったのだが。

「捨てたらいいのではないですか」

 ヴィカは興味なさげに突き放した。男はもはや半狂乱であった。

「捨てたりしたら僕が死ぬんだ!」

 どうしたものか、とティカルは腕を組んだ。

 男の様子はただ事ではないが、魔剣などというものが存在するとも思えない。

 だがこのままでは埒が明かない。男の言い値で買うこともありえない。ティカルは決断した。

「銅貨四枚です。納得できない場合はお引き取りください」

「!」

 男は目を見開いて唇を震わせた。ボソボソと何かを呟いている。

「だめだ……だめだ、それじゃ、だめなんだ」

 呆然と空を見つめる。――直後。男が立ち上がり剣を掴むのと、ヴィカがティカルを引き寄せたのは同時だった。

「ティカル!」

「僕は、まだ解放されないのか。この剣を! 手放せないなら、お前たちを」

 男は鞘からボロボロの剣を解き放った。その刃が切れ味を取り戻す様子はなく、薄汚れた刃が鈍く光る。

「殺してやる!」

 ヴィカはティカルを庇うように背中に隠し、前に歩を進める。ティカルは怯えと困惑が入り混じった複雑な思いで、後ろに下がった。

「警告します。僕を斬ろうとすれば、斬られるのはあなたです」

 無感情のままヴィカは警告の言葉を投げかけた。男は腰を落とし、両手で剣を構える。

「うあああ!」

 剣を振り下ろす。頭めがけて振り下ろされた剣は、既のところでヴィカの右腕に防がれた。

「があっ……!」

 ――血しぶきが舞い、鍛冶場の床を濡らす。男の右腕から血がダラダラと流れ、力の入らない手は剣を取り落とした。

「な、な……っ!? なぜ……!」

 斬られたはずのヴィカの腕には傷一つなく、ローブも破れていない。斬りつけたはずの男が床に膝をついていた。

「剣の切れ味が悪くてよかったですね」

 ヴィカは冷ややかにそう言うと、抜き身のままの剣を蹴り飛ばした。

「警告はしました。僕はこういう体質でしてね」

「あ、い、今、包帯を取ってきます!」

 ティカルは鍛冶場の奥の居住部屋に向かった。残された男は剣を取ろうとしたが、ヴィカに睨みつけられ断念した。


 男の腕の血が止まり、同時に彼は幾ばくかの冷静さを取り戻したようだった。

 件の剣は男から離されて壁に立てかけられている。呪われた剣は持ち主から離され、鞘の中に眠る。

「事情を話していただければ、わたし達も少しは力になれるかもしれません」

 そうティカルが言うと、ようやく男はその身の上、そして剣の事情を話し出した。

「僕は、傭兵だった。大陸路の先のある戦争で、僕は軍に加わって戦った。その時に支給されたのがあの剣なんだ」

 聞くと、あの禍々しく歪んだ鍔のデザインは国に共通のものだったらしい。男は苦しみながら続ける。

「ところが、戦争が終わったとき、僕らは借金を背負わされたんだ。表向きは支給された剣の代金として。本当は戦争で傾いた経済をなんとか立て直したかったから、そして泥沼の戦争の口封じがしたかったからだろう」

 定期的にまとまった金を払わなければ捕らえられる。傭兵たちはその国に留まって必死に日雇いの仕事を探す他道はなかった、と男は嘆いた。

 そうして国に封じ込めることで、その国は自らの悪評が外部に漏れないようにしたのだろう。

「耐えきれず、逃げ出した……。そうしたら、国から追手がやって来た。追手は金か命を要求してくる。だけど、逃げ続ける生活、そうまとまった金なんて入らない。僕の選択肢は二択だ。旅人や通りがかりの人を斬り、金を手に入れるか。もしくは追手を斬り殺すか」

 そして剣を手放せば、追手に殺されることになるだろう。これらが、男の語った呪われた剣の真相であった。

「その国は、このハイノサイスまで追手を届かせる場所なんですか?」

「ああ、おそらく。またあいつらが来る。どうしようもない……」

「なるほど」

 ティカルは頭を最大限回した。遠くから来る刺客。剣の代金。借金。人殺し。

 そして、一つの結論を導き出す。

「決めました。この剣は鍛冶屋で買い取りましょう」

「! ほ、本当に!」

 男は満面の笑みを浮かべた。いつぶりになるかわからない、心の底からの笑顔だ。しかし――

「代金は銅貨五枚です」

 二束三文。まず借金を返し切るには足らず、剣も手元に残らない。剣を投げ捨てるにも等しい結果だ。男は表情を曇らせ歯噛みする。

「いや、それじゃ」

「そしてあなたを自警団に引き渡します」

「なっ!? な、なんで! そんな!」

「わたし達に斬りかかったじゃないですか。理由はそれでいきます」

「そんな! 待ってくれ!」

 ティカルは男の反応を不思議そうに見たあと、慌てて両手を振る。

「あ、違います! ただ引き渡すわけじゃないんです。自警団の保護下にいれば、少なくとも追手に害されることはないでしょう?」

「あなたはどうしていつもそう、言葉足らずなのでしょうね」

 ヴィカが呆れた様子で、無表情のままティカルを責めると、彼女は茶色の髪を垂らして項垂れた。

「うう……とにかく、その腕が治るまでは自警団に捕まっていてください。そして元傭兵ならば腕が治れば自警団の仕事も務まるでしょうし、そこで働いていれば、追手は手も出しづらいでしょう?」

「おお……おお、なるほど!」

 男は感極まってティカルの手を握る。が、直後に右腕の血が滲み、痛みで手を離した。

「何の得にもならないことを」

「だけど損にもならないでしょ?」

 言い返されると、ヴィカは沈黙した。ティカルは意気揚々と、駐屯している南門の自警団詰め所に向かった。


 男の血の跡を雑巾で拭き取りながら、ティカルは視線を壁に立てかけられた剣に向けた。

「しかし、あの人もかなり口下手だよね」

「なぜそう思うのですか?」

「あの人の最初の言い分じゃ、まるでこの剣が呪われてて、血を求めてあの人を操っている魔剣みたいだよ」

「魔剣……」

 ヴィカはティカルを見つめたまま静止する。ティカルも思わず見返すと、しばらくしてヴィカから目を逸らした。

「魔剣なんて、そんな非現実的なものはありませんよ」

「……それを、あなたが言うの?」

 ティカルは苦笑してヴィカの右腕を見つめる。ヴィカは首を傾げた。


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